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102・おじい様、大好き

 私は気持ちが急いたけれど、その場では直接話しかける事はせず、おじい様が会計を済ませて帰ってしまう前に、昨日チーズタルトを差し入れしてくれたお爺さんを裏口から私の部屋に案内しておいてね、とチヨにお願いしておいた。

 チヨはちょっと不思議そうな顔をしたけれど、快くそれを引き受けてくれた。

 事情は、私の今の表情を見て察したらしい。

 絶縁も覚悟した身内が自分を思って来てくれたと思うと、自然と頬が緩んでしまっていた。


 午後からチヨが半休のこの日は、フロントと厨房を兼任する私にはあまり自由になる時間は無いけれど、それでもほんのひと時、おじい様と話をする事ができた。


「おじい様!」


 私は休憩時間に入るなり、自分の部屋へと急いで向かい、部屋にたくさん置かれた植物を見ながら待っていたおじい様に抱きついた。

 おじい様はそんな私に驚きつつも、骨ばった大きな体でしっかり受け止めてくれた。麻痺していたはずの足は力強く体を支え、よろける事も無く、きちんと治癒できている事を示していた。


「コホン……なんだ、部屋になど通して。私との関係性から、お前の素性がバレたらどうするつもりだ」


 おじい様は少し照れたように軽く咳払いして、戸惑いつつもいつもの調子で私に注意した。しかし顔を見上げれば、その表情はとても柔らかく、小さな頃の記憶と同じ、おじい様の深い愛情を感じることが出来た。


「おじい様、いつも差し入れをありがとうございます。私の好きな物、知っていたのですね」

「ふん、知らん。……偶然だろう」


 おじい様はフイッと視線を外し、照れ隠しに分かりやすい嘘を付いた。


「あ……座ってください。今、お茶を入れますから。おじい様、ほんの少し、お時間を下さい。私、お話ししたい事があるのです」


 私はおじい様に席についてもらい、ササッとお茶の用意を済ませた。忙しい合間を縫ってここに来てくれているのだから、時間を無駄には出来なかった。


「すみません、こんな物しかお出し出来なくて……」

「かまわん。で、話とは何だ?」


 おじい様は何かを感じ取ったのか、いつもの険しい表情で私に質問してきた。

 時間が無いのはお互い様。私は早速本題に入ることにした。


「……おじい様、私、どうしてもおじい様に謝りたくて、ここに来ていただきました」

「何を謝るというのだ? まさか……昨夜あの後、また何か面倒事にでも巻き込まれたか? ダリア嬢の身代わりだと気付かれたのか?」


 アーロンにはバレていたし、あの後面倒事には巻き込まれたけれど、そんな事は今はどうでも良かった。

 私は緊張しながらも、おじい様の目を見て心から謝罪の言葉を口にした。


「いいえ。おじい様、後遺症が残るほどの大怪我を負わせてしまって、申し訳ありませんでした。さらに私がその事を都合よく忘れて今まで過ごしてきた事、おじい様を誤解してきた事、すべてを謝りたいのです」


 おじい様は私の言葉を聞き、驚愕の表情で私を見た。


「……思い出してしまったのか? あの頃の事を? どこまで思い出した?」


 私と向かい合って座っていたおじい様は、前のめりになって私に質問してきた。私はそれに対し、先ほどの謝罪では不足していた言葉を付け足す。


「すべてです。私がウィルフレッド殿下と仲が良かった事、そして婚約に至り……それが公に発表される前に、殿下側の事情で白紙になってしまったのですよね……。一度は魔法で殿下に関する記憶を封じられましたが、魔法が解けて、私は癇癪を起こし大暴れしてしまいました」

「……!!」

「おじい様はその時、瀕死の重傷を負ったというのに……私は自分が怪我を負わせたという罪悪感に耐え切れずに、記憶を自ら封じました。ごめんなさい、おじい様。忘れてはいけなかったのに、こうして謝るまでに、十年もかかってしまいました……」


 私が謝罪の言葉を言い終えると、おじい様は大きく息を吐き、私の事を心配そうに見つめながら静かに話し始めた。


「忘れていれば良いものを……私に怪我を負わせたのはお前ではない。あれは事故だ」

「いえ、あれは私が……」


 私が反論しようとすると、おじい様はそれを目で制して、さらに言葉を続けた。


「私も、魔力を持たないはずのお前があそこまで強い力を秘めていたとは知らなかった。幼かったお前では制御しきれないものだっただろう。それが感情の高ぶりで暴走してしまっただけの事。それに、大人達が安易に婚約を認めたのも良くなかった。当時のウィルフレッド殿下は立場がかなり弱く、丁度その頃、毒殺されかけていてな。同じ事がお前に及ぶのを殿下は恐れていた」


 今現在の私は暗殺未遂の噂を聞いた事があったけれど、それはあくまで噂の範疇を出なかった。

 そんな事実は表に出ることは無く、王宮内でも極一部の人間だけで処理されてきたからだろう。

 当時はあのタイミングでウィルが被害に遭っていたなんて聞いていなかったし、おじい様は子供の私には事実をオブラートに包んだ状態で説明していたのだから、知る由も無かった。


 あの頃の私は、おじい様がどんな理由を並べようとも、仲の良かったウィルの気持ちが突然変わって、突き放されたとしか考えられなかった。

 婚約を白紙に戻すにしても、きちんと説明してほしかった。その時は落ち込むかもしれないけれど、それなりに納得できたかもしれないのに。

 私との婚約がウィルの足手まといになると言われれば、悲しんだとしても素直に聞き入れられたと思う。

 記憶を消して出会いからすべてを無かった事にされたのは、あの頃の私があまりに我が儘で天真爛漫だったが為に、何か仕出かすのではと余計な心配をさせてしまったからなのだろうか。

 

 記憶を消した理由は、私が悲しまないようにというウィルの気遣いだと聞かされたけれど、彼は私から自分の記憶を消して、それまでの楽しかった思い出まで選択の余地も与えず取り上げた。

 あの時はそれが許せなくて、感情が振り切れたのだった。


「お前は記憶を取り戻した今、もう一度殿下の側に行きたいと考えているのか?」

「えっ?」


 おじい様から思い掛けない言葉が飛び出し、私は目を瞬いた。

 そんな事は考えてもいなかったからだ。家を出た私に、ウィルとの再会は無いと自己完結していたのだから。

 

「それは……考えてもいませんでした。今の私は、子供の頃の想いがそのまま蘇った状態なのです。今の殿下に対して、同じ想いを持っているのかと聞かれたら……正直よくわかりません」


 私の言葉を聞いて、おじい様はあからさまにホッとした表情を見せた。

 夜会の時にも言われたけれど、おじい様は私に自由を与えてくれたのだ。そして私自身、今の生活を手放す気は毛頭無かった。

 おじい様は、婚約破棄されてしまった何の非も無い孫娘を、有無を言わさず修道院に入れるという無慈悲な判断を下した冷酷な祖父として自らが悪者となり、貴族社会のしがらみから私を解き放ってくれた。

 お父様とお母様も、それを知っていたから何も言わなかったのだと思う。

 半年前は気付けなかった事が、今ならわかる。

 理由はどうあれ、結果的に私は王子二人から婚約破棄されたという事だもの。もう王家とは関わらせたくないと思うのが親心だろう。


「そうか、ならば良い。もうお前を、あの王家のゴタゴタになど巻き込みたくはないからな。今のまま、この宿屋で好きな事をして暮らした方が良い。一時はお前の特殊な力を王家に守ってもらおうかとも考えたが……あの聖女の待遇を見て、考えは変わった。そもそも、私は聖女として生まれたのはお前だとばかり思っていた。幼かったお前は歌で植物を育み、魔法以外の力で怪我を治してみせた。予言された時期よりも力が目覚めるのは早かったが、間違いないと思っていたのだがな。本物の聖女がいるのだ、お前は静かに暮らせば良い」


 おじい様は優しく微笑み、一度大きく頷いた。

 やっとおじい様の本当の気持ちを知る事が出来た私は、いつの間にか涙を流していた。


「泣くな。事前に住むところも仕事もあったとはいえ、理不尽に家を追い出されて、不安もあっただろう。すまなかったな。私を相当恨んだのではないか?」

「いいえ……」


 即答で返すと、おじい様は私からの意外な返事に、驚いたように声をあげた。


「ほお……」

「すみません、実はちょっと喜んでました。おじい様が長年、時間をかけて私に嫌われようとしてくれたお陰で、気持ちの切り替えが思ったよりスムーズで……。薄情者と思われるかもしれませんが、わりとあっさり、平民としての生活に馴染む事ができました。後は充実した忙しい毎日に追われて、他の事を考えている暇も無くて……」

「ハッハッハッ、なんて令嬢らしからぬ馬鹿正直な答えだ。そうか、私が嫌われ者に回った甲斐があったのだな。お前が幸せなら、それで良い。お前の両親も心配しているが、会いたいのを我慢してここへは来ないと言っている。もし会いたくなったら、どこか王都から離れた別の場所で会うか、得意の変装をして屋敷に来なさい」


 なんと、両親もすでに私がここで暮らしている事を知っていたらしい。


「え? 屋敷に顔を出してもよろしいのですか? 私は勘当された身で……」

「それは表向きそうだが、家族は誰もそう思ってなどいない。その代わり、周囲の者達が誰も気付かないような変装をするのだぞ?」


 変装して家に帰るなんて、考えもしなかった。

 近付いてもいけないものだと思っていたのだから当然だ。まだ家を出て半年しか経っていないけれど、お父様、お母様、ルークお兄様、それにまだ小さな妹のエイミー、皆に会いたい。私の側仕え達も、何人かはそのまま残ってエイミーの側仕えとして働いているという。

 お兄様との手紙のやり取りで、家の内情は何となく知っているけれど、そこはもう、私の帰る場所では無い気がした。


「……やっぱり、行きません。エイミーはまだ理解できないでしょうし、きっと……宿に帰るとき、会いに行く前よりも、もっと寂しくなってしまいます」


 おじい様は席を立ち、私の方へ歩いてくると、上から包み込むようにふわりと優しく抱きしめてくれた。そしてゴツゴツとした節くれだった手が、不器用に頭を撫でた。


「私が判断を間違えたせいで、お前を苦しめてしまったな。お前の力を守らせるつもりだったフレドリック殿下との婚約は、完全に失敗だった。王弟殿下が推すだけのお方ならばと思ったが、アレはとんだ見込み違いだった。すまない事をした。ラナ、お前はどこで何をしようとも、私達の大事な家族だ。もしも、困った事があれば、私達を頼りなさい」


 ギュッと一瞬だけ抱く腕に力を込めた後、おじい様は立ち上がった。


「もう行くよ。お前も仕事があるだろう。そんな泣き顔では、客前には出られない。顔を洗って、化粧を直しなさい」

「あ……はい、おじい様、貴重なお時間をわけていただいて、ありがとうございました。また来てくださいね」

 

 おじい様はいつもの調子に戻っていた。今なら、この厳しさの裏に愛情が隠れているとわかる。

 私も立ち上がり、おじい様にハグをすると、おじい様は最後に思い掛けない言葉を残して帰っていった。


「ラナ、愛しているよ。見送りはいらん。ではな」

「え、あの、私も! おじい様、大好きです!」


 おじい様ははにかんで笑い、部屋を出ていった。

 そしてちょっとしてからドアがノックされ、シンが入ってきた。


「やっぱ、オーナーの爺さんだったんだな。孫娘をよろしく頼むって、俺とタキに声をかけて帰ってったぞ。……ん? なんだ、泣いてたのか?」


 シンは私の涙の痕を見て、心配そうに顔を覗き込んだ。私は崩れた化粧など見られたくなくて、シンの顔を手の平で覆い、グイーッと押し返すように自分から離す。


「っ……何だよ?」

「もう、デリカシーが無いわね。みっともないから見られたくないのよ。もう時間でしょう? 顔を洗って、お化粧を直したら、すぐに行くわ」

「ああ。えーっと……良かったな。爺さんと仲直り……出来たんだろ?」

「ええ……仲直り、とはちょっと違うかもしれないけれど。……それが気になって、様子を見に来たの?」


 シンは視線を逸らし、照れたように笑った。


「悪いかよ。じゃあ、先に下準備始めてるぞ」

「ふふ……ありがとう、シン」


 私はおじい様とシンが、とても似ているような気がした。もちろん、見た目の話ではなく、内面的なものが。 

  

 

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