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62・私の頭はパンク寸前

 もう千年以上もの間、妖精界から追放された者など出ていなかったというのに、レヴィエントの兄弟は「可愛い妖精の悪戯」では済まされない罪を犯してしまったという事で、与えられた名を取り消され、妖精界からの追放処分で下界に放り出されたのだそうだ。

 それは実質、妖精界での死刑執行という事だったらしい。


 本来なら、名を失った妖精は下界をしばらく漂い、その生命力が尽きたとき、この世から消える運命だった。

 しかし、彼は人間の持つ負の感情を糧に、妖精から醜い怪物へと変貌を遂げ、人の多く住む王都内では事欠かない負のエネルギーを吸収しながら、追放後の二百年程を何とか消えずに生き延びていた。

 そして運良く上等な魂を持つサンドラを見つけ、今は彼女の中に棲みついている。という事らしい。


「そうだ、そなた、我が兄弟を浄化してくれないか? あやつは消えたくないという一心で、人から生きる為のエネルギーを盗り続けている。だが恐らくはもう、本人には殆ど思考する力も感情も無く、本能のままにただ生きているだけだろう。名を持たずここまで存在し続けた事が奇跡なのだ。せっかく生き延びていた事だし、放っておいてやろうかとも思ったのだが……あのままではまた、人間に迷惑を掛けてしまう。いや、もう既に遅いかもしれないが」


 レヴィエントは悲痛な表情で目を伏せた。

 私に何とか出来る事なら手を貸してあげたいけれど、私だって自分がどんな存在なのか知ったばかりで、具体的に何が出来るのかもわからない状態なのだ。

 以前タキが言っていた、私が夢に現れて眩い光で魔物を退治した、というのがヒントになるかと思ったけれど、それは私が意図してやった事ではないから、どうかしら。

 今はサンドラに近付く事も難しいという現状で、タキに起こった現象をもう一度再現するというのは不可能に近い。

 そもそも何が作用して夢に女神が現れたのだろうか。


「ねえ、何をすれば浄化できるの?」

「女神の持つ眩い光の波動で浄化できる……とは思うのだが、今のそなたでは、まだまだ力が不十分だな。力の解放までに、今しばらく時間が必要かもしれぬ。だが、餌となる負のエネルギーを持つ人間を浄化する事ならできそうだ。それで力を弱らせておけば、本格的な浄化もたやすくなるかもしれぬ。練習のために、人通りの多いところで試してみてはどうか」


 簡単に言うけれど、人目に付かずにこっそりと出来ないのかしら。


「試すと言われても……。私、以前意図せずタキの中に居た魔物を退治した事があります。その時は、彼が寝ている間に、私の姿をした女神が夢の中でその光を放ったらしいのです。ならば今度はしっかり意識して、皆が寝静まった夜に心の浄化を祈ってみようかしら」

「ほお、既に経験済みだったか。頼もしいな」


 これはレヴィエントの頼みごとでもあるけれど、サンドラが自分の力で奇跡を起こしていた訳ではないという事は、その元妖精を浄化することで、彼女に何も出来なくさせる事に繋がるのではと考えてのこと。

 結局のところ、一応予言はすべて正しかったけれど、彼女は聖女として生まれ、子供のうちにその資格を失ったのよね。子供のうちに資格を失うって、一体何をしたの?


「レヴィエント、聖女として生まれた女の子は、何をしてその資格を失ったのか、あなたは知っているの?」

「知っているが、聞いて気分の良い話ではないぞ。それでも知りたいか?」


 何よ、人を殺してしまったとでも言うのかしら。まさか、子供にそんな事出来るわけがないわ。 


「ええ、知りたいわ、教えてくれる?」


 サンドラの事は謎が多すぎる。私はレヴィエントがここに居るうちに、聞ける事は何でも聞いてしまおうと、思い切って質問した。

 彼は、少し躊躇いを見せたけれど、くつろいだ姿勢から、起きてきちんと座り直して、私の質問に答えてくれた。


「わたしもこの目で見た訳ではないから、どの程度だったのかは知らぬが、容姿が両親のどちらにも似ず、お世辞にも可愛い子供ではなかったというその娘は、そんな風に自分を産んだ美しい母親への不満で心が荒んでいたらしい。町を歩く身形の良い子供や綺麗な女性を見るたびに嫉妬して、せめて自分も母親と同じ容姿になりたいと強く願ってしまったのだ。他人を妬み、羨望し、ありのままを受け入れられず、欲に取り憑かれた魂は徐々に穢れていってしまった。その時に、既に怪物と化していた我が兄弟が力を貸したのだ」


 今、サンドラの話をしているのよね? あの美しい少女が、小さな頃は可愛くなかったなんて事があるのかしら。


「力を貸したって、母親の容姿を盗ったとでもいうの?」

「その通りだ。あやつの力がその娘の願いを叶えてしまった。その結果、どうなったかといえば、母親から受け継ぎたかったものが全て娘の物となった時、母親は枯れ木のように萎れて死んでしまったそうだ」


 私はその衝撃の事実を知り、言葉を失った。

 自分の母親を殺して、あの美しい容姿を手に入れたというの? 

 それに、彼女の母親の死に様は、タキがここへ連れてこられた時と似ているわ。というか、タキは子供の頃のサンドラとの接触で、あの状態になったという事ではない? 黒いモヤに襲われたと聞いたけれど、それがタキの生命力を奪い続けていたようね。もう少し遅かったら、タキはサンドラに吸収されて死……いや、考えたくもない。


「サンドラは、自分が母親を死に追いやってしまった事を知っているのかしら?」

「いいや、すべては無自覚に行った事だ。本人は恐らく、成長と共に美しくなったとでも勘違いしているだろう」


 サンドラが欲しいと願ったものが手に入っているとすれば、私の婚約者だったフレドリック殿下の心も? 

 ううん、それは違うわね。彼女は最初から殿下の好みの女性だったというだけ。サンドラに操られていたのだとしても、関係ないわ。

 あの人達は、ノリス公爵令嬢たる私に対してあれだけの事をしておいて、その直後に起きたサンドラの覚醒のお陰で全てがうやむやにされ、何事も無かったかのように過ごしている。


「あ……! 聖女の力を使ったという例の一件は、まさか、タキから奪った魔力を使ったというの? 盲目の兵士の目を治したと聞いたけれど、それって治癒魔法でも出来る事だわ……! ならば、タキに魔力が戻った今、サンドラには奇跡を起こす事はもう出来ないのね。だけど、呪いのような黒いモヤでの攻撃は出来る。これは早めに手を打たなくてはならないわ。欲深いサンドラは、無自覚に周囲から搾取し続けてしまうかもしれない。神殿に閉じ篭っている今は、ターゲットになる美しい女性は居ないでしょうから、何とか今のうちに……」

「待て待て、一人で突っ走るな。今のそなたではまだ力不足だと言ったばかりだろう。まずは、そなた自身の覚醒が必要だ。何か、心に蓋でもしているようだが。それが解放されなければ、本来の力は出ないだろう」


 心に蓋なんかしていないわ。そういえば、タキも似たような事を言っていたわね。私が無理に何かを隠そうとしているって。本当の自分を解き放てば、もっと輝ける、だったかしら? 

 何の事だか分からないわ。私が隠しているのは素性だけで、ありのままの自分をさらけ出しているつもりだもの。

 

 私が考え込んでいると、スルリと白い子ライオンが私の足元に擦り寄ってきて、自分の存在をアピールし始めた。

 私は、相手は小さいとはいってもライオンという事もあって、少し怖いなと思いつつ、気になっていたもふもふの鬣に手を伸ばしてみた。

 それは見た目以上にふかふか、もふもふで、柔らかな手触りだった。


「どうやら、そなたを主として認めたらしいな。それはライナテミスに仕える聖獣の子供だ。名を与えてやれば、そなたが正式に主となる。何か良い名が思いついたら、呼んでやるがいい」

「え……? せ、聖獣? えーっと、頭がパンクしそうだわ。この子、他の人には見えないようなのだけど、何故?」

「まだ名が無いからだ。名を付けてやれば、妖精の姿が見える者になら見る事ができるだろう」


 そう、やっぱりチヨにだけは見えないのね。

 

「妖精の見えない子を、見えるようにする事は出来ないのかしら?」

「無理だな。あの小さな娘の事を言っているのだろうが、正直過ぎる者には、見えない方が良い」


 残念。でも、それも仕方が無いわよね。あの子に見えたら、仕事中でも飛び回る妖精をジッと目で追い続けていそうだし。

 さて、問題はこれよ。子ライオンの名前を付けたら、この子は私に従属する事になってしまうのね。


「はあ……どうしようかしら。あなたは、私に主になってほしいの?」


 子ライオンは、鬣を触る私の手に甘えるように頭をこすり付けてきた。


「じゃあ……そうね……」


 白いライオン。シロ? それとも、ライ、とか? 呼びやすい名前が良いわよね……。白、ホワイト、スノー、ハク。あ、どこの国かは忘れたけれど、白色を確かこう言ったはず。


「ヴァイス。それがあなたの名前よ」

「ありがとうございます、ラナ様」

「ひゃ、喋った!?」

 

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