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28・日本の家庭料理は多国籍

 今朝販売する分のおにぎりを急いで作り終えた私は、前から欲しい調味料があったので、ランチの下ごしらえをシンとタキに任せて、市場まで買いに行く事にした。

 和食の調味料はチヨに頼んで取り寄せてもらうけれど、前世の家庭料理を再現しようと思うと、それだけでは全然足りないのだ。日本の家庭料理って、実は多国籍。和食は勿論、中華料理、イタリア料理、等々、あげれば限がない。

 そして忘れてはならないのが、カレー。本格的なカレーは流石に無理だから、どこかにカレー粉に近い物が売っていないか探しに行きたいと思っていたのだ。出来れば、いつも使っていた有名メーカーのカレールーが欲しいところだけど。


「チヨ、今日は限定販売にするわ。ここに出した分が無くなったら、売り切れって看板を出しておいてね」

「え? ラナさんどこかに出かけるんですか?」

「ええ、調味料を買いに、市場に行ってくるわね。シンとタキが出勤してきたら、このメモに書いてある今日のランチメニューに合わせて、野菜の下ごしらえをしておくように伝えてくれる?」


 私は今日のランチで作る予定の料理を、メモ紙に箇条書きしたものをチヨに渡した。するとメモを受け取ったチヨは、心配そうに私を見上げた。


「一人で行くつもりですか? 駄目ですよ、荷物持ち兼、護衛が必要ですっ。私みたいにひったくりに遭ったらどうする気です?」

「大丈夫よ、このカゴに入るだけしか買わないから。それに市場はすぐ近くだもの、知り合いも多いし、治安の悪いところではないでしょ、心配ないわ。じゃあ行ってくるわね」


 私が食堂のカウンターに設置されたスイングドアを押して調理場から出ると、リアム様も階段を下りて来て、出かけるところだった。いつも通り、深くフードを被っていて顔がよく見えない。


「おはようございます、もうお出かけですか?」

「……ああ」


 あ、この方、リアム様じゃないわ。お連れのフレッド様ね。

 近頃ピリピリとした空気を纏っていないせいか、お二人を見分けるのは難しい。じゃあ、昨日夕食を摂っていたのはフレッド様の方だったのね。


 フレッド様が具合悪そうにしてここへ来たあの日、私は週末に二人が入れ替わっていた事に気付いていたか、チヨに聞いてみた。チヨはハッキリとは気付いていなかったようで、それでも、いつもなら自分に食事の注文をするリアム様が、週末だけは別の子に注文を取りに来させていた事を不思議に思っていたらしい。

 でもそれは、自分が忙しそうにしていたからだろうと彼女なりに解釈していた。もし別人だと気付いていれば、チヨならきっと、別料金を請求していたに違いない。


 フレッド様が、フロントのカウンターでチヨを待っている。出かける時は、鍵を戻してから行ってもらう決まりなのだ。


「お待たせしました。鍵の返却ですね。あの、お昼ご飯に、おにぎりはいかがですか? 食べると疲れが取れますよ」

「あ、待って、チヨ。フレッド様は朝食を召し上がらないでお出かけになるから、2つ朝食としてお出ししてくれる? フレッド様、お節介かもしれませんが、朝はしっかり食べなくちゃ駄目ですよ。朝食は宿代に含まれているんですから、食べなくちゃ損です」

「あ、そう言えばそうですね。今日のおすすめは五目御飯と和風ツナマヨです。メニューはこちらですけど、何にしますか?」


 フレッド様はおにぎりを召し上がった事はあるのかしら。リアム様が大量に買って行った時期があったけど、きっとあの時は皆で食べたんでしょうね。

 

「和風というのがあるのか……それは知らなかった。では、おすすめを」

「和風も美味しいですよ。はい、どうぞ。では、お気をつけていってらっしゃいませ。ラナさんも、気をつけて行ってきて下さいね」

「ええ、行ってきます」


 フレッド様はドアを開けて待っていてくれた。さすが貴族。たとえお忍びでも女性への配慮を忘れないのね。


「ありがとうございます」

「いや、女将はどこに行くんだ?」

「市場です。欲しいスパイスがあるので、それを探しに」

「そうか……俺もその方向に向うから、途中まで送って行こう。朝とはいえ、女性の一人歩きは危険だ」

「恐れ入ります。では途中までご一緒に」


 思い掛けない申し出に驚いてしまった。

 私達とは極力関わらない様にしているのかと思って、必要最低限しか声をかけずにいたのだけれど、実はそうでもなかったのかしら。どう見てもお忍びという雰囲気だったから、気を遣ってしまったわ。


「女将はどこで料理の修業を? やはり、和の国で勉強をしてきたのか?」

「いいえ、ほとんど独学です。うちは両親が共働きで、私が子供の頃から母に代わって食事の仕度をしていたので、自然と覚えてしまったんです。それに父が料理人だったので、基礎は父に仕込まれました」

 

 それは前世の自分の話。初めの頃は酷いものだったけれど、父が見かねて休日に特訓してくれたお陰で、料理の腕は格段に上がった。あとはネットで調べてレパートリーを増やしたわ。疲れて帰って来た両親が喜んでくれるのが嬉しくて、全然苦にはならなかった。父と母に美味しい物を食べて欲しくて頑張った事が、転生したこの異世界で、こんなに役に立つなんて想像もしなかったわ。


「独学であれほどの料理を作れるものなのか……」


 フレッド様がそう言った時、前からビュウッと強い風が吹き、彼が被っていたフードが飛ばされて、一瞬だけ、隠れていたミルクティー色の髪が露になった。一歩下がって歩いていた私は、彼の髪をチラッと視界の端に捉え、乱れた自分の髪を抑えて下を向いた。


「すごい風でしたね。髪が乱れてしまいました」

「あ、ああ。女将の髪は、色を抜いてあるのか? 最近流行っているのか、町で良く見かけるが、ブロンドに染めている女性が増えたな。だがその髪は天然か。私の知る女性にも、同じ髪色の人がいる……のだが……」


 私が顔を上げて髪を整え始めると、フレッド様は何かを言いかけたのに、途中で止めてしまった。何だか間が持たなくて、私はお礼を言って別れる事にした。


「まあ、そうなんですか。あ、私の行きたかった市場はそこです。フレッド様、遠回りして下さって、ありがとうございました。お気遣い感謝いたします。ここで良いスパイスが見付かったら、今夜のメニューにそれを使った料理をお出しします。では、失礼致しますね」


 私がお礼を伝えて歩き出しても、フレッド様はそこに立ち尽くしたままだった。顔は半分フードの陰に隠れていて、どんな表情をしているのか、何を考えているのか、私には知る由も無かった。



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