51・シンは心配性
ガラス張りの温室の半分は、さながら植物園のような状態で、入り口付近には、珍しい花の咲く異国の木や、サボテンまで植えられていた。その奥に、色とりどりの花が咲いているのが見える。それが売り物の花なのだろうか。
私は先に降りたシンに手を取ってもらい、温室に入るために馬車を降りた。
「ラナさん、こっちこっち、温室の中に咲いてるのも良いけど、温室を抜けた外にも花畑があるから、好きなの選んで良いぜ。あ、ガーベラは温室の中だった。この中のは全部鉢に入れて育ててるから、そのまま持って行っても良いって、親方が言ってる」
温室の中に入ると、そこは土の匂いと、むせ返るような甘い花の香りが立ち込めていた。奥に進むと、いくつもの棚や台の上に、小さな素焼きの鉢がビッシリ並んでいて、育てられている花の苗の周囲には、光る玉が元気に飛び回っているのが見えた。
私は今までレヴィ以外の妖精は見た事が無かったのに、ここにはたくさんの妖精が飛んでいる。今日はここまでの道中、意識して周囲を観察していたけれど、レヴィの言うとおり、町の中には妖精の姿は見当たらなかった。
だから私は今まで見た事が無かったのかしら? うちの屋敷やエヴァンの所にも花はたくさん咲いていたけれど、一度だって見た事は無かったわ。という事は、そこには妖精は居なかったという事? それとも、見えるようになったのは最近の事で、私の中にある不思議な女神の力が関係しているのかしら?
どうやらシンにもこれが見えているみたい。こんなに大量の妖精を一度に見たのは初めてだって顔に書いてあるわ。
「これ、オーナーにも見えてるんじゃないか? 町中にいるのは弱弱しくて見えにくかったが、何なんだここの連中は。ビカビカに光って元気過ぎだろ」
「町の中にも居たの? それは見えなかったわ。でも、ここの妖精さん達の光はハッキリ見える。さっきから忙しなく飛び回っていて、目がチカチカするわ」
暗いところで見れば、きっとイルミネーションのように綺麗でしょうね。
妖精付きの鉢植えを買うつもりで来たけれど、どの子も少しだってジッとしていないわ。レヴィは花の上で休憩していたと言っていたし、そうでなければ連れ帰る事は無理なのね。
「大きめのプランターを買って、ガーベラの寄せ植えでも作ろうかしら」
「あ、そういうの、親方に言えばやってくれるぜ。自分でやろうと思ったら、土作りからやらなくちゃ駄目だし、面倒だろ? プランターなら余ってるのがあるし、花を選んでくれたら、作って配達するよ」
「本当? じゃあ、お願いしようかしら」
私が花を何点か選んでいると、飛び回っていたはずの妖精たちは、競うようにして私の選んだ花にピタッとくっついてきた。
「もしかして、私について来てくれるの?」
ケビンに気付かれない様、こっそり話しかけてみた。もちろん答えは返って来ないけれど、その光は何度か点滅を繰り返した。きっと、イエスという意味なのだろう。
「ねえ、ケビン。外も見て良い?」
「ああ、行こうぜ。外のは切り花として売る物がほとんどだけど、鉢植えもあるから」
ケビンから育て方の説明を聞きながら、外にあった鉢植えも数点選んで買う事にした。仕事の早い親方さんは、その間に黙々とガーベラの寄せ植えを完成させてくれていて、すでに荷馬車に積み込まれていた。
代金を支払い、購入した花を全て荷馬車に積み込んで帰ろうとしたところで、屋敷の二階から懐かしい声が聞こえてきた。
「待って、まだ帰らないで!」
見上げると、そこには友人のマリアが居た。彼女はそれだけ言うと、窓から離れ、どこかへ行ってしまった。
「おいおい、この中に、売り物じゃない花も混ざってたのか? 今の、この家のお嬢様だろ。面倒な事にならないだろうな」
「それは無いよ。ラナさんの選んだのは、全部売り物だし。お嬢様があんなに声を張り上げるなんて、俺、ここに来て初めて聞いたぞ」
しばらくすると、凄い勢いでマリアが屋敷の裏口から飛び出してきて、涙目になって私に抱きついてきた。ああ、これは人違いですとは言えないわ。彼女には、うちに遊びに来た時にメイクした顔を一度見せた事があるもの。
「あの、落ち着いて、向こうへ行きましょう。シン、ちょっと待っていてね。お嬢様と少しお話ししてくるわ」
「あ、ああ。わかった」
シンもビックリしているけれど、ケビンはもっと驚いていた。親方さんは、無表情で感情が読めないけれど、口が少しポカンと開いているから、きっと驚いているのでしょうね。
私はマリアの肩を抱いて移動して、シン達から十分離れたところで、マリアに話しかけた。
「マリア、元気そうね」
「本物のエレインよね? 夢じゃないわね?」
マリアは私の無事を確認するように全身を見て、ホッと息を漏らした。
家を出たあと、彼女にも手紙の一通くらい出すべきだったわ。こんなに心配させてしまって、申し訳ない事をしてしまったわね。
「ごめんね、マリア。私、修道院に入った事になっているけれど、本当は市井で暮らしているの」
マリアは目を瞬いて私の顔を見た後、何故か荷馬車で待つシンの方を見た。
「もしかして、殿下との婚約破棄をきっかけに、あの方と駆け落ちなさったの? 彼、あなたの事が心配で仕方が無いって顔をして、ずっとこちらを見ているわ」
「ええ? 違う、違うわよ、マリア。彼とは、一緒に働いているの。誤解しないでね。シンとは全然、そんなんじゃないもの」
マリアは色々と聞きたそうだけれど、何から話せば良いのか分からないわ。まさか、シンと駆け落ちしただなんて、どこからそんな発想が出てくるのよ。
「エレイン、あなたが今どこで暮らしているのかだけでも、知りたいわ」
「川の向こうの宿屋よ。私、婚約破棄される前からその宿の女将として働いていたの。今はそこに住んでいるわ。皆には内緒にしてね」
「まさか、行き先も言わず黙って家を出て行ったの?」
「ええ、そうよ。家を出て行くように言われて、その翌朝には出て行ったわ。住む場所も働く場所もあったから特に困る事もなくて、この通り、今は前よりずっと幸せに暮らしているわ」
マリアは微笑んで頷き、そして大きな溜息を吐いた。
「あなた、変わったのね。私の知るエレイン・ノリスはこんなに派手な服装を好まなかったし、何より、纏う空気が全然違うわ。とても自然体で、生き生きしていて、輝いて見える。あんな事があったけれど、今は本当に幸せなのね。そんなあなたを煩わせたくないのだけど、エヴァン・フィンドレイ様が、あなたを探しているわ。ついでに、フレドリック殿下も。あの婚約破棄事件でのサンドラさんの告白が全て嘘だったと、やっと分かったらしいわ。だから、あなたに謝りたいのですって。今更よね」
エヴァンが私を探している事は知っているけど、フレドリック殿下まで? 謝るって、本当に何を今更。サンドラを愛しているなら、何があろうと事実を捻じ曲げてでも彼女を信じるのではなかったのかしら?
「エレインは市井にいたのでは、王族の事や、聖女の事、まともに情報が伝わっていないのでしょう?」
「ええ、たまにお客様からお話を聞くけれど、正しい情報ではないかもしれないわ」
「フレドリック殿下は、聖女との婚姻を認められず、王太子の位を廃されてしまったの。そしてサンドラさんは今、そんな殿下との交際をやめて、大神殿の敷地内に贅を尽くした立派な住居を与えられて、貴族達の寄付金で贅沢な暮らしをしているわ」
予想はしていたけれど、フレドリック殿下は本当に馬鹿だったのね。あの時、サンドラは無理だとわざわざ教えて差し上げたというのに、やっと認められた交際だけでは飽き足らず、本気で結婚に踏み切ろうとしていたの? どれだけの人が聖女に期待しているのか、知らないわけではなかったでしょうに。
「ありがとう、マリア。貴重な情報だったわ。実は、エヴァンは私の店に何度も来た事があるの。私をエレインではないかと怪しみながらも、別人として……その……好意を寄せていたみたいなの。きっぱりお断りしたから、それ以来顔を出してはいないけれど」
「まあ! なんて恥知らずな男! 失礼、あまりの事に、つい取り乱してしまいましたわ。エレインに謝罪すら済んでいないというのに、あなたに似た女性だと思いながら、思いを寄せていたですって? 呆れた……」
もっと彼女と話をしたいけれど、シンを待たせているし、これ以上は駄目ね。
「あの、ごめんなさい、マリア。彼を待たせたままだし、もう行くわ。良かったら、今度宿に来て。川の向こうにある、妖精の宿木亭という宿屋なの。できれば、平民の振りをして、何か顔が分からないように変装してくれると助かるわ。あなたが出入りしていると分かれば、私がエレインだと気付かれる確率が上がってしまうでしょ」
「わかったわ。必ず行く。本当は、会いに行かない方が良いのでしょうけど。今日は会えて良かった。まさか、あなたがうちの庭師と知り合いだったなんてね」
「ケビンはうちの食堂のお得意様なのよ。じゃ、またね、マリア」
マリアと別れ、シンの待つ馬車まで行くと、私達があまりに長話だった事と、途中マリアが不機嫌そうに話しているのを見て、とても心配だったらしい。
私はシンを安心させるために、ケビンに聞こえないよう、彼の耳に口を寄せて、小声で説明した。
「あのね、シン。彼女は、例のお嬢様の友人なの。だから、その話をしていただけよ」
私の囁きに、シンは過剰な反応を示した。いつも以上に真っ赤になった耳を手で覆い隠し、ケビンの座る方へ後ずさった。私はニッコリ笑って、彼らに次の目的地を告げる。
「ふふ、シン、心配してくれて、ありがとう。じゃあ、もう行きましょうか。ケビン、お花は宿に届けておいてくれる? それと、私達の事は、中央広場で降ろしてほしいの。シン、次は辻馬車に乗って、都を出るわよ」




