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85・甘~い!

 私達はどれくらいの時間見つめ合っていたのだろうか。時間にしたら一分も無かったのかもしれないけれど、とても長い間見つめ合っていたような気がする。


 シンの目に真剣さが増し、私の頬に触れていた手が、今度は髪を梳くように耳をかすめ、首の後ろに回された。髪の中に手を差し込まれ、私はゾクリとしてほんの少し肩をすくめたけれど、彼のその行動は嫌ではなかった。

 しかし男性にこうして髪を触られた経験が無く、前世を含めて交際経験の無い私は戸惑い、ただ、ドキドキした。

 今になって、この人はただの同僚などではなく、一人の魅力的な男性なのだという事を、強制的に意識させられた。そんな感じだった。

 前に二人で出かけた時にも、シンは私にこんな視線を送っていた。あの時はケビンの声でうやむやになってしまったけれど、今回は二人の邪魔をする者は居ない。

 あの時既に、何となく感じ取っていた。彼は私に好意を持っていると。そして私はそれを、素直に嬉しいと思っていた。

 彼とは、何か不思議な縁がある気がしてならない。初対面の彼と目が合った時、この人を前から知っていると感じてしまったのだ。


 身も心も、少しずつ縮まるシンとの距離に比例して、徐々に自分の心拍数が上昇していくのがわかった。このドキドキが、シンに伝わってしまいそうで恥ずかしい。今、自分がどんな表情をしているか気にする余裕もないけれど、赤くなっている事だけは間違いなかった。

 

 今のこんなシチュエーションを、前世の自分はドラマや映画、少女マンガなどで何度となく見た事がある。

 そう思った瞬間、洋画で見たワンシーンが脳裏を過った。

 視線を絡ませながら互いを求め合い、濃厚な口づけを繰り返す男女。


 もう、馬鹿、なんで今そんなシーンを思い出すのよ。


 動揺して私の瞳が揺れたその時、シンは座っていた丸椅子からスッと腰を浮かせ、ベッドにもう片方の手を付いて、私との距離を詰めてきた。


 あ、口づけされる……。


 寝室のドアは開いたままで、居間から差し込む僅かな光しかない静かな部屋で、互いを想いながら見つめ合う私達。

 これは自然な流れだと思った。

 ふしだらかもしれないけれど、私は自分の気持ちに従い、このままシンを受け入れようか、待ってと言おうか、迷っていた。迷っていたはずなのに、気付けば私はシンの瞳に吸い寄せられるように、自ら彼に近付いていた。

 ギシッとベッドの軋む音がした。

 私とシンの唇が触れ合うまで、あと五センチ。

 互いの視線が絡み合い、彼の情熱がその瞳から伝わってくる。

 そして私は静かに目を閉じた。


「シン、ラナさんの様子はどうですか? 汗をかいてるようなら、体を拭いてもう一度着替えを……ご、ごめんなさい!」


 居間のドアが開く音にも気付かないほど、私とシンは目の前の相手に集中してしまっていたらしい。 

 私の様子を見に、チヨは静かに居間を通過して、そのまま何も知らずに寝室に入ってきた。そして角度的に私達が口づけしていると思った彼女は、ビックリして目を見開いたまま、回れ右して寝室を出て行ってしまった。


 背後から突然聞こえたチヨの声に驚いたシンは、慌てて私から離れて立ち上がり、クルッと私に背を向けて、苦い表情を浮かべて天を仰いだ。


 もう少しで、シンと口づけしてしまうところだった。たぶんもう、あと数秒チヨが来るのが遅ければ、唇は触れていただろう。


「チヨ! 待って誤解よ! 何も無いから、戻ってきて!」


 チヨはおずおずと寝室に戻ってきて、気まずそうにシンを見て「ごめん」と、手を合わせて謝り、私のところにやって来た。


「お邪魔……でしたよね。ごめんなさい。ラナさんがこんなに早く回復していると思わなくて、油断しました。二人はもう大人なんだし、こういう事もあります……よね。私、ラナさんの着替えを手伝ったら、すぐ出て行きますから、続きをどうぞ」

「馬鹿が、今のは熱があるか確認してただけだっつーの。チヨ、オーナーはたくさん汗をかいてるから、体を拭いて着替えさせてやれ。俺は、前にオーナーから教わったスポーツドリンクってのを作ってくるから、後を頼む」


 シンはそう言ってチラッと私を見て、フッと照れ笑いした後、チヨの頭にチョップを落とし、部屋を出て厨房へ向かった。


「あ、えーっと、じゃあ、体を拭きますね。寝巻きを脱ぎましょうか。一人で出来ますか?」

「大丈夫よ。あら? そういえば私、いつ着替えたの?」


 自分の体を見下ろせば、着ているのはアルフォードの寝巻きだった。普段は楽だという理由で、色気も何も無い自作のスウェットワンピースを着て寝ているのだけど、これはおばあ様が送ってくれた荷物に入っていた、フリフリのレースやリボンが付いて、とてもロマンティックなデザインの勝負ネグリジェ。

 男性が脱がせやすいデザインになっているようで、襟のリボンを解けばストンと落ちて一気に脱がす事も出来るし、横たわったまま、前身頃のボタンを一つずつ外す事もできるというものだ。

 私はこれを勝負ネグリジェと命名したけれど、アルフォードでは平民も貴族も関係なく、一般的なごく普通のデザインらしい。勿論、素材はピンからキリまで有るとは思う。

 この国の寝巻きも似たような物ではあるけれど、正直、デザインはあまり可愛くない。

 チェストに仕舞ってある物の中で、ボタンを外して着る事が出来るのは、これだけだった。きっとチヨは、あの小さな体では意識の無い私を着替えさせるのに苦労したことだろう。


「チヨ、ありがとう。私を着替えさせるの、大変だったでしょう? それに、これでは睡眠時間が足りないのではない? 明日は臨時休業にしましょうか」

「そうですね、私の睡眠時間は平気ですけど、仕方ないです、明日は臨時休業にしましょう。着替えですけど、実はシンにも手伝ってもらいました。さすがに私の力ではどうにもできなくて。あ、シンには目隠ししてもらいましたから、見られてはいませんよ。そこは安心してください」


 まさかチヨがすんなり臨時休業を受け入れるとは思わず、私は目を瞬いた。チヨを見れば、特にそれを不満に思っている様子も無い。

 先にシンから何か言い含められていたのかしら?

 私は着替えるためにベッドを降り、その時ふと、壁にかけられた鏡に目が行った。


「チヨ、あなた、お化粧も落としてくれたの?」

「はい。ラナさんが顔を洗ってるところは何度か見た事もありますし、やり方は知ってましたから。シンがお化粧を落としたラナさんを見て、ポーッとしてましたよ。くふふ」

「もう、余計な事は言わなくていいの! シンがチヨにチョップしたくなる気持ちが良く分かったわ」

 

 チヨは笑いながら、先に用意していたお湯を張った洗面器を寝室まで持ってきて、私の体を丁寧に拭いてくれた。


「チヨは本当に良い子ね」

「何です? 急に。良い子なのはラナさんですよ。私はラナさんの真似ごとをしてるだけです。元々の私は我が儘で、誰かの為に何かしようなんて、考えた事もありませんでしたから。ラナさんに会って、こんな人が居るんだって感動したんです。私もこうなりたいなって」


 チヨがこんな話をするなんて思わなくて、私は驚いて彼女を見た。チヨは照れているのか、ちょっと赤くなりながらも、自分の思いを語ってくれた。


「ラナさんは私の理想の女性像です。まだまだ先は見えないですけど、きっと私も素敵な女性になりますよ。こんなに近くに目標とする人が居るんですから」

「理想って……チヨにはチヨのいい所がたくさんあるのに」


 私が着替えを済ませると、チヨはお湯の入った洗面器を持ってバスルームに行ってしまった。そこで私は、先ほど枕に落ちてそのままになっていた濡れタオルを取り、サイドテーブルに置かれた洗面器に戻そうとして、初めて違和感に気付く。


「なぜ? 水の中に、氷が入っているわ。うちには冷凍庫どころか、冷蔵庫すら無いというのに……?」

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