四分の三恋人3
私の欠点、素直ではなくて天邪鬼なところを三人に怒られてしまった。投げつけた手拭いをイオから回収したらニヤッと上から目線みたいに笑われたのは、たぶん手拭いの柄が例のキツネ柄だから。片想いの時のイオと相愛だと理解したイオの態度が前と少し違う!
「ミユは特別だから他にもある。それはあとで。家に帰ったら母に三日後に結納って言われて、両家顔合わせの後はミユの歓迎会って聞いた。ヤァドに確認したらチエさんとスズさんも誘っているって聞いたけど二人とも顔を出せますか?」
「その話を今日聞いて了承して、こうしてチエさんを誘いにきたところです。チエさんはお嬢さんなので親に確認しないと返事を出来ないと思います」
「ええ。親に確認します。全く顔を出さないことはないと思います」
このままだとチエの相談事が流れていってしまうと気がついて、私は彼女に耳打ちして確認したら「顔が広そうなので似た話がないか、どう思うかイオさんに聞いてみます」という返事で説明して欲しいと頼まれたので代弁。
「それって何の問題があるの? 手紙が気になるからつい見に行って、もっと気になったから同時にお見合いしたいです。それで良くない? 並べたら選べますよね?」
「いえあの、お世話になっている商家との縁談は断り辛いです」
チエが困惑したように私もこんなにあっさり言われて戸惑う。
「商家の方は断ったら家ごと潰したり縁を切る勢いなんですか? 今時ないと思いますけど。華族や名家ならともかく。そんな店、奉公人も客も逃げて潰れます」
「父の仕事やお弟子さんにお兄さんの立場があります」
「腕があるなら他の商家が欲しがるから、そんな押し付け婚みたいな方法を取ったら相手は大損ですよ。話し合って乗り気か聞いてくれますし、断っても立場は悪くならないはずです。そうなったら、縁談拒否を理由にこの家と縁を切りたいとかだから、チエさんとは別の話です」
「そうだと良いのですが……。そうですね。渋って家ごと切り捨てられるのならそれはもう家同士の問題です」
「そうそう。お前のせいだみたいに、もしも娘の気持ちよりも自分達の仕事! って家族ならその時は逃げたらどうですか?」
「そうは言わないと思いますし、逃げるなんてそのような場所はありません」
「大丈夫、大丈夫。ハ組ばっかりの町内会で女性だけの家に住んで子ども達に先生や安く手習いをしてくれたら食いっぱぐれないです。俺とミユの近所かいっそ居候。もう大人で教養もあるから逃げるなんて簡単ですよ」
開いた口が塞がらないとはこのことである。逃げ道を用意して同時並行の両天秤にしてしまえ、という回答なんて私にはない発想だったしチエやスズもだろう。
「素直に謝って両天秤にして選びたいです、でええと思います。他にも話が来るだろうから選んで選ばれたら後悔しても自分のせい。ある程度自分に正直に生きないと後でしっぺ返しがきますよ」
「私達とは違う視点で話してくださり考える材料が増えました。まず親に正直に話します。ありがとうございます」
正直に話す、というとても簡単なようで難しい事を私もスズも言えなかったし、今チエの顔が明るいからこれはとても感謝。
「いえいえ。そういえばチエさんの家って彫り物師で職人かつ講師なんですよね? 幼馴染の大工がお父上の作品集があれば欲しいって言うていました。大きくないものなら見本も。正確には親方さんからの頼み事です。あと講師料も知りたいそうです」
「父に仕事の依頼ですか?」
「こだわり派の芸術家と喧嘩したらしくて、客の要望にある程度応えてくれる人を探しているんです。むしろある程度彫り物を弟子に覚えさせたいそうです。それで、そういえばチエさんの家はそういう家だって聞いたからええかなと」
「いつ平家落ちしてもおかしくない小さな豪家なので仕事の依頼は助かります。父や兄に伝えます。作品集や見本……少々お待ち下さい」
そう告げるとチエは居間から去って私達は三人になった。
「ミユ、チエさんって惚れっぽいの?」
「いえ。そんなことはないです。たまに親公認で文通をしていましたけどいつも一対一で、相手がコロコロ変わったこともありません」
「それなら逞しい頼りがいのある男がええってこと。商家の息子も頼れると思うけどなぁ。でも格上に嫁ぐと気疲れしそう。この家に同居ならまだ楽というかお互い様? なんにせよ、周りにどんどん相談した方がええ」
「相談して良かったです。まさか家出する時はこう助けますよなんて話をされるとは思いませんでした」
「三人揃ってどうしようって顔をして箱入りちゃんって感じ。あと家族想いだね。隠し事や嘘はロクなことにならないし箱入りちゃんは視野が狭め。火消し以外と縁が薄い、ある意味箱入りの花組も変なことがあって時々噂を耳にする」
スズが私の顔を見て「助けてくれた時もでしたが、ふざけていたり変なところもあるけど頼りになりまくりですね」と笑った。
「ええ。八才から働いているような方々ですからね」
「まぁね。仕事の斡旋は兵官の仕事だけど俺らも手伝うから任せとけ。俺ら平家に近いってことは色々選択肢があるし、火消しの長所は顔の広さと仕入れている情報の多さだから」
「親戚に一人は火消しがいると良いというのはこういうところもなのですね。親戚でなくても親しい友人の旦那さんになるから助かります」
「ミユと喧嘩したり悪さをしなければ頼って下さい」
「スズさんには昔からお世話になっていて仲良くしてくれています」
「そもそも今の縁談って家同士じゃなくて、単に向こうの息子がチエさんに惚れてるとかじゃないのかなぁ? 家同士って言う方が確率が上がるって考えたのかも」
「確率ですか?」とチエが質問。
「コソコソ見ていて前から好きでした! デートして下さい! よりも家同士仲良くしたいからお出掛けしませんか? 仲が深まると両家繁栄です、だとどっちが気楽ですか? 誰にも惚れてないとして。まずミユ」
「えっと、気楽なのは後者ですね。恥ずかしさも違います」
「スズさん」
「私は前半の方が良いです。嬉しい気がします。好みの方なら有頂天です」
「この規模の家で政略結婚はあんまり聞かないから多分向こうの家か息子の戦略だと思います。人それぞれだから、相手の戦略がチエさんににハマるかハマらないかで縁のあるなしがありそうですね」
この後、イオはチエから書物と風呂敷包みを預かり、チエとスズに促されたので私は久しぶりのイオと二人で出掛けることにした。
行き先は寺子屋と病院。上地区本部周辺の景色の浮絵を買ってきたからそれを差し入れしたいからと誘われたので二つ返事で了承。先にお昼を食べようと誘われて良いお店があると言うので任せたら敷居が高そうな小料理屋だった。
「こういうところは全然来ないから同僚に教わった。昼は決まっている料理が三種類だけ。次のデートはここって思っていたけど誘ってもらえないから今日まで来た」
「誘って欲しかったということですか?」
「そっ。イオさんとデートしたいのって待っていたというか、少しくらい気があるのか確認したかったけど、もう必要ないから俺がバンバン誘う。贅沢はたまにしかしないよ」
誕生日を祝って欲しいと言わなかったのと同じような理由ということだろう。お店に入ると開店直後だから空いててすんなり案内された。イオが「個室で」と頼んだので個室だから多分追加料金がかかりそう。
お品書きを見て金額に気後れして、一番安い一式料理にしたらイオも同じだったけど彼はお酒を注文。
「肉を食えたのはええけど、野宿続きだったから今日の俺は散財する。肉もたまにはええけど毎日は嫌だ。やっぱり魚介類だ魚介類」
肉は力仕事の人優先か高級品でそこらで売っていないので私は一度も食べたことがなくて、なぜ魚なら平気なのか分からないけど、街をたまに歩いている馬など、ああいう生き物を今のところ食べたいと思わない。龍神王様もそう教えているし海と川に畑から恵みが沢山だ。
「野宿だったのですか?」
「そう。山ごもりで野宿。熊と組手の噂は嘘だったけど追払い訓練はあって怖いし、滝修行は痛かった。南西農村区へ行くならそっち集合でええのに、わざわざ上地区本部まで行って、すぐ出発。親父になんかやり返したい」
「熊の追払いも仕事なんですね」
「そっ。野獣の追い払いや狩りは兵官と火消しの共同作業。ハ組はネズミや蛇退治とかばっかりだけど。蜂は特殊斑がいるけど後方支援はする。二週間、変わったことは無かった?」
その辺りの仕事も火消しとは把握していなかった。
何かあったので、兵官事務官が結婚お申込みに来て現在は諦めたというか他の女性に逸れ始めたこと、初のお申し込みもあって彼も諦めたこと、コンに付きまとわれて去っていった事を伝えた。
「他の二人はええけど、コンは殴り込んでやる。なんなんだあいつは」
「喧嘩を売るのですか? また絡まれるからやめて欲しいです」
「そうだ。触らぬ副神様に祟りなしだった。無視しとこう」
お酒と共に一段のお重料理と腕ものとお酒が運ばれて来たらイオは私の隣に移動してきた。
「問題です。なぜ有料なのに個室にしたのでしょうか?」
「……。こ、ここはそういうお店ではありませんよ」
「いや、個室だから多少許される。覚悟しといてって言うてあったよな? お酒を飲んだ後だと酒のせいだって言われるから先にする」
私が座ったままジリジリ後退したらイオは逆にじわしわ追いかけてきた。なんか、イオが前よりも強気になった気がする。
「まだ婚約前なので……」
「だから四分の三分にする。立って逃げないってことは期待。今くらいの逃げは照れってこと。嫌ならいつものように反論しなさい」
指摘通りなのと背中に壁がぶつかったので私は俯いて自分の手を握って指を少し弄った。
名前を呼ばれたと思ったらそうっと抱きしめられて、私の顔は横向きになっていてイオの胸元に耳がくっついているから彼の鼓動が良く聞こえる。
「イオさんの胸、かなりドキドキ鳴っています」
「思ったよりも緊張が凄いからかな。んー、ええ匂い。俺が贈ったやつだ。疲れ果ててたから癒される」
着物越しでも腕が太いとか力がありそうだと分かるから、こんなの相手の意志がないと絶対に逃げられなそう。改めて、教わってきているように気のない相手とはどんな理由でも個室で二人にはならないし近寄らないと決意。
「二週間以上あったから、俺への小さなお願い事は思いついた? まず一つ目をどうぞ」
「……。い、今されているので一つ消えてしまいました」
「おお。それは得したな。三つ考えたはずだからまだ二つあるはず。一つ目をどうぞ」
「小さくない気がしますが、お月見も子ども達としませんか?」
「それは頼まれなくてもしそうなことだから小さなお願い事としては却下」
「……あの。結納が早まりましたね」
「遅くしたいって事? 別にええよ。破談じゃなきゃなんでもええ」
「そうではなくて、あの。婚約者なら夜遊びをし易そうです」
平家お嬢さんに世間体がー、とかはなくて結納したらもう祝言が早まろうがなんだろうが特にだ。私の親が既にそんな感じなのもある。
「俺と夜遊びしたいの?」
「……毎年、今月末に花火大会がありますよね?」
「うわぁ。それ、若手は仕事。特に俺は今年は当番だから一日中仕事」
小さな頼み事のはずなのに、いざ頼んでみると結構難しい。
「彩り繁華街は? 遠いから帰るのも遅くなる」
「滅多に行かないから行きたいです」
歩いて二時間くらいかかるけど、彩り繁華街は目移りするものばかりで見るだけで楽しい場所だから、そこでデートとは、これは絶対にチエに袴を借りたいしチエが使う予定だったら、奮発して呉服屋で借りたい。
「なんと、実は下調べしてあります」
「花火大会も迷いましたが、お出掛け、しかも遠出は大きな頼み事な気がします」
「ミユの頼みだと俺にとっては大体ありんこみたいなものだから平気、平気。デートしてってご褒美だから。次は二つ目」
「あっ。今、思いつきました。ほら、茶屋でネビーさんと一緒だったみたいな格好をお願いします。足元は足袋を履いて下駄。小さい頼み事なので彩り繁華街へ行く日だけ」
「……あの格好つけた良家の子息風は効果あったの?」
「……ええ。あと一つのお願いは……イオさんに頼み事をされたいにします」
これは我ながら良い考え。多分私が嬉しくなる何かを頼まれる気がする。
「ん? そう言って俺に何をされたいの?」
「……。色々予約されているんだコン……」
ふざけないと恥ずかしさで変になりそうなのでキツネの手で彼の肩をつついてみた。
「俺に惚れているからかわゆいなんて別に無かったけど、ミユはめちゃくちゃかわゆい。君はなぜそんなにかわゆい生き物なんだ。卑怯だぞ。もう、耐えられないと思っていたんだ」
体が離れたと思ったら、向こうを向いてと言われて戸惑いながら背中を向けて正座してみた。
(き、きっすは恥ずかしいけど、覚悟しといてって言っていたからそうだと思ったら違うの。何?)
「帯は邪魔だから前で」
「えっ?」
衝撃的なことにイオの手で半幅帯の帯結びが前に移動するまでの時間はかなり早かった。それであっと思ったら後ろから抱きしめられて頬にキスされて唖然。
片手は帯のところだけど右手は取られていじられているし、耳元で「ミユ、会いたかった」と囁かれてまた頬にキスが来たので羞恥は限界突破。
「んっ。あの……」
首の後ろにもキスがきて恥ずかしいし、くすぐったくて身を捩る。
(前回も思ったけど慣れてる。慣れまくり。私はなすがまま……)
嬉しいしときめきも凄いけど似た事をするする繰り返されるから、この人はやっぱり慣れてるという気持ちがどんどん大きくなって、破廉恥、ふしだら、嫌い、腹が立つみたいな感想ではなくて誰かがこの位置で似たような事をされていたという考えが頭の中を占拠して急に悲しくなってきた。
おまけに雰囲気が怖いというか、彼が知らない人みたいでどんどん戸惑いが強くなっていく。
「やだ……」と自然と小さな声が漏れた。
「すみませんでした! あれこれかわゆいから調子に乗りました!」
即座に離れたので振り返ったらイオはあぐらだけど土下座の勢いで頭を下げている。
「いえあの、慣れてて……それがちょっと嫌なだけで、された事がどうのではないです」
「慣れてないから! こんなことしたら惚れられてると勘違いされるからしてきてない。そんな面倒事は避けてきた。付きまといや女の恨みは怖い。慣れてるんじゃなくてミユのかわゆさに理性がぶち壊れただけ」
その主張は少し受け入れられるというか嘘はない気がする。
「でも慣れてます。私は固まって何も出来ません」
「こっちは男だからか、それとも俺だからか、単に興奮して襲うの図。慣れてるって、そもそもこの手を見てそう言う?」
イオに両手を差し出されて見たら小刻みに震えていた。
「まぁ……。気がついていませんでした」
「予約したのに、めちゃくちゃ楽しみにして脳内練習しまくりだったのに無理。顔がまともに見られないから後ろから。うなじに魅力されたのもあるけど。慣れてるどころか次に行けないから今、練習してた」
「……」
「考えたら初って一生に一度な訳だから、ここはイマイチだなと思って、しかもこんな緊張が酷いと失敗しそう。そういう訳で今ぐらい。ちょっと夢中になってがっついた結果慣れてて嫌とは心外だけど、過去の行いの結果だから悪いのは俺。嫌だったならすみませんでした」
イオはまた深々と頭を下げてくれた。
「その、多分、失敗された方が嬉しいかもしれません」
顔を上げたイオの落ち込んでいるような顔は嘘ではないと思うし、手の震えも演技ではないと思うので私はそろそろと彼の両手を取った。
「そう?」
「確かに場所はここより……あっ。海。その、ちょっと憧れで、末の松山の君と呼ばれてそういう場所だと……」
「かわゆいおねだりなので採用。えーっと。自制心を保つのでもう一回抱きしめてもええ? 最初くらいまで」
「聞かれると恥ずかしくてつい、拒否しそうです」
ダメですとか、ええ訳ありませんと口から飛び出しそうになったので深呼吸してから回答。イオの片腕が伸びてきて頬に触れかけたその時、ぐうううううう、と私のお腹が盛大に鳴って雰囲気台無し。
イオはケラケラ笑って「色気より食い気。仕方ないなぁ。腹ぺこミユ虫、たんとお食べ」と歯を見せて笑った。
「腹ぺこミユ虫、腹ぺこりん〜。お前の頭はどこにある〜。角なし槍なしかわゆいぞ〜」
突然でんでん虫の替え歌を歌いながらイオは私の食事にナミア貝を移した。
「俺、ナミア貝大好き。でもミユの方が大好きだからどうぞ」
「……私はどちらかというとナミア貝は苦手です」
「えっ! 気が合わないなぁ。でもつまり俺は今みたいに倍食べられるってこと。逆も見つけような。俺が苦手でミユの好物なもの。これで取り出して、食べさせてくれる?」
備え付きの楊枝を差し出されたのでナミア貝の中身を楊枝で出してイオにどうぞと勧める。するとイオは手で楊枝を受け取らずにパクっとそのまま食べた。
「個室最高」
「……あの」
「何?」
「イオさんの羞恥心ってどうなっているんですか?」
「明日突然胸が苦しくなって倒れてポックリ死ぬかもしれないのに羞恥心なんかに支配されたら人生大損。何か言い忘れたら妖になって黄泉の国に行けなくなるし。さすがにあ……とかは言えないけど。それはもうちょっと先まで取っておく」
「あ? あって何ですか?」
「まだ言わないこと」
「気になります」
「俺から離れないといつか聞けまーす。明日死ぬって思ったら言うし、遺書にも書きました」
「えっ、遺書?」
「書いてないの? 早急に書いておいて。人はいつ死ぬか分からないから。常識だよ」
そうなの?
頭を撫でられてその後イオの左手は私の腰。頭を撫でるのはたまに登場するし、ほら、あーんとたまに箸を私の口に運んでくることもあった。
世の中の恋人同士ってこんななの?
四分の三でこうなの?
見たことがないし、恋愛文学で読んでないけど、と私は混乱しながら食事を終えて気がついたらイオを膝枕。イオは酔って眠い、と当たり前みたいな顔で甘えてきて気がついたら横になっていたので。
やっぱり慣れていると思ったけど、横向きのイオの顔が赤らんでいて耳なんて真っ赤で、お酒を飲んでもこうでは無かったので今度は嫌な気分にならず。好きに触ってと言われたけど恥ずかしいから何もしなかったけどイオも何もせず。
お客様、そろそろ次のお客様なのでと退店を催促されるまで私達はそのままだった。




