81・荒ぶる聖女
「どうか落ち着いてください! 聖女様! あなたはお美しいです! ご自分がお気になさる程、お姿は変わってなどおりません!」
大神殿に増築された聖女の住居では、聖女の世話係である少年達が、荒ぶる聖女を宥めようと、必死に声をかけていた。
この十分程前、サンドラは世話係イーヴォに起こされて、あくびをしながら裸のままベッドを抜け出し、いつものように朝の沐浴をする為に、自身の体を洗い清める手伝いをする少年達と共に、ガラス張りのバスルームへと向かった。
「今日は視界がとてもスッキリしてるわ。もしかして、あの巫女がとうとう死んだのかしら? あの黒い霧のせいで、鏡に映る自分をハッキリ見る事が出来なかったけど、今日は隅々まで見れそうだわ。フフフ」
「……イリナ様のそのような話、伝わってきてはおりませんが……黒い霧が消えたというなら、聖女様がご自分のお力で、浄化したのではありませんか?」
「そうなのかしら? 聖女の力って言っても、自分の意思では使えないなんて、本当に不便ね。いざ使おうと思っても、その時は何もできないんだもの。ねえ、ところでいつになったらこの鏡、ちゃんとした場所に取り付けてくれるの? ここじゃ暗くて良く見えないのよ」
「……それを取り付けるためには、重すぎて私達では力が足りず、専門の者を何人か呼ばなければなりませんので……」
「呼べば良いじゃない」
「……手配致します。その代わり、聖女様らしい服装で過ごすようお願いします。いつもの格好では、イタズラに男性の欲望に火を着けてしまうかもしれません。護衛などを置けないこの部屋で、私達だけで聖女様をお守りするのは限界があります」
サンドラはにんまり笑って、鏡の前に立った。
「私が魅力的だから、男の欲望に火を着けてしまうって事でしょう? それはね、何を着てても変わらないわよ。うふふ。イーヴォの口から欲望なんて言葉が出るなんて思わなかったわね」
「そうやって、男性から性的な目で見られる事に喜びを感じるのは、止めてください。仮にもあなたは聖女なのですから、ご自分が清い存在である事を意識していただきたいのです」
「うるっさいわねー。もう説教くさいのは聞きたくないわ、黙ってなさい! ほら、こんなに美しい女を、欲しいと思わない男なんかいるもんですか。平民も王子も関係なく、この私にひれ伏すの。うふっ、そのうち、第一王子様が私に会いに……」
今が人生で一番のピークと言って良いほど完璧な美貌を手に入れた彼女は、部屋の奥のバスルームの手前に集められた、貴族からの贈り物の中にある大きな姿見に自分の姿を映して眺める事が、ここへ来て最大の楽しみとなっていた。
その周りには、まだ未開封のドレスの入った箱や、靴、宝石、酒などが所狭しと積み上げられ、それらが広いワンルームの一角を占拠していた。
そして飽きもせず、ポーズを変えながら大きな鏡に映る全身をうっとりと眺めているかと思えば、ふと気付いた昨日と違う自身の美貌の衰えに驚愕し、目を見開いて、神殿の外にまで届きそうな悲鳴をあげた。
「……? ヒッ……ヒィヤァァァァァァァァァァァ!!」
再び起こったこの事態に、サンドラは荒れ狂い、室内に置かれた貴族からの貢物を金切り声を上げながら片っ端から壁や床に投げつけた。
取り乱しながらもきちんと選んで投げているのか、その殆どは高価な宝石などではなく酒瓶で、床には割れた瓶の破片が散乱し、飛び散った大量の酒の匂いが室内に充満して、その場に居た少年達が、その匂いだけで酔ってしまいそうなほどだった。
「イヤァーーー!! 嘘よ! 違う! こんなの私じゃない! おかしいのはこの鏡よ!!」
自分が全裸である事も忘れたサンドラは、とうとう目の前の姿見にまで物を投げつけ、パリーンという音を響かせて、鏡は粉々に砕けてしまった。跳ねた破片は彼女の肌を小さく切りつけ、あちこちから血が滲んでも、サンドラは更に鏡を粉々にしようと物を投げ続けた。
「危ないです! 聖女様、怪我をしますよ! お止めください!」
イーヴォがいくら声をかけても、興奮しきったサンドラの耳には届かなかった。
「駄目だ、皆、一旦下がりなさい、ここに居たら怪我をしますよ」
「イーヴォ様……イーヴォ様こそお怪我を……」
イーヴォは飛んで来たガラス瓶の破片で目の上や腕を切ってしまっていたが、今はそんな事を気にしている余裕は無かった。どうにかしてサンドラを落ち着かせなければ、何も身に着けていない彼女に大怪我を負わせてしまうかもしれないのだ。
国が保護した大事な聖女に怪我などさせれば、自分達にどんな罰が待っているかわからない。
巫女のイリナが世話係を解任された時、彼女の後釜としてサンドラの世話係を任されたイーヴォは、サンドラと同年の十六歳。新人神官として、自分よりも若い神官見習い達をまとめる役を担っていた。
サンドラは、美形ばかりの巫女や神官に嫉妬を覚えたが、この素朴な少年の事だけは気に入っていた。特別な感情は無く、自分の美の引き立て役として、ではあるが。
「ここは指示された通りにしよう、僕達が居てもどうにもならない。第二のヒューイにはなりたくないだろう? イーヴォ様、すぐに神官長様を呼んで参ります。それまで耐えて下さい」
見習い達を部屋から出し、イーヴォは部屋の片隅で、サンドラが落ち着くのを待つ事にした。羽交い絞めにしてでも止めたいところではあるが、サンドラが全裸であることがそれを躊躇させた。
イーヴォの目には、特に昨日との違いは感じられなかったが、本人にしてみれば、ほんの少しむくんだだけでも大問題だと感じてしまう事もある。
それに加え、イリナから取り上げた美貌が本人のもとに戻った事で、サンドラの美貌レベルはマックスだったものが、今は徐々に下がり始めている状態だった。
ここ最近は、さらにその美貌に磨きがかかり、少しでも多くの人に自分を見てもらいたかったサンドラは、あの最高に気分の良かった聖女のパレードを、もう一度やりたいと申し出ていた。
勿論そんな要求は即刻却下されたが、大聖堂の前で、民に祝福を与えるというイベントを企画されるきっかけとなった。
現在、その企画は着々と進行中で、サンドラが自分の見た目に不満があろうが、やっぱり嫌だと言おうが、もうその企画がなくなる事は無いだろう。
「嫌よなんでぇ? どーしてよぉ? こんなのおかしい……っ」
「あ! 聖女様!」
サンドラは、ブツブツと何かをつぶやき、泡を吹いて失神した。
辺り一面自分の投げたガラスや陶器の破片が散乱する中、彼女は全裸でそこに倒れこんだのであった。




