60・それでは遠慮なく歌わせて頂きます
私が毎朝チマチマ作業しようと思っていた裏庭の花壇作りは、午後から半日お休みだったチヨがやりたいというので、それならばとお任せしたのだけれど、今日のお昼に珍しく二人揃ってランチを食べに来ていた親方さんとケビンが手伝ってくれていたようで、三人で二畳分ほどの大きさの花壇をあっという間に完成させていた。
チヨに呼ばれて見に行くと、助っ人二人が庭師というだけあって、そこが人目に付きにくい裏庭である事が惜しいほどに、とても素晴らしいものが出来上がっていた。
しかも何故か、買った覚えもない鉢植えのバラなども置かれており、私が自分で考えていたプランより数倍素敵で立体的な花壇になっていた。
そのバラはどうしたのかチヨに聞くと、どうやらケビン達がいくつか持ってきていて、全体のバランスを見ながら置いていったという事だ。
置いていった物はケビン達の雇い主からのサービスなのだそうで、つまりは、私の友人であるマリアからの贈り物という事。
今日彼らがランチを食べに来たのも偶々ではなく、忙しい私を気遣って、マリアが二人を寄越してくれたに違いない。
「ラナさん、ケビン達がこの宿の花や植木の管理を請け負ってくれるって言ってました。報酬は毎日のおにぎりで良いそうですよ」
「まあ、おにぎりで……?」
私は思わず、桃太郎を連想してしまった。きび団子ではなく、おにぎりというのが何とも私らしい。
「ふふっ、プロの仕事をおにぎりで請け負ってくれるだなんて、親方さんも太っ腹ね」
「うふふ、そうですね。おまけに、ケビンが空いたスペースにちょっとした家庭菜園まで作ってくれたんです。どれもまだ小さな苗ですけど、実が生るのが楽しみです」
またマリアに借りが出来てしまったわね。雇い主の許可無くそんな事が出来るわけないもの。彼女がここに来てくれた時には、きちんとお礼を言わなくちゃ。親方さんとケビンにも、明日改めてお礼をさせてもらいましょう。
「チヨもありがとう、折角のお休みなのに、半分を庭弄りに使ってしまったのね」
「いいえ、すっごく楽しかったですから気にしないで下さい。今まで洗濯物を干すだけにしか使ってなかった場所ですけど、ちゃんと手入れしたらこんなに綺麗になるんですね。ここにテーブルセットを出して、お茶なんか飲むのも良いかもしれません」
「ええ、それも良いわね」
チヨには見えていないけれど、この花壇を作ってくれたあなたの周りには、たくさんの妖精さんが飛び回っているわ。どうやらあなたに感謝しているみたいよ。
私は花壇の出来栄えに大満足で厨房に戻り、無意識に花にまつわる歌を軽く口ずさみながら午後の営業に向けて準備を始めた。
「なあ、それ何の歌だ?」
「え?」
「僕も聞いたことが無いメロディーだったけど、良い曲だね」
あ……。これってこの世界の歌じゃなく、前世で流行った歌だったわ。サビ以外の歌詞をど忘れしたおかげで、ほとんどハミングになってしまったけれど、逆にそれで良かったかも。
「歌はあまり得意ではないのだけど、歌う事は好きなの」
「いいね、でもどうせなら、もっと大きな声で歌ってほしいな。今ここに居るのは、僕達だけなんだし」
「おう、楽しくなるやつを頼む」
「そ、そお? じゃあ、遠慮なく」
私は自分では決して音痴ではないと思うのだけど、いつか誰かに笑われてしまってから、あまり人前では歌わなくなってしまっていた。
何を歌おうか迷ったけれど、前世ではよくカラオケで歌っていた、女性アーティストの曲を歌い始めた。歌詞はこの国の言葉に直し、この世界では通用しない「電話」や「メール」などの単語を使わない歌詞に即興でアレンジしてみた。
「これはもしかして恋の歌かな?」
「へえ、上手いじゃないか。そのまま歌ってていいぞ」
腹式呼吸で歌う私の発声方法は、この国の貴族の常識では、とてもはしたない事だとされている。
もし歌うとすれば、裏声でやさしく囁くように歌うのが一般的で、大きな声で歌うのは、住む土地を持たない旅芸人達のする事だと蔑まれてしまう。旅芸人の何が悪いのかと疑問に感じるけれど、彼らは興行先の権力者に求められれば、寝室にだって喜んで招かれる、そんな人達なのだそうだ。
とは言っても、隣国アルフォードでは歌う事にそんな制限は無く、皆自由に歌っている。恐らくは、この国以外はそんな差別的な考え方はしていないと思われる。
現に、移民が多く住むこの地区では、囁き以上のボリュームで歌いながら洗濯をする女性を良く見かけるけれど、誰もそれを咎めたりしない。
シンとタキは、こんな私の歌声を心地良さそうに聴いてくれている。もしかして彼らは、どこか別の国からの移民なのだろうか。
私は子供の頃から歌う事が好きだったけれど、何故大きな声で歌ってはいけないのかが理解できず、おじい様によく叱られていた。
こうして誰にも遠慮せず、思い切り声を出して歌うのって、ストレス発散にもなるし、凄く気持ちが良い。
私は今まで我慢していた何かから解放された気分で、心のままに歌い続けた。前世の自分よりも声がよく伸びるし、音域も広い。思う通りに歌える今の自分だったら、歌手にでもなれそう、何て思っていたら、裏庭に居たはずのチヨが慌てて食堂に駆け込んできた。
「ひゃぁぁぁぁ! ラナさん! 大変! 大変です! シンもタキも、一旦手を止めて一緒に来てください!」
チヨは、何事かと慌てて厨房から出た私の手を引っ張って、強引に裏庭に連れ出した。
「何? チヨ、そんなに慌ててどうしたの?」
「見て下さい! ケビンの作った家庭菜園が……!」
チヨの指差す方を見ると、出来たばかりの小さな家庭菜園では、先ほどまで間違いなく小さな苗だったはずのものが大きく育ち、すでに立派な実をつけていた。
「え、どういう事? さっきまで苗だったじゃない」
「そうなんです。ラナさんの歌声がここまで聞こえてきたかと思ったら、急に成長を始めて、もう、何がなんだかわかりません!」
花壇を見れば、蕾だったものは全て花が咲いていて、妖精達はキラキラと輝き、その花の上に留まっていた。
「私の歌のせい? 歌が植物を育てたとでもいうの……? レヴィ! レヴィどこ?」
「ラナさん、今レヴィを呼んでも話はできないよ」
「プギ?」
レヴィは光の玉の状態で私の部屋から窓をすり抜けてきて、私の前で姿を豚に変えた。
「ああ……そうよね。ごめんなさい、昼間は人型に戻れないんだったわ。このまま夜まで待って、この現象について詳しく教えてもらう事にしましょう。ハア、聞きたい事が色々あり過ぎるわ。レヴィ、夜になったら、話がしたいの。私の部屋に来てくれる?」
「プギッ」




