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149・黒く覆われた聖女

 無情にも刻々と時間は過ぎてゆくけれど、サンドラは何度も同じ言葉を繰り返し呟き続けていた。

 ここは周囲が壁に囲まれているせいかとても静かで、サンドラの声が微かに私達の居る場所まで聞こえてくる。

 しかし当然の事ながら、どんなに時間をかけようとも空から何かが降りてくる事はないのだ。私が思わず溜息を吐くと、隣に立つイリナ様からも小さな溜息が聞こえてきた。

 これはそろそろ誰かから不満が出始めるのではないかと思っていると、王弟殿下がサンドラを嘲笑い、わざと挑発するように声をかけた。


「ふん、どうした? 天使はまだか? 時間は十分与えたはずだが」

「あー、もう! 静かにして! ……ください。まだ始めたばかりです!」


 サンドラが反射的に王弟殿下に口答えをした。


「往生際の悪い娘だ。召喚が成功するまでこうしているつもりか? 王族を欺いた罪は重いぞ」

「欺いてなんかいません!」

 


 開始からすでに一時間近く経過しているというのに、サンドラはこの無意味な儀式を止める気がなさそうだ。

 王弟殿下だけでなく、フレドリック殿下まで立会人にされてしまっては引くに引けないのかもしれないけれど、長引かせてもかえって自分の立場が悪くなるだけではないだろうか。

 何気なく私の斜め前方の椅子に座るフレドリック殿下に視線を向けると、あれほど愛していたはずのサンドラが目の前で追い詰められているというのに、彼は少しも庇おうとしていなかった。

 それどころか以前私に向けたのと同じように、忌々し気な表情を浮かべて彼女を罵ったのである。


「もうよい! 儀式は終わりだ! 叔父上の仰る通り、天使を召喚したというのは嘘だったのだな。そもそもお前は聖女などではなく、預言者だと名乗った怪しげな男と組んで我々を騙したのだろう!」

「酷いわフレドリック! 誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、周りの声に騙されないで!」


 サンドラは悲壮感を漂わせてフラフラと前へ出てくると、柵越しにかつての恋人を説得し始めた。


「天使を呼び出したのは私よ。今日は来てくれなかったけど、きっと私の為にってだけじゃ理由が弱かったんだと思うの。またどこかの村が困っている時に呼び出すから、それまで待って!」


 フレドリック殿下はサンドラの言葉を聞いて一瞬気持ちが揺らいだように見えた。しかし隣に立つアーロンに耳元で何かを囁かれると、冷めた視線だけをサンドラに向け、彼女の訴えを無視したのだった。

 そして王弟殿下は言い訳ばかりのサンドラを責め、さらに追い詰める。

 

「ほお、二週間かけてお前が思いついた言い訳はそれか? そんな理由で引き延ばせると思うな!」

「だって仕方ないじゃない! こんなに頼んでも天使が降りてこないって事は神様がそう判断したって事なんじゃないの? 私が悪いんじゃないわ!」


 サンドラは勢いよく拳を振り上げ感情のまま目の前の柵を叩いた。王弟殿下を睨みつけるサンドラからは少しずつ黒いモヤが出始めている。

 嫌な予感がした私は小声でイリナ様に話しかけた。


「イリナ様……サンドラの体から黒いモヤが出ています……」

「そのようですね。わたくしの経験上、彼女に触れられなければあの黒い霧に襲われる事はないと思うのですが、万が一があってはいけません。儀式は終了のようですし、立会人の方々にはここを離れていただきましょう」

「はい、急いだ方がいいですね。追い詰められたサンドラがいつも以上の力を出して王族を襲ったりしたら大変ですもの」

「ではラナさんはサンドラさんのもとへ行ってください。わたくしは皆様を安全にここから避難させます」


 そう言ってイリナ様は王弟殿下やフレドリック殿下の居る方へと歩き出し、大神官様と神官長に手話のような合図で何かを伝えた。

 どうやらお二人とも黒いモヤが見えているらしい。すぐに理解して王弟殿下とフレドリック殿下を上手に説得し、まだサンドラに対して物言いたげだった彼らを連れて移動を始めてくれた。

 サンドラを見ると、まるで墨のように真っ黒なモヤが全身からじんわりとにじみ出て体を覆い隠そうとしていた。

 私は小走りで拝殿の正面に向かい、柵越しに浄化を試みる。しかしいつもの黒いモヤとは何かが違うようで、ひとまず表面に出ているものだけでも浄化しようとしたけれど、濃度が濃すぎるのか上手くいかなかった。


「サンドラさん、サンドラさん!」


 サンドラは私の呼びかけに反応せず、ボーっと突っ立ったまま黙って黒い何かに覆われてしまったのだった。



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