42・心安らぐ場所
父上は盲目の男に付添ってきた兵士に指示を出し、サンドラの前に男を立たせた。サンドラは、怪我を負った彼の醜く溶けた様な顔を見て、顔をしかめ、嫌悪の表情を見せた。
「気味悪い……これを治すって……私は何をすれば良いのかも分からないのに。フレドリック、助けて」
「大丈夫だサンドラ、お前なら出来る! 皆の前でやってみせれば良い。その男の目に手を当てて、治れと念じてみよ」
フレドリックに励まされ、サンドラは嫌々男の目に両手を当てた。そして目を瞑って暫く動かなくなったかと思えば、バッと後ろに飛び退いた。
「何、今の……? 手から何かが出たわ」
サンドラがそう言うのとほぼ同時に、盲目の兵士はゆっくりと目を開いた。
「見える……見えます! 凄い! 本当に治ってしまった。聖女様、ありがとうございます! やった、見える、ああ、生きてて良かった。これでまた、我が子の顔を見る事ができる……!」
何だ? 今のは間違いなく治癒魔法ではないか。この女に魔力は無いと聞いたはずだが、どうなっている? これが聖女の力だというのか? 書物には魔法とは別の力と記されていたが、実際は魔法と変わらないぞ。手で触れたところだけが綺麗に治っている。
兵士の目は治り、サンドラが触れていた形にただれた部分も回復していた。
父上やこの場に集まった者達は、これを見て感嘆の声を漏らし、叔父上は驚愕の表情を浮かべてサンドラと兵士を見ている。
「おお、まさに聖女の奇跡ではないか。これは大変だ。皆に聖女が覚醒したと知らせろ。フレドリック、今日は聖女を家まで送ってやりなさい。慣れない力を使って、きっと疲れただろう」
父上の反応からして、もう今はラナの事など忘れているな。明日、もう一度話をしよう。フレドリックの愚行を叱り付け、厳罰を与えてほしかったが、待ちに待った聖女の奇跡を見た今は、何を言っても無駄だろう。
父上が重臣達を引き連れて興奮気味に部屋を出て行くと、フレドリックは突然笑い出した。
「はっはっはっ、サンドラ、やはりお前は聖女であったな。私は初めから信じていた。これからはもう誰にも陰口など言わせないぞ」
「フレドリック、あなたの言う通りにしたら、ちゃんと出来たわ。私、嬉しい。使い方が分からなかっただけで、本当はもっと前から使えたのかもしれないわ。何だかまだ信じられない。もう一度試してみようかしら。あの顔をもっと綺麗にしてみるわ」
サンドラは、自分を崇めるように跪いた兵士の顔に手を当てて、また暫く動かなかった。しかし先ほどよりも長くそうしているのに、兵士の顔のただれは一向に治る気配が無かった。
「おかしいわ。力を使い果たしてしまったのかしら?」
「今日はもう止めよ。初めて力を使ったのだ。疲れてしまったのだろう」
「そう? 体は全然平気なのに、変ね」
女の身であれだけの魔法を使っても、倒れるどころか平然としている。やはり本当に聖女なのか? 体にまったくダメージが無いようだな。
「おい、本当に体に負担は感じないのか?」
俺が話しかけると、サンドラはキョトンとした表情でこっちを見た。
「フレドリック、その人は誰?」
「私の腹違いの兄で、ウィルフレッド。お前が聖女である事に疑いの目を向けていた者の一人だ」
「ふぅーん、王子様なの。これで私が本物だってわかりましたよね? でもその目、まだ私を疑ってるみたい。素敵な人だと思ったけど、私を疑うなんて酷いわ」
この女は言葉使いもなっていなければ、身分差もわからないのか。
「お前が今して見せたのは、治癒魔法ではないのか? その程度の事なら、俺にも、そこに居るヒューバートにも出来る。だから俺にはそれが聖女の力だとは到底思えない」
サンドラはスッと纏う空気を変えたかと思うと、先ほどまでの弱い女の顔から一変して、それが素の顔かと問いたくなる様なキツイ表情で俺を睨みつけて来た。
「私に魔力が無い事は皆知ってるわ! 目の前で奇跡を見せてあげたのに、そんな事を言う人には何か罰が当たればいいのよ! 行きましょう、フレドリック」
「サンドラの言う通りだ。まだそんな言いがかりをつけるとは、自分の予想が外れてそんなに悔しいのか? 行くぞ、エヴァン、アーロン。ヒューバート、俺の側近にお前は不要だ。裏切り者め、もう付いて来るな」
フレドリックは俺とヒューバートを睨み付けて、慰める様に優しくサンドラの肩を抱き、側近達を引き連れて謁見の間を出て行った。
そして俺は原因不明の体調不良に見舞われた。
気付かぬ間に毒にやられたのだと思った俺は、回復するまでリアムに身代わりで登校してもらい、その間に解毒を試みたが、解毒薬はどれも効果は出ず、しばらく身動きが取れない状態だった。
王宮で出される食事にも警戒し、何も食べずにいた俺は、リアムに頼んで持ち込んでもらった宿木亭の水と食べ物を口にするうちに、毒は自然と抜けたのか、みるみる回復に向かった。
ラナと同じ名を持つ女将の居るあの宿屋は、不思議と安心できて、毎日気を張らなければならない王宮暮らしの俺には、もう無くてはならない場所となってしまった。
やはり、宿に近付くほどに空気が澄んでいく。
「殿下、またお一人でお出かけですか?」
「ああ、ヴィレム、お前はそのジャケットを持って王宮に戻ってくれ」
いつものマントを羽織ってフードを目深に被った俺は、市場の手前で馬車を降り、妖精の宿木亭に向かって歩き出す。市場はいつも賑やかで活気があり、俺はこの地区の雰囲気が気に入っていた。
女将に何か、手土産でも買っていこうか。
そういえば、カウンターのところに花が飾ってあったな。何か、女将のイメージに合った花でも……いや、いきなり花なんか贈っても、困らせるだけかもしれないな。
女の子には、甘いお菓子が喜ばれる……か?
ラナのように、お菓子より体を動かす遊びを好む者も居るがな。
「フフッ」
露店に並んだ焼き菓子をいくつか選んで、あそこで働く従業員達の分も買い、ノリス公爵家で沈んでしまった気持ちを切り替える様に、俺は宿のドアを開けた。
「あ、お帰りなさいませ、フレッド様」
女将はすっかり、フードを被ったままの俺とリアムを見分けている。城の人間だって気付かないのに、何故だ?
「これ、美味そうだから買ってきたんだ。皆で食べてくれ」
「まあ、ありがとうございます。ちょうどランチタイムが終わって一休みしようとしていたんです。フレッド様も、よろしかったら一緒にお茶にしませんか?」
こうやってさり気なく気を使ってくれるところが、この宿の良い所だ。
「ああ、頂こう。喉が渇いていたんだ」
「ふふ、では、カウンターへどうぞ。チヨ、フレッド様からお菓子を頂いたわ。一緒に休憩しましょう」
「はーい、ラナさん、今日は私がお茶係ですよ。座って待ってて下さいね。あ、お帰りなさい、フレッド様」
うん、良いな。この雰囲気。
ここに立ち寄って正解だった。心が癒される。
俺の幼い恋は、もう封印するべきだな。
記憶の無い彼女にしてみれば、俺が現れても迷惑でしか無かったかもしれない。この国のどこかで幸せに暮らすラナの為に、今の俺がしてやれる事を考えよう。
「フレッド様、チヨが入れたお茶ですけど、どうぞ」
「ちょっとラナさん、それどういう意味です?」
まさか俺が、この国の第一王子だなんて、この二人は露ほども思わないのだろうな。
「……大丈夫、美味いよ」
ちょっと濃くて渋い緑茶を飲み、それを中和させるように焼き菓子を一口食べた。女将とチヨは茶が濃すぎだと笑い、菓子に手を伸ばす。
クソ、深く被ったフードが邪魔だな。楽しげな声だけではなく、二人の表情が見てみたい。
厨房に居る料理長に睨まれている気がするが、まあ、それは無視だ。




