64・その夢は楽しい夢のはずなのに
「プギップギッ」
まだ起きるには大分早い時間に、耳元で騒ぐレヴィの声で目が覚めた。
「ん……おはよう、レヴィ。何をそんなに騒いでいるの?」
「プギップギプギッ」
レヴィは心配そうに私の顔を見て、何かをしきりに訴えている。
(ラナ様、大丈夫ですか? 随分うなされていましたが……。泣いておられるようですし、悲しい夢でも見ていたのですか?)
「え? 今の、ヴァイスが話しかけてきたの……よね? あなたは今、ライオンの姿のままなのに、どうやって……」
(あなたに名を与えられた事で、心に直接語りかける事が出来るようになったのです。そんな事よりも、あなたが心配です)
彼が言うとおり、頭の中に直接ヴァイスの声が聞こえてきた。ベッドの縁に前足をかけて、私の顔を覗き込むようにしてこちらを見ているけれど、勿論、口は一切動いていなかった。
「悲しい夢なんて見ていないわよ? 見ていたのは、すごく楽しい夢だった、と思う。内容はもう良く覚えていないけど、心配しなくても大丈夫よ」
私は以前も同じような事があったのを思い出した。あの時も、何かの夢を見て、目が覚めたら泣いていたのだった。そして何故か切ない感情だけが残っていたのよね。今回も同じだわ。胸が苦しいような、もどかしい気持ちだけが残っていて、それに何だか無性にイライラする。
これって何なのかしら?
私は涙で濡れた頬を手で拭い、今日はそのまま起きる事にした。
(ラナ様、レヴィエントが、夢の内容を知りたいと言っています。覚えている範囲で話してくれませんか?)
布団から抜け出して、ベッドに腰掛けた私を心配げに見上げるレヴィとヴァイスは、私の夢の内容を聞きたがっていた。
でも、目が覚めた直後は何となく覚えていたけれど、今はもう、ほとんど思い出せない。
「多分、子供の頃の夢……だと思うわ。男の子と一緒に遊んでいた気がするけれど、本当に思い出せないの。ごめんなさい」
(その男の子というのは、誰なのですか?)
「分からない……。顔がはっきりと見えなかったし、名前も聞き取れないから、実在する人なのかどうかも定かではないわ」
架空の人物だからこそ、全てが曖昧なのかもしれないわよね。前世では夢占いといわれるものがあったけれど、子供の頃の夢を見るだなんて、今の私の不安や心の疲れが夢に現れているって可能性もある。
「ねえ、まだ仕事を始めるには早すぎるから、私ちょっと散歩してくるわ」
(ではわたしもご一緒します。後を付いていきますが、危険が無い限り、邪魔はいたしませんので。一人で考え事をしたいのですね)
「ありがとう。チヨをこれ以上巻き込みたくないから、彼女には話すつもりはないけれど、シンとタキにはあなたの姿が見えてしまうでしょう。だから、どこまで私の事情を話すべきか、考えたいの」
私はいつもの宿屋の女将の服装をやめ、作ったは良いけれどなかなか着る機会の無いヒーラーの衣装に身を包み、静かに裏口から外に出た。
まだ外は薄暗く、夜明け前の空気は冷たく澄んでいた。
ヒーラーとは、いわゆるゲーム内では回復役を担うキャラクターだけれど、この衣装は前世の私が最後に作って、結局一度も着る事が出来なかった物。
これは偶然なのか、必然なのか、転生した今の自分の能力的に、この衣装はピッタリなのではないだろうか。
それにこの世界なら、どこかの民族衣装だと思われる程度で、色々な国からの移民が住む王都なら、着て歩いたとしても特に違和感は感じられないと思う。
この衣装、本来ならばスカートは超ミニ丈で、これにウサ耳を着けたり、杖を持ったりするのだけど、それは流石に目立ってしまう。
だから、スカートは泣く泣くロング丈に改造してある。おかげで可愛さは激減してしまったけれど、外でも着られる物にはなった。
宿を出た後、川沿いの遊歩道を歩きたかった私は、少し遠回りだけれど抜け道を使わずに、一度大きな通りに出た。
昼間は賑やかなこの通りも、朝の早い仕事に出かける人がパラパラと家から出てくる程度で、寂しいくらいガランとしていた。
そこから川沿いの遊歩道に出た私は、水の流れる音を聞きながらテクテクと歩き始めた。水の音が心地よいと感じるのは、水を司る女神の魂のせいなのだろうか。
あの夢を見た後のイライラした感情は、もう少しも残っていなかった。
「ヴァイス」
(はい、どうされましたか?)
「シンとタキに、どこまで話したら良いと思う?」
(ラナ様が逆の立場なら、どうですか? 明らかに何かあると分かっているのに、それでも隠し事をされたら、いい気がしないのではありませんか?)
「……私なら嫌だけれど、この先何が起きるか分からないのに、二人を巻き込みたくないわ」
ヴァイスは黙ってしまった。姿はどこにも見えないけれど、私の近くにいるのよね。傍から見たら、私はブツブツ一人言を呟きながら散歩する変な人でしょうね。
(ラナ様、何が起きるか分からないのは、あなただけではありません。彼らにだって何が起きるか分からないのです。実際彼らに何かがあれば、あなたは迷う事無く助けるのではありませんか? わたしは、彼らになら素性も何もかも話して良いと思います)
「素性も?」
(案外、既に気付いているかもしれませんよ。あなたは彼らを信用しきっているようですし、この先も付き合いを続けるならば、早めに打ち明けるべきかと)
私の素性、つまり私が、エレイン・ラナ・ノリス公爵令嬢だと気付いていて、そっとしておいてくれているかもしれないというの?
確かにその可能性は無いとはいえないのよね。
一般の民がどこまで知っているか分からないけれど、公爵令嬢の元で使用人をしていたと思わせた時点で、私はうっかり貴族の娘であると言ったも同然だった。屋敷で働く使用人の中でも、直接世話をする立場になる侍女というのは、特別な場合を除いて貴族の娘がなる職業なのだ。令嬢の世話係だと認識させたのだから、侍女の採用基準さえ知っていれば、とりあえず私が貴族である事はすぐに分かってしまうだろう。
でもあの時シンは、少しも動揺しなかったわ。
マリアの所で私が彼女と話していた時も、貴族とトラブルになる事を心配しているのだと思ったけれど。
「ラナさん? こんな朝早く、一人で何しているの?」
「え?」
声のする方を見てみると、すぐ横の建物の二階の窓に、こちらを見るタキがいた。
「タキ? あなた達の住まいって、そこだったの?」
「すぐ行くから、そこで待ってて」
タキは窓を開けたまま、サッといなくなってしまった。
多分寝巻き姿だったから、起きたばかりだったのでしょうね。髪にも少し寝癖がついていたし、なかなかレアな姿を見てしまったわ。
そして少しすると、着替えたタキが建物の一階にある通路を抜けてきた。
「はぁ、はぁ……どうしたの、朝早くこんな所に一人で……は、なさそうだね。それも妖精なのかな?」
タキの視線の先には、先ほどまで姿を消していたはずのヴァイスが姿を見せてちょこんと座っていた。やはり、妖精が見える彼には聖獣の姿も見えるらしい。
「まずは、おはよう、タキ。この子はヴァイスよ。妖精ではなく、聖獣なの」
「あ、うん、おはよう。聖獣? 妖精の時も思ったけど、聖獣って本当に存在したんだね」
タキはマジマジとヴァイスを観察し始めた。小さくてもライオンなのに、怖くないのかしら。
「ヴァイス、僕はタキだよ。よろしくね」
タキの言葉に、ヴァイスはコクンと頷いて答えた。
「言葉が通じるんだね。ところで、僕達のところに来たって訳でもなさそうだし、何をしてたの?」
「早く目が覚めてしまったから、この川沿いを散歩していただけよ。そしたらたまたま、タキが窓から顔を出したの。私もビックリしたわ、宿の近くって事は知っていたけど、ここだったのね」
「この間人攫いに遭ったばかりなのに、一人で出歩くなんて無用心だよ。怖くはなかった?」
このタキの言葉を聞いたヴァイスは、子ライオンから大きな大人のライオンに姿を変えた。そして私を守る様に体を摺り寄せ、尻尾と翼で私を抱き寄せた。
「わっ?! ヴァイス? 普通の大きさにもなれるのね」
(これが本当の姿です。狭い室内では不便なので、体を小さくしていますが、この姿の時なら、あなたを背に乗せて飛ぶことも出来ますよ)
タキにもこれが見えているのだから、その大きさに相当驚いたようだ。体も大きいけれど、翼を広げたらさらに迫力がある。
「なるほど、彼が護衛をしてくれているんだね。もしかして、人攫いに遭ったときに彼女を助けてくれたのは、君かな?」
ヴァイスはコクンと頷いて答えると、その姿をスーッと消した。そのままでも他の人には見えないと思うけれど、向こうから誰かが歩いてきたのだ。
「ラナさん、まだ散歩を続けるの? 兄さんはまだ寝てるけど、良かったら家でお茶でも飲まない? 起きてすぐラナさんが家に居たら、兄さんがどんなリアクションするのか見てみたいな。きっと面白いと思うよ」
「タキったら、普段はそんな事無いのに、シンに対しては急に悪戯っ子になるわよね。男性の部屋に招かれて、簡単に入るのはとてもはしたない事だけれど、あなた達を信用しているわ」
「あ、そっか。ごめん、そこまで考えてなかったよ」
仕方がないわ、タキ達は当たり前のように私の部屋に出入りしているのだし、それが逆になったところで変わらないと思ったのでしょう。
「良いのよ。せっかくお招き頂いたのだし、シンの寝顔を拝見させてもらうわ。ふふふっ」




