82・これは運命かもしれない
「イリナ様、神父様、聖女を敵に回してしまいますが、私の味方になってくださいますか?」
旅のヒーラーを名乗る、得体の知れない者からの突然の申し出にも関わらず、イリナ様も神父様も、ほんの少しの迷いも無くそれに応えてくれた。
「おお、それは勿論ですとも。私はあなたこそが本物の聖女だと思っています。昨日はその髪の長さや服装から、少年と見間違えてしまい、大変失礼しました」
「わたくしはあなたに救っていただかなければ、この命はもう尽きていたかもしれません。そして、未だ神殿で苦しんでいるあの子達を助けていただけるのならば、わたくしに出来る事は何でもお手伝いします。何なりと、お申し付けください」
私はこれを聞き、聖職者であるお二人に対し、変装までして素性を隠している事が、何だかとても罪深く感じてしまった。こちらから味方になってほしいと頼むのならば、きちんと誠意を見せるべきだろう。
私は一度深呼吸をして、徐に変装用のウィッグを外し、中に隠していたプラチナブロンドの髪を露にした。サラリと流れ落ちる私の髪を見て、イリナは目を瞬き、頬を紅潮させ口元を手で抑えながら喜んだ。
「ああ……っ、その髪は……! 間違いありません、あなたはやはり、女神様だったのですね!」
「いいえ、女神ではありません。私の名は、エレイン・ノリスと申します」
「ノリス……?」
イリナはノリスという名に反応を見せた。我が家でも神殿に多額の寄付をしているとは思うけれど、巫女様方はそんな事まで把握していらっしゃるのかしら?
巫女や神官は元々貴族の出とはいっても、幼いうちに俗世を離れてしまっているのだし、貴族の名前など詳しくないのかと思っていたわ。
「まさか、ノリス公爵家のエレイン様でいらっしゃいますか? フレドリック殿下のご婚約者の? あっ、申し訳ありません、お二人のご婚礼の際には、わたくしが祝福の舞を披露する事が決まっておりましたもので。しかし、あの聖女様が殿下を奪ってしまったのですね……」
ああ、なるほど、それで……。イリナ様の舞、きっと綺麗だったでしょうね。
それにしても、殿下とサンドラの事は人によって見え方が違うのね。
シンは、殿下が権力を使って聖女をものにしたと言っていたけど、イリナ様から見ると、聖女が私から殿下を奪ったように見える……確かにそうとも言えるのだけど、元はと言えば、殿下がサンドラにちょっかいを出したのが悪いのです。それが無ければ、二人にはいつまで経っても接点など生まれなかったのですから。
さすがに殿下からお声がかからなければ、サンドラだって何も出来なかったでしょう。あの頃のサンドラは、綺麗なだけの普通の少女だったもの。
「エレイン様、あの方は、本当に聖女なのでしょうか? わたくしには、そうは見えないのです。何か邪悪なものを身のうちに飼っているとでも言いましょうか……内側から、黒い霧が際限なく漏れ出ていたのです。あ、黒い霧というのは、嫉妬や恨みが目に見えた状態のものなのですが、小さなものなら誰にでもあります。それをわたくしは祓う事ができるのですが、聖女様のものは、祓っても祓っても湧き出てきて、仕舞いには、わたくしはその霧に襲われてしまいました。あんな事は初めてでした」
イリナは相当霊力が強いのだろう、その正体までは分からずとも、ほぼ正解を言い当ててしまった。しかも、それを祓う力がある。それではまるで彼女こそが聖女ではないの? 聖女は魔を祓う事ができたはず。
「イリナ様、彼女は、聖女となるべくして生まれたけれど、聖女になれなかった、普通の女の子です」
「それは、どういう意味ですか? 彼女は聖女ではないという事でしょうか?」
「そう、聖女ではありません。しかし残念ながら、予言された聖女である事に間違いないのです」
神父様もイリナも、意味が分からないという顔をして、私の次の説明を待った。簡単に言えばこういう事なのだけど、もっと詳しく説明が必要よね。
私は、以前レヴィエントから聞いた、サンドラの核となる、とても徳の高い聖人の魂の話をして聞かせ、それを以ってしてもなぜ彼女が聖女になれなかったのか、闇落ちした妖精の事も合わせて説明した上で、イリナにしたように、幼少期に自分の母親の命を奪ってしまったのだと話した。
「まあ! なんて事! 知らずにとはいえ、自分の母親を死に至らしめるとは……。あの方には天罰が下ります! 恐ろしい事です……人の欲望が、誰かの命を奪う事につながるだなんて」
イリナ様はご存知無いのですね。極一部の人間は、己の欲望のために、他人の命を奪うのですよ。例えばお酒を一杯飲むお金が欲しい、ただそれだけの事で、簡単に人を殺めてしまえるのです。
神父様は良くご存知でしょうが、巫女様や神官様は、幼少期に神殿に入ってしまわれるから、そのような俗世の穢れた現状など、何も知らずに過ごしていたのでしょうね。
そしてふと気付いた。
妖精の話をしても、この二人は驚きもしなかった。
「あの、神父様もイリナ様も、妖精の存在をご存知なのですか?」
「ええ。最近はあまり見かけませんが、昔はあちこちに妖精が飛び回っていましたよ。神官や巫女には見えています。見えるかどうかは、霊力が関係するのでしょうか」
じゃあ、シンにも霊力があるという事になるけど。それも、タキよりも強力な。タキには弱い光の妖精は見えないと言っていたけど、シンは私にも見えない微弱な光を放つ妖精も見えていたわ。彼は自分の事を語らないけど、本当はタキと同じか、それ以上の力を持っているのではないかしら? 普段はそれを完全に封印して生活しているみたい。ご両親共に魔力持ちだと言っていたし、本当は魔力も……?
「エレイン様? 何か気になる事でも?」
「あ、いいえ、何でもありません。あの、私、普段はラナと名乗って、そこの妖精の宿木亭で女将として働いています。今日は神殿にサンドラの被害に遭った人が他にも居ないか確認するために来たのです」
神父様はそれを聞いて、口をぽかんと開けて驚いていた。
「宿木亭の……ははは、道理で。旅人が出発前にここに立ち寄った際、そこに泊まると体の不調が治ると言っているのを何度か聞きました。それに、食事をすれば体力が回復するとも。なるほど、そういう事でしたか。それで、結局のところ、女神の輝きを持つエレイン様は、何者なのですか? その事は、まだ伺っておりませんが?」
あ、そうだった。自分が何者であるか話そうとしていたのに、名乗っただけで満足してしまっていたわ。私がノリス公爵家の令嬢である事と、女神の力を使える事はまったく関係の無い事なのに。
血筋という点では、ノリス公爵家よりも、アルフォードのおじい様の方が関係している。
「私は、女神ライナテミスの末裔なのです」
「は?」「えっ?」
神父様とイリナ様は、目をむいて口をあんぐりと開き、今までで一番のリアクションを見せた。
私は続けて、天界文字で書かれたあのライナテミスの神話の内容を話し、さらに二人を驚かせた。
「そして私は、ライナテミスの血を受け継いだ肉体と、女神の一部から作られた魂を持って生まれました。神父様、私の曾祖母は、アルテミ出身の貴族で、ラナと言います。それに神父様に頂いたあの黒曜石はアルテミ産。私達、何だか縁がありますね」
私がニコリと微笑んで神父様を見ると、神父様はご自分の子供の頃の話をし始めた。
「歩く宝石といわれた、あの、ラナ・クロンヘイム様の……? 私は子供の頃にお会いした事があります。国が無くなり、民はちりぢりになってしまいましたが……そうですか、あの方の……」
「まあ……本当にご縁があったのですね」
「その黒曜石は、あなたの元へ行く運命だったようですな。それを私に授けてくれたのが、何を隠そう、ラナ様でした。当時あの方は、ご自分が持っていたお守りを、天災から逃げる際に身寄りの無い子供達数人に分け与えていました。困ったら、お金に換えなさいと言って」
やはり神父様はアルテミの出身だったのね。しかも、曾祖母に会った事があるだけでなく、この黒曜石は元は曾祖母の物だったなんて、これって運命なのかしら? 私と神父様は、会うべくして会った?
「あ……もう行かなくちゃ。私、仕事があるので戻ります。良ければ食堂の方へ食事しにいらして下さいね。イリナ様、神殿の事、また聞きにきます。ではこれで失礼します」
私はウィッグを被り直し、フードを被って教会を後にした。
何だか分からないけれど、曾祖母と繋がりのある方と出会ってしまった。水の底に沈み、今は湖となってしまった小国アルテミ。いつか行ってみたい。私の力がライナテミスの力と同じならば、溜まった水をどうにかできるかもしれないもの。




