145・秘密
「……え?」
何者なのかとは突然何を言い出すのだろう。私はキョトンとして首を傾げる。
「一体何を仰っているのですか? 私がエレイン・ノリスである事は今確認したではありませんか」
もちろんそんな事を質問しているのではない事くらいわかっている。
しかし彼が私の何を知っているのかはまだ不明だ。だからとりあえず、下手な事は言わずにとぼけてみた。
質問に対する答えが間違っているのだから、当然のことながらアーロンは不満そうな顔をしている。
エヴァンから宿屋のラナの話でも聞いて、それが私かどうか確認したいのだろうか。でも本人であるか確認したいだけなら、今の彼の緊張の仕方は普通ではない。
アーロンは視線を逸らし、落ち着かない様子で指を組んだ。
「私は、十日前にもここへ来ているのです。エレイン様はその日何があったか覚えていますか?」
「十日前……? それでしたら、私がここへ来た日です。サンドラさんが行方不明になったと大騒ぎしていました」
「では、あれはあなたが聖女を発見したところだったのですね……」
アーロン様は私とサンドラが倉庫から出るところを見ていたとでもいうのかしら? でもあの時はたしか、周りには私を探しにきた神官のイーヴォしか居なかったと思うけれど……? 私が気づかなかっただけ?
「アーロン様、質問の意図がわかりません。それがどうかしたのですか?」
アーロンは組んでいた指にきゅっと力を込めた。
「実はあの日、聖女の元へ面会に向かう途中、どこからかエレイン様の声が聞こえた気がして……倉庫の扉が少し開いていたので、その隙間から漏れ聞こえた会話を聞いてしまったのです」
「……!」
まさかあの時風で開いたと思っていた扉はアーロン様が……? でも、レヴィエントは気配を感じないと言っていたのに。
私が声をかけるまで間があったから、そのわずかな時間のうちにアーロン様は立ち去っていたのかしら。
「会話というと……私以外の声も聞こえたのですか?」
アーロンに霊力があるというなら別だが、レヴィエントの声は普通の人には聞こえないはず。
万が一聞こえていたとすれば、真っ先に妖精の存在について質問攻めにされていただろう。しかしそこに触れないという事は、まだ誤魔化せるチャンスはある。
「いえ。相手の声は小さかったのか、その時はエレイン様の声しか聞こえませんでした」
「そうですか……」
やはり彼にレヴィエントの声は聞こえていなかった。しかしホッとしたのも束の間。大変な事実を知るのはこの後だった。アーロンは私を見つめ、やや興奮気味に喋り続けた。
「なので私は、相手が誰なのか気になって中を覗いたのです。相手の姿は確認出来ませんでしたが……その時、エレイン様が鏡の中にサンドラの記憶が見えると仰っていたので、何が見えるのかその大きな姿見に注目しました」
「……!!」
確かに扉は半開きだった。しかし見られていたとは思わず、私は酷く動揺した。
「あれは何だったのですか? 大きな姿見には映るはずもないものが映り、次の瞬間には誰かの日常風景が矢のように早く頭の中を通り過ぎていきました。本当にあれがサンドラの記憶なのですか!? もうほとんど覚えていませんが、言葉にするのもはばかられるような、にわかには信じがたい内容が含まれていましたが……」
アーロンは青ざめ、混乱した様子で私に問いかけた。
「……アーロン様にもあれが見えたのですか?」
「はい。途中で酷い船酔いに似た症状が現れ、めまいがして鏡から視線が外れるまでは。ですからあれが何なのか、あの状況で平然としていたあなたが何者なのかを知りたいのです」
扉から鏡までは距離があったし、そこに何かが映っていても普通の人なら気にも留めないだろう。それを、離れた場所からでも頭にあの映像が流れるくらい鏡の中に集中しただなんて、とてつもない集中力である。
レヴィエントが私を心配していたけれど、それは精神的な疲労の事を言っていたのではなく、普通の人には身体が耐えられないほど強力な術だったのだ。
私は女神様からご加護をいただいていたおかげで平気だったのだろうが、もしもアーロンが無理をして記憶を覗き続けていたら、かなり危険だったのかもしれない。
いつも思うが、アーロンの観察眼や洞察力は本当に侮れない。今回、声だけで私だと判別されてしまったというのも驚きである。
タキとは別の理由で、アーロンの前ではどんな変装も無駄のようだ。
「エレイン様、本当はあなたが聖女なのではありませんか? 私はあの時、耐えられないほど気分が悪くなり、逃げるようにして神殿を後にしました。しかし回復を待って、その場であなたに話を聞けばよかったと後悔していたのです」
「アーロン様……」
どうしたらいいのかわからない。まさかこんな風に彼を巻き込むなんて考えもしなかったのだ。
きっと私に会う事も出来ず、自分の見たものは何だったのか、あれから一人で悶々と考え続けていたのだろう。
アーロンが定期的にサンドラの元を訪れていると知っていれば、別の方法を考えたかもしれないのに。
彼はどこからどこまで話を聞いていたのだろうか? 正直なところ、自分が何を言っていたのかなど正確には覚えていない。何か聞かれて困る事を言っていただろうか。
「私は聖女ではありません。預言された聖女は、間違いなくサンドラさんなのです」
私がそう言うと、アーロンは困惑した表情を浮かべた。
「私はそうは思えない。エレイン様はなぜそう言い切れるのです?」
「それは……知っているから、としか言いようがありません。サンドラさんの中には今、悪い何かが潜んでいます。ですから、誰かがそれを退治しなければならないのです」
アーロンは何かに思い当たった様子でハッとした表情を浮かべ、体を起こして背もたれにもたれかかった。
「……ああ、だから『浄化』か……」
どうやら一つ納得出来る答えが出たらしい。アーロンは少し落ち着きを取り戻した。
自分が見聞きしたものが何だったのか、ずっと確認したかったのだろう。確認したところで、また次の疑問が浮上してくると思うけれど。
アーロンは頭を抱え、懸命に情報をまとめようとしていた。
自分が見たサンドラの記憶と、立ち聞きした会話の一部、それと私の今の説明だけで、理解しようと努力しているのが伝わってくる。
「あの、アーロン様はどこまで私達の会話を聞いていたのですか?」
「エレイン様は人が来る前に浄化をすると仰っていました。聞いていたのはそこまでです。もしかすると、あの時の会話の相手は巫女ですか? あそこで密かに浄化の儀式を行おうとしていたとか?」
「えっと……」
最初に巫女の手伝いをしていると話していたせいで、思わぬ方向に話がまとめられてしまった。どう答えるべきか迷っていると、アーロンは素朴な疑問をぶつけてきた。
「初めて知りましたが、神殿には人の記憶を覗く事の出来る不思議な魔道具があったのですね。しかし、聖女に何かが憑りついているとわかっていながら、正式な手段で浄化の儀式を行わない理由は何なのですか?」
「アーロン様……この事を知っているのは神官長様と巫女のイリナ様だけです。下手に騒ぎ立てて周りの者達を混乱させたくないのです。アーロン様も、これ以上の詮索はおやめください。お願いいたします」
きっぱりとこれ以上干渉しないでほしいと伝えたつもりだが、アーロンは引き下がらなかった。
「エレイン様。私にも何かお手伝い出来る事はございませんか?」
「ですから……!」
「何か深い事情があるのでしょう。それはわかりました。あなたを困らせたくはありませんので、詮索するのはやめにします。しかし、傍観者でいるのはもう嫌なのです。何か、私だからこそ出来る事があるはずです」
こちらの事情は聴かずに、手を貸したいとアーロンは言う。何もしなくていいのに、彼は私に対し、何か負い目を感じているのだろうか。




