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192・ジンとして生きた証し

アルテミの視察に来たラナとシンは、上空から国土全体を眺めた後、人気のない山道に降り立った。

そしてシンは前世の記憶を頼りにラナを神殿へと案内する。


シン視点のお話です。

「シン、折角ここまで来たけど、この様子じゃ神殿を見つけても中に入れそうにないわね。見える所にそれらしき建物が無いという事は、地下にあるのかもしれないもの」


 ラナが水に沈んだ村を見下ろし、残念そうに溜息を吐く。

 俺がジンとして生きていた頃からどれだけ時が流れたのだろう。

 驚く事に、前世の俺がいた村の建物はほとんどそのままの形で残っていた。

 ここに来るまでは空想かもしれないと思っていた前世の記憶が、一気に現実味を帯びる。

 この事をラナに話すべきだろうか。「女神の光を浴びた時に、前世の記憶を思い出した」と。

 「前世の記憶」なんて突拍子もない事を言えば皆を戸惑わせるだけだと思い、今まで黙っていた。

 だが、きっとラナなら真面目に聞いてくれるだろう。

 ジンとして生きていた頃に神殿の入り口までなら仕事で行った事がある。俺の記憶が確かなら、神殿には入れるはずだ。

 

「オーナー、あのな……」


 いや待て。本当に打ち明けてしまって大丈夫か? 

 前にラナが読んでくれた「ライナテミスの日記」によれば、ラナの前世の名は「ライラ」。そして母親はこの国の外から来た人で、娘を産んですぐに亡くなっている。

 あの日記から得られる情報はそれしかないが、ジンの幼馴染みのライラと境遇が似ている。

 考えすぎか? 同じ国に生まれ育ったといっても、前世のラナは俺とは違う時代に生まれていた可能性だってあるよな……。

 でも、もし二人が同一人物で、俺の発言のせいで過去の辛い記憶を呼び起こしてしまったら? ジンの死後、残された彼女がどうなったのか俺は知らない――。


「どうしたのシン、深刻な顔をして?」


 ラナがキョトンとして俺の顔を覗き込んできた。

 ハッとした俺は動揺を隠してラナに微笑み掛ける。


「いや、とりあえず城の方に行ってみないか?」

「ええ。それにしても緑が濃くて空気が綺麗ね。たくさんの妖精が飛んでいるわ」

「本当だな。道に迷ったらあいつらに案内を頼もう」

「ふふっ、それは良い考えね」


 前世について話すのは一旦保留だ。

 俺は城に向かうフリをして神殿を目指した。

 隣を歩くラナを見ると、ワイリンガムでは見た事の無い珍しい植物や色鮮やかな鳥に目を輝かせていた。普段仕事の時に見せる大人びた顔とは違い、年相応の女の子の顔をしている。

 どうしても確かめたい事があってここに来てみたが、ラナの息抜きには丁度良かったようだ。

 彼女が俺に向ける屈託のない笑顔が、遠い記憶の中のライラと重なる。


「あ、オーナー。神父様が言っていた果樹園が見えてきたぞ」

「えっ、どこ? 収穫しても数日で実がなるという奇跡の果樹園よね。上から見た時はわからなかったけど、本当にいつでも実がなっているのかしら」


 山道を真っすぐに進むと、山の斜面には大昔から存在する葡萄畑が今も残っていた。そしてその奥に年中果物が実っている不思議な果樹園がある。

 規則性も無くデタラメに植えられた果樹は季節も原産国も無視してどれもたわわに実り、食べごろを迎えていた。

 前世の俺は当たり前だと思っていたが、今ならこれがどれほど異常な事なのかよくわかる。

 数十年前、この国で生まれ育った人達がよその国に移住した時、常識が違い過ぎて困った事も多かっただろう。

 普通、果樹園の物は勝手にもぎ取って食べてはいけないし、次に実がなるのは一年後だ。

 神父様はそれを知らずに、ワイリンガムへ向かう途中のリンゴ園で仲間とリンゴを取って食べ、その土地の所有者にしこたま殴られたと言っていた。

 

「あの話は大げさなんかじゃなかったんだわ……まさしく神の楽園(アルテミ)ね」

「神父様がこの国を出るまで飢える事を知らなかったってのも頷けるな。果物は食い放題だ」

「ふふ、そうね。それにしても、誰も果樹園の管理をしていないのかしら? 雑草が伸び放題ね」

「今居る住民だけじゃ手が回らないんだろ。放っといても勝手に実がなるんだから問題無いさ」

「人手不足か……。今は住める場所が限られていて、国民を呼び戻そうにも住む所が無い……。やっぱり、この大量の水をどうにかしなきゃいけないのね」


 ラナが遠くを見つめてボソッと呟く。

 彼女は本気でこの国の復興に手を貸すつもりのようだ。

 だがこの水量をラナひとりの力でどうにか出来るとも思えない。

 

「ねえシン、村が水不足で困っていた原因は、ここで川がせき止められて水量が減ったせいだと思うの」

「ああ、それもあるかもな」

「私考えたのだけど、水をせき止めている場所を見つけて放流してあげれば、どちらも助けられるんじゃないかしら」

「あー……、やってやれない事もない。でも、それを実行したら下流の村が鉄砲水にやられるだろうな」

「……!! それはまずいわ! 今のは忘れて! うーん、じゃあどうすれば……」

 

 溜まった水は排水してやればいいという単純な考えだったのだろう。池の水ならまだしも、大きな湖ともなればそう簡単にはいかない。ダムのように水量を調節出来れば可能かもしれないが。

 ラナはその後も独り言を呟きながら解決策を考えていた。

 ふと昨夜の事を思い出す。

 一階で物音が聞こえて確認しに行くと、洗い場に立っていたラナがバケツに溜めた水に手をかざし、うんうん唸っていたのだ。

 何をしたかったのかは何となく想像がつく。水と豊穣の女神の力があれば、簡単に水を操れるとでも考えたのだろう。

 歌の力はすぐに開花したが、浄化の力はコツを掴むまで使えなかった。

 水を操るなんて今までやった事も無いのに、そんな簡単に出来るものなのかと、俺はしばらく隠れて見守っていた。

 そして彼女は三十分程頑張った後、トボトボと肩を落として部屋に戻って行った。ひとまず水を操る事は諦めたらしい。

 つまり余程の奇跡が起きない限り、この水を排出するのは不可能という事だ。

 最悪、俺の魔法で海側の山の一部を吹き飛ばす事は可能だが、ラナは怒るだろう。だからこの案も却下だ。

 

 果樹園を過ぎ、しばらく歩くと左の木々の隙間から城の塔が見えてきた。この先は王家の所有地の為、けもの道のような人が歩ける道はここで終わりだ。

 後は道なき道を進むしかない。

 前方から大量の水が流れ落ちる音が聞こえる。


「シン、水の音が聞こえない?」

「城の裏手にある滝の音だな。オーナー、実はちょっと気になってる場所があるんだ。城に行く前にそっちに行ってもいいか?」

「ええ、構わないけれど」


 どうせ城は湖にぽっかり浮かぶ小島のような状態で、歩いては行けない。

 ヴァイスに頼めば行けるだろうが、人に見つかった時が面倒だ。舟も使わずどうやって侵入したかと訊かれたら、上手く答えられる自信が無い。

 俺はラナの手を引いて山を下りながら道なき道を進み、神殿に続く隠し通路を探した。

 流石に前世の俺もこの辺りは立ち入った事が無く、ここからは城の位置と照らし合わせて勘を頼りに進むしかない。

 すると、前世の記憶にある岩肌を削って作られた通路に辿り着いた。

 目の前にある階段を下れば城の裏手に繋がっていて、通路を真っすぐ進んだ先の階段を上れば滝の裏側に行ける。


「あった……」


 過去と同じ場所に立った事で、ここにまつわる前世の記憶が鮮明に蘇ってきた。

 俺は大工の師匠であるライラの父親と一緒に、城の裏手からこの通路を経由して神殿に向かったのだ。

 ジンにとってあの時が人生のピークだった。

 師匠から一人前の大工として認められ、更にライラとの結婚資金は神殿の修繕で入る報酬により、あと少しで目標達成というところまできていたのだ。

 家を建てられるだけの貯蓄が無ければ、相手家族から結婚の許しが出ない。

 その為俺は、十二歳で大工の弟子になった日から八年かけ、ライラとの結婚に向けてコツコツお金を貯めてきた。

 一方女の子にも結婚前の試練がある。

 この地方独自のならわしで、自分で織った布で二人の婚礼衣装を縫い、一年かけて願いを込めながら厄災から身を守る為のまじないの刺繍を施さなければならない。

 ライラの婚礼衣装は完成間近だった。

 あの日この場所に立った俺は、もうすぐライラと二人で結婚許可をもらいに神殿に来るんだな……などと、出来たばかりの婚礼衣装に身を包む二人の姿を想像し、喜びを噛みしめていた。

 まさかそれからすぐにあんな事が起きるなんて夢にも思わず――。


「私ったら上空から何を見ていたのかしら? 滝の近くにこんな通路があったのに。シンが気になっていたのはここだったのね」

「……ん? ああ、城に続く道は水の底だが、真っすぐなら進める。行こう、オーナー」

「ええ」


 そして通路を真っすぐに進んだ先の階段を上ると、そこは滝の裏側で天然の洞窟が広がる。

 水のカーテンがうまく洞窟の存在を隠しているのだ。その空間の奥に、大人が二人横並びで通れる広さのトンネルがある。

 俺達について来た妖精達が、危険が無い事を教えるように次々とそこに吸い込まれて行った。

 ラナは興味深げに滝の裏側や洞くつの中を観察している。


「まさか滝の裏に出るとは思わなかったわ。ねえ、あの奥には何があるのかしら?」

「妖精達がためらわず入っていくし、奥に神殿があったりしてな」 

「あ! 閃いたわ! この洞窟が神殿って事もあると思わない? もしそうだとしたら、ペンダントはどうやって使うのかしら?」

 

 ラナがブラウスの襟からペンダントを引き出すと、真っ黒だったはずのペンダントの石はいつのまにか青く変色していた。

 それを見て自分のペンダントも出してみると、俺のも青くなっている。


「どうなってんだ? この石、ただの黒曜石じゃなかったのか?」

「よく見ると中心部分が炎みたいに揺らめいてる……。あっ、そうだわ。こっちはどうかしら」


 ラナは腰に下げた袋から何かを取り出して俺に見せた。


「これは第三王女を名乗る女の子に貰った黒曜石のペンダントトップなのだけど……」

「それは黒いままだな」

「石の種類が違うのかしら?」


 ラナの手の中にある石は、パッと見は俺達の物と同じに見えるが、デザインが一緒なだけで素材はまったく別物のようだ。

 誘拐事件の時に助けた「自称アルテミの王女」は本当に王家の人間なのか、調べてみる必要がある。

 

「オーナー、奥に行ってみよう」

「ええ。ヴァイス、表の見張りをお願いね」

(承知しました)


 魔法で指先に炎を灯し、暗い洞窟の奥に進む。

 前に進むほど何か人ではない気配を感じ、鳥肌が立った。神の気配だろうか。ラナも何か感じ取ったのか、俺の服の背中をギュッと掴んだ。

 そしてトンネルを抜けると、天井にポッカリと開いた穴から燦々と陽の光が差し込む巨大な地下空間が現れた。

 地下だというのに樹齢二千年以上と思われる巨木が俺達を出迎える。

 その迫力に思わず目を奪われたが、そのすぐ側には列柱とドームのある小ぶりな神殿が巨木に寄り添うようにしてひっそりと建っていた。

 前世の俺が来た事があるのはここまでだ。

 

 当時修理しに来たのはドームの入り口の木製のドアで、罰当たりにも誰かが無理やり中に入ろうとしたのか、斧か何かで酷い壊され方をしていた。

 交換の為に壊れたドアを外すと、その向こうは鏡のように磨かれた黒い石の壁で、自分の姿が映ったのを覚えている。

 印象的だったのは、上部に黒い石の付いた杖のような形の取っ手だ。これだけはそのまま使ってほしいと言われ、古いドアから外して付け直したのだ。

 それが数百年経った今も使われていた事に驚き、前世の自分が確かにここに存在したのだと感動した。


「凄いわ……! あれは世界樹かしら? シン、この洞窟全体が神殿なのかもしれないわ。気のせいか、ここに来てからライナテミス様の存在を強く感じるの」

「ああ、俺もだ」


 そんな事を話しながら建物に近づくと、ドアの取っ手に付いている黒曜石が俺達のペンダントに反応して青く変色し、音も無く自動でドアが開いた。


「ビックリした……。シンが前にペンダントが通行証代わりになると言っていたけど、こういう事?」

「俺はこのペンダントを持っていれば神殿に入れるとしか聞いた事がなかった。こんな仕掛けがあったんだな」


 前世の俺がここに来た時は間違いなくドアの向こうは黒い石の壁だった。実際に触って確かめたから間違いない。

 ラナのペンダントを探していた奴は、きっとこの仕掛けを知っていたんだろう。

 もしかして、この中にはとんでもないお宝が隠されているんじゃないのか?

 そう考えると、躍起になってペンダントを探す奴が現れても不思議じゃない。

 戦と災害で城の安全性が保てなくなった時、王家の宝は国外に持ち出さずに一番セキュリティーのしっかりした神殿に移した可能性が高い。

 いや、もしかするともっとずっと昔から、神殿が宝物庫の役割を果たしていたのかもしれない。その秘密を知った奴が、入り口のドアを壊したと考えると辻褄が合う。

 親父は祖母から神殿の秘密を聞いていたんだろうか。

 身分を隠し、他国で平民として暮らす事を選んだ理由は、祖母と同じく規格外の魔力と霊力を持つ俺とタキの存在を、人に知られないようにする為だと思っていた。

 確かに理由の一つはそれだろうが、俺の中で、別の理由が思い浮かんでいる。

 親父はアルフォードとノリス公爵家からの援助を断ってまで質素な生活にこだわり、下町で仕事をして街に溶け込んでいた。

 他人に魔力を見せてはいけない、ペンダントを見せてはいけない、素性を話してはいけない。

 俺とタキには平民教育を施し、王族である事を自覚させないという徹底ぶりだった。

 他人に素性を知られちゃいけなかった理由のもう一つは、このペンダントだったんじゃないだろうか。

 下手をすると、親父達の事故もただの事故じゃない可能性も出てくる。

 全部俺の憶測でしかないが、調べる必要がある。同じペンダントを持つラナの為にも。



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