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私は静かに暮らしたい  作者: あやぺん
本編

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32/43

四分の三恋人1

 七夕の翌日、変則勤務時間の合間だというお昼前に制服姿のイオが我が家を来訪して、玄関先で「昨夜の状態は半分恋人を逸脱していると思う」と言われたけど、全くもってその通り。


「ですので九月に結納するのではないでしょうか。そうしたら半分はなくなります」


「それまでは何になるの?」


「……四分の三でしょうか?」


「そっか。分かった」


 四分の三が私にも分からないのにイオは大きく頷いた。

 ほぼ無表情だった彼はこの会話で去ったけど、お見送りと思って背中を見つめていたら振り返って、勢い良く戻ってきて「四分の三って何⁈」と問われた。


「私にも分かりません」


「分からないのに四分の三の恋人なんて言うたの⁈」


「はい」


「その定義を決めよう。結納未満半分以上は何か」


「家に上がりますか?」


「少し昼休憩時間で、それを使って来たからここで聞く。昨日のことまではしてくれるの?」


「恥ずかしくて二度と出来ないかもしれません」


「うわぁ、しないとは言わなかった。お互いって言うたけど、俺もしてもええの?」


 いえ、と天邪鬼が発動しそうになったので昨夜眠れない間に考えた解決方法を試してみることにする。

 まず唇を強めに結んで深呼吸をして自問自答して「素直に」と心の中で呟くという方法。


「ええ。昨夜、そう言いました」


「……おお。おー。そうなんだ。軽く抱きしめるのはあり? ありならいくつ数えるまで平気?」


「……。されたことがないので、嫌ではないか、恥ずかしさに耐えられるか分かりません」


「次回予約。キスは頬まで? 唇以外ならええ?」


「……それもされたことがないので、嫌ではないか、恥ずかしさに耐えられるか分かりません」


「次回予約その二。膝枕はええ?」


「えっ? 膝枕? そのような発想は無かったです。えーっと、それもしたことがないし、されたことがないので、嫌ではないか、恥ずかしさに耐えられるか分かりません」


「次回予約その三。こうなると結納したら……うおわっ!」


 あっと、思ったらイオの後ろにラオがいて彼をはがいじめにした。


「ゴラァ、イオ。ニヤニヤしながら組から出て行ったって聞いたからここだと思った!」


「ちょっ、苦しい。おい、やめろ!」


「前から怪しい気がしていたけど、お前は見習い時から試合系で手を抜いていやがったな! 説教を予想して俺から逃げ回っていただろう! ようやく捕まえた!」


「あっ、すみません。ミユさん、こんにちは。昨日はお弁当をありがとうございました」


 イオはジタバタしながらラオの腕の中から逃げようとしているのに、ラオは涼しい顔で私に挨拶をして一礼した。


「いえ、こちらこそ褒めてもらって嬉しかったです。ありがとうございました」


「長年、いつもビリか下から二番目だったのに昨日のあれです。イオ、弁明を聞こう」


「兄貴より目立ったら兄貴の立場がないし、ラオの息子の出来がそこそこええと期待でしごかれるから隠してたんだよ! ラオの息子の癖にって言われるのは嫌だから陰で努力してるけど披露したら大変なことになる。過剰な目に遭って疲れるのは嫌だ!」


「祝言するなら出世欲を持て! 過剰ではない。自分にはこのくらいは出来ると考えろ!」


「俺は母ちゃん似でゴリラとは違うから無理! 出世はほどほどでええ! 幹部仕事とか地味な事も嫌だ! 俺は現場に出続けるんだ!」


「誰がゴリラだ! 言うたことをしないと結納延期にするぞ。無期限延期だ」


「それは嫌だ! 脅すな! 離せって!」


「それではミユさん。こいつは一ヶ月禁欲ってことで手紙で頑張ってとか、応援をお願いします。がはは」


 再度お辞儀をするとラオはイオを担いで去って行った。

 こうして私とイオはしばらく文通する仲どころか、一方的に手紙を送ったり、仕事をしている彼を遠くから見るだけになってしまった。

 好きだと自覚したから、一生懸命気持ちを伝える努力をした日の翌日から、ほぼ毎日のように我が家へ来てくれていたイオが来なくなったので無性に寂しくてならない。

 一ヶ月間になると覚悟していたけど、約二週間後の洗濯開始時に制服姿のイオが現れた。

「おはようございます」と洗濯場にいる人達に声を掛けながら私に近寄ってくる。


「ミユさん、泥棒みたいな格好ですけどそれ」


「久しぶりなので、はず、恥ずかしくて」


 手拭いをほっかむりみたいにしてスズの後ろに隠れたら笑われてしまった。

 完全に油断していた私は洗濯でどうせ汗だくになるという理由で化粧をしておらず服も雑。

 出会った頃は「呆れろ」とこういう感じだったけど今はこの格好だと嫌だ。


「おはよう。ミユちゃん、久しぶり。スズさんも、お久しぶりです。おはようございます」


「お久しぶりって七夕からまだ二週間ほどですよ」


「まぁね。でも俺、ミユちゃんには一日千秋だからさ。スズさん、ミユちゃんはなんでかくれんぼしてるの?」


「ミユさんは、イオさんに会うのが久しぶりだから恥ずかしいそうです」


「相変わらずかわゆいなぁ。ミユちゃん。今夜二人で花火はやっぱりまだ火が怖い?」


 ひょいっと姿を覗き込まれたので慌てて場所を移動してイオから逃げた。


「ちょっ、ミユさん。私を挟んでかくれんぼはやめて下さい」


「すみませんスズさん。つい。あの、イオさん。変な格好で化粧もしていなくて、今ここは明るいから、その、見ないで下さい。花火は火消しさんが隣で、はしゃぎ回る子どももいなければ多分平気です」


「それは朗報。別にかわゆいよ。いつもかわゆいから大丈夫」


「大丈夫ではありません!」


「ミユさんはお洒落して会いたいそうなのでまた後でにして下さい」


「そうなんだ。ミユちゃん。親父達にしごかれ続けて行きたいところに行けてなかったし、今は夜勤明けで眠いから一旦仮眠して出掛ける。夕方、帰りにミユちゃんの家に寄るから」


 久しぶりに会ったのに普段通りの彼と慌てふためく私って、立場が逆転したのだろうか。

 彼は手を振りながら私達から離れて、その後は周りの人達に挨拶をしたり、「火の用心」と声を掛けながらどんどん遠ざかっていく。


「ミユさんは、すっかり恋する乙女ですね」


「……揶揄(からか)わないで下さい。さあ、張り切って洗濯をしましょう! 洗濯です、洗濯」


「七夕の夜はどうだったのかまだ聞いていませーん」


「何もありませーん」


「絶対嘘でーす!」とスズに何度も頬をつつかれてしまった。


 待てない! と思っていたけどあっという間に時間は過ぎて、今夜はイオの家の庭で二人で玩具(おもちゃ)花火を行う。

 夕方、我が家へ迎えに来て親に挨拶をしてくれたイオと共に彼の家へ行って、彼の家族と共に夕飯をいただき、その後に二人で庭へ出た。

 家へ来る前に二人で花火を選んだのだけど、二人で使うのは花咲(はなさき)花火だけにした。

 イオが「落下しまくってミユちゃんがますます恋穴に落ちますように! だから花咲(はなさき)花火」と言うので。

 そんなことでは落ちませんと言ったらへしょげ顔で、綺麗な眺めだからもしかしたらと言ったら満面の笑顔。

 イオは言葉をその通りに受け取るし、素直じゃないと可愛げがないと母に言われているので、天邪鬼を少しずつ改善していきたい。

 庭に出て火をつけてロウソクを立てたイオは私に怖くない? と確認してくれた。


「……。怖いからくっついておきます」


 近寄ったらイオは明らかにヘラッとした顔をした。


「勝負だ勝負。先に落ちた方が勝ち。先に恋穴落ちしたら勝ちってことで」


「惚れたら負けと言いますよ?」


「そう思っていたけど、些細(ささい)な事で嬉しくなれるから勝ちだって、最近そう思って」


 ものは考えようで、彼はいつも前向きだ。


「勝ったらどうなりますか?」


「んー。家族や幼馴染達との定番は、勝った人は負けた人に小さな頼み事を叶えてもらえる」


「ではそれにしましょうか」


「十本あるから五回勝負で」


「はい」


「つまり最大五つ頼み事を言えるってこと」


「五つもありますか?」


「あるある。探せばあるって」


 ロウソクの日に花火を近づけて点火。

 赤い玉が出来てそこからパチパチと火花が散って花になるから花咲花火。

 一回目はイオの負けで彼の花は最後までずっと咲き続けていた。

 星火燎原(せいかりょうげん)ってこういう事も言うのではないだろうか。

 点火したら闇夜に華やかな花が咲いて、あまりにも美しくて目を奪われて、心がその輝きでいっぱいになったから。

 火は漢字でも怖いだろうと、彼は花の文字を使ってくれたから一面花畑みたいな意味にもとれる。

 私には難しいけど、イオは自分発信で周りをどんどん笑顔にするから星花燎原(せいかりょうげん)の君はむしろ彼のことだと思う。


「一回ごとにお願い事を言いますか?」


「最後にまとめてで」


「はい」


 二回目は私の負けで、三回目も私の負けで、四回目と五回目はイオの負け。

 私は頼み事を三つ言えて彼は二つということになる。


「じゃんけん、ほい」

「です」


 いきなりじゃんけんをする事に最近慣れてきた。

 私がグーで彼はパーなので私の負け。

 握っている拳をパーの手で包まれて「俺の勝ちー」とイオは歯を見せて笑った。


「頼み事を言うのは俺から。俺は二つ言えるから……。どうしようかな。考えてなかった。今日から一週間イオ君って呼んで」


「えっ? はい。前からそう呼ばれたかったですか?」


「いや。幼馴染風も呼ばれてみたいと思っただけ。次は……女学校時代の制服ってまだある?」


「同じ町内会の子に贈ってしまいました。私もお下がりでしたので」


「袴は持ってる?」


「いえ」


「それなら……」


 袴姿を見たいということだろうか。

 二つともあまり恥ずかしくないお願い事なので、確かにこれは小さなお願い事だ。


「袴ならチエさんに借りられると思います」


「よっしゃあ! それならそれを着てデートで」


「袴が好みなのですか?」


「白っぽい着物に合わせて。女学校の先生風。すこぶるええ予感」


 ニヤニヤ笑い出したので若干呆れてしまった。


「女学校講師って人気がありますよね。一応、資格は取ってあります」


「……えっ?」


「空きがないと採用されないと言いますし、良家のお嬢さん優先らしいです。良い縁談相手が見つからなそうなら多少年増になっても人気が出る女学校講師狙い、というのが平家お嬢さんの武器です」


「へぇ、火消し関係でねじ込めないのかな。俺はともかく親父は一応組幹部だ。下っ端だけど」


「私に女学校講師になって欲しいんですか?」


「子どもに囲まれるミユちゃん。すこぶるええ」


「それなら定期的に採用試験を受けてみます。元々興味はあるので資格を取りました」


「親父にも聞いてみる。あの制服姿で……エロくてええな」


「何を想像しているんですか!」


 思わずイオを両手で突き飛ばしてしまった。

 彼は倒れずにしゃがんだままの格好でおっとっと、と少し動いて戻ってきて私に軽く体当たり。

 私の方こそ倒れそうになり、彼に腰に腕を回された。

 顔がグッと近くなったのでドキッとして固まる。


「会いたかった。相変わらずかわゆい」


 頬にキスされてびっくりしていたら耳元で「好きだ」と囁かれて思考が止まる。

 これはズルいと思う。暑い夜なのにますます熱い。


「あの……。わ……」


「それでミユちゃんのお願いは? 三つもあるよ」


 私から手を離して体も顔も離したイオに下から顔を覗き込まれた。


「お願い……。特に何も……」


「思いつかない?」


「ええ」


「それなら代わりに俺が決めよう。一つ目、キスして下さい」


「しません!」


「違うって。ミユちゃんが俺に頼むんだから頼みませんだろう?」


「まあ、そうですけど……」


「それなら一つ目は別のことで、キスして下さい」


「同じじゃないですか!」


「おねだりされたいんだけどそういう願望はない?」


「……ありません」


 今の私は噂のキスが気になる感じになっているけど恥ずかし過ぎてこれは流石に「はい」なんて言えない。


「ちぇっ。三つのお願い事を考えておいて。何も頼みたいことがないなんていつになったらベタ惚れになってくれるんだか。んー! 花火は終わったし家まで送る!」


 立ち上がったイオに頭を軽く撫でられた。

 もうそんな時間なんだと、とても寂しくなる。

 ゆっくり立って「はい」と返事をしたらイオは歌い出した。


「もっちつきは〜、トーン、トン、トントントン!」


 手遊び開始のようなので両掌を上に向けたら握った拳で軽く叩かれた。


「良くついて〜、良くついて〜」


 この餅つき手遊びは何年振りだろう。


「トーン、トン、トントントン!」


「ふふっ。急になんですか?」


「困り顔をしたから笑うかなって」


「……乙女なので、忘れられない感じで記念の日にそれとなくお願いします。その、先程のここへみたいに……。恥ずかしくてつい拒否の言葉しか出てきません」


 私は自分の頬を揃えた指でそっと撫でた。


「ふーん……」


 両手を取られてジッと見据えられて、近寄ってくるから後退りを続けていたら背中が木の幹にぶっかった。

 目を閉じたイオの顔が近寄ってきたので思いっきり目を閉じて、彼の両手をギュッと握り締めたけど何も起きない。

 しばらくそのままで、何もされないようだからそろそろまぶたを上げたら顔が近づいてきた。

 慌てて目を閉じたら鼻に鼻がぶっかった感覚がして、胸が破裂するのではないかと思っていたら唇ではなくて頬にキスされた。

 予想外だと思って目を見開いたら耳元で「ミユさん、大好きです」と囁かれて、今夜は同じ事が二回目なのに全く慣れなくて全身が熱くなった。

 動けないでいたら左手の指が絡って反対の手は頬に当てられた。


「あ、あの……」


 また頬にキスされて「ミユちゃん、好きだ」と耳打ちされた。


「わ、の続きは私も?」


「い、いえ……」


「んー、ここまではええみたいだからもう少し」


 また同じ事をされてこんなの恥ずかし過ぎて無理! 

「一つ目の頼み事は、離れて下さい!」


 あっという間にイオは身を引いて顔の前で両手を合わせて頭を下げた。


「調子に乗りました。すみませんでした。どこからが嫌だった? ええってなるまでもうしないから教えてくれ」


「いえ、恥ずかしさの限界です……」


 私は両手で顔を覆ってへなへなとしゃがんだ。


「すこぶるかわゆい。単に恥ずかしいだけなら続きをしても良さそう」


「やめ、やめて下さい……。そちらは慣れていて簡単な事でも私には難しいです」


「慣れているけど簡単ではないから。そこらの別に引っ叩かれてもええ向こうからノリノリで来る女と、嫌われたくない全くノリ気じゃない女って難易度がそこの土の盛り上がりとナルガ山脈くらい違う」


「……。それはさすがに大袈裟です」


「まさか。よし、本当に帰ろう。寂しそうな顔をしたからかわゆくてつい」


 促されて土間へ行ってサエに挨拶をして、庭から外へ出て我が家へ向かって歩き出した。

 日が暮れたらもう女性や子どもには危ない時間なので父や兄がいないと歩くことはないけど、イオと出会って半恋人の契約を交わしてからこういう機会が増えた。

 酔っ払いが騒いでいたり、女性の悲鳴が聞こえてきたり、スリやひったくりが昼間より多いので習った通り夜は危険だと再認識している。


 しかし、イオは背が高くて体格も良いから酔っ払いがぶつかってきて彼を一瞬睨んでも、彼がなにも言う前に「悪い」と相手が引くので安心。

 逆を言えば私は絶対にイオの手や腕力から逃げられない。

 でも、そう感じた事は一度もないくらい、いつも優しい。

 お風呂屋へ寄ってから我が家へ向かう帰り道の間、キツネ柄の手拭いを使ったら「キツネに嫁入り、コンコンコン」とか「イオギツネの嫁だ、コンコンコン」とイオがうるさい。

 しかも手をキツネの形にしてツンツン、ツンツン、手拭いを巻いている頭をあちこちをつついてくる。


「イオさん、そんな子どもみたいな事はやめて下さい」


「あと少しで結納だから浮かれてる。浮かれバカイオ君って呼んで」


「バカなんて悪い言葉は使いません」


「イオ君は?」


「……イオ君、やめて下さい」


「ミユさん」


「はい」


「ミユちゃん」


「今度は何ですか? 前にも言いましたが落ち着きのない方は苦手です」


「ミユ」


「……だからなんですか?」


「結納したらミユにしよう。やっぱり反応が一番ええ」


 頬をキツネの手でつつかれながら耳元で「ミユ、好きだ」と囁かれて、照れて俯いたら家に着くまでそれを繰り返された。

 その理由は家の前に到着して判明。


「祭り関係の試合で毎回手抜きをしていたってこの間の七夕祭りで親父にバレてしごかれたけど、親父だけじゃなくて親戚の叔父達にも説教されて組内で広がって、見習い時からって根性が悪いからト班は滝修行って言われた」


「滝修行ですか?」


「ちびの世話があるヤァドは免除。ナックも新婚だから免除。ってとことで俺だけ修行」


「それだとト班ではなくて、イオさんが滝修行ですね」


「だからイオ君。一週間って言うたのに破ったから罰を与える」


「罰はなんですか?」


「また俺に二週間会えない」


 平気です! と売り言葉に買い言葉みたいに口から飛び出しそうになったけど、イオがあまりに寂しそうな顔をしているから唇を結んで小さく首を横に振った。

 イオの真似をしたら恥ずかしさが減るかと思って右手でキツネを作って「嫌だコン」と小さく言って、彼の腕を二回ツンツンしたら彼が作ったキツネの手で私のキツネにキスされた。

 恥ずかしさは減らなかったし、もっと恥ずかしいことになった!

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