表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
104/227

98・外れた心の蓋



 彼がなぜそうしたのか……その理由は、今の自分なら十分に理解できる。

 でも、我がままで幼かったあの頃の私には、それは簡単に受け入れられるものではなかった。


 レヴィエントの言っていた、「心の蓋」が閉じ込めていたものの正体は、感情の高ぶりで抑えきれずに暴走した女神の力と、自らの手で封印した幼すぎる恋心。

 鮮明に思い出された過去の記憶は、ノイズのかかった夢の景色をクリアな状態に戻してくれた。

 夢に出て来たのは、私の初恋の少年。


 ミルクティー色の髪に、青紫色の瞳の――


「ウィル……」


 私は、自分の耳にも微かにしか届かないほど小さくかすれた声で、彼の名を呟いた。


 私はこの場所で、ヒューバート様のお父様である王宮筆頭魔道師ギルモア様に記憶封じの魔法をかけられて、ウィルに関する記憶を封印されてしまったのだった。なのにそれは完璧ではなかったのか、女神の魂の影響なのか、魔法は数日で解けてしまった。

 そして未だウィルとの婚約が決まった幸福感に包まれたままの私に、おじい様は優しく、幼子をあやすように辛い現実を突きつけた。


 おじい様にしか言わなかったけれど、あの頃の私は、自分には魔力とは違う別の不思議な力がある事を自覚していた。

 そしてそれがどんなに素晴らしく便利な力であろうとも、コントロールできない力は暴力でしかない。婚約が白紙に戻り、もう彼には会えないと知った私は、喉が裂けそうなほど泣き叫び、力を放出させながら部屋がめちゃくちゃになるまで暴れ続けた。

 そんな状態の私を押さえ込もうとしたおじい様に、大怪我を負わせてしまったのは私。おじい様の足が麻痺したのは私のせいだった。

 そんな大事な事までも、私は都合よく忘れるように暗示をかけてしまったのだ。


 

「おい女将、どうした? 顔色が悪いぞ。額に脂汗が滲んで……もしかして具合が悪くなったのか?」


 突然目の前にウィルフレッド殿下にそっくりな顔が現れ、私は一瞬混乱し、本人が目の前にいると錯覚してしまった。

 当時のままのウィルに対する想いが溢れ出し、会いたかったという気持ちや、勝手に記憶を操作しようとした事への強い怒りなど、胸が苦しいほどに感情が入り乱れ、思い出さなければ良かったと後悔した。

 

 フレッド様はそんな私の表情を読んで、夜会会場を険しい顔で見つめる意味を勝手に解釈していた。


「ああ……そうか、すまない、平然としているように見えても、相当緊張していたのだな。あそこを離れてその緊張が解けたか……いくら女将に度胸があるといっても、さすがに無理をさせ過ぎた。もう帰ろう。送っていく……女将?」


 私はフレッド様に縋りつき、震える手で彼の胸を何度も叩いた。

 自分の意思とは関係なく湧き上がる感情に振り回され、目の前に居るのがウィルの影武者であるとわかっていても、その手は止まらなかった。


「俺が悪かった。気が済むまで叩いてくれ。もうこんな事は頼まないから」

 

 フレッド様は、私がダリアの代理をさせられたことを怒っていると勘違いし、黙って叩かれていた。

 そしてひとしきり叩き続けた私の手が止まった時、彼は私を包み込むようにふわりと抱きしめた。


「……落ち着いたか?」

 

 ハッとした私はそこでようやく我に返り、関係の無いフレッド様に失礼な事をしてしまったと反省した。


「あの……」

「うん?」

「申し訳ありません、私……なんて事を……」


 私がそう言って身を離そうとすると、フレッド様の腕に力が入り、ギュッと抱きしめられ、顔を胸に押し付ける形になってしまった。ジャケットを着ていない彼の薄いシャツ越しの体温が、直接私の頬に伝わってきた。

 当たり前の事かもしれないけれど、ほのかに香る香水の匂いは、あのパーティーの日に抱き上げられた時に嗅いだものと同じだった。


「どう……なさったのですか……?」


 フレッド様が何を考えているのか分からない。困惑しながらも、私は黙って彼の反応を待っていた。


「……髪から甘い香りがする……女将は髪を洗う時、何か特別な物を使っているのか?」


 質問の意図は分からなかったけれど、私は素直にそれに答えた。


「アルフォードで流行っている石鹸を……とても香りが良いものを取り寄せて使っています」

「そうか、アルフォードの……いい香りだ。……っすまない、不躾に女性の髪の香りを嗅ぐなど、恥ずべき行為だったな。俺の知る女性も、こんな香りがしていたのを思い出してしまったのだ」 

 

 私はそれを聞き、フレッド様も、幼馴染の少女の事が忘れられないのだと思った。


 フレッド様は抱きしめる腕を解いてそっと体を離し、切なげに私を見つめた。


「私も先ほど失礼な事をしてしまいましたから、お互い様ですわね。ふふ……」


 私がそう返すと、今にも愛の言葉を口にしそうなほど情熱的な視線を向けられ、私は金縛りにあったかのように、その青紫色の美しい瞳から目が離せなくなってしまった。

 

 それは誰に対して向けたものなのですか。

 私を通して幼馴染の少女を見ているのでしょうけれど、それをするには相手が悪すぎます。

 私もあなたの姿に、大好きだった人の面影を見ているのですから。

 あの頃の感情が蘇ってしまった今の私に、そのような表情を見せないでください……!


 そんな事を考えていると、私の背後から強めの風が吹き抜けた。

 

「駄目だ……この人を好きになってはいけない……」


 フレッド様は唇をほとんど動かさずに、独り言のように何かを呟いた。

 しかしそれは、ザザーッという草木の擦れる音にかき消され、私の耳には届かなかった。


「……すみません、よく聞こえませんでした。なにか?」


 フレッド様は寂しそうに笑い、首を横に振った。


「いや、もう行こう。夜会を抜け出した王子は、そのままダリアと過ごしたと思わせるのが目的だ。何人かは俺達が抜け出すところを見ていただろうし、もう向こうに戻る必要は無い。息の合ったダンスも披露したことだし、女将はこれで任務完了だ」

「そんな……それではダリア様の名誉を傷つける事に……」

「フッ、彼女はすでに変人と呼ばれている人だ、そんな事では揺るがないさ。それに、打ち合わせは済んでいる。だから女将が気にする事では無い。風邪を引く前に宿に戻ろう。あー、ダリアは戻って来るなと言っていたが、女将を着替えさせなくてはいけないな」


 フレッド様が手を上げると、どこからともなく従者のヴィレムがやって来た。さすがと言おうか、どこかで声がかかるのを待っていたようだ。


「ヴィレム、馬車を用意してくれ。彼女をホテルに送ってくる」 

「はい、承知しました」


 ヴィレムはそう返事をすると、スッとその場を離れた。

 私達は来た時に降りた会場の方ではなく、フレッド様達が普段出入りするのに使っているという場所へ向かい、そこから馬車に乗り込んだ。


「……あっ、ジャケット! お借りしたままでした」


 また借りたままになってはいけないと、私がジャケットを脱いで返そうとすると、フレッド様はそれを慌てて拒否した。


「いい! いいからまだ羽織っていてくれ。目のやり場に困ると言っただろう。一度ダリアの所に行く。そのドレス、メイドの助けが無くては脱ぐのは難しいだろう。ダリアとの面会は無理だと思うが、せめて着替えくらいさせてもらおう」


 フレッド様はとても面倒見の良い方のようだ。

 確かに私はドレスのまま宿に戻るわけにはいかず、どうしようかと考えていたけれど、最悪の場合、またこの馬車の中で着替えを済ませるという事態になるかもしれないと覚悟していたのだ。


「はい、ありがとうございます」


 それからすぐにダリアの泊まるホテルに到着すると、一足先にヴィレムがダリアの部屋まで走って行き、部屋を使わせてもらえるよう交渉してくれていた。

 メイドは快く部屋に通してくれて、私はそこで着替えを済ませた。メイドは慣れた手つきでスルスルとドレスの背中の紐を解き、あっという間にショーツ一枚の姿に剥かれた私は、もう一人のメイドが差し出してくれたいつもの服に身を包み、そこで初めてホッと一息つくことが出来た。

 ドレスを着る事には慣れていたはずなのに、今の自分にはただ窮屈なだけのものにしか感じられず、せっかくダリアがくれると言っていたけれど、持って帰る気にはなれなかった。


「これ、持って帰っても使う時は来ないと思いますので、お返しします」

「まあ、ではせめて、イヤリングだけでも……」


 私はそれも、首を横に振って辞退した。

 するとメイド二人は、まさかダイヤのイヤリングまで返されると思っていなかったのか、驚いて目を見合わせていた。


「すみません、身の丈に合わない物を持っていて、泥棒だと騒がれても困りますから。第一、うちの宿にはこれに相応しい保管場所もありませんもの。うふふ」

「はあ……勿体無い……でも確かに、こんな物を置いておくのは物騒かもしれませんね」


 居間で待っていたフレッド様は、いつもの私に戻った姿を見て微笑んだ。


「お待たせしました」

「はは、女将はやっぱりその格好が一番だな。では宿に帰ろう」


 私達がダリアのメイド達にお礼を言って帰ろうとした時、カチャリとダリアの篭っていた部屋のドアが開いて、彼女は顔を出した。


「ダリア、予定通りに実行してきたから、よろしく頼む」


 フレッド様の言葉を聞き、ダリアは何度か頷いて答えると、今度は私に視線を向けた。フレッド様が先に部屋を出てしまったので、一礼して出て行こうとしたその時、ダリアは眩しそうに目を細め、声を出さずに唇の動きだけで話し掛けてきた。

 

『エレイン、またいつか会いましょう』


 彼女はそれだけ伝えると、ニッコリ笑ってまた部屋に戻ってしまった。

 ここへ来た時に彼女がおかしな反応をしたとは思っていたけれど、同じ曾祖母を持つ者同士、彼女も霊力を持っていたに違いない。

 あれだけの事があったのだから、私に何があったのかくらい、親戚の耳には入っているだろうし、子供の頃アルフォードに行った時に、私を見た事があるのかもしれない。

 これは私の予想でしかないけれど、多分全てを知った上で、彼女は知らない振りをしてくれたのだ。

 私は彼女に感謝して、深々とお辞儀をして部屋を出た。


 


 記憶は戻り、一緒に蓋をされていた女神の力は解放された。これで、闇落ちした妖精を浄化する事もできるだろう。

 馬車の車内では、なるべくウィルの事を考えないように、これから自分がすべき事を考えるようにしていた。彼の事を考えたところで、公爵家を出た私にはもう、手の届かない存在なのだ。

 会いたいと思っても、もう会う事もできない。本当は、無断で記憶を消した事への文句を言って、ビンタの一つもお見舞いしたいところだけれど。


 宿までの帰り道、フレッド様は何度も私に視線を投げかけていたけれど、私が難しい顔をしていたせいか、結局何も話さずに、宿の近くで馬車は停車した。

 馬車の中でウィッグを被り、眼鏡をかけたフレッド様は、いつものマントで煌びやかな王子の正装を隠し、馬車を降りた。


「今夜はありがとう。この礼は、必ずさせてもらう。女将は今……その……いや、何でもない。今夜は俺も泊まっていくから、裏口から中に入れてくれるか?」

「勿論です。こちらへどうぞ」


 宿の裏口にまわると、ドアの前には心配そうな顔をしたシンが立っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ