190・宿への帰り道
宿への帰り道。
抜け道となる路地に入り、教会が見えなくなったところでシンが急に立ち止まり、ホッと息を吐く。
シンの歩調に合わせて小走りした私は軽く息が上がっていた。
「ハァ、ハァ……待ってシン、歩くのが早いわ」
「あ、悪い。大丈夫か?」
「ええ。でも少しペースを落としてくれると助かるわ」
多分シンは普通に歩いただけなのだろうが、歩幅もスピードも私からすると駆け足レベル。
いつもなら私に歩調を合わせてくれるのに、彼がそうしなかったのには理由がある。
見送りはいらないと伝えたにも拘らず、神父様は私達が見えなくなるまで胸に手を当てて見送ってくれたのだ。
一応周りの目を気にしてお辞儀をせずにいてくれたけれど、心臓に手を当てるポーズは相手に感謝の意を示す他に「忠誠を誓う」という意味もある。神父様の行動の意味は恐らく「忠誠を誓う」の方だ。
神父様は生まれ育った土地を離れて数十年が経ち、アルテミで暮らした時間の何倍もの時をこの国で過ごしている。
それでも祖国への想いは今も変わらず、シンに当時の国王の姿を重ね、死ぬ前にもう一度あの素晴らしい景色を眺めたかったと涙を浮かべていた。
居たたまれなくなったシンは仕事を理由に会話を切り上げ、教会を出てきてしまったのだ。
「まさか泣かれるとは思わなかった……」
「シン、勝手に素性を明かした事、怒ってない?」
「ビックリはしたけど神父様なら問題ねーよ。貴重な話も聞けたし」
神父様から聞いた話はとても興味深い内容だった。
西の国の古代語で「神の楽園」を意味するアルテミには、ワイリンガムでは見かける事の無い植物が多数自生しているらしい。しかも気候の違う国の野菜や果物だろうと、植えれば必ず育つ不思議な土地なのだそうだ。
果物は収穫しても数日で実をつける為、国民は国を出るまで飢える事を知らなかった。
きっと女神の加護により守られた神秘の土地なのだ。
それを聞いて、行ってみたいという気持ちが強くなったのは言うまでもない。
当時のアルテミ国王は庶民と対話をする大変気さくなお方で、神父様がご両親を病で亡くされた時は葬儀にも出席してくださったそう。小さな国とはいえ中々出来る事ではない。
災害の多い土地ではあっても、他国から略奪者さえ来なければ、とても豊かで平和な国だった事が窺えた。
巫女姫を狙う他国の襲撃を受け国境が戦場と化してしまった中で、国民が大災害から無事逃れられたのは、強い魔力を持つ王族や貴族が敵の侵入を阻止し、力の弱い民を兵士と共に避難させてくれたからだった。
前線で戦っていた王族や貴族、神殿を守っていた神官達の消息は今も不明のままで、避難する時に誰もその姿を見なかった事から、巫女姫様も神殿に残って命を落としたのではないかと噂されていたらしい。それ故に神父様は子孫の存在を知り、涙したのだ。
その晩、いつものように私の部屋で夕食を済ませ、落ち着いたところでタキとチヨにも今日の事を報告した。予定より教会に長居してしまった為、帰ってから二人に話す余裕が無かったのだ。
「なるほど……。あの時助けた自称王女様は、ラナさんのペンダントを探しに来ていたかもしれないんだね」
「でも、ペンダントが国の復興の何に役立つんですかね? 高値で売って復興資金に充てるとかですか?」
チヨは腑に落ちないという顔をして熱めに淹れたお茶をすする。
「チヨ、確かにこれは価値のある物だけれど、その為にここまで来るとは思えないわ」
「あはは、ですよね。旅費や旅の危険性を考えたら採算が合いません。なら何に使います?」
「この石で魔力を増幅させて、魔法で復興作業を進める……? うーん……ちょっと想像出来ないわね。土魔法を使える人は少ないし」
チヨとペンダントの使い道について話していると、それまで黙っていたシンが口を開いた。
「なあ、復興が始まったって事は水が引いたって事だよな……」
「ええ、あの賞金稼ぎの人達が言っていた事が事実なら、そういう事でしょうね」
はっきりとした情報が無い為何とも言えないが、ゼロから復興を始めるとは思えない。国土のほとんどが水に沈んだというくらいだし、天然のダム湖のようになっていたのではないかと予想している。
シンは一瞬黙り、何かを考えた後話を切り出した。
「……オーナー、明日の朝、ヴァイスに頼んで様子を見てこないか?」
「明日? 何か気にかかる事でもあるの?」
「前に話しただろ。これは神殿に入る為の通行証みたいな物だって」
「あ……!」
そういえばそうだった。じゃあもしかして、賞金稼ぎの依頼者は神殿に入る為にこれを探しているの?




