73・闇を祓え
「女神の光があなたを救いますように……」
私は誰にも聞こえないほど小さな声でそう呟き、巫女様がサンドラに奪われ続けているもの全てを取り返してあげたいと強く願った。
彼女から奪ったものを返しなさい、サンドラ。それはあなたの物ではなく、この方の物なのよ。
私は何をすれば良いのか分からなかったけれど、手を握ったまま巫女様の横に跪き、目を瞑って、とにかく心の中で、闇を祓う事を強くイメージしてみた。
巫女様に襲い掛かる黒いモヤに向かって、ピカッと雷が落ちたときのような眩い光を放つ自分。
その直後には、私を中心に突風が吹き、黒いモヤを一瞬にして吹き飛ばし、奪われた彼女の全ては、スルスルと盗人の手を離れ、持ち主である彼女の元に帰って来る。
この一連の流れをイメージして、私はゆっくりと目を開けた。
私にはまだ、この身に宿るという女神の力の使い方がよく分からない。
今までは無意識に力を発揮して、タキを救い、宿にお泊りのお客様や食堂に来るお客様を癒していただけだったのだ。
今は意識して力を使おうとしたけれど、こうして彼女を助けに来たというのに、これで正解かどうかも分からないという頼りなさ。
だから、今の自分に出来るのはこれくらいだと思い、今日の所は様子を見に来ただけという事もあり、巫女様から手を離して立ち上がろうとした。
すると、私が離しかけた手を、今度はグッと巫女様の方から握り返してきた。
「巫女様?」
「……あ……なたが……わたくしを……お救い……くださった、のですね……」
巫女様は薄らと目を開き、かすれた声で私に話しかけてきた。
先ほど神父様はもう話す事も出来なくなってしまったと言っていたのに、ほんの二、三分程度の間に、彼女はもう回復の兆しを見せていた。
「お……おお、イリナ様、意識が戻られたのですか?」
高齢の神父様は驚愕の表情で私を見て、その場で跪き、私に頭を垂れた。
「いけません、お止めください、神父様」
「いいえ、あなたは素晴らしい事をしました。この方はもう駄目だと、皆が諦めてしまっていたのです。ありがとうございます、本当にありがとうございます」
巫女様を見れば、私が力を発揮できた事は一目瞭然だった。その見た目からお婆さんのようだった彼女は、多分三十代半ば位で、実はとても美しい人だった。
タキの時は、私が側に居ない間に回復が済んでいたので、どんな風に回復していくのかを見る事は出来なかった。
だからその途中経過を見るのはこれが初めてだったけれど、まるでドライフラワーから瑞々しい生花に戻っていくような、そんな感じだった。
「神父様、巫女様のご容態は、時間が経てばもっと良くなると思います。よろしければ、体力が回復する秘伝のスープをお作りしたいのですが、厨房をお借りできますか?」
「どうぞ、肉類はありませんが、食材は何でもお使い下さい。イリナ様の為にと、神殿からたくさんの食材が運ばれましたが、食欲が無く、ほとんど手付かずのままとなっています」
私は神父様に案内されて、早速教会内の小さな厨房に入らせてもらった。
食品庫の中には、この規模の教会には不釣合いなほど、本当にたくさんの食材が詰め込まれていて、それを見ただけで、イリナという巫女の人望の高さを窺い知る事ができた。
「この私にも何かお手伝い出来る事はありませんか?」
「いいえ、神父様はイリナ様の側に居て差し上げてください。これから作るのは秘伝のスープなので、私一人で作りたいのです」
神父様を厨房から追い出した私は、早速調理を開始した。
巫女様の為に作るのは、実は秘伝のスープでも何でもない、普通の具だくさんな野菜スープである。
ただし、タキを助けた時と違って、今は私の力も増しているし、意識して回復効果を付与するので、かなり高い効果が期待できるだろう。
コトコト煮込むこと二十分、完成した野菜スープは具を入れず、汁のみをカップに移し、口の中をヤケドしない程度まで冷ますと、私はそれを持って巫女様の元へ急いだ。
「巫女様、起き上がる事はできそうですか? お休みになる前に、これをお飲みになってほしいのですが」
巫女様は神父様に介助されながらゆっくりと体を起こし、私からカップを受け取ると、何の躊躇いも無くそれを飲み干した。
そう、一気に飲み干したのである。一応ヤケドしないように冷ましはしたけれど、まさか清涼飲料水を飲むような勢いで飲み干すとは思いもしなかった。
「ハアー、美味しかった。喉も渇いていたし、何だか急にお腹が空いてきてしまって。申し訳ありません、自己紹介が遅くなりましたね。わたくしはイリナと申します。あなた様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか? もしやヒーラーとしてはかなり有名なお方だったのではありませんか?」
やはりタキの時と同じようだ。あの時タキは、食欲が増したせいで、土鍋いっぱいに作ったお粥の半分をペロリと平らげてしまったと言っていた。
だからきっと、巫女のイリナ様もそうなるのだろう。
「いいえ、私は名乗るほどの者ではございません。巫女様も快復に向っておりますし、ヒーラーとしての役目は果たしましたので、私はこれにて失礼します。神父様、鍋にスープの残りがたくさんありますので、イリナ様に食欲が湧いた時には、好きなだけ食べさせてあげて下さい。多分、今まで食べる事が出来なかった反動で、たくさん召し上がると思いますので」
私はそれだけ言い残して、イリナ様の部屋を後にした。




