67:とある道場の門弟
「お前、師範代になる気はないか?」
その言葉にベイパスは歓喜に打ち震えた。
場所はとある道場の一角、二人の男が向かい合って座っていた。
健康的に焼けた肌、緑の髪と頭頂部から生えた獣の耳が特徴的な少年の様な見た目の人物。
この道場の師範であり、魔王軍幹部の一人、“獅子師”リオウである。
そしてその対面に座るのは一人の無名の魔族。
同じく浅黒い肌に白い髪。肌を走る稲妻の様な黒い紋様。見た目は壮年の男だが、魔族である為それだけで年齢は断定しづらい。
彼の名はベイパス。
ベイパスは敬愛する師範からのその言葉に暫し返事も忘れてしまっていた。
師範代。それは師範の次席を表すと共に、その武道を極めし免許を意味する。
もう教える事はない、お前は全てを吸収したのだと、そう言われている気がしてならないベイパスだった。
そしてそれ以上の何かが認められたのだとベイパスは理解している。
実際の所、リオウが認めて師範代となった者は幾人か存在する。
それらは魔王国の各地に散り、新設されるリオウ派の道場を取り纏める事となる。
ベイパスは喜びとは別で、それに迷う。
約十年。ベイパスがこの道場で過ごした年月だ。兵役を先延ばしにし、いつしかリオウに認められることが最上の事へとなっていたベイパス。
特別師範代と言う地位に拘っていた訳ではない。
魔王国は義務徴兵ではない。魔王ラーに貢献する事が至上の喜びの様に感じる国民にとって、同調圧力の様な物あれど、特に戦いに向かない種族などは男であっても出兵しないのはさして珍しい事でもない。
ベイパスは先延ばしにしつつも、いずれは軍に勤めるつもりであった。
軍に入り、武功を上げ、魔王様に貢献する、という長年の夢を叶えるには師範代の地位は足枷に成りうる。
だがしかし、『師範代』。その言葉の響きを聞く度に、ベイパスにはある男の事がちらついて仕方なかった。
「謹んで、お受け致します」
故にこれは反感の意だ。あの男に対する。
師範代を勤めつつも兵役は熟せる、利点が無い訳でもない、しかし非合理な部分を丸め込んでしまうのは、やはり非合理な感情から来るものである。
〇
リオウにとって魔王軍との関わりは軽い物だ。
頼まれてるから用意された『師範』という地位を使い、思うまま弟子を招き、育て、輩出する。
そこに利権が無ければ利害も無く、故に相手の事情などを考慮する事も無い。自由にリオウは門弟と接する。
だからこれも、いやだからこそ許せない。
「お前、師範代になる気はないか?」
一部その言葉が聞こえた者は稽古を中断し、その方を凝視した。
絶え間なく修練の掛け声や物音響く道場であるが、局地的にしんっ……と静まり返った。
リオウからの師範代の勧誘は数年に一度ある。滅多にない事であるが、皆一度は自分が勧誘される妄想をするものである。
一時の話題を提供して止まないそのイベントではあるが、取り分け今回のそれは注目される理由があった。
「えぇ? わ、私が、ですか? いやぁ、とても勤まるとは思いませんが……。それに、まだまだ師範には程遠いですから」
そう謙遜する男。
赤い髪、赤い瞳。鍛えられた体の偉丈夫。
悪鬼の雰囲気があるが種族は不明の若い男。
普通ならその控え目な態度に好印象を抱くものだが、あからさまに顔を顰める者も居る。
何故か? 簡単な話だ。こうなってしまえばどんな態度でも悪く映る。つまりは、そいつは嫌われていた。
「いや、もうお前は十分俺から学び取った。あとは自分で昇華していくところまでお前は来ている」
「でしたらやはりまだ修行の期間が必要だと思うのですが……。というか、それって卒業という形で出ていく筈では?」
「まぁ、そうだな」
そう、その男の言葉は正しかった。
この道場の入れ替わりは激しい。基本五年程度で出ていく。兵役の次期が来るか、リオウが言ったように自分で武を磨く練度まで来た者には免許として卒業が言い渡される。
だが時折りその中でもリオウに選ばれた者は師範代の道が開くのだ。
その男が道場に入って約五年。師範代への勧誘が無かった為にその男は知らなかったのだ。
「だがそれは師範代を勤めながらでもできる筈だ。お前は真面目だし、何よりレベルも高いから舐められることも無いだろう。どうだ?」
「そう、ですね」
暫し思慮に耽る男。
男は軍に勤めるでもなく、この道場を完全なる自分の為に使っていた。
故に一部、いや割と嫌われていた。というより、浮いていたのだろう。
厳しい視線の理由は嫉妬からだろうが、師範代とう地位に就いて結果的に魔王軍に貢献するのであれば、その男を認める者も多かっただろう。
「大変光栄なお誘いですが、見送らせていただきます」
だが男は断った。
本当になんの見返りや恩返しも無く、ただただ道場を利用したように、我々には映ったのだ。
「む? そうか。残念だ。気が変わったら言ってくれ」
と、淡白に言って振り返り、手をひらひらと振って歩くリオウ。
それに男は礼をして見送る。
「あ、そうだ。一応は卒業を言い渡すが、まぁ分かる通り引き続きここで修練を積む者も居る。お前も好きにするといい。お前がここで時間を浪費するのはお勧めせんがな」
そう去り際にリオウは言った。
そしてその光景を見ていた者の一人が、当時門弟として七年目のベイパスであった。
〇
「何故あの男なのです!」
道場の事務室にて、ベイパスはつい感情的にリオウへと詰めた。
ベイパスは五年目に卒業を言い渡され、その後も修練を積む者の一人だ。
何故幾人かが居残っているかと言うと、師範代の地位を狙っているからである。
ベイパスにとって本当の免許は師範代の誘いが来た時だと考えていた。地位を狙っていた訳ではなく、単純な免許として見ていたのだ。
「ん? んなの簡単だ。強ぇからだよ」
それにベイパスは言葉に詰まった。
男が技術を磨く事に焦点を当てているだけで、本当は高いレベル持つ者だと薄々気づいていたからだ。
組み手稽古の時も何となく手加減をした様な動きをした時もある。
だがそれを自分はいずれ軍に入り、国と魔王様に貢献する身なのだという誇りが許さなかった。
ベイパスにとって男はずる賢い浮浪者に映っていたのだ。
「つ、強い……の、でしょうが、奴の技術はまだ粗削りです!」
「あ? 俺から見ればお前等全員そうだぞ?」
そう言われては反論のしようがないベイパスであった。
「師範代任せてる奴らもぶっちゃけ全員そうだ。だから俺の代わりになる様な奴は正直居ねぇさ。だが俺は強い奴を選んでる。俺の代わりになろうとせず、自分の力として取り入れ、それを昇華してしまう様な奴を、な」
「なっ。それでは流派にブレが生まれます! 枝分かれの様に分散してしまいます!」
「いいんだよそれで。つか俺も我流だぜ? 勝手に流派扱いされてるだけで」
そう面倒くさげに獣の耳を小指で掻くリオウ。
「それに俺の言う強さってのは単純にレベルの高い低いでもない。戦いで生き残る奴ってのは、結局最後まで諦めずに戦う奴だったりする。誇りを棄て意地汚く見えてもな。あいつはそいう言う事する奴だ」
自分の持つ誇りを認められた様にも、しかしそれで自分は選ばれなかった様にも思えて、ベイパスは複雑な気持ちになる。
同時に自分の持つ誇りや自信が根底から崩れていく感覚。
「分かりました……自分がいつか選ばれる様、精進致します」
「おう! 頑張れよ!」
深々と一礼するベイパスにリオウは屈託の無い笑顔で応じた。
最早技術は至ったレベルであり、お前の内面の問題だと言われたようなものであるベイパス。
これよりベイパスはいつの時代、どの種族、どんな人物であれど、最も厳しい修行へと打ち込む事となる。
つまりは、己と向き合うという行為に。
(アドラー、お前は俺が越えてみせる!)
その決意と共に。




