105・私のすべき事
騒ぎを聞きつけ、私達の周囲にはどんどん人が集まり始めた。
よく見れば、その中にはおじい様と一緒に食事をしていた常連さんが二人紛れていて、ヒソヒソと何か話をした後、険しい顔つきで一人がスイッと人だかりから外れて行くのが見えた。
あの方達が私に付けられた陰の護衛だとしたら、おじい様にこの事を伝えに行ったのだろう。
集まった人達は、皆私の顔を知る近所の人ばかりだった。
なので、私を心配して「ラナちゃん、大丈夫だったかい?」と口々に声をかけ、後ろ手に縛られて地面に蹲るパウリー子爵令息を睨みつけていた。
そして誰かが、この地域に常駐する警備兵を呼びに行ってくれたようで、たまたま近くを巡回していたのか、すぐに私達の元に若い警備兵が二人やってきた。
「女性が襲われたと聞いて来たのですが……。あ……もう、犯人を確保したのですね。よかった。それで、襲われたというのは誰ですか?」
兵の一人が、犯人を確保したフレッド様に向かって暢気に問いかけた。
するとフレッド様は、地面に落ちたストールとウィッグを乱暴に拾い、蹲るパウリー子爵令息の腕を掴んで無理矢理立たせ、呆れた様子で警備兵に突き出した。
警備兵はハッとして自分がすべき事を思い出し、持っていた縄でパウリー子爵令息の胴体を縛り上げ、逃げられないように自身の体と結びつけた。
「まったく……この地域は、犯罪も無く本当に平和なんだな。警備兵に緊張感が足りない。こんな事では民の安全を守れないぞ。被害者は宿木亭の女将だが、彼女の事は一旦帰してやってくれ。俺も一緒に居たから、襲われた当時の事なら俺が説明する。詳しい事は詰め所で話そう。ここは人が集まり過ぎだ」
フレッド様は警備兵にそう言った後、今度はシンに指示を出した。
「シン、女将を連れて帰れ。かわいそうに、人違いで殺されかけて、さぞ怖い思いをしただろう。勿論、女将からも事情を聞かなければならないが、今は良いから、休ませてやってくれ。俺が後で話を聞きに宿に行く」
フレッド様はそう言って、私をシンに託した。
シンはフレッド様に、パウリー子爵令息が食堂に現れたときの状況をタキから聞いたままに伝え、礼儀正しく頭を下げて私を連れて帰ろうとした。
「あ、あの! 私なら大丈夫です……けど」
私は確かに恐ろしい思いはしたけれど、パウリー子爵令息がなぜ私を殺そうとしたのか、その理由を知りたくて思わずそう申し出ていた。しかし、フレッド様は首を横に振り、シンに目配せをして、警備兵と一緒に行ってしまった。
去り際のフレッド様の表情はとても厳しく、周囲の目が無ければパウリー子爵令息を殺してしまうのではないかというくらい殺気立っていた。
フレッド様の居た場所には、彼が大事そうに抱えていた包みがポツンと置き去りにされていた。
パウリー子爵令息を縛り上げる時に、そこに置いたのだろう。私は彼が置き忘れていった重い包みを持って、シンと一緒に宿に戻る事にした。
集まった人達はサッと道をあけて、慰めの言葉をかけながら私達を見送ってくれたけれど、私は立ち止まって振り返り、殺人未遂などと言う物騒な事件で平和なこの地域を騒がせてしまった事を心から詫びた。
「皆さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。……食堂はいつも通り営業しますから、どうぞいらしてくださいね」
こんな事があった直後だというのに、食堂をあけると宣言した私の行動に驚き、シンは心配そうに私の顔を見た。
「おい、無理すんなって……オーナーが事件に巻き込まれた事は、すぐに広まる。だから今日は休みにしても、誰も文句は無いと思うぞ」
「ラナちゃん、シン君の言う通りだよ。こんな事があった日くらい、休業していいと思うよ」
常連さんの一人が、シンに同調して休んで良いと言ってくれた。
でも私は逆に、何も考えずに料理をする方が癒されるのだ。
フレッド様が取り調べを済ませて戻ってくるまでの間、部屋に篭って先ほどの恐怖を何度も思い返すくらいならば、皆が美味しそうに私の作った料理を食べている姿を眺めていたい。
「無理をしている訳ではないのよ。私はいつも、お客様が美味しそうに食事する姿を見て癒されているのだもの。だから、早く帰って仕込みを済ませなくちゃ。皆さん、心配してくださってありがとうございます。急ぎましょう、シン」
「あ……おう。そんじゃ、食堂は通常通り開けるって事で。皆にそう伝えてください」
シンは常連さん達に伝言を頼み、軽く頭を下げると、私の手を引き、宿に向かって歩き出した。
そして私が先ほど拾った物を見て、不思議そうな顔で質問してきた。
「オーナー、それ、何なんだ? 重そうだな、俺に貸せよ」
「ありがとう。フレッド様が持っていた物なのだけど、犯人を取り押さえた時に地面に置いて、そのまま忘れてしまったみたい。私への届け物だと言っていたと思うけれど、何かしら?」
私は大きさの割に重たいそれを、シンに手渡した。
「お、結構重いな。硬いし……食い物ではなさそうだ。今朝の野菜の皮むきだけじゃ、詫びには足りないと思ったのかもな?」
「あ……それでだったのね。平日だというのに、どうなさったのかと思ったけれど、忙しい合間を縫って来てくださったのね。私、イリナ様に助けを求めようと教会に向かう途中で、反対側から急いでうちの宿に向かっていたフレッド様とぶつかってしまったの。フレッド様が来てくれて、本当に助かったわ」
「そうだな。後でフレッド様が宿に顔を出したら、改めてお礼を言わなくちゃな。俺とタキが居ながら、こんな事になっちまって、すまなかった。俺達が部屋に駆けつけた時にはもう誰も居なくて、窓は全開になってるし、窓枠に靴跡が残ってるわで……マジでスゲー焦った。お前が無事でいてくれて本当に良かった……」
シンはそう言って、つなぐ手に力を込めた。
シンは何も悪くないというのに、自分を責めているようだ。
そして、私を見ていた時とは別人の様に、人を殺せそうなほど鋭い視線で、私達のずっと先を警備兵に連行されていくパウリー子爵令息を睨みつけていた。
「二人は何も悪くないでしょう? 今回の件で、責任を感じる事だけはやめてね。これは予測不能な事態だったのだから」
今回の件は、シンにもタキにも何の責任も無い事だし、もしも狭い室内で、魔法で攻撃なんかされてしまったら、私の巻き添えで二人に怪我を負わせていた可能性もあったのだ。
そう考えると、本当に怖い。
二人共魔法を使えるとは言っても、きちんと魔法について学んで訓練を積んだ貴族達とは、確実にレベルが違う。
実際にシンがどの程度魔法を使いこなせるのかは知らないけれど、魔法を使える人からの情報が欲しいと言っていたくらいなのだから、きっと、ちょっと氷を出したり火を使ったりの生活魔法程度の事しか出来ないのでしょう。
恐らく、ああいった捕り物に慣れているだろうフレッド様が冷静に対応してくれた事は、不幸中の幸いだったのではないかしら。
私は真剣に、早く女神の力を使いこなせるようにならなくてはいけないと強く感じた。今回のような件では、ドア越しにでも一度あの黒いモヤを祓えばよかったのだ。
それだけで、彼の殺気は抑えられたかもしれないのに。冷静さを失い、そんな単純なことも考えられなかった。
彼の他にも、私を探し出してまで何かしようという奇特な人は存在するのだろうか。
パウリー子爵令息の変装は近くでじっくり見なければ男性だと分からないほど完璧だった。
彼は女の子よりも腰が細く、とても華奢な体つきで、顔も可愛らしく、女の子のようだと入学当時からよく男子生徒にからかわれていた。
いじめと言うほどではなかったけれど、きっと彼は嫌な思いをしていたはずだ。
私は何度か、彼をからかう男子生徒を窘め、やめるように言ったけれど、私自身が彼らに蔑まれていたのだから、聞いてなどもらえるはずもなかった。
それが、サンドラとの出会いで何があったのか知らないけれど、パウリー子爵令息は急激に自信を持ち始め、聖女の取り巻きとなってからはその態度も堂々としたものに変わっていった。
彼が自信を持てるようになった事は、とても良い事だと思っていた。けれど、盲目的にサンドラを想うあまり、何かおかしな方向に思考が傾いてしまったのかもしれない。
フレッド様が宿に訪れたのは、食堂のラストオーダー間際だった。
その時間になっても食堂はビックリするほどお客様で溢れ、噂を聞きつけた常連さん達が、中に入れなくても良いからと言って、お見舞いの品として、お菓子や果物を持って来てくれたのだ。
フロントにいた私は皆の優しさに泣きそうになりながら、来てくれた事に丁寧にお礼を言って、たくさんの差し入れを受け取った。
そして私は、元同級生のジェラルド・パウリーが何を語ったのか気になりながらも、忙しい中、私の事でこんな時間まで働かせてしまったフレッド様の為に、この日最後の注文を聞いた。




