半恋人3
インゲ達はもう退院しているけど、病院は子ども達に休憩室を貸してくれていて、トランプ作りは仲間を増やしてゆっくり進行中。
イオが組でお金を集めて、お店で均一な形の厚紙を購入予定で、その紙の右上と左下に数字と印を描いて余白は自由にすると決まったから、今は下書きを進めている。
一から十三までの札があるので、一から十二までは季節に因んだものにして、十三月はないから龍神王様にすることも決定済み。
子ども達の前だからイオとコンは嫌味の応酬をやめて、隣の机で穏やかで優しいお兄さん風になっているので、こういう時間が続いて欲しい。
「ミユちゃん、先生に六月は蛍はどうかって言われたけどどう思う?」
インゲは前々回から私のことを姉ちゃんからミユちゃんと呼び始めたけど今日もみたい。
イオに影響されたのだろうか。
子どもは元気に遊んで欲しいけど、生まれつき、体質的に無理な子もいるからと、医者達も動く代わりは頭の体操だとか、これは自尊心も育つと言って、かなり協力的。
「そうそう。インゲ君と話していたんだけど、蛍はそろそろ飛ぶこともあるし夏の時もあるよな。ミユちゃん、どう思う?」
「七月は七夕があって、八月は黄泉送り迎えにちなんだ笹船流しの竹や笹。祓い飾りにちなんで鬼灯や彼岸花もありますし、九月になると十五夜お月見です。蛍はやはり六月な気がします」
「あとさ、五月の端午の節句で兜って難しい」
「それなら菖蒲はどうだい?」
通りかかったお医者さんが声を掛けてきた。
「多少動いた方が良いから親と友達と散歩して菖蒲探しや蛍を見に行くのもええと思うよ」
医者はそう、優しく笑った。
「寺子屋で先生に教わったように伝えたらバカにされなくなった。ありがとう」
「そうなのか。頑張っているんだな」
「うん。前より体が軽いのもある」
「それは良かった。ニムラ君もかなり肌の様子が良いですね。でも掻き跡があるから夜、寝る時に手の保護具を忘れないように」
「はぁい。つい、忘れたらこうなってた」
お医者さんが他の子達にも順番に声を掛けていくのを眺めていたら、インゲに袖を引っ張られた。
「今日、一緒に来たからイオ兄ちゃんと仲直りした?」
「元々喧嘩をしていませんので仲直りも何もないです」
「なら大嫌いって何? そういえば聞きそびれたなって。今日、一緒に来たから禁断ではないってことだよな?」
「大嫌いは……。ええところをそんなに知らない時に、言うたことがあります」
「今は知ってる?」
「ええ。前よりは」
「花とかで分かるけど、兄ちゃんに口説かれてるんだろう? もう惚れてる?」
ヒソヒソ声でこのように問いかけられるなんて想像していなくて、なんて答えて良いのか分からない。
「同じ火消しなのにイオ兄ちゃんのことはニコニコ見てて、コンって人は全然見ないから正解だろう」
「……私、そんなにイオさんを見ていました?」
イオとあの女性とのやり取りでは、私の中の彼への嫌悪感はほとんど増えなかったってことみたい。
「うん。ミユちゃんも惚れたら恋人だろう? 俺、もっと早く産まれたかった。そうしたら俺もミユちゃんを口説くのに」
さらに予想外の事を言われた。
「それは……ありがとうございます」
「父さんに聞いたら女の人はミユちゃんくらいの年にはお嫁さんになるから、気が変わるだろう子どもを待ってくれないって言われた。子どもは稼げないから暮らせないだろうって。あと大人は子どもに惚れないってさ」
「ええ、概ねそうです。気持ちはありがたく受け取ります」
「きっといるから、同年代のミユちゃんみたいな子を探すとええって言われた。どんな人がええか分かっていたら見つけられるって」
彼の父親は真剣に子どもの話を聞いて話もしたようだ。
「ええ、私よりもええ人と縁があるでしょう。インゲ君みたいな優しい人は好まれます」
「イオ兄ちゃんは優しいから惚れた? ミユちゃんに会いにきていたから、また来るっていうのは嘘だと思ってた。なのに来たし、寺子屋にも来てくれた。太っているのに動かない肉団子って言う奴がいるから寺子屋は嫌いだったけど今は楽しい」
私がイオの話を信じたくなるのはこういうところだ。
他人に優しく出来て、それを特に自慢しない、当たり前みたいな顔をしている人だから、理不尽な女遊びはしていなかっただろうと考えてしまう。
本気の相手を利用したとか、そういうことではない気がしてしまう。
今日会った女性もそこまで本気ではなかったと思ってしまう。あの場で男性の名前も出たし。
「イオさんが何かしてくれたのですか?」
「うん。だからミユちゃんがイオ兄ちゃんのお嫁さんになるならええかなって。あの、お見舞いに来た奴はなんか嫌い。ミユちゃんが惚れてるのがあの人じゃなくてホッとした」
イオがインゲに何をしたのか知らないけど、そういう親切で真心のある人なのはもう知っているので、それが女性関係にも多少は向いていたはず。
私の前だからお芝居かもしれないけど相手に謝ったから、多分酷い女たらしではないだろうとまたしても思った。
(やっぱり好きって思う私はダメ女…… 皆、大なり小なりこうなのかな……。欠点がない人はいないもの)
惚れたら負けというように、彼になら傷だらけにされても構わないと思った時点で、私は何なら許せなくなるのか何となく分かっている。
反省や変わるという言葉を信じたくて、過去ではなくて未来のことで判断したいのだ。
「あの方は……悪い手本です。病院なのに周りの人にお大事になど、そういう当たり前の優しい言葉をかけない人とインゲ君は真逆なので大丈夫です」
「俺が心変わりしなくて、ミユちゃんが祝言しないまま八年か九年経ったらお見合いしてくれる?」
子どもだからしれっと色々話して堂々としていると思っていたけど、彼は仏頂面になって顔を真っ赤にした。
この姿を見て、相手が子どもだからという理由ではぐらかしたりしてはいけないと感じた。
「ええ、インゲ君が元服した時にそうなら。未来は誰にも分からないのでそういうこともあるかもしれません。指切りしましょうか」
「うん」
「誰かのお嫁さんになっていても九年後に離縁していて独り身だった場合も縁があるかもしれません。子どもだからではなくて、他に慕っている人がいるので今は気持ちに応えられません」
「俺、イオ兄ちゃんみたいに優しくて格好ええ大人になるから、うんと勉強もするから、元服祝いに来て欲しい。お嫁さんは難しいって分かっているから、約束はそっちがええな。欲張りだから両方」
小指と小指を絡めて「約束です」と告げたけど、彼は何も言わずに小さく頷いた。
「俺、元服までは難しいって言われているけど頑張る。どうせって思っていたけど先生が言う通りにする。ご飯も動くのも色々守る。ミユちゃんと会ってからなんか調子ええから、きっとなんとかなる」
彼が何の病気か知らないけど、食事制限があることは知っている。
よかれと思ってあれこれあげないようにという話を、お医者さんからも介助師からも聞いたから。
その時に金平糖を渡した話をしたら、インゲは前は食事制限を無視していたたけど、金平糖の時はきちんと親に報告して食べて良いか確認したことも教わった。
彼が明るくなったのは特に何もしていないような私が理由みたいだし、これも嬉しいので、どうか彼が長生きしますようにと願わずにはいられない。
「病気は気持ちだけでは治せませんが、気持ちで悪化することもあります。インゲ君の役に立てて嬉しいです」
「インゲ君。ずっとミユちゃんとこそこそ話をして、何の指切りをしたの?」
向かい側にいるニムラに話しかけられたインゲは「秘密の話だから教える訳ないだろう」と言いながら席を立って、私から離れて向かい側へ移動した。 照れているのか仏頂面である。
話していたら、十四時を告げる鐘の音が聴こえてした。
「イオ、準備もあるしそろそろ行くか」
「喧嘩を売ってきた方が準備するものだろう。だからコン、お前だけ先に行け」
「両方の組の花組にも若手にも声を掛けておくから逃げるなよ」
こうして私とイオはコンが去った後、少ししてから病院を出た。
子ども達はまだトランプ作りを続けるので、私達は用事があるので終わりと告げて、また来ると約束して。
「イオさん」
「はい! すぐはこう、変われないけど、努力している姿は見せていく。励んでいたら結果はついてくるものだから自分で言うことではないか」
「まだ何も言うていません」
「子ども達にはかわゆい笑顔でニコニコしていたのに、俺にはしかめっ面だから何か怒られるか終わりって言われるかと思って……」
「この後の喧嘩は何をするのですか?」
「綱登りと柱渡りと鍛錬場走りになった」
「取っ組み合いの喧嘩ではないということですね。それなら怪我はしませんか?」
「このしかめっ面は心配してくれていたの?」
「ええ」
「意地悪だな。わざとだろう。終わりじゃなくて違うことを考えていたって先に言うてくれ」
ニコッと笑顔を向けられてくすぐったくて俯く。
「わざとではありません。その。手、ええことにします」
こういうのを朝令暮改という。
「分かりまし……ん? えっ?」
「街中で喧嘩しませんでしたし、口喧嘩も子どもの前ではしませんでした」
「おお。頼まなくても、結果を出せばええってこと。怯えていたのに、真逆の結果だなんて嬉しいけど意味が分からない。なんで? いや、今言うたか。喧嘩せずに態度も良かったって。それだけで?」
「私の嫌味っぽいところや勝ち気なところは嫌じゃないですか?」
「嫌じゃない。元々、そういうのは嫌いなんだけどミユちゃんのはクセになってきた。なぜか急にかわゆくなるからワクワクする。びっくり箱みたいで面白い」
「……私、急にそうなりますか?」
「ああ。実に気分良し」
失礼します、とイオに手を取られた。
「ただ、原因不明なのが気になるところ。なんで? どういう心境の変化?」
私も歩み寄るべきだと思うので、はっきりしないのは嫌だと言われたから頑張ってみる。
「……貴方の欠点よりも長所に目がいったり、長所からそんなに誰かに酷いことをしていないと思うので……。思ったので……」
「……真心の話? それ、考えたけど分からないんだよなぁ。嬉しいけど俺にある? まあ、俺は自分をそんな悪い人間ではないと思っているけど」
「インゲ君が退院後、彼が通う寺子屋に行ったそうですね」
「組の領域内だったからお前は勉強してるかー? 補佐官でも事務官でも待ってるからなって言うて、草で作ったバッタを投げたらびっくりして面白かった」
インゲの話と様子が違う。これだと彼は単に遊びに行ったような印象だ。
「他には何か、例えば一緒に勉強しました?」
「してない。昼休憩の時間に行ったから一緒に飯を食って、バッタ相撲をして、せっかく寺子屋に行ったから子ども達に防災訓練。災害仕事がないとええ。平和が一番」
俺は彼を励ましたみたいな話をしないのはやはり好ましい。
何気ない一言がインゲの心を救ったのだろう。
「彼、寺子屋は嫌いだったけど好むようになったそうです。お医者さんやイオさんのおかげみたいですよ」
「俺はなんにもしていないから、お医者さんのおかげだろうな」
この発言に、私は思わず笑ってしまった。
「えっ? ミユちゃんは年上好き? インゲ君の担当の先生は既婚者だから! 結婚指輪をしているだろう? 確か子持ちだから!」
「なぜ、そのような発想が出てくるのですか」
「違うなら単に尊敬しますって意味の笑顔ってこと。それは安心」
この後は二組で遊び喧嘩。終わったらもう夕方だろうから、サッと夕飯の買い物をして夕食作りになるはず。
密かに楽しみにしていた小物屋巡りとみたらし団子はどこかへ消えてしまった。
「少し時間があるからそこのお店を見ていかない? 軒先に色々出てる」
「えっ? ええ」
手を引かれた先は私達のような庶民向けの小物が売っている小さなお店。
イオの言う通り、軒先に棚が出ていて、あれこれ飾られている。
「髪飾りもある。初デートだから何か贈りたいけど好みのものはある?」
「いえ、あの。紅をいただいたばかりなので悪いです」
記念なんて憧れる、欲しいと思ってしまったけど遠慮しないと。
「最近、花言葉っていうのが流行り出しているらしいんだけど知ってる?」
「ええ。ただ、どの花がどういう意味を持つのか知らないです。花を生けるのに使えるなと思ったけど、関連本はずっと売り切れで。積極的に探してはいませんが」
「この中に教わったものはないけど、このひまわりの簪は? 太陽を見つめる花だから俺を見続けてくれますようにってことで」
周りにもお客がいて、店員もいるからこの真っ直ぐな発言はかなり恥ずかしい。
「うん。似合う似合う。花が咲いたような笑顔っていうけどミユちゃんが笑うとそれ。俺の視界が明るくなる。ありがとう」
イオは簪を持った手を私の頭の横に当てた。
「こち、ら、こそ。ありがとう……ございます……」
「めちゃくちゃ照れて嬉しそう。何、今のカタコト言葉。すこぶるかわゆい。すみません。これを下さい」
「かしこまりました!」
こうして私は贈られた簪を両手で持ちながらぼんやり歩き続けた。
「そんなに気に入った?」
「……はい」
簡素な作りで高くないだろうと思って、購入時に聞こえてきた金額もやはり高くなかったけど、話していたように小物屋に寄ってくれたことも、サラッと良い意味を添えて贈ってくれたことも嬉しくて、心臓がかなりうるさい。
「今日の簪は抜いて、帯に飾っておいて、この簪を髪へ」
あっと思ったら私の手からひまわりの簪を取られて、使っていた藤を模した簪を帯飾りにされた。
「これで君の手が空いた」
また手繋ぎ状態になって鼓動が更に大きくなった。耳から心臓が出てくるような錯覚がする。
(優しいところがやっぱりええって思った後に贈り物やあの台詞は……。これは恥ずかしい……)
私はこのあと何も喋れなくて、イオはイオで何も言わずに鼻歌交じりで微笑んでいるだけ。
自分の気持ちを自覚して、次に襲ってきたのは不信感ではなくて嫉妬心。
利害の一致でお互い割り切った遊び疑惑は濃厚だけど、あの色っぽい美人とイオはいちゃいちゃした過去があるってこと。
その事実に、もう変えられない事実に、どうしようもなく腹が立ってきた。
(今になってイライラしてきた……)
彼女はイオとキスをしたような口ぶりだったので彼の横顔を見上げてつい唇を見たら、怒りは増えてしまった。
「うわっ。今度は急に不機嫌。何?」
「別になんでもありません」
「いや、なんでもある顔をしているから。さっきまでのかわゆい照れ笑いはどこに消えたの⁈」
「別になんでもありません」
「いや、あるから。かなりはっきり言うし、コンにまで食ってかかったのになんで言わないの?」
「……。かなり……遅れて……妬きもちです……」
これを言ったら私は貴方をお慕いしていますという意味になるので言いたくないけど、天邪鬼はかわゆくないと母に前に言われたのでなんとか口にした。
「へぇ」
「……」
「そっか」
それだけなの⁈
「ミユちゃん。空が綺麗ですね」
「……空ですか?」
月が綺麗にかけているのか分かりかねる。
「今夜の月も綺麗でしょう」
見たらイオの耳は赤くて口元を手で隠していた。
「今日、家で抱きしめたらダメ?」
「……ダメです」
「だよな。絶対そこまでの気持ちじゃない。俺との温度差は天と地のごとし。うわぁ。エロ心じゃなくてこういう気分になることってなかったから変な感じ。お触り禁止で辛い。明日祝言したい」
出会ってそんなに経過していないのにイオのこの感じはなんなのだろう。
「しません」
「どうしたらしたいって思う?」
「知りません」
「まぁ、いいや。祝言しても触れなそうだし。抱きしめてええって言われても無理そう。手だけでいっぱいいっぱいなんて、こんなに恥ずかしくなるなんて……」
「いいえ。イオさんはええと言うた瞬間、しれっと大した感情もなく触りそうで……」
今さら気がついたけど、イオの下駄の鼻緒の色が左右で異なる。
「あっ、気がついた? あはは。格好悪いだろう。緊張でこうなった。俺の足元や洗濯の時に脱いだ下駄を見る気配が無かったから気がつかないで終わるかなって思ってた」
「……そうは見えませんが緊張しますか?」
「面倒そうでない相手なら来る者拒まず去る者追わずだと別に緊張しないけど、来ないのに追いかけて去ろうとしたら縋りついている相手にはかなり緊張する。出掛けられるぞー、もしかしたら手を繋げるぞーって考えていたら昨夜寝れなかった。こんな事初だ初」
「……」
言われてみればちょこちょこあくびをしていたなと思い出す。
「龍歌百取りを少しずつ覚えようかと思って、夜の衣をかへしって何かと思って調べたら、したら夢に出てくるって言うのに、せっかくしたのに、ミユちゃんは夢に出てこなかった」
「イオさん、先程眠れなかったと言うていましたよね? 眠らないと夢は見られません」
「別の日のことだから! あのさ。最初からそうだから諦めてしてないけど、格好つけても無駄そうだから言う。俺の今の手汗は平気?」
「手汗なんてないですよ」
「そう? やたら熱いから……。いつ気持ち悪いって手を払われるか怯えていたんだけど、それなら少し安心」
悪戯心が芽生えてバッと手を離したらイオは驚愕という顔をした後にしょぼくれ顔に大変身。
私は思わず吹き出してしまった。
「妖だ。男を振り回すこの妖め! なんてかわゆいんだ! あはは、俺以外にしないでくれよ」
「さあ? どうでしょう」
「勝つつもりだけど不安だから誰にもお申し込みされませんように!」
「今日、もうされました」
「えっ? ああ。コンには勝てる。あれよりマシなはずだ。ミユちゃんもあいつに興味無さそうだった」
「いえ。優しいすとてときな方です」
「やっぱりあのお医者さんか! ちょっとその頬染めやかわゆい顔はやめよう? ほら。少しは俺に惚れているんだろう? 俺にしておこう? うんと大事にするから! 女は惚れられた方が幸せになるって言うから! 男は追う方が幸せらしいし、そんな気がするからちょうどええって!」
あれこれ変な人、と思って私はまた吹き出してそのままクスクス、クスクス笑い続けた。
落ち着いた穏やかな男性を素敵だと思って生きてきたのに変なの。




