可愛い妹と、憎めない幼馴染 (薫視点)
時系列がバラバラで申し訳ないですが、あのときの会話の裏話を書きました。
ちょっとだけ、透も出てきます。
「…で、あの後、誠とどうなったのか、ちゃんと説明してくれるわよね、葵?」
「……もうっ、わかったよ!」
少し意地悪な口調で目の前の可愛い妹にそう言うと、照れて少し頰を染めた葵は、しぶしぶながらも了承の返事をくれた。
少し前、葵のとんでもない勘違いを訂正してから、何の音沙汰もないことに耐えられず、珍しく定時で上がれた今日、葵の部屋を突撃訪問したのだ。
私、高坂 薫は、昔からこの二つ歳下の妹の葵が可愛くて仕方ない。
葵は幼い頃からとにかく私を慕ってくれていて、そんな私たちは側から見ても仲良し姉妹だったと自負している。
そんな私の可愛い妹は見た目に反して、少し鈍感で抜けている。
だから、そんな葵のことを守っていくのは姉の私の役目だとずっと思っていた。
(…それも、いよいよ全部、誠の役目になっちゃったのね。)
可愛い妹が、あの小生意気な幼馴染のものになってしまったことに寂しさを覚えながらも、私は葵からの言葉をじっと待っていた。
「…ちょ、ちょっと、お手洗い!」
照れが限界に達したのか、逃げるようにお手洗いへと向かう葵に、ふーっとため息をつく。
「…はいはい。早めにお願いね。」
きっと心の準備が出来るまではしばらくは帰ってこないことを予想しながら、私はひらひらと手を振る。
ついこの前まったく同じ心境に立たされた私には、実の姉妹に恋愛の報告をする気恥ずかしさが理解出来るので、そこは大目に見てあげて気長に待つことにした。
(…まぁ、誠だったらあの時みたいに、恥ずかしげもなく答えそうなものだけど。)
長い長い片想いがやっと実った誠にしてみたら、やっと公認の恋人になれたことを周りに触れ回りたいくらいだろう。
周りに隠す気は更々ない誠の気持ちも、まだ自分では気付いていない様子の葵の気持ちにも、誰よりも先に気付いたのは二人を一番近くで見ていた私だと思う。
最初に出会った時のことなど覚えていないくらい昔から、私たち姉妹のそばには誠がいるのが当たり前だった。
お互いの両親が意気投合したことも大きかったと思うけど、葵と誠が幼稚園に上がる頃には、すでに誠が葵への執着心を見せ始めていたことも一因である気がしてならない。
葵の周りの男たちを牽制するだけではなく、葵に慕われていた私のことすら恨みがましく見ていたこともあったくらいだ。
初めは幼かった私もその理由がよくわかっていなかったが、小学校に上がった頃にはあれが恋愛感情からくる『独占欲』なのだと気付いた。
高坂と佐伯の両親たちも二人が成長するにつれて、誠の葵至上主義にいかがなものかと頭を悩ませていた時期もあったが、葵の気持ちや誠の様々な努力の甲斐もあって、最終的には容認の方向に落ち着いたのだ。
誠が周りを完全に懐柔したのは、高校を卒業する頃だった。
難関の理学部への首席合格を勝ち取り、葵と同じ大学へ通うことを決めた誠に、何も言えなくなったというのが事実かもしれない。
二人の関係を変えるためには、後は、葵が自分の気持ちに気がつくのを待つだけとなっていた。
人の悪意に鈍い上に自己評価の低すぎる葵は、知らず知らず不本意な事態を招いてしまっていることが何度となくあった。
その度に、何より身を挺して守ってきたのは、誠に他ならない。
そのことは、私にもよくわかっていた。
少し悔しいけど、可愛い妹を守っていく力は、もう、私よりもあの幼馴染にあるということも…。
だからこそ、葵が誠への気持ちを自覚する前に、最後に私が姉として妹のために出来ることをしよう。
そうして迎えたのが、あの壮行会の夜だった。
――――――――――
食べすぎたのかソファで眠り始めた葵をよそに、私と母親たちはせっせと後片付けに勤しんでいた。
誠はすっかり泥酔してしまった様子のうちの父親を、寝室へと運ぶ手伝いをしていた。
一通り部屋がきれいになると、葵がまだ眠っていることを確認して、自宅へと帰ろうとしている佐伯一家の中から、誠だけを二階へと呼び出した。
「ねぇ、誠…一体、お父さんに何吹き込んだのよ?」
先ほど酒を煽りながら聞こえてきた愚痴は、どう考えても、娘を嫁に出す父親のそれと同じ類のものであった。
きっと誠がまた何かを仕掛けたに違いないと思った私は、事実確認をしておかなければと思ったのだ。
「いや、別に…。葵が了承したら同棲するからって言っただけ。」
「はぁっ!?」
「どうせどっちかの部屋で大半を過ごすことになるなら、一部屋無駄でしょ?」
さも当然かのようにさらっと言った誠は、本当に幼い頃から一切ぶれない。
相変わらずの横柄な態度に、私ははぁーっとため息をついた。
(やっぱり、きちんと確認しておいた方が良さそうだわ…。)
「…葵のこと、本気で好きなら、あの子が自分の気持ちに気付くまで強引な手を使ったりはしないわよね?」
「本気で好きだよ。諦めるつもりなんてないから。」
聞いたことのないような甘い声色で言った誠は、それとは反対に挑発的な微笑みを私に向けてきた。
私の質問に対しては明確な返事をしていないのに、その表情から誠の考えがだいたい読めてしまった。
これからは、葵を自分のものにするためならば手段を選ばないつもりだろう。
例え葵が誠への想いを自覚する前でも、その賢い頭を使って囲い込むつもりかもしれない。
(…でも、私がこれ以上何を言っても、誠は変えられないわね…。)
誠の意思を変えられるのは、この世で唯一、葵しかいないことがわかっている私は、意味のない議論をすることを早々に諦めた。
しかし、姉として、幼馴染として、二人のために言っておくべきことがまだあった。
「わかったわ。でも、お願いだから少し待ってほしい。だって…」
…二人には、ちゃんと想いを通わせて欲しいから。
そう続けようとしたところで、一階からガラリと扉が開く音がした。
もしかしたら、葵が目を覚ましたのかもしれないと思った私は、その続きを口にすることが出来なかった。
「…とにかく、もう少し待ってよ。」
(葵が自分で気が付くまで、あともう少しだと思うから…。)
念を押すように誠に視線で訴えると、聡い誠はそれを理解したのか、軽くため息をついた。
それを見て安心した私は、軽く手を振ると自分の部屋へ入って扉を閉めた。
(最後のあの様子なら大丈夫ね…。まぁ、誠だってここまで待ったんだから、焦って葵のためにならないようなことはしないはずだわ…。)
そんなことは初めから十分に分かっていたけど、親の監視がない場所で手に届く距離にいる二人に、万が一何かあってからでは取り返しがつかないことになると思ったのだ。
(…葵、早く気付いてあげなさいね…。)
葵のことが大切なのはわかりきったことだったけど、意外と私はあの憎めない幼馴染のことも大切に思っているようだ。
二人が幸せに過ごせる未来が、はやく訪れればいい。
春はもう、すぐそこまで来ているのだから。
――――――――――
ガチャッと鍵が開いて、扉が開く音が聞こえると、ふと我に帰る。
「遅い!…もう帰ろうかと思ったわ。はやく…」
「…あれ、薫さん来てたの?」
てっきり葵がお手洗いから出て来たものだとばかり思って話しかけたら、目の前に現れたのは久しぶりに会う幼馴染の姿だった。
「えっ、誠!!どうやって入ってきたのよ!?」
「これだけど。」
そう言って見せられたのは、銀色に輝く鍵だった。
「なっ、合鍵なんて持ってるの!?」
「俺のも渡してあるから。」
(同じ階に住んでいるくせに、合鍵まで交換してるなんてとんだ独占欲の塊ね…)
長いため息をつきながら、付き合い始めたことで誠の思うように転がされている葵が目に浮かんでしまった。
「…まぁ、まだ葵からちゃんと報告は受けてないけど、おめでとう、とだけ言っておくわね。」
「どうも。薫さんのせいで、若干こじれたみたいだけどね。」
「…相変わらず、可愛くないわね。」
そんな軽口を叩きながらも、いつもよりよく話す誠は上機嫌なのがわかった。
この無表情の裏では浮かれているのだろうと思った私は自然と口角が上がるのを感じていた。
「…で、葵は?」
「あそこから全然出てこないの。」
お手洗いの方を指し示すと、状況を察した様子の誠は、そちらに向かうとドア越しに何かを話しかけていた。
すると、一向に出て来なかった葵が焦ったように突然ドアから飛び出してきた。
「やっと出てきたわね。待ちくたびれたんだけど。」
「うっ、ごめん…。」
そう言いながら、葵はおずおずと私の前へと腰を掛けた。後から付いてきた誠は当たり前のようにその隣に座る。
「っていうか誠っ!その鍵、返してよ!」
「やだ。…今はその話関係ないでしょ。」
「えっ、同意もらってなかったのっ!?」
「一回渡しただけのつもりだったのに、返してくれないんだよ!」
「…それより、早く話進めたら?」
本題に戻すことで言い逃れた誠は、そのまま私たち姉妹の様子を伺っていた。
誠の登場により、さっきよりもさらに報告のハードルが上がってしまった葵は、顔を赤らめてモジモジしていた。
待てども待てども葵はなかなか口を開こうとはしない。
そんな葵に痺れを切らしたのは、私ではなく誠だった。
「…葵、さっき言ったこと実行してもいいの?」
「っ!?」
誠の一言に身体をビクッとさせて動揺した葵は、ブルブルと首を左右に振ると、私の方に向き直った。
私と視線が合うと、覚悟を決めたように息を吸って口を開いた。
「…その、お姉ちゃんには心配かけちゃったんだけど、あの後ちゃんと誠に気持ちを伝えて、お付き合いすることになりました!…その、いま、…幸せだよ。」
「……うん。」
待っていた言葉を葵の口からやっと聞けた私は、胸がいっぱいになってしまい、すぐに口から出てきたのはそれだけだった。
その代わりに、目の前の愛しい妹を思いっきり抱き締める。
「わっ、お姉ちゃんっ!」
「…良かったわね。葵、…本当におめでとう。」
「…うん、ありがとう。」
やっと出てきた祝福の言葉はありきたりなものだったけど、私の気持ちがちゃんと伝わったようで、葵もそっと腕を回してくれた。
(葵が、ちゃんと自分の気持ちに気が付いてくれて良かった…。)
私が一番の心配していたのは、葵が自分の気持ちに気が付く前に、我慢できなくなった誠に強引に迫られて、その気持ちに気が付かぬまま心を閉ざしてしまうことだった。
そうなってしまったら、もう二人に幸せな未来が訪れることはなかっただろう。
二人の想いが通じあったことが、ずっと近くで見守ってきた者として何より嬉しかった。
「…本当に良かったわ。」
しばらく仲良し姉妹で抱擁を交わしていたのだけど、突然ぐいっと何かによって葵を引き剥がされた。
「……そろそろ替わって欲しいんだけど。」
そう不満げな声をもらした誠は、背後から葵を抱き締めることにより、姉妹の感動的な抱擁を崩したのだった。
「ちょっ、誠っ!?」
焦った声を上げた葵は、恥ずかしいのかみるみるうちに頬が紅潮していく。
そんな葵を可愛くてしかたがないという表情で見つめる誠が視界に入り、私は二人に聞こえるように、はぁーーっと盛大なため息をついた。
「……聞きたいことは聞けたから、お邪魔な私はそろそろ帰るわね。」
そう言うと、鞄を掴んですくっと立ち上がる。
「えっ!もう帰っちゃうの?」
誠の腕から逃れようとしながら、葵はこのままにしないでくれと言わんばかりの視線でこちらを見つめてきた。
「付き合いたての恋人たちの邪魔をするような、無粋な神経は持ち合わせてないわ。」
「…薫さんは、話がわかるからありがたい。」
そうぼそっと呟いた誠は、私だけに見えるようにニヤリと口角を上げた。
「…じゃあまたね、末永くお幸せにね。」
葵はまだ諦めず私を引き留めようとしていたが、満面の笑顔でそう言い残すと、葵の部屋を後にした。
(…二人とも幸せそうで、何よりだわ。)
二人の幸せそうな姿を見れて嬉しくなった私は、とても晴れやかな気持ちで爽やかな夜風のなかを歩く。
軽やかな足取りで歩いていると、ポケットからバイブ音が聞こえてスマホを取り出す。
そこには、私だけの恋しい人の名前。
『もしもし、薫ちゃん?』
「透さん、仕事終わったの?」
『うん、いま片付いた。ご飯まだだったら、一緒にどうかなって思ったんだけど…』
「行くわ!」
先ほどの二人の幸せな雰囲気にあてられたのか、彼の声を聞いたら無性に会いたくなってしまった私は、食い気味に返事をしてしまった。
『…今日は素直で一段と可愛いね。』
「っ!?」
『すぐに、迎えに行くから待ってて。』
電話越しでも伝わる甘い声を聞いてしまって、自分の中の体温がみるみる上がっていくのを感じた。
待ち合わせ場所を決めて通話を切ると、さっきよりも更に軽い足取りで歩き出す。
(…私もあの二人のこと、とやかく言えないわねっ。)
恋しい人と一緒に過ごせることの幸せは、何にも代えがたいもの。
それを教えてもらえた私たちは姉妹は、とても幸運なのだ。
今年の春はきっと、私たちにとって特別なものになるのだろう。
そんなことを思いつつ、春の夜を感じながら待ち合わせ場所に向かった。
―END―
――――――――――――――――
薫が出ていってしまった音が聞こえると、葵は少し緩んだ誠の腕の中で、ぐるっと身体を回して口を開いた。
「すぐ出てこれば、お姉ちゃんの前では何もしないって言ったのにっ!」
「いや、これ以上引き延ばして俺との時間が減ったら、薫さんの前でも我慢しないから、って言っただけでしょ。」
そう言うと、誠は今度は向き合った体勢でぎゅっと葵の身体を抱き締めた。
「…いま幸せ、なんでしょ?」
先ほど薫に向かって言った言葉を確認するかのように、誠は葵に問い掛けた。
その声は、いつも以上に甘い響きを携えていて、珍しく誠の歓びの感情が読み取れた。
葵にとっては薫に報告するために口に出した言葉だったが、誠にとってはそれ以上の意味があったようだ。
その事がわかった葵は、姉の前で恥をかいて不満だった気持ちがどこかに吹き飛んで、目の前の恋人が愛しくて仕方なくなると、自分の腕を誠にまわして抱き締め返した。
珍しく抵抗しない葵に驚いたのか、誠はピクッと反応すると腕の力をさらに強めた。
「…誠と一緒にいれて、私はすごく幸せだよ。」
強く抱き締められた腕の中で葵がそう言うと、突然バッと腕の拘束が解かれたかと思ったら、性急に唇を奪われた。
息ができないほど激しく求められて、葵はくらくらするのを感じた。
葵の限界を感じ取ったのか、誠は口付けを止めるとまたぎゅっと力強く抱き締めて小さく呟く。
「…葵は、一体俺をどうしたいわけ…?」
いつものような余裕が感じられない声で誠の言った意味が、脳に酸素を送ることに必死な葵にはよくわからなかった。
「一生、離さないから…覚悟して。」
「っ!?」
まるでプロポーズのような言葉に動揺している葵をよそに、誠はまた口付けを再開させた。
そうして、恋人たちの春の夜はふけていった。
『合鍵』とは関わりはありませんが、少し前に短編『スミレ色の涙に口付けを』を投稿しました。もし、興味を持っていただけた方はお読みいただけたら嬉しいです。
スミレ色の涙に口付けを
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