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212・キラキラ

 ライラの夫……アントン・レイガー……

 その名を耳にした途端、自分の心の奥底に沈められていたパンドラの箱が開く予感がした。

 突然目の前が暗くなり、足元からツタが絡みついてくるような不快な感覚に襲われる。

 尋常でない怒り、焦り、不安、悲しみ、あらゆるネガティブな感情がドッと押し寄せ、身体が硬直して無意識に拳を硬く握りしめていた。

 眩暈がする。

 自分という子孫が存在するのだから夫がいてもおかしくない。

 おかしくはないのだけど……私は勝手に、ライラの夫はシンの前世のジンだと思っていた。

 シンがハッキリ言わなくても、思い出巡りの中で聞いた話では恋人同士という印象だったから。

 少なくとも、思春期の頃まではそんな関係だったはずで。

 それが突然、貴族と結婚? 

 ライラは村の大工の娘。

 王侯貴族や商家と違い、政略結婚とは無縁なはずなのに、どうして?

 思えばシンもタキも、ライラの結婚について一度も話してくれた事が無い。

 それどころか、大人になってからの話を全く聞いていない事に今になって気づいた。

 さっきのシンの反応を見れば、彼がライラの結婚相手に不満があったのは明白だ。

 という事は、ライラは周りが止めるのも聞かずに身分違いの恋にのめり込んでしまったのだろうか?

 それとも貴族側からの求婚を断れなかった?

 貴族が平民を娶る手段がないわけではない。

 実例はあまりないけれど、ライラが一旦どこかの貴族の養女となり、貴族令嬢として嫁ぐという方法だ。

 つまり親も友人も捨てるという事。

 でもそんなのは私のイメージしていたライラとあまりにかけ離れ過ぎていて、ものすごく違和感を覚える。

 とは言えどこかのタイミングで貴族の仲間入りをしているのも事実で。

 頭が混乱する。

 ご先祖様の誰かが何か手柄を立てたとか、巫女や神官として高い能力を認められたとか、そんな理由で爵位を賜ったならわかるけど、こんなの納得できない。

 百歩譲って貴族との婚姻によるものだとしても、それはライラの代ではなく後の世代の話だ。

 だって親や友人を何より大切にする人が、すべての関係を断ち切って貴族との結婚に踏み切るとはどうしても思えない。

 

「――ナ、ラナ」


 シンに袖を引っ張られてハッと我に返った。

 私は名前を呼ばれている事にも気づかないほど考えに没頭していたらしい。


「顔色が悪いぞ。一度宿に戻ろう」

「ううん、大丈夫、ちょっと眩暈がした……だけ……」

 

 視線を落とすと、木漏れ日の中にいるシンが宝石みたいにキラキラして見えた。

 不思議と彼の顔を見ただけでスーッと心が落ち着き、ツタが全身に絡みつくような不快感は瞬く間に消えた。

 以前スパイスを買いに市場へ行った時にも、隣を歩くシンが輝いて見えたのを思い出す。

 あの時は彼の髪が朝日を浴びてきらめいて。

 ……? 私の目がどうかしちゃったのかしら? 

 さっきまで何ともなかったのに、今はやけにシンが輝いて見える。

 何度か瞬いてみたがやっぱり同じだった。

 これは木漏れ日のせいなんかじゃない。

 もしかして、これがタキの言う魂の輝きなの? 

 意識すると、まるで磁石みたいに彼に引き寄せられるのがわかる。

 不思議に思ってジッと見つめていたら、シンの優しいまなざしが徐々に怪訝なものに変わった。


「何だよ、ジーッと人の顔見て」

「ご、ごめんなさい。キラキラして綺麗だからつい見入ちゃった」

「はぁっ? 何言って……!?」


 あ、照れた。

 シンはすっくと立ちあがり、私に背を向けた。

 耳が真っ赤だ。そんなつもりはなかったのだけど。

 でも正直に「あなたの輝きに強烈に引き寄せられて目が離せない」と言っていたらどんな反応をしただろう。

 ほんの少し悪戯心が疼く。これはタキとチヨの悪影響かも。

 しかし、私が何か言うよりも先に、シンが口を開いた。


「……お前の方がっ、何万倍もキラキラしてるっつーの……」

「――!」

 

 まさかの返しに顔が熱くなる。

 シンはたまにこういう事をサラッと……でもなかった。

 さっきは耳が赤かったけれど、今は首まで真っ赤になっている。背中を向けていても照れているのがわかるほどに。

 照れというのは伝染する。私も手でパタパタ扇いで顔の熱を冷ました。

 それにしても、シンの何万倍もキラキラしたら私は謎の発光体になってしまう。

 想像したら可笑しくて、私は思わず吹き出してしまった。

 きっとシンは、様子のおかしな私を和ませようと、こんな柄にもない事を言ったのだ。

 彼がこういう発言をするのは決まって私を気遣い慰めようとする時。

 本当に優しい人。思いやりがあって、一緒にいて安心する。まあ、たまにドキドキさせられるけれど。

 そこにタイミングよく冷たい風が吹き、火照った頬を冷ましてくれた。

 サラサラという木々の葉擦れの音が徐々に激しくなり、やがてその風は黒い雲を連れてきた。

 

「で、この後どうすればいいんだ?」

「どうすればって、掘り出して持ち帰るに決まって……」


 と思ったけれど、よく考えたら探してほしいと言われただけで、女神様からはそれ以上を求められていなかった。

 見つけた事を女神様に知らせてご指示を待つべきだろうか。

 でも私は、ライラの夫の名を聞いてから妙にソワソワして落ち着かず、そこに何があるのか、今すぐ確認したかった。

 

「そういえば探せと言われただけで、見つけた後のご指示はなかったのよね……」  

「じゃあ、さっさと掘り出すか。まさか場所だけ知りたいって事はないだろ」

「そ、そう? そうよね。なら急いで道具を取りに行きましょ」


 気が急いて早速来た道を戻ろうとすると、シンに手首を掴まれた。

 

「……?」

「道具は必要ない」

「でもこんな固く締まった土、素手で掘るのは無理よ」

「大丈夫、危ないから少し離れてな」


 シンは私と一緒に数歩下がると、地面に両手をついて何か呪文を呟いた。

 すぐに、ゴゴゴゴ……と地響きのような音が足元から聞こえはじめる。

 小さな振動と同時に地面の一部が盛り上がると、石碑は土台のプレートごとひっくり返り、地中からあふれた土と一緒に脇へと流された。

 初めて見る光景に目が釘付けになる。

 固唾を呑んで見守っていると、地中から出てきたのは年季の入った大型の革製トランクケース。

 それは数百年埋まっていたと思えないほど保存状態が良く、土で汚れているものの、つぶれたり、腐って穴が開いたりはしていなかった。

 

「デカいな。チヨなら余裕で入れそうだ」

「私、指輪か何かがそのまま埋まってるのを想像していたわ」

「俺もだ」


 シンはひょいとトランクケースを持ち上げて広く平らな所に移動させ、表面についている土を丁寧に払い落した。

 

「どうする? 今開けて見るか?」


 私がコクコク頷くと、シンはトランクケースのベルトと金具を外して角を持ち、静かに持ち上げた。

 そしてほんの少し隙間が空いた時、パキンと何かが砕ける音がして、同時に白い魔法陣が浮かび上がり煙のように消えた。

 一瞬の出来事。

 焦ったシンはパッと手を離す。

 

「シン、今のは何? まさか封印の魔法?」

「いや、どうかな。何も抵抗を感じなかったけど……」

 

 一旦閉じて開け直してみたが、もう魔法陣は現れなかった。

 代わりに、砕けた水晶の欠片のような物が隙間からこぼれ落ち、粉状に変化して空気に溶けた。


「なるほど。劣化を防ぐのに保護魔法を込めた魔石が仕込まれていたみたいだ。にしてもよく今まで持ったな」

「きっと腕のいい魔道具師がいたのね。当時のままを残してくれたその方に感謝だわ」

「だな。さて、何が入ってるのか……」


 改めて中を確認すると、布でぐるぐる巻きにされた美しい木箱が入っていた。


「――!」


 シンが息を呑むのがわかった。

 彼はこの木箱に見覚えがあるのか、震える手で優しく触れた。

 サイズはトランクケースより二回り小さく、高さは二十センチほど。

 木箱の蓋には絵付けがされており、ブルーデイジーに似た水色の花が描かれている。

 それに、箱に結ばれた繊細な刺繍リボンを見れば、これが誰かの大事な物である事は一目瞭然だった。

 他に何か入っていないか確認すると、トランクのポケット部分に封蝋がされた手紙が一通と、革製の巾着袋に昔のアルテミ大金貨が十枚入っていた。

 これはまさにお宝。希少過ぎて現代の価値に換算するのが恐ろしい代物が出てきてしまった。

 封筒の宛名には「これを見つけた人へ」と書かれている。差出人の名前はないが、アントン・レイガーで間違いないだろう。

 

「先に読んでいいか?」

「構わないけど……一緒に読んじゃダメなの?」

「悪い、一人で読みたいんだ」

 

 そう言って、シンは私が覗き込まないよう近くの木に寄りかかって手紙を読み始めた。

 便箋は二枚。シンの目が素早く文字を追う。

 目の動きで文字がびっしり書き込まれているのがわかる。

 そして二枚目の半分を超えた辺り。

 彼の表情がみるみる怒りに染まり、読む速度が上がった。

 手紙を持つ手に力が入り今にも破り捨ててしまいそうな雰囲気。

 そして最後の一行を読み終えたシンは、この世の終わりのような顔をして手紙を乱暴に握りつぶし、すごい剣幕で怒鳴り声をあげた。


「――っざけんな!!」


 森の鳥たちが一斉に飛び立つ。

 私は初めて聞く本気の怒声に驚き、肩がビクッと跳ねた。

 こんなに怒るだなんて、一体何が書いてあるの?

 戸惑い、不安げに見つめていると、シンは泣きそうな顔で近づいてきて私を掻き抱いた。


「あ、あの……シン?」


 身をよじって彼の顔を覗き込もうと試みる。

 しかし顔を見られたくないのか、私を包み込むように頭と背中に腕が回され、彼の顎で頭を固定されてしまった。

 怒りで震えている? 泣いているのかもしれない。

 私はそっと腕を伸ばし、シンの背中を優しく撫でる。

 彼の胸は温かく、心臓が激しく鼓動していた。

 頬に触れる彼の冷たい指先から動揺が伝わってくる。

 シンが落ち着くまでと思い、私は黙って身を預けた。

 どれくらいそうしていただろう。

 再び小鳥の声が耳に届きだした頃、手紙の内容が気になっていた私は彼に尋ねた。


「何が書かれていたの?」 

「……」

「シン?」 


 シンは深い溜息を吐いた後、低い声で答えた。


「……妻への謝罪、後悔、言い訳、後世の誰かに……誰でもいいから自分の失敗を帳消しにしてほしい、そんな身勝手な内容だ」

「私にも読ませて。記憶は無いけど、前世の夫が書いた手紙なのでしょう?」


 一瞬、私を抱く腕にグッと力がこもった。

 嫌だという意思表示だろう。


「できれば読ませたくない」

「シン、私にも読む権利があるわ。それを渡して」


 グイっと体を離して無理やりシンの顔を見上げる。

 気まずそうに顔を反らす彼の目元は赤く、まつげが少し濡れていた。

 

「わかった。でも一枚は俺に……ジンに向けてのものだから読まなくていい」


 シンはそう言ってクシャクシャになった便箋を開き、不服そうに一枚だけ差し出してくれた。

 これを書いた人はどれほど伝えたい事があったのか。

 B5サイズ程の紙には感情的に書きなぐったような乱れた文字がびっしり書き込まれていた。


「じゃあ……読むわね」

「……」


 シンは黙って目を伏せた。

 先程見た彼の涙を思い出し、チクリと胸が痛む。

 過去の亡霊のせいでシンと仲たがいなどしたくないのに。

 彼が人前で泣くなんて余程の事。それは私も分かっている。

 でも、女神様が私達に探せと命じたのには理由があるはずだ。

 もしライラの過去を知ってほしいのだとすれば、私はこの手紙を読まなければならない。

 もう一度シンの様子を窺ってみる。

 シンは手に持っていた二枚目の便箋をズボンの前ポケットに押し込み、心配そうに私を見つめていた。

 一つ深呼吸をして手紙を読み始める。


 ――私の名はアントン・レイガー。

 その手紙は自己紹介から始まった。 

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