169・何であんたがここに?
書斎に着くと、おじい様は部屋の中央に設置された応接セットのソファーに座り、若干サンタクロースを思わせる白いひげをたくわえた優しげな老紳士と談笑をしていた。
ひげのせいか、年齢はうちのおじい様よりずっと上に見える。
「何であんたがここに……?」
扉をくぐった途端後ろから小さく呟くような声が聞こえ、私はパッと振り返る。シンは老紳士を見て明らかに動揺していた。
シンはこの方を知っているのかしら?
「二人とも、立っていないで早く座りなさい」
扉の前で立ち尽くしていた私達はおじい様に睨まれ、急いで席に着いた。
「シン、君はこの者を知っているな?」
おじい様からの唐突な質問に、シンは戸惑いを見せる。
そこでシンの真向かいに座る老紳士は、話しても構わないと伝えるように、軽く頷いて見せた。
「知っているも何も……前に勤めていたレストランの常連客で、今住んでいる部屋の大家です。それに、仕事を失った時に料理人を募集していたチヨと引き合わせてくれたり……両親が亡くなった後、ノーマンさんには色々世話になっています」
私はそれを聞いて自然と笑みがこぼれた。
うちで働く前の事はあまり聞く機会が無く、兄弟二人で頑張っているのだと思っていた。でも今の話を聞く限り、シン達の側には親切にしてくれる人が居てくれたのだ。そう思うと、何だかとても嬉しかった。
ではこの方は、私のおじい様とどういう関係なのかしら? この屋敷でおじい様があんな風に気さくに話をするところをあまり見た事がない。
私は不思議に思いながらも、黙って話に耳を傾けた。
「ラナは幼すぎて覚えていないだろうが、この者は昔、私の下で働いていたのだ。引退後は悠々自適な生活を送っているものと思っていた。それが事もあろうに、当時の任務を未だに遂行していたというのだ」
おじい様が呆れ気味にそう言うと、元部下だという老紳士は苦笑いした。
「そう仰いますが、私の性格なら解任後も彼らを見守り続けるだろうと予想して任務につけたのでは? わざわざ隠居間際だった私を選ぶ理由などそれしかありません」
「……知らん。キッパリ支援は要らぬと断られたのに、その後も関わり続けているなどと誰が考える」
図星だったのか、おじい様は明らかに動揺している。
「それが実は……定期的に様子を見ていたのですが、ある日突然一家揃って姿を消してしまわれまして。数年後に知り合いのレストランで皿洗いをするシン様を見つけた時は、本当に驚きました」
シンはおじい様とノーマンという老紳士の会話に何か思い当たる事があったのか、ピクリと反応した。
だけど私にはまったく話が見えない。このままでは私だけが話について行けないと感じ、思い切って会話に割り込んだ。
「あの、おじい様。話がよく見えないのですが……?」
「ああ、お前にもわかるように話してやろう。私は昔、密かにある方を支援していたお前の曾祖母の手伝いをしていたのだ。ある方というのは、この国でひっそりと暮らしていたアルテミの姫の事だ。シン、君はあのお方の孫だったのだな」
「っ……はい、そうです」
シンは少し緊張気味に返事をした。
おじい様はそんなシンを感慨深そうに見つめている。
「衣装部屋で先ほど選んだ服一式は君の父、カイ・アルステッド様宛に送られてきた物だ。ノーマンに聞いて驚いたが、十数年前、カイ様に手を引かれてこの家に来たあの小さな少年は君か」
私は思わずシンに視線を向けた。シンもチラッと私に視線を寄越し、すぐにおじい様に答えた。
「おぼろげですが、父に手を引かれて大きな屋敷に行ったのを覚えています」
おじい様の話では、アルフォードの曾祖母は天災後、別々に避難したアルテミの姫を自分の嫁いだ国に呼び寄せて保護するつもりでいたらしい。
しかし姫は当時行動を共にしていた騎士と恋に落ち、身分を隠して結婚。そして誰も自分達の事を知らないこの国で、アルテミからの避難民としてひっそりと暮らす道を選んだのだそうだ。
王宮と神殿が世界のすべてだった姫にとって、外の世界はとても自由で刺激的だった事だろう。だけどお姫様と貴族出身の騎士では、ホテル暮らしをやめてしまえばまともに生活出来るはずもない。
曾祖母は浮世離れした姫が心配でならず、隣国から出来る限り支援をしていた。
曾祖母が亡くなった後はその息子である現国王が遺志を継ぎ、支援を続けていたという。
この件はおじい様に直接関係は無いけれど、私の両親が結婚した縁で、まだご存命だった曾祖母から自分の代わりにアルテミの姫とその家族を見守ってほしいと頼まれたのだそうだ。
そしてそれが、私が生まれた頃まで続いていたのだと話してくれた。
ノーマンという老紳士はシン達がこの屋敷に一時避難した事を昔の仲間に聞き、居ても立っても居られず来てしまったらしい。
そしておじい様にこれまでの報告を済ませると、満足げに帰って行ったのだった。
「俺達家族は守られていたんだな。あの……ノリス公爵にもお世話になっていたとは知らなくて……ありがとうございました」
「私に礼などいらん」
「こんな事とは知らなかったから、ノーマンさんにも何かお礼をしないとな」
「ノーマンは何十年も前に妻をお産で亡くし、君達兄弟を自分の孫のように思っているそうだ。だから勝手に世話を焼かせておきなさい。それから、今ノリス公爵を名乗っているのは私の息子だ。私の事はメルヴィンと呼ぶといい」
「メ……メルヴィン……様?」
シンがぎこちなくおじい様の名を口に出すと、おじい様は軽く頷いた。
「ふふふっ。ねえシン、ノーマンさんを食堂にご招待したらどう?」
「お、それいいな。そういえば、ノーマンさんは宿木亭がこの家の娘が経営する店だと知っていて俺を誘導した……って事だよな」
「いや、それはまったくの偶然だったらしい。ラナの顔を見て似ているとは思ったようだが、行動が大胆すぎて同一人物だと思わなかったと笑っていたぞ」
「それって褒められているのかしら……?」
そしてしばらく談笑した後、書斎から追い出された私達は居間へと移動した。
するとお母様とチヨが楽しそうにお喋りをしていて、タキは私の妹のエイミーと遊んでくれていた。五歳のエイミーはタキが気に入ったようで、昨日顔を合わせてからタキにくっついて離れない。
「あ! ラナさんおかえりなさい。これ見てください。ラナさんの子どもの頃のドレス、いっぱい着せてもらっちゃいました。すごく可愛いですー」
「ふふ、とってもよく似合っているわ」
チヨは私が十歳くらいの頃に着ていた淡いピンク色のドレスを着て、クルリと一回転して見せた。
どうやらお母様がチヨに色々着せて楽しんでいたらしい。人当たりの良いチヨは、もうこの家に馴染んでしまった。
「遅かったね。二人ともパーティーで着る服は決まったの?」
「ああ、決まった。聞いて驚くなよ? なんとここに、俺達の親父の服があったんだ。まあ、まだ袖を通していない新品だけどな」
「え? それどういう事?」
私とシンは先ほど書斎でおじい様とノーマンから聞いた話をタキにも伝えた。
父親に連れられてシンがこの屋敷に来たのはタキがまだよちよち歩きの頃の事で、もちろんタキに当時の記憶など無い。だけど私と意外な繋がりがあった事を知り、とても嬉しそうに話を聞いていた。
一緒に話を聞いていたお母様はシンを見てふふっと思い出し笑いをして、当時の事を話し始めた。シンの父親がおじい様の書斎へ行っている間、居間でお母様がシンの話し相手をしていた時の話だ。
「あの時シンは三歳か四歳くらいだったかしら。あの日は朝からラナがぐずって泣いてばかりで大変だったわ……。だけどシンが話しかけるとピタリと泣き止んで。ラナは不思議そうにジーっとシンの顔を見ていたの」
「お母様、そんな話初めて聞くわ」
「俺もそこまでは覚えてません」
タキもチヨも興味津々で目を輝かせて話に聞き入り、たまにシンを見てはニヤニヤ笑っている。
「うふふ、幼い頃の事だし、シンのとっておきの秘密、話しちゃっていいかしら」
そう言って一気に注目を集めたお母様は悪戯っぽく笑った。
「実はね、ラナに求婚した男性は何人も居るけれど、一番先にプロポーズしたのはシンだったのよ。まだ生まれて半年の赤ちゃんだったラナを見て、目を潤ませながら天使みたいに可愛いね、僕この子好きだよって私に言ってきたの」
「ひゃー、シンはその頃からラナさんの事を可愛いって言ってたんですね。くふふ」
「もう! チヨ!」
チヨが変な事を言うから、お母様がそれに反応して私とシンを交互に見た。それでつい、以前シンに可愛いと言われた場面を思い出して顔が熱くなる。
そんな私の反応を楽しむように、チヨは前のめりになって話の続きを促した。
「でも、プロポーズの言葉は好きだよ、だけですか?」
「いいえ。プロポーズの言葉はラナをゆりかごに寝かせた時にこっそり伝えていたの」
私も初めて聞く話に胸がドキドキしていた。
しかしシンは恥ずかしさに耐え切れず席を立ち、窓辺に移動して私達に背を向けた。耳が赤いのでかなり照れているようだけど、興味はあるのか話を中断させようとはしなかった。
「シンはゆりかごの中で機嫌よく笑い声をあげるラナの手を握って、涙をこぼしながら『約束を守るよ。今度こそ結婚しよう』って言っていたの。一瞬だけ大人びた顔を見せたのが印象的だったわ……」
「……ん? 約束? 今度こそってどういう意味ですか?」
頭の中で、幼いシンがゆりかごの中に居る私に話しかけるシーンを想像していた私も、チヨと同じところが引っかかった。そこは普通、「大きくなったら」じゃないかしら。
「そうよね、私もそれがどういう意味かわからなくてシンに質問したら、ケロッとしてそんな事言ってないよって言われてしまったわ」
「ええー、何ですかそれ? じゃあ何を聞き間違えたんでしょう……気になります」
「あの……兄さんは他に何か言っていませんでしたか?」
いつもなら揶揄うように話に加わるタキだけど、この時はなぜか真剣な目でお母様に詰め寄った。
「……どうだったかしら? まだ言葉を話せないラナと楽しそうにお喋りをしていたけど……。カイ様が迎えに来るまでラナの側を離れようとしなくて、帰る時は二人とも大泣きして大変だったのをよく覚えているわ」
「シンはラナさんに一目惚れしたんですかね」
「ラナは天使のように可愛らしい赤ちゃんだったから、そうかもしれないわね。うふふ」
シンを見ると腕組みをして窓の外を眺め、チヨが声を掛けても頑なにこちらを向こうとはしなかった。
次話、カルヴァーニ邸へ




