205・思い出巡り
私とシンはいつもより早く朝食の準備を済ませた後、動きやすくて汚れてもいい服に着替えて妖精の扉をくぐった。
今日から本格的に女神様御依頼の宝探しを始める。
女神様はシンが宝物の在りかを知っていると仰っていたけど、当のシンは昨日ライラの部屋に入った時に、目星をつけていた場所を真っ先に確かめていた。しかしそこには何も無し。
「さて、どうするかな……」
シンは頭を掻きながらライラの部屋の窓を見上げ、困惑気味に呟いた。
今回の宝探しは彼の記憶力にかかっているので、かなりプレッシャーを感じているらしい。
私にライラの記憶があればシンに負担をかけずに済んだと思うと、何だか申し訳ない。
「あ……ねえ、シン。ライラの部屋に床下収納があったけれど、知っていたの? 目印は無かったでしょ?」
昨日シンは、私がクローゼットなどを見ている間に、一部の床板を外して中を確認していた。
そこには蓋付きの綺麗な木箱がはめ込まれ、ちゃんとした収納スペースになっていた。
何を隠していたのかは彼も知らないそうだ。
大きさはA4サイズのお道具箱くらいしかなかったので、貴重品を隠していたのではないかと推測する。
「あれは子どもの頃、ライラに頼まれて俺が作ったんだ」
「そうだったの……でも、中には何も無かったのよね?」
「ああ。ライラの宝物と言えば、あそこ以外考えられなかったんだけどな。女神はどこかに埋まってるって言っていたし、やっぱ土の下とかを探さなきゃならないみたいだ」
「あ、ねえ。自宅以外に特別な場所は無かったの? 例えば……三人の秘密基地とか」
「秘密基地? あー、そういやそんなのも……」
「あるの!?」
思わず期待に目を輝かせる。
貴族令嬢の自分には望んでも叶わないものだ。
幼い頃、児童書に出てくるような小さな小屋をおじい様におねだりした事がある。するとその数日後には、庭にドーム型の美しい東屋が建てられていた。
子どもながらもこれじゃないとは言えず、しばらくはそこに人形などを持ち込んで遊んでいたのを思い出す。
今ならわかるが、庭に小屋を建てるなんて景観を損なうし、だからといって幼い子を人目につかない場所で遊ばせるわけにもいかず、私の希望を叶えようとすれば、必然的にああなってしまうのだ。
「シン、私そこに行ってみたい!」
「言っておくけど、期待してるような立派なものじゃないぞ。ただの洞穴だ」
「洞穴で構わないわ。思い出の場所へ行く事に意味があるのよ」
シンはしばらく思案した後、「うん」と頷いた。
「そうだな……じゃあ、前世の思い出巡りでもするか」
「良いわね! きっとそのどこかにライラの宝物があるわ」
シンが知っている場所と言うからには、何かしら思い入れのある所なのは間違いないのだ。時間はかかるかもしれないけれど、全部を回れば必ずライラの宝が見つかるはずである。
「なあ、俺はその『宝物』が何かも知らないんだけど、どれが正解か、どうやって判断するんだ?」
「女神様は具体的にどういう物なのか仰らなかったものね。だから、見つかったらピンと来るんじゃないかと思っているのだけど」
「適当過ぎないか。何か不安になってきた……」
「大丈夫大丈夫! さあ行きましょ!」
前世の私達が暮らしていた村をシンに案内してもらいながら「秘密基地」へ向かう。
当然の事だけど、無人の村はとても静かだ。
風に揺れる木々の音や鳥のさえずる声を聴きつつ、朝の散歩を楽しむ。
ジンの家だった建物はライラの家の隣に位置していた。
隣と言っても大人の足で二分はかかる距離。
ライラの家との間には、かつて家畜小屋や菜園などがあったらしいが、ずっと使われていなかったのか、すっかり荒地になっている。
ジンの家のすぐ横には綺麗な小川が流れており、水車小屋が隣接していた。川沿いの家は皆そのような造りで、昔この村は製粉業が盛んだったそうだ。
あれこれ説明を聞きながら川面を眺めていると、上流から数羽の水鳥が優雅に泳いで来た。
王都ではまず見る事のない大型の水鳥だ。
そしてふと、ある事に気づく。
この眺めは、日本人だった頃に憧れていた外国の風景そのものだった。
前世の私はテレビやネットで見るイギリスの田舎町に妙な懐かしさを覚え、いつか行ってみたいと思っていた。その理由は多分、この村とよく似ているからだ。
ライラはこの道を何度も通っていたはず。
波野葉名として生まれ変わった私は、前世の記憶は無くても本能的に帰りたいと願っていたのだろう。
隣を歩くシンにチラリと視線を向けると、彼も懐かしそうに眼を細めていた。
「オーナー、川向こうの教会前広場が子ども達の遊び場だったんだ。俺達三人は夕暮れまでそこで遊んで、親が迎えに来るのを待ってた」
「ふーん、そこも思い出の場所なら、ちょっと寄り道しましょう」
石橋を渡ると、そこから先が村のメイン通りだ。
通り沿いには石造りの家が建ち並び、軒先に様々な鉄看板が掲げられている。シンは一軒一軒何の店かを説明してくれた。
見たところ、村の商店街に当たるこの周辺には、最低限必要な店が揃っている。人さえ戻ってくれたら、王都を離れても快適に暮らせそうである。
「あの頃新築だった家がすっかり古民家になってるな。それだけ時間が経ったって事か……」
「ジンが建てた家は無いの?」
「あー……無い。見習いから昇格したばかりで、主な仕事は家や家具の修理だったから。だけどこの辺の家はライラの父親が建て直したものらしいぞ」
「へえー、これも前世のお父様が造った家……。頑丈に造ってあるから自然災害にも強いのかしら。だけど……この保存状態って普通? じゃないわよね」
ジンの家を見た辺りから薄々感じていたが、気づかないふりをするのも限界がきた。
長らく放置されていた割にどの家も傷んでおらず、芝は綺麗に刈り込まれ、庭木も剪定されているのだ。
水に浸かっていたなら窓の木枠や建具などは腐っていてもおかしくないのに、経年劣化はしているものの、それ以外に破損個所が見当たらない。
ドアに鍵が掛かっているので家の中には入れないが、窓から中を覗いてみると、何十年も水の底にあったとは思えないほど室内は整然としていた。
まるで、つい先ほどまでここに居た住人達が忽然と消えたかのようである。
「空から見た時も思ったけど、こうして見ると、やっぱり酷い災害があったようには見えないな」
「私達が見た水面はまぼろしだったのかしら」
「まぼろしか……。俺達は一瞬で水が消えたもんだと思ってたけど、実は女神の張った結界が解除されただけだったりしてな」
「あ! だとしたら結界が水の膜のようなものだとしてもおかしくないわね。ライラの家みたいに結界内の時が止まっていたのだとしたら、この村の状態も理解できる」
確か当時の神官が神様の声を聴いて、災害が起こる前に国民を避難させたのよね……。
皆が信じたのだから実際に天候は荒れていたのだろうけど、それが大災害にまで発展しなかったのなら、女神様はなぜ嘘を伝えたのだろう。
人間同士の争いを止める為……? 今は何の痕跡も無いけれど、戦場になれば森や家屋を焼かれたりもする。
だから怒ってこの土地から人間を締め出した、とか? 何にしても、女神様が思い切った方法で被害を最小限に抑えてくださったお陰で、この国は昔のままの姿を保っている。
またこの地で暮らせる事に、私達は心から感謝しなくては。
「ところで、お城近くの高台に住んでいる人達って、この状況をどう受け止めているのかしらね?」
「それはもちろん、神の奇跡だと思ってるだろうな」
「そのうちこの村の様子を見に来るわよね。私達、どう思われるかしら。だって水が消えたと思ったら、もう住み着いているんだもの」
「俺達はここに住む権利があるんだから、堂々としていればいいさ。まあ、昼間は留守にしてるし、もし誰かが見回りに来たとしても、しばらく顔を合わせる事は無いだろうな」
そんな話をしているうちに、村のメイン通りを通り過ぎ、ちょっとした広場に出た。
シンの言っていた教会は通りの一番奥。低い石積みの塀で囲まれた広々とした墓地の手前に、小さな教会が建っていた。墓地の後ろは森だ。
教会前の広場も思い出の場所らしいが、そこに立っても私はピンとこなかった。
そして墓地の脇の小道を抜けて森に入る。
しばらく歩くと目的の秘密基地はあった。
天井高がシンの背丈より少し低く、三畳ほどの広さの小さな洞穴である。
大人の私達には少し窮屈だけれど、子供には十分な広さだったと思われる。
でもここは遊び場というより、主に薪拾い時の雨宿りに利用していたそうだ。
多分他の人達も同じようにここを利用していたのだろう。座れるように奥に平たい石が置かれていて、その横に寒さをしのぐ為の焚き火用の枝などが積まれている。
一応、当時の物が何か残っていないかと隅々まで確認したが、何も見つけられないまま初日は終了した。
そして連日の捜索活動もむなしく、あっという間に二週間が過ぎた。
通常業務プラス探し物をしながらの村巡り。村を見て回るのは毎回何かしらの発見があって本当に楽しかったが、徐々に疲れが溜まって私の疲労はピークに達しようとしていた。
村の思い出スポットはすべて空振りに終わり、私とシンは朝食を食べる為に、見晴らしの良い丘の上のベンチに座った。そして深い溜息と共にがっくりと肩を落とす。
「参ったな。もっと簡単に見つかると思ってた……」
「私も……考えが甘かったみたい」
シンは肩から下げていた鞄から水筒とおにぎりの包みを取り出すと、一人分を私に手渡してくれた。
私は「ありがとう」と伝え、冷えたお茶で喉を潤す。
「……ねえシン、村の中には無いみたいだし、明日から範囲を広げる?」
「簡単に言うけど、ライラの行動範囲はかなり広いぞ。薬草を取りに山を越えたりもしていたし」
「山越え……!? うう……せめて人里に近い所でありますように……」
山越えはさすがにその後の仕事に響く。シンはともかく、私は自分の料理で体力回復が出来ないので、毎日村を歩き回るだけでヘトヘトだ。
実際に歩き回ってみて実感する。小国と侮っていたが、村一つ一つはそれなりに広い。しかも私達はまだ山を捜索範囲に入れていないのだ。
あえて見て見ぬふりをしていたが、実はそっちが本命のような気がする。
村を囲む山々を眺め、ゴクリと唾を飲み込む。
アルテミは険しい山に囲まれた国である。お嬢様育ちの私は脚力に自信が無い。家を出てから体力がついたと言っても、町歩きに支障が無い程度だ。
山登り……行けるかしら?
「なるべく無駄足にならないよう慎重に場所を選ぶから、何日か考えさせてくれ」
「ごめんね、シンに任せっぱなしで」
「俺の方こそ役に立たなくてごめんな……。結局村中歩き回らせて、お前を疲れさせただけだったよな」
「ううん、私は観光気分で楽しんでいるわ。子どもの頃以来よ、国を離れてあちこち見て回るなんて。でも、時間内に戻るのが大変になってきたし、平日の捜索をやめて、休日だけにしない?」
「うん、まあ、急ぐ事もないしな。あ、足が辛くなったら言えよ。負ぶってやるから」
「え!?」
視線がシンの背中へと吸い寄せられた。下町の料理人にしておくのは勿体ないと思わせる鍛えた身体がそこにある。
彼の逞しい背中に背負われる自分を想像し、カーッと顔が熱くなった。
「いっ、いいわよそこまでしてくれなくても……!」
「そうか? 歩くペースも落ちてきたし、顔に疲れたって書いてあるけどな」
「嘘っ……!?」
私は慌てて顔を背けた。
しかしこの反応では、「疲れました」と自己申告したも同然だ。
隣でシンがクスクス笑っている。
「別に大丈夫よ、これくらいなら足腰を鍛えるのに丁度良いもの。だから私を甘やかそうとしないで」
「ふふっ、そっか。俺はもっと甘えてほしいんだけどなー……昔みたいに……」
シンはそっぽを向いてぼそっと呟く。
「何? 今の聞こえなかった。もう一度言って?」
「……なあ、外で食うおにぎりってなんでこんなに旨いんだろうな。オーナーが作ったのは特に旨い」
シンは話題を変え、大きな口を開けておにぎりにかぶりついた。彼はいつだって私の作ったものを美味しそうに食べてくれる。
何故なのかわからないけれど、涙が出そうだった。ただシンが私の隣でおにぎりを頬張っているだけなのに。
ライラとして生きていた時にも、これと似たシチュエーションがあったのだろうか。
「それにしても良い天気ね……。風も気持ちいいし」
「そうだな」
見上げれば雲一つない晴天。眼前に広がる緑の絨毯の上を爽やかな風が吹き抜けた。
シンと他愛のない話をしながら二個目のおにぎりに手を伸ばした時、何の前触れもなく後ろから「おーい」と男性の声が聞こえた。




