31:水銀の魔女の台頭
相手への敬意を込めて、アルラは魔力を集中させる。
このままではジリ貧になりそうだ。聖剣による斬撃のクールタイムも不明。魔法付いの女も聖女がついている以上いずれは目を覚ます。
こちらとしてはブローチが手に入れば目的は達成する訳だし、戦いに拘る必要はない。
制空権を得ている今、その利点を更なるものへと整える為の魔法。
「おぉっと。行儀の悪い子ね」
長ったらしい詠唱の途中、勇者が投げて来た鞘を避けて言葉を零す。
向こうも何かこちらが大技を繰り出そうとしているのを察している事だろう。
だがどうにもできまい。
そして魔法は完成する。
「『ハイエスト・サモン・ウォーター』」
膨大な量の水を召喚する大魔法。
ただでさえ凄まじい量の水を場に顕現させる魔法を、残り二つの魔法の枠を使って二重で行使する。
見上げた空中を埋め尽くす量の水。陰に飲まれる勇者達。回避どころの話ではない。
大きな泉がそのまま浮かんでいるかのような様に立ち尽くす。
重力に従い降下しだす水。
地面に激突するや水がぶつかった音とは思えぬ轟音と大量の水飛沫を上げる。
平地ながらまるで荒ぶる海へと化したその場。
アルラはごっそりと消費した魔力の感覚に満足感を覚えつつ、反動で息を切らしていた。
掛かった水飛沫に体を濡らし、降下してしまいた気持ちを堪える。
今は降下しようがないが。
いずれ水は流れ、足元15センチくらいまで浸って落ち着いた。
水の直撃した場所は土が抉れて沼地と化している。
大分流れた様だが、元々何もない平地だったので勇者達はすぐに見つかる。
アルラは息を落ち着かせつつ、その元へと向かう。
今の大魔法の行使で残り魔力は優に三割を切った。このまま空間魔法を使いつつ攻撃魔法を使う様な余裕はあまりない。
「はぁ、はぁ……クソッ、クソッ!」
三人は一塊で居た。咄嗟に勇者が二人を掴んだのだろう。
勇者は聖女に胸骨圧迫、人口呼吸を行っている。
もう一人の魔法使いの女は伸びたまま。どちらも急を要する状態だろう。
勇者は聖女を選んだ。誰だってそうする判断だろうが、それは一方を見捨てるという事。
子供には酷だろう。
「ゲホッ、ゲホッ! がッ!」
と、水を吐き出して息の還る聖女。
勇者はすぐさま魔法使いの女にも同じ処置をする。
「もうその状態じゃ蘇生は無理よ」
「うるせぇ!」
アルラの言葉に構わず胸骨圧迫を続ける勇者。
「あなたが招いた惨状よ。っていうか、敵を前に悠長に心肺蘇生ってどうなのよ。私が優し~ぃから見逃してる状態なのよ?」
勇者は手を動かしつつアルラを睨みつけた。
しかし何もできない。
勇者は自分の体を動かすのもやっとであった。
「これが……欲しいんでしょう? あげますよ!」
聖女は首元の留め具になっていたブローチを取ると放り投げた。
弱った子供の体で投げたそれは数メートルくらいの距離でポチャンと水に沈んだ。
「そうそう。別にあなた達の生死に興味ないし」
浮遊しながらブローチを拾うアルラ。
確かに感じる強力な魔力。それに神聖な力。
「ゲホッ、ゲボッ! オぅエ゛! カハッ!」
と、漸くお目覚めの様子の魔法使いの女。
「あらまぁ……本当に蘇生するとは」
感心するアルラ。
勇者が自慢げな顔の一つでも見せるかと思ったが、とうに限界は来ていたようで地面に手を突く。
「まぁ、いいや。帰ろっと」
「待て」
と、空中で踵を返そうとしたアルラに勇者が言った。
「逃げるな」
「……言うに事欠いて逃げる? 見逃してもらうのはあなたでしょう?」
「あんな大魔法を使った後だ……。もう魔力は無い筈だ」
「そういうの、希望的観測っていうのよ。ちょっとあなたは身勝手過ぎね」
(まぁ、確かにここに来るまでに一割以上減った状態で始まったのもあるし、いろいろな攻撃魔法や防御魔法で二割、水の召喚で五割近く、残りは二割って所だけど)
そう思うアルラ。
しかし例え二割だろうとそこらの上級魔法使いに張るくらいの魔力は残っている。
相手を侮り過ぎだ。
「『アンチ・テレポート・フィールド』」
と、その時魔法使いの女が魔法を行使した。
転移魔法の使用を不可能にする領域を展開する。
魔王城では結界として応用のされている魔法だ。
個人で行うには燃費が悪く、行使も難しくてなかなかマニアック、良く言えば専門的な魔法だ。
「凄い魔法領域ね……。ま、出ればいいだけだし」
そう言ってアルラは高度を上げた。ある程度上げて領域を出れば転移を行えばいい。
それを見上げている魔法使いの女。
思えば、それはタイミングを見計らっていたのである。
「『アンチ・フロート・フィールド』」
同時に行使された飛行を禁ずる魔法。
領域から出る為に高度を上げ続けていたアルラは唐突に自身を押し上げる力を失った。
(え? ちょ、ちょっ! なんかヤバいんですけど!?)
重力に従って自由落下を始めるアルラ。
元々高所に居た訳だが、それはアルラにとって地面と変わらなかった。
だが今は違う。自分を支える力が無い。本当に空中へと放り出された状態。
足元が崩れるのとは違う。これに準ずる比喩表現は最早不可能の様な、アルラにしか分からない感覚だ。
「ひぃぐぃっ」
声にならない悲鳴を零す。顔を引きつらせてただ地面を凝視する。
高度30メートルを超える位置からの自由落下。あっという間に目が乾く。
地面では落下地点に向けて勇者が駆け出した。
ただでさえ地面と激突すればただでは済まない。その高度は瞬く間に半分を切った。
――が、その時は来なかった……
何か、誰かが受け止めた感触。
アルラはその自分を抱きかかえる存在に目を向けた。
「せ、先生」
つい、昔に呼び名に変わっていた。
そこにはアルラの師、アウラが居た。
「アルラ……無事?」
そういつもとは違う至近距離で見つめられ、アルラは顔を伏せた。
だがそれは恥じたからではない。不甲斐なさからだ。
あれだけの啖呵を切っておいてのこの状態。アウラが受け止めてくれなければ身の危険があったのは間違いがない。
アルラは悔しさに涙を滲ませた。
「な、何故……浮いているんだ」
魔法使いの女が呆然と呟く。
女の言う通りアウラはアンチ・フロート・フィールドなど関係ないように浮かんでいた。
そもそも唐突に表れたのも明らかに空間転移によるもの。
「まぁ、抵抗したから? さすがに最初は弾かれたけど」
そう律儀に答えたアウラの言葉に、女は相手が規格外の存在だと理解する。
いや、理解のできない相手だと、理解をしたのだ。
維持の難しい二つの魔法を解除し、アルラ一人でも浮かぶ事が叶うようになったが、変わらずアルラはアウラの腕の中で伏せていた。
「な、なんだお前は! お、お前も魔王軍なのか!」
と、勇者は言いながら聖剣を持つ手が力み、自身が緊張の最中であると理解した。
その一声ばかりは蛮勇ではなく、勇気ある事と言えただろう。
相手が途方も無く力量差のある存在だと、この場の誰もが肌で感じる。
「魔王軍……? に、なるのかしらねぇ?」
アウラは顔を伏せるアルラをちらりと見た。
アルラ達との会話で魔王軍を名乗っていたのかもしれないと考えるアウラ。
それにこの状況、魔王軍のせいにできるかもと言う悪い考えも過る。
だが自分らの覚えは良くしておきたいと思うアウラ。
「これがブローチね。……これ、専属武具ね。『聖杯の加護』持った人じゃないと真価を発揮しないみたい」
アウラはアルラのブローチを持つ手を包んで呟いた。
「返すけど、いい?」
優しく語りかけるアウラにアルラはこくりと頷いた。
「これ、返すわ。迷惑かけたわね」
「わっ!」
慌てて投げられたそれを受け取る聖女。
「一方的に迷惑かけた感じでしょうけど……見逃してもらえると助かるわ」
それには誰も返事ができないでいた。
最早勇者ですら見逃してもらう立場は自分たちだと理解しているから。
「この恩は忘れないわ」
「ま、待て! せ、せめて名を名乗れ!」
勇ましくも声を張る勇者。
アウラは少し迷ったが勇者を見下ろして言った。
「――魔王軍幹部が一人。水銀の魔女、アウラよ……」
〇
途方も無く大きな存在感の魔女が転移で消えた後、嵐の後の静けさが満ちたかの様に三人は呆然としていた。
「水銀の魔女……アウラ」
そう勇者は一人呟いた。
〇
二人の魔女はアトリエに戻り、アウラはアルラを慎重に降ろした。
「アルラ、平気?」
目立った外傷が無いのは分かっているが、アウラは色んな意味でそう問いかけた。
そのまま立っているが、顔を伏せたままのアルラはアウラの胸に顔を埋めた。
「ぐっ……ううぅ、うっ……うぅ~、ふっ。ずーっ」
そのまま肩を揺らし、息をひくつかせて泣くアルラ。
緊張が解けた反動でそれを抑えられない。
「よしよし。怖かったわね」
アウラはアルラの頭を優しく撫でた。
「課題は沢山ね」
そう、全てを見透かしたように言うアウラ。
殺す機会ならいくらでもあった筈だが、そうはならなかった。
それは優しさや甘さ以前に覚悟の有無であろう。魔法使いの女が息を吹き返した時も、安堵する自分にアルラは気付いていた。
とは言え、初めての対人戦闘で得た物も大きい。
その後今回の戦闘を糧に、アルラが成長をしていくのは別の話である。




