54・多分、無事です
「ラナさん……? まさか、連れ去られた女性というのが、あなただったとは……。その、答えにくいかもしれないが、この男達に、何か酷い事をされてはいないか?」
「フィンドレイ様、お久しぶりです。私は無事です、多分」
シンよりも先に私を見つけたのは、なんとエヴァンだった。
先ほど聞こえて来た会話の内容から、彼は別件で誰かを探してここまで来たらしい。そこにたまたま私が人攫いに遭うという不幸な偶然が重なり、こんな所で再会するという予想外の展開を迎えてしまった。
というか、エヴァンはこの状況を見ておかしいとは思わないのかしら?
誰がこの男達を倒して縛り上げたのか、それを聞かれたところで私にも答える事は出来ないのだけど、凄く気になるでしょう? あなたと一緒に来たその人たちは、相当気になっているご様子よ。
「多分……?」
「はい、実は連れ去られた時に、口を塞がれて、無理矢理何かの薬を嗅がされたんです。私はそのせいで意識の無いまま、ここに連れてこられてしまったようです。でも気が付いた時には、すでにご覧の通りのこの状況で……」
エヴァンが連れの男性に目配せをすると、その男性は、縛られて地面に転がされた犯人のポケットを探り始めた。すると五人の中の一人の胸ポケットから、何かの液体の入った小瓶が見つけ出された。
「ありました。これの事ではありませんか?」
「ええ、それです。間違っても蓋を開けてはいけませんよ。その液体は、直接飲ませるものではなく、気化したものを吸わせることで効果が出るようなのです」
私の説明を聞き、匂いで中身を判別する事が出来なくなった男性は、小瓶を太陽の光で透かして、液体の色や粘度を確かめ始めた。
「その瓶の中身は何だ? わかるか?」
「戻って分析してみなければ確実とは言えませんが、その方の言った事と合わせて考えると、恐らくこれは、平民の町医者達が使う吸引麻酔薬だと思われます。この建設現場では怪我を負ったものを治療するために、仮の診療所が設置されています。多分そこから持ち出された物でしょう。それにしても、こうして簡単に持ち出せるようでは、薬品などの管理が徹底されていない可能性がありますね」
「それに関しては、この町の建設に関わるあの方に報告が必要だな。それでその薬、人体に有害なものではないのだろうな?」
「それは何とも言えません。しかし、少量を吸引したくらいであれば、大丈夫でしょう。現に、その方はすぐに目を覚まされたようですしね」
確かに、そんなに量は吸い込んでいないと思うけれど。でも、もしもそれが有害な薬だとしたら、何か副作用が出る可能性もあるじゃない。
私が表情を曇らせて、男性の手の中の小瓶を見つめていると、それに気付いた男性は、私を安心させる為に説明してくれた。
「あなたが連れ去られてから、まだ十分も経っていません。その程度で目が覚めるようなら、そんなに不安そうな顔をしなくても、大丈夫ですよ」
私はその男性の言葉に、二つの意味でホッとした。薬の副作用は心配ない事。それに、攫われてから十分も経っていなかったと知る事ができた。
それでもシンは相当心配してるはず。あの心配性の彼を、早く安心させてあげなくては。
「あの、フィンドレイ様。出口を教えて下さいませんか? 先ほど逃げ出そうとしたのですが、ここは袋小路ばかりで、出口が見当たらなくて、困っていたんです」
「出口? 街道に出る経路がわからないと言う意味ですか?」
あら? どこかに隠し扉のような物があって、そこを抜けなくてはこの袋小路から抜け出せないのではないの? 道順さえ分かっていれば、簡単に出られるとでも言いたいのかしら。
私は何度も挑戦したのに、その度にここへ戻って来てしまったのよ。
「ハハ、確かに、ここは迷いやすい。私があなたを街道までお送りしましょう。その前に、この男達を縛り上げたのは誰ですか? 一体どこから調達したのか、植物の蔓で手足をしっかり縛ってある」
「植物の蔓?」
てっきり縄で縛ってあると思っていたのに、良く見ると、男達は葉を取り除いた蔓のようなもので縛られていた。
「わかりません。気付いた時には、私を助けてくれた方はもうそこに居ませんでしたから」
その時、目の端に小さな光の玉がいくつも動くのが見えた。
あら? 今の、もしかして妖精さん?
するとエヴァン達が来た方から、誰かの走る足音が聞こえてきた。それがどんどん近付いてくると、勢い良くこの通路に入ってきたのは、無数の小さな光の玉を従えたシンだった。
「マジで居た! ラナ!」
「シン!」
シンは周囲に居る人達の事なんてまったく目に入っていないという様子で、かなり焦った顔をして一直線に私に向って駆けて来た。
私はそんな彼の姿を見るなり、心からホッとして全身の力が抜けてしまった。平気だと思っていたけれど、どうやら自分が思っていた以上に、この状況に不安を感じていたらしい。
そしてシンは、膝から崩れ落ちそうになった私の事をしっかりとつかまえて、力いっぱい抱き締めた。
「ああー、クソ……無事で良かった……! 振り向いた時、そこに居るはずのお前が居なくて、マジで心臓止まるかと思った。こんな事になるなら、手でも繋いでいるべきだった。目を離して悪かったな、怖かっただろ?」
緊張と不安からか、私にその音と振動が伝わるほどに、シンの心臓は激しく鼓動を打っていた。
私は彼の背中に腕を伸ばしてキュッと抱き付き、目の前の広く暖かい胸に顔を摺り寄せた。
「ごめんなさい、私が悪いのよ。この辺りの治安がどの程度のものなのかも知らずに、油断してあなたから少し離れてしまったから……あなたには心配かけてばかりね」
「悪いのは俺だから、お前は謝らなくて良い」
呼吸を整えるように、何度か深呼吸を繰り返したシンは、そこで改めて周囲の状況を確認した。
多分彼はエヴァンの存在に気付いたのだろう、私を抱く腕に、一瞬だけ力が込められるのを感じた。
「フィンドレイ様が、こいつを助けてくれたのか?」
いつもなら、相手の事を「お前」や「あんた」と呼ぶシンが、改まってエヴァンの名を口にした。それでもシンの言葉遣いは無礼なもので、エヴァンの周囲にいる者達は、一瞬でピリピリとした空気を纏った。
「俺が助けたのではない。来た時にはこうなっていた」
エヴァンは地面に転がる犯人達を顎で示し、さらに自分の手の者達に、軽く顔を左右に振ってみせ、シンへの威圧をやめるよう指示した。
「そうか、役人に突き出すなら、もう一人頼む。ラナが居なくなる直前に俺に声をかけてきた雑貨店の男も、こいつらの仲間だった。俺がすぐに気付いてラナを追おうとしたら、邪魔してきたんだ。店の前に縛って置いてきたから、そいつも一緒に頼みます」
「ああ、わかった」
シンの言葉を聞き、エヴァンは素直に従った。彼は手の者に合図して、すぐにその男の捕縛に向かわせたのだった。




