80・新たな味方
貴族街から戻ってきた私は、また旅のヒーラーの姿に変身して、すぐに教会に足を運ぶ事にした。
エヴァンに頼んだからもう大丈夫、という事ではないけれど、この時間帯に、まだ学生である殿下が町をふらつく事は無いと分かっているから出来る事。
フレドリック殿下の件は、エヴァンがしっかり対処してくれるでしょう。これでも彼との付き合いは長いのだから、その性格も熟知しているつもりよ。
知っていても、今まで試した事は無かったけれど、彼の弱いところを刺激するのは、案外簡単な事ですもの。そう、効果的に庇護欲を刺激するだけでいい。
すでに知り合いである私の方から、「あなたしか頼れる人が居ない」「だから甘えてしまった」なんて言って縋れば、実際に何の後ろ盾も無く、弱い立場にある私の事を、彼は喜んで助けてくれるわ。
エヴァンはそういう人だもの。いつだって弱い者の味方。
きっとサンドラは、もっと感情的に目を潤ませて、この言葉を何度もエヴァンに囁いた事でしょう。
私はそれに加えて、今まで家名を呼ぶ事で作ってきた彼との間の壁を壊し、親密度を上げるために、親しみを込めて名前を呼んだ。これで彼は、私の事を優先的に守るべき対象として認識したはず。
向こうにしてみれば、以前私に暴力を振るった事への罪滅ぼしもあるでしょうし、信頼回復の為にも、手を尽くしてくれる事を期待しているわ。
まだ、あなたを信じている。と言えない事が、何だか、とても悲しい。
仕込みの時間までそれほど余裕はないけれど、この時間を逃せば、今日の午後は昨日の休日出勤の振り替えで、チヨが半日お休みなので、外に出るのが難しくなってしまう。
私は急いで仕度を済ませ、宿の事をチヨに任せた。
「シン、タキ、ランチの仕込みの時間までには戻るわね」
「うん、いってらっしゃい。少しくらい遅れても良いから、しっかり情報を集めた方がいいよ」
「オーナー、仕込みくらい俺とタキでどうにでもなる、気にせず行ってこい」
「二人共ありがとう、じゃ、行ってきます」
宿を出て、ほんの少し遠回りをして教会に着いた私は、またしても教会の前に人だかりが出来ているのを見て、何かあったのかと心配になり、人を掻き分け人だかりの中に入ってみた。
すると驚いた事に、イリナはとても元気そうに、集まった人達と話をしていた。昨日の今日では、さすがにまだ様子をみて休んでいるかと思えば、この人は、体が動けば民の為に何かしたくて仕方がないのだろう。
懸命に一人一人の話を聞いて、埃でも払うかのように、胸や背中をポンポンと叩いていた。
イリナは人垣を掻き分けて前に出た私に気付くと、パァッと表情が明るくなり、聖母の様な笑顔を向けた。
「あ……! おはようございます。今日はいい天気ですね」
「おはようございます。そう、ですね」
私とは知り合いでは無いという事になっているから、ここでは何も話す事ができない。挨拶と、天気の話をするのが精々だろう。そう思っていると、イリナは集まっていた人達を解散させ、教会に立ち寄った旅人を中に招き入れてくれた。
「ここに居る皆さんは、もう朝のお祈りは済んでいますけど、旅のお方はこれからですね。皆さん、今日一日が良い日でありますように。さ、旅のお方、中へどうぞ」
私はイリナに促され、教会の中に入って行くと、まだ中には、朝のお祈りをしている家族連れが居た。礼拝堂でも話は出来そうに無いなと思っていると、神父様が私の事に気付き、お祈りの済んだ家族連れを流れるようにドアの外へ誘導した。
「おお、おはようございます、旅のお方。また来ていただけるとは思っておりませんでした。どうぞ、奥へ」
「ここはまだ、誰が来るか分かりませんので、神父様の執務室がこの奥にございます。そちらへ行きましょう」
「あ、はい」
私は神父様の後に続き、礼拝堂の右側にあるドアをくぐった。
イリナの使っていた部屋は、礼拝堂から直結だったけれど、そのドアの先は、この教会に住む人の居住スペースといった感じで、小窓から光の差し込む木の廊下が続いていた。礼拝堂は石造りだけど、住居部分は木造のようだ。
執務室は、その廊下の一番手前にあり、神父様とイリナは私を中に入れると、いきなり私の前で跪いた。しかも、そのポーズは、王族への挨拶や、神への祈りを捧げる時と同じ、胸の前で手をクロスさせる形だった。
「なにをしているのですか、お二人とも、お止め下さい」
「あなた様は、本当は旅のヒーラーなどではなく、女神様の化身ではありませんか? わたくしは、あの黒い霧の中を彷徨い続ける夢の中で、今はこのように少年の様な姿をしている、あなた様の真の姿を見ました。そのお体は太陽の様に眩しく光り輝き、その後すぐに黒い霧はあなたの放った気のようなもので浄化されたのです。あのような事、ただの人になど出来る事ではありません」
イリナは、私が聞きたかった事を自ら話してくれた。やはり、私は彼女の夢の中に現れたようだ。きっと、タキの時と同じく、化粧をしていない素の私の姿を見たのだろう。
「それはどんな姿でしたか?」
「プラチナブロンドの、とても美しく儚げな少女でした。瞳の色は、あなたと同じで、その後ろには、翼の生えた白いライオンが控えていました」
夢の中で、私の側にいたヴァイスまで見えていたというの?
「今朝になって、わたくしの持つ霊力も戻ってきました。あなたの輝きは、夢に出て来た女神様と同じです」
「イリナ様は、人の持つオーラが見えるのですか?」
まさか、タキと同じ力を持つ人だっただなんて。これでは、いくら変装したとしても、この人の前では意味が無い。イリナ様を、味方につける事はできるかしら? 神殿に通じる人を味方にする事ができれば、神殿内部の事を聞き出しやすい。
だから是非そうしたい所だけど……。
「オーラ、とは何ですか?」
「ああ、えっと、心の色とか、その人の持つ気の色のような……」
「そうです。人の持つ感情や、気の色を見る事が出来ます。あなたの色は、色と言うより、眩しいプラチナの輝き。それともう一つ、今までに見た事が無いほどに美しい虹色です」
私のは、そもそもが色では無かったのね。それでは間違えようが無いでしょうね。
「あ、その事を聞きに来たのではありませんでした。神殿内部の事は、部外者に教えられない決まりかもしれませんが、神殿には、あなたと同じ症状で苦しんでいる方は、他に居ませんでしたか?」
「居ます。まだ子供の神官見習いと、巫女が一人。あの二人の事も、助けてくださるのですか?」
私はコクリと頷いて、フッと微笑んで見せた。イリナがとても悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしていたから。
「まずは、私が誰であるか、あなた方に話します。イリナ様、神父様、聖女を敵に回してしまいますが、私の味方になってくださいますか?」




