半恋人1
イオと半恋人になった結果どうなったかというと、日勤勤務中の彼はお風呂屋へ行く際の送迎係になってくれて、我が家で少々勉強をしていくようになった。
勉強することは良いことで、お風呂屋への送迎は近所に住む兄や義兄よりも強そうで助かるし、女と遊んでいない証明になると言うので、我が家で勉強することを許可した。
自分で調べるよりも私に解説されたいと言うので、有名龍歌ばかりもじったから女学校時代の教科書の写しと授業の筆記帳に付箋をつけて自力で学んでもらう方法を選択。
そうして三日が経過すると、私の手紙をおおよそ解読したので合っているか答え合わせしたいと告げられた。
何かされたら難癖並みに訴えて強姦魔にして死罪と提示したのと、単にこの人は安全という気持ちがあるから私の部屋で勉強してもらっていて、私は繕い物中。
「聞いて答えられることは答えるのでどうぞ」
「やった。まずここ。わが名はまだき立ちにけり、とは現にあることなのだと思いましたのところ」
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか、という有名龍歌があったとイオは続けた。
これをもじることは一定の教養を有している者達の中では告白の定番の一つ。
「俺の意訳だとミユちゃんは俺が好きで、こっそり想い始めたのに誰かに指摘された。合ってる?」
「省略文があるので噂が立っただけです。私の気持ちは書いてありませんよ」
「……省略文?」
「書いていないのでその辺りの気持ちはないという意味です」
「えー! つまり噂されただけってこと」
「ただ、火のないところに煙は立たないとも言いますね」
素直な女性はかわゆいというから、天邪鬼になり過ぎないように気をつけたいのでこう言ってみた。
「あー。少し好きとか、半分に掛かってるな。誰かにこう言われたから俺を門前払いしなかったってこと? 自分で自覚した訳ではなくて」
「ええ。それで機会が欲しい、という申し出に応えるか応えないか考えました」
「結果、応えてくれて今ってこと。次、現にあることなのだと思いました。このような気持ちは初めてだってこと。合ってる?」
「ええ」
「かわゆい」
なぜその感想になるの⁈
「俺も同じ気持ち。こんな気持ちがあるなんて知らなかった。そこで貸してくれた本からぴったりな龍歌を発見。これだけすごい読み込んで暗記してきた」
向かい合って距離を保って座っていたけど、彼はあぐらのままズリズリ近寄ってきて、私の頬に手を伸ばした。
ジッと見つめられて恥ずかしくて、少し俯いたら顎を持ちあげられた。
「ミユちゃん、思へどもなほぞあやしき逢ふことのなかりし昔いかでへつらむ。そう思ってる。好きだ」
……。
君を想ってみたら昔はどのような気持ちだったか思い出せないって、最初の手紙の時みたいに私はこういう雅風に弱いかも。
おまけに直接的な言葉までつけられたからなおさら。
なにせ女学校で格上お嬢さん達と共に過ごした結果、下街平家娘にはないこういうのが素敵という価値観を育まれた。
「……。逢ひ見てのなんて言いません。離れないと刺しますよ。無視したら自ら腹を刺すことになるでしょうね」
「…… 逢ひ見てなんて言わない? 会って見たいなんて言わない? おまけに刺すってなんで⁈」
違うけど説明しなくていいや。イオは慌てて元の位置に戻った。
「付き合いが浅過ぎて口だけとしか思えないので、誰にでも今のような調子のええことを言うているんだろうなと」
「説明したようにこんなことを言うたことはないけど、君視点からしたらそうか。照れたように見えたのになぁ。その気があまりない女を口説くって難しい。そもそも俺、女を口説いてきてない。まぁ、一年後にまた言う。次は黒髪に白髪交じり老ゆるまで、とは口にしたくなくのところ」
黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに、はとても有名ではないけどそこそこ有名で、知らなくても読みほどきやすい龍歌。
「白髪ババアになってから初めてこんなに慕ったとは言いたくないってことだよね?」
「大体合っていますが、雅さも風情も台無しです」
「うわっ。また失敗。年を取ってようやくこんなに大好きな人が出来ましたとは言いたくないってことは、若いうちにそう言いたいってこと。つまり今言いたい。合ってる?」
「ええ」
「俺に対して言うてくれるはずだから白髪さんになる前。このかわゆいおねだりは俺が叶える。それで、ミユちゃんはながからむ心も知らず黒髪のとは言いたしって書いた」
おねだりなんてどこにも書いていないけど、そういう気持ちがあるからこの文なので否定しない。
下手に口を開くとまた憎まれ口が出てきそうだし。
長からむ心も知らず黒髪のみだれてけさは物をこそ思へ。
これもそこそこ有名で、あなたの心は末長く心変わりしないなんて信じないけど、別れた朝は黒髪が乱れるように心も乱れて、色々と考えてしまう。想ってしまう。そういう意味の龍歌だ。
「これも省略したところは自分には当てはまらないってこと?」
「そうですね。ただ黒髪の、で止まるとその続きが何か分かりませんから、次の言葉くらいまであると考えるものです」
「えーっと、つまり……お前みたいな信用ならない奴のことは信じないけど、心乱れるってこと?」
「物思いにふけるような龍歌ですから、それはそんなに明るい気持ちではないでしょうね」
「……。だからツンツンしているのか」
「続きはどう思いました?」
「えーっと、貴方の噂により、ますます忘れじのゆく末まではかたければ、と思いますのところ」
忘れじの行く末までは難ければ今日を限りの命ともがな。
これは超定番な龍歌で、いつまでも忘れないという言葉は永遠ではないから、その言葉を聞いた今日を限りで命が尽きてしまえば良いというような意味。
今が一番幸福なのでそこで終わりにしてしまいたいとか、そういう表現を裏返して、私は今とても幸せですみたいに色々もじって使うそうだから私も使ってみた。
「これも俺への嫌味だよね。お前なんて信じてないっていう」
「使い方にも定番や常識みたいなものがあるので、その辺りをどなたかに尋ねると少し違ったことも分かると思います」
「それは俺にとって嬉しいこと?」
「さぁ、どうでしょう」
イオに「つれない」とぼやかれた。
「厄を避けて幸が来る青鬼灯はそのままの意味?」
「ええ。青鬼灯は鬼祓いに使いますので来幸の意味にもなります」
「俺の贈った花カゴを使ってくれているから俺は嬉しい。花に興味が無かったけどこうやって色々飾って欲しいな。それで俺は変化があるたびにこれは何? とか意味はある? って聞きたい」
「そうですか。ありがとうございます」
今夜、それを聞かれて「ええな」とイオが笑った時に私はとても嬉しかった。
気が合わないだろうと思っていたけど、違う面もありそうな気配がまたしても登場という感じ。
「すずらんは俺の話に掛けてくれた? 俺達に幸せが来ますようにって」
「……ええ」
「ここはかわゆい。うんとかわゆい。北極星はリルちゃんに返して欲しいって頼まれた冊子を見て思い出した。少し前にリルちゃんが教えてくれた話だったから」
「返却ありがとうございます」
「俺もネビーに冊子と手紙を預けて終わり。二つ並んで動かないから夫婦や恋人は分かるけど、なんで真心の星なんだろう。気になるから俺もリルちゃんに手紙を書いてネビーに預けた」
と、いうことはもしかしたら「月が綺麗ですね」の裏の意味も今のイオは分かっているかもしれない。
「月が綺麗ですね、も同時に思い出した。この手紙と半恋人の説明で俺は浮かれてええけど、同時に身を引き締めるべきだと判明」
「そうですか」
「四日後、休みを挟んで夜勤に切り替わるんだけど休みの日にどこかへ行かない? 君は家守り中だから俺は家事を手伝って時間を作ってそれでお出掛け」
「朝食とお弁当作りと洗濯物が終われば、残りは空き時間に出来ます。掃除を前後にズラしますので」
「いや、その掃除もしよう。片働きで家のことを任せるって言うても俺達火消しが休むように家守りにも休日は必要だから俺に家事能力があるって見せたい。器用貧乏な分、なんでもそれなりに出来る」
亭主関白で家のことを押し付けてくる男性だと嫌だけど、こう言ってくれるのなら彼の能力を確認したい。
「それはありがとうございます。お願いします」
「ミユちゃんは何時に起きているの?」
「五時から六時頃に目が覚めます」
「我が家は出勤時間が早めだから食べ物が腐らなそうな時期だと前日に朝食準備をしてる。だから母ちゃんが起きるのもそのくらい。昼飯は食べに帰るか連絡をして安い飯屋」
「日勤だと七時出勤ですものね」
「洗い物や洗濯から手伝うとなると九時頃に来たらええ?」
「はい」
「散歩がてら小物屋巡りをして、みたらし団子を食べて、夕食の買い物をして俺が作る。どう?」
「イオさんが作るのですか?」
「そっ。それでミユちゃんに休み時間。一緒に作ったら作ったで楽しそうな予感だからそこは任せる」
自分で提案したことだけど、普通のお見合い期間で行う内容からだいぶ逸脱している。
「そういう時間を一緒に過ごせなかったら夫婦なんて無理なのでええ案ですね」
「いやぁ、機会をもらえたって素晴らしい。鐘が鳴ったし無事に手紙の解読が終わったしそろそろ帰る」
それなら、と一緒に一階に降りて彼が居間にいる両親に挨拶をする姿を「今夜も丁寧な挨拶だな」と眺めて、昨夜と同じく玄関までお見送り。
私は静かに暮らしたいので、はしゃがない、友人とペラペラお喋りのような様子ではない、この多少大人しい彼を知れたことは良かったと感じている。
「今日もかわゆかったミユちゃん、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ぽんぽん、と頭を撫でられて少し嬉しくて少し照れる。
病院ではすっぴんで包帯姿だったのでお風呂上がりでそのままの姿でも抵抗がない。でもお出掛けする日は整えたい。
しれっと口説きのためにわざと褒めるのではなくて、心からかわゆいと思ったというような反応が見られるだろうから。
光苔の提灯を片手に歩き出したイオが角を曲がるまで見つめていたら、昨夜と同じく角を曲がる時にこちらを見て手を振ってくれたので、私も小さく手を振り返す。
(くすぐったい……)
今度のイオの休みの日の話をしたら、父に「半恋人の半分って意味不明だな。しかも毎日お見合い状態だし」と肩をすくめられて、母には「生活確認は大事ですね」と笑われた。
翌日のイオは六等下官試験用の本を読みながら、うんうん唸って私に「投げ出すなと言うてくれ」と時々頼むので「頑張りましょう」と応援。こういう生活なら静かでとても良い。
そうしてイオの休みの日がやってきて、父と入れ違いで彼が来訪したので玄関扉を開いた。
「おはようミユちゃん。今日もかわゆいし元気そうで何より。お父さんとお母さんに会ったから挨拶した」
今日はまず家事をするとなっているからなのか、最初に会った時のような、浴衣みたいは少し派手な柄の着物姿だ。
「おはようございます。これから洗濯に行こうとしていました」
食器を水につけたら朝食の後片付けは後回しで洗濯物優先はいつものこと。
「二人だから色々洗おう」
「そのつもりで用意してあります」
「あはは。こき使われるってこと。任せろ!」
洗濯物はほぼ持ってくれたので任せて、この町内会の洗濯場へ移動しながら、ご近所さん達にイオのことを知られると気がついた。
(恥ずかしくてついスズさんにまだ話してないけど会うな……)
数日後にスズとチエが簡単な退院祝いをしてくれると言っているのでその時に話すつもりだったけどその前にこうなるとは。私は結構考えなしみたい。
「おはようございます〜。ハ組のイオって言います。こちらのミユさんの恋人になりました!」
洗濯場に到着したらイオはこの調子。
当然、というように人がワッと集まった。
前の方に来たのはスズと、小等校や女学校に通わなかった幼馴染達。
「ちょっ、ミユさん! そんな話は聞いてないですよ! いつからですか⁈」
「ミユちゃん、ハ組ってことは火消しさんだよね? 火消しさんの恋人になったの⁈ どうやって!」
「しかもハ組のイオ! 私、彼を知ってるよ!」
「ここ何日か化粧をして髪型も前と違うって思ったら恋人が出来たからだったんだ。火消しさんとってどうやって?」
「ミユちゃんは火事で怪我をしたからその時に助けてもらって突撃したとか? 大人しいけど度胸があるし気も強いもんね」
一度に話しかけられても全然返事を出来ない。
「スズさん、こんにちは。一週間くらい前にミユちゃんが正式にお見合いしてくれて、結婚お申し込みに返事をくれた」
「こんにちはイオさん。ミユさん、そんな話は聞いていませんよ!」
「恥ずかしくてつい。今度チエさんと会う時に言おうかなぁって……」
「俺は浮かれて言いまくっているのにミユちゃんはこれとは。俺は半結納したけどミユちゃんはしてない。俺の気持ちもこれまでの女関係も信用ならないから他の男がいたら比べるって。信用を積み上げたり、もっと口説き落とさないと祝言に至らないっていう」
「嫌いとか最低最悪って言うて……いえ、なんでもないです」
「気遣いありがとうスズさん。直接言われていたから知ってる。他のことで少し巻き返せた。と、いう訳で今日は俺も家事が出来るから家守りを頼むけど休日を作れると提示しに来た。ミユちゃん、早く洗おう」
俺を応援してくれ! と笑いながらイオは洗い場へ移動した。
「ここ、石造りの洗濯場なんだ」
「はい。どこがどの家という決まりはなくても道具を置きっぱなしにしているので我が家はこっちの方です」
「よし、どんどん洗おう」
ここの洗濯場の良いところは立って洗い物が出来ることと、水路が整備されていて貯水されたところから簡単に水を流せるので、濯ぎ場としても便利というところ。
隣の町内会から羨ましいと来るけど、これは昔々にかなりお金を掛けて造って今も町内会費からしっかり整備、修繕を頼んだり自分達で管理した結果なので横入りはダメ。
「布団掛けはふみ洗いでもええ?」
「はい。大きいからそうしています」
「それなら俺はふみ洗い係でミユちゃんは手洗いで」
階段もあるのにサッとよじ登るとイオはふみ洗いでも良いものを洗い場に次々沈めてふみ洗いを始めた。
「空は晴れてて気分良し〜」
イオが歌い始めた。
「よっ、よっ、よっ! さぁあ、よっ、よっ、よっ。悩みもないから気分良し〜」
いくつもある火消し音頭でこんな歌あったっけ。
「何?」
「イオさんには悩みはないんですか?」
「これはそういう歌詞ってだけであるよ。もう祝言したいんだけど、どうしたらええのかなぁとか」
「浮かれ腐り目三月と言いますから、三ヶ月で萎まないか、私の悪いところが心底嫌にならないか確認した方がええですよ」
「三ヶ月後は夏だから玩具花火をしよう。夏星祭りにも一緒に行く。神輿を担ぐから応援して。俺は騒いで楽しむ方。あれは仕事の一環だけど。ミユちゃんは眺めて楽しむ側」
「……はい」
歌い出した事に驚いて忘れていたけど、落ち着いたら周りの目が気になってしまった。
「ミユちゃん、ミユちゃん! 雨蛙が泳いでる!」
「そうですか。よくいます」
話しかけられたらますます恥ずかしくなりそうなので私は手洗いに集中と思っていたのに、ぴちょっと頬にひんやりしたものが当たった。
「ひっ、ひゃあ!」
「あはは。かわゆい。蛙じゃなくて俺の手でしたー」
「あそ、遊ばないで働いて下さい!」
「怒られた。怒った顔もかわゆい」
昨日までの静かさはどこへ消えてしまったのだろう。
でも、この後もイオが歌いながら楽しそうにふみ洗いするから、私はついつい一緒に鼻歌になっていた。




