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89・見なくなった悪夢、見始めた過去

タキ目線のお話です。





「タキ、お前もう悪夢は見なくなったのか? 顔色も良いし、最近良く眠れてるみたいだな」


 朝、宿木亭に向かう途中、兄さんは連日のマナーレッスンで寝不足の目をこすりながら、大きなあくびをして僕に話しかけてきた。出勤途中はいつもこうだ。

 兄さんは僕の体調を確認するために、毎朝色々と聞いてくる。

 僕はこんなに元気になったのに、それでもまだ心配なんだ。兄さんは長くあの状態の僕を見てきたせいで、なかなかその癖が抜けないんだね。


「うん。ぐっすり眠れてる。ラナさんのお陰でね」 

「お前が見てた悪夢がどんな内容なのか、まだ教えてくれないのか?」

「教えないよ。僕が話す事で、兄さんに悪影響が出たら困るからね」

「なんだよそれ。影響なんてあるわけねーだろ」


 僕は子供の頃から、同じ内容の夢を繰り返し見続けてきた。

 それを僕は悪夢と呼び、ラナさんに助けられたあの日まで、同じ場面が来る度うなされて目が覚めていた。

 お陰で僕は、眠るのが怖くなった。

 眠ればまた、つらくて悲しいあの夢を見るかもしれないから。

 その悪夢は、ラナさんに黒いモヤを浄化してもらった後からは見なくなっていたのに、最近になってまたそれが復活した。

 きっと、彼女が読んでくれた『ライナテミスの日記』が原因だと思う。

 ラナさんが言うには、普通の本の文字の上に天界文字が重ねてあるという。

 僕にも兄さんにも、何の変哲もないただの古い本にしか見えなかったけど、女神が書いた日記なんて、とんでもなく貴重な物だ。

 女神が天界に帰った後の事まで書かれた本が、なぜこの世に存在するのかという疑問が残るけど、天界に戻った女神が、後でこっそり娘の枕元にでも置いたんじゃないかとラナさんは言っていた。

 僕もそんな気がする。不思議な力を持つ理由を、娘に教える為に置いていった物なんじゃないかって。


 女神が産んだ娘の名前はライラ。僕の夢に出てくる女の子と同じ名前だった。

 でも、最近見るようになった夢はあの悪夢で見る場面とは違い、多分それよりずっと前の、僕たちが最も幸せだった時間。あの夢は、ただの夢なんかじゃなく、僕の前世の記憶だ。

 前世の記憶があるなんて信じられなかったけど、これだけは間違いない。神様が願いを叶えてくれて、僕は死ぬ間際に強く願った通りの世界に生まれ変わる事ができたんだ。

 そして何度か夢を見るうちに、女神の娘ライラと、僕の夢に出てくるライラが同一人物である事に気づいてしまった。

 なぜなら、夢に出てくる場所は大昔のアルテミで、ライラの母親は彼女を産んですぐに亡くなった外国人だったから。アルテミは周囲を山で囲まれた小さな国で、当時は外部から人が入ってくる事は滅多に無く、プラチナブロンドの髪を持つのはライラの母とライラだけ。

 それに、幼馴染のライラと女神の娘が同一人物だと言える決定的な理由は、ラナさんとライラの持つ色がまったく一緒だった事。それは、普通の人にはあり得ない、目が眩むほどまぶしいプラチナの輝きだった。

 あ……もしかしたら、僕が浄化してもらった時夢に出てきたのは、ラナさんじゃなくライラだったのかな。


 夢の中の登場人物は、ライラとジンと僕。

 僕たち三人は幼馴染で、僕は夢の中ではタキスと呼ばれている。

 ライラの母は、彼女を産んですぐに死んでしまったために、ジンの母がライラに乳を飲ませてジンと一緒に育てた。だから二人は兄妹のように仲が良く、いつかそのまま結婚するのだろうと、周囲の大人達は成長した二人を温かく見守っていた。

 僕が何度も夢で見た、あの最悪な出来事が起きなければ、きっとそうなっていたはずなんだ。

 ジンは本当に良い奴だった。ライラの事が大好きで……僕は何度も神に願った。来世では、必ず二人が結ばれますようにと。

 

「兄さん、今、幸せ?」

「はあ? 何だよ急に。恥ずかしい事聞くなよ」

「何が恥ずかしいの? ここのところ、毎晩ラナさんを独占できて機嫌が良いくせに」

「……叩かれたいのか?」

「フフッ顔が赤いよ。わかりやすいよね。今も昔も……ッ! イッタ……痛いよ、兄さん……!」


 兄さんにジロリと睨まれ、僕は二の腕にきつめのパンチをお見舞いされた。


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