お見合い3
居間の隣はやはり土間で庭はその先だった。
狭いけど、と言われたけど左右二軒と共有のようで広い。
イオが提灯を持ってきたけど、光苔の灯りが屋根に点々と吊るされているので必要ない気がする。
無言で手招きされたので木の下へ移動したら、彼は提灯を器用に木に飾った。
家から少し離れて暗い場所だったけど、これでそこそこ明るい場所に様変わり。
「イオさん、あちらの棒はなんですか?」
木に真一文字に伸びるそこそこ太い棒がつけられている。
「こういう鍛錬用」
そう告げると、イオは軽く跳ねて棒を掴んでぶら下がって、軽々と棒の上に顎をつけ、腕を伸ばして棒から手を離した。
「他にも足を掛けて腹筋するとか色々使う」
「筋肉、凄いですものね」
「見せたこと……食い逃げ犯の時?」
「はい」
「えー。俺も質問なんだけど、お手を拝借は許されるの? 手しか使わなくて、着物で隠れていない部分だけど」
手のひらを上にして両手を差し出された。
「……はい」
うわぁ、ドキドキすると思いながらそうっと手を重ねてみたら、心臓がとんでもないことになった。
耳から音が出て、それが彼に聞こえてしまうのではないかと思うくらいうるさい。
「これってつまり、自惚れてええ?」
「いえ。自惚れだと実際は違うということになってしまいます」
「……。半恋人って恋人なの?」
「いいえ。半分です。そういう説明をしたと思います」
「……」
重ねただけだった手を軽く握られて、照れはさらに増した。
彼にとってはなんでもない事でも、私にとっては一大事。
「半分の恋って何」
「漢字の上だけなら乱れや惹かれるという意味ですね。言葉を贈りあって縁の糸がもつれて絡まっていく、というので」
「ちょっと待った。意味が分からない。これも勉強しろってことか」
「下なら単純に心です。真心があると伝えました。合わさるとこひ、です」
「恋じゃなくてこひなのは来てとか、懇願しろって意味も掛かってる?」
「いえ、口にするのが恥ずかしいだけです」
「そういうところ、分かりにくい遠回しなところは苦手。俺も勉強するから頑張って言うてくれたりする? でないと宙ぶらりん過ぎて喜んでええか分からない。こひの人になるって言われて病院ではしゃいだけど、ぬか喜びではない?」
手を取るのを許してここまで言ったのに、まだ足りないの⁈
「もう、こんなに言いました。貴方にとってはなんでもないことでも、私はこのように手を重ねたことはありません。こんなことホイホイ許しません。あと、気持ちは手紙にも書きました」
「それ、その手紙。わざと文字を崩してあるあたりが何か書いてありそうなんっけど、読みにくいしサッパリ意味が分からない。勉強したら分かる?」
「中等校卒程度の龍歌教養があれば分かりますので、職場にいる管理職採用の方々に、ところどころ尋ねればすぐに分かると思います」
「君の口から聞きたいんだけど」
「……口で言えないから手紙に書きました」
「そうか……。あのさ」
「はい」
「俺、真心ある?」
「初めてのお出掛けは病院でトランプ作りがええです」
「それはまぁ、個人的に続ける予定で、人の為のようで自分の為。君を誘う口実にしようかなぁって思ってた」
「私は今日から写師の仕事は家で出来る、急ぎではない依頼しか担当しません。縁談の時間作りも兼ねて、仕事は家守り中心にします」
「ひょいって会いに行ってええって、出勤前や仕事帰りに会いに行ってもええの?」
「ええ。この料理下手は嫌、と知る為に食費を渡して私に作らせるべきではないですか?」
「いや、問題ないって聞いているけど……作ってくれるってこと⁈」
「これを確認したい、と頼まれなければしません」
「待った。待った、待った。だからこれと恋人の違いって何⁈ あの手紙、めちゃくちゃええ事が書いてあったりする⁈」
半恋人がなにか、書面と口頭で説明したけど伝わらないみたい。
「してもええと言われたので私は貴方を保険にふらふらします。自分からは探しませんが、もしもお申し込みされたら親が論外と判断しなければ、どなたともお見合いします。そちらは私をしっかり恋人扱いです。きとすなどは、まだしないで下さい。そこまでではありません」
「ふらふらします……はお見合い話ってこと。どんどんすればええ。俺は勝ち抜く」
「今、一番上にいますから勝ち抜くという表現はおかしいです」
「段々どういうことか把握してきた。ヤバい。俺、この間病院にいた時みたいになって胸が痛い。えー、ミユちゃん。手は使って良くて今肌が見えているところは触ってええだと、こういうことも起こるけど考え直す?」
何? と思ったら彼の親指が手の甲をゆっくりなぞった。
次は手を合わせるようになって指が絡まってきて、うわぁ、こういう触り方もあるんだと思って硬直。
容姿なのか他なのか知らないけど、何かがお気に入りだった女性とこういう事をしてきた人だと再認識して悲しくなってくる。
「……かわゆい。逃げないし嫌って言わないんだ。手ってあまり触らなかったし興味もなかったけど、ええなこれ」
「触らなかったんですか?」
口ではなんとでも言えるから行動を確認するということを、今後何かを考える時の指針にすることにしたから、どういう返事でも信じない。
「しょうもないって知られているから話すけど、恋人でもない女と手は繋がない。エロ心に支配された男が触りたいのは手じゃなくて胸や尻」
「……言われたらそうですね」
これを聞いたら手はあまり触ってきていないという話を少しは信じるかも。
「あのさ」
「はい」
「周りに半恋人って言うてええの?」
「半は抜いて構いません。自分は半結納したけど、余所見しそうだと思われて信用ゼロなので半結納してくれなかった。彼女は軽いお見合いはする。そうお伝え下さい」
「……言うてええの? ミユちゃんが俺の恋人になったぞーって」
「むしろ親しい人達には広めて私以外の話を駆逐して下さい。でないと浮気したという話がこちらの耳に届きません」
「……。ここも着物で隠れてないけど」
彼の右手が私の手から離れて、その手はそっと頬に触れた。汗の確認時のように指先だけ。
「これも触るなって怒らないんだ」
「……」
緊張はするけど嫌悪感はないので拒否せず。
頬が手のひらで包まれたので少し身を捩った。
「これもありなんだ。使ってええのは手だけ……キス禁止だ。触れてええのは着物で隠れてないところ……抱きしめることも不可能。確かに恋人ではなさそう」
そう告げるとイオの親指が私の唇に当てられた。 こんなことは予想外なので目を見開いて固まる。 その後、少しして慌てて横を向いて指から逃げた。
「これはギリギリ却下ってこと」
「今のは想像の範囲外でした……。次からは無しで。提示したように、そちらが良ければ一ヶ月経つまで契約内容を変更しません」
「俺が何か要求したら君からの返事について多少変更出来るんだよね?」
「ええ。私が納得すれば。このような返事は嫌だからお申し込み取り下げ、という道もあります」
「取り下げは絶対にしない。あの返事に今の時点で何か要求……。軽く抱きしめるのはあり? それは嫌? めちゃくちゃ抱きしめたい」
「……なしです。来月改めて検討します」
少し迷ってしまった。
「んー、キスは論外だろうし……。最近若い人達は恋人や夫婦は手を繋いで歩いたり腕組みしないと非常識っていう感じだけどそれは? それはありなの? 周りに恋人って言ってええってことはあり?」
「それは……。はい」
これは想定済みで、私は触れられても良い範囲を返事の書類に記載したつもり。
「こんなの後はミユちゃんを裏切らないで口説きまくればええからもう祝言みたいなものだ! よっしゃあ! 宴会だ宴会! ミユちゃんも参加で」
自分の気持ちが他に移るという選択肢もあるのに、それは出てこないのは盲目というもの?
「私は落ち着いた方がええので、歩み寄って下さい」
「いつもはここまではしゃがないから。君のことだと浮かれる。沈む時もすごい沈み方になる。慣れたら少しは落ち着くはずだから、またその時にこれでもダメとかこれなら許すって言うて」
「分かりました。私も何かあれば歩み寄ります。なので……」
手招き仕草をしたいから右手を離したら、とても名残惜しくて、私はまた自分の気持ちを自覚。
手招きをして、耳を貸して下さいと頼んだ。
はっきり言え、と頼まれたので私も少し歩み寄る。
「うん。何?」
「半分までですが……。少し……す……き……みたいです……」
「……」
イオから返事はなくて、動かないし何も喋らない。
しばらく待ってみたけどそのままなので放置して、今夜一番の難関を突破したからお腹が減ってきたので、彼を無視して居間へ戻ることにした。
「ちょっ、ちょっと! どこへ行こうとしてるの⁈」
「お腹が減ってきたので居間です」
「それは早く食べてもらわないとだけど、先に大事な話があるからここに立って欲しい」
手招きされたので戻ったら、イオはコホンと咳払い。
「結婚お申し込みに対する一回目の返事はあのまま受け入れます。よって、半恋人としてこれからよろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
「少し気にかけてもらえたら渡したかった物がある。今、一応懐にいれてあって、手元にあるからよければ受け取って欲しい。まさかミユちゃんから何か貰えるとは思っていなかったから、そのお礼はまた別にする」
もしかして、と思って眺めていたら懐から出てきたのは小さな木箱だった。朱色の白の紐で結んである。
「紅ですか?」
「……透視出来るの⁈」
「いえ、リルさんがそう言っていました。もらいました? と。貰っていないので、早速もう他の人に気持ちを移したのかなって」
「何を言うてるのリルちゃん! なんで知って……ってネビーが頼んだのはリルちゃんの旦那さんだから、一緒に選んでくれたのかな」
「ネビーさんに頼んだのですね」
「あいつが昔から通っている剣術道場には華族も通っているから、その辺りに頼んでくれるかと思って予算を渡して、流行り物で縁起良しの贈り物をって依頼した」
「あけてもええですか?」
「もちろん。退院祝いにと思って。その時少しくらい、お茶くらい付き合ってくれたら受け取ってくれないかなって思っていた」
ここは木の近くでイオが吊るした提灯があるのでわりと明るい。
紐を解いて木箱の箱を開くと、蛤らしき大きさの白色に塗られた貝殻が入っていた。
無地ではなくて朱色系の芍薬のような花が描かれている。
「蛤は良縁を願う小物って知ってる?」
「ええ。昔、学校で貝合わせをして遊びました」
「俺と縁があってもなくてもって意味。でも紅だから使いたくなければ流行り物は売れるし、何も言わずに友人に贈ったりも出来るなって理由。逆に使ってくれたら脈あり的な選択。それを考えたのは俺じゃなくて選んだ人」
「ありがとうございます。こちらは芍薬ですか?」
貝殻を手に取って見て中身を確認したらふわっと良い香りが鼻腔をくすぐった。
上半分が紅で、下半分は練り香のようだ。
「そうらしい。意味は自分で乗せるべきって言われて調べて、芍薬の話を君にした」
「練り香と紅と一挙両得の品なのですね」
「これ、色無し紅なんだって。練り香としても使えるけど夜寝る前に使うと艶々ぷるぷるになるらしくて南一区で今、大人気らしい。元一区花街魁協力で作った新作美容品って。女学生さんは薄紅でも怒られるから学校には色無し紅、学校外では紅って使い分け」
行こうと思えば立ち乗り馬車で行けるけど、平家が一区行きの立ち乗り馬車に乗ると高いし行っても物価も高いらしいので、私は南一区へ行ったことがない。
同じ日帰り旅行をするとしても、そのお金があるなら海辺街へ行った方がかなり安い。
「まあ、そのような貴重品なんですか?」
「良縁呼びの蛤に数種類の魔除け柄。この小物を売っているお店と提携店で割引券代わりになるって」
「一区のお店ですよね?」
「それがこれはまだ数が追いついてないけど、提携店は南上地区に何店舗かあって、この南三区六番地にもあるって」
「そうなんですか」
「店舗一覧はこれ。実用的でかわゆい新作美容品ってことで、華族の女学生さん達や祝言前の女性達に人気。それなら貰ってくれるだろうって選んでくれたみたい」
私はイオから手紙を受け取った。
これはとても欲しいけど、彼に対して気持ちが無かったり嫌悪感を抱いていたら断るだろう。
今の私だととても嬉しくて、彼とお出掛けの日に使ってみようと脳裏によぎる。
「よく買えましたね」
「奥さんの為に予約していたけどもう一回予約して、先にネビーの友人へって譲ってくれた。俺が選んで買ってきたって格好つけるのは気が引けるから全部ネタばらし」
「その方が好感を抱けます。それならこちらはいずれリルさんとお揃いなんですね」
「ああ。そうなるな。色無し紅は持ち歩き用に小さい入れ物に移せるのも人気みたい」
「大事に使います」
「……よしっ! 使ってくれる、と。俺が嫌なら最新美容品! って売れば得するかなって」
「また嫌いになったら売ります」
大事にしようと懐へ入れる。
「また嫌いって、嫌いだったところからよくここまできた。まだ短期間なのに」
「大嫌い、からですよ」
「……。凹むから二度と言わないで。大嫌い禁止令を発動する」
そう言われても、それはイオ次第だ。
「もうすぐ三週間ですね。おかげさまでほとんど火傷跡は残らなそうです。もうここから悪化しないだろうと言われているので安心です」
「ほとんどか。どこが治らなそう?」
「ところどころです。ほら、このあたりも」
私は頬と腕を軽く見せた。
「気にしていないんだな」
「ええ。嘆いても消えませんので開き直りです」
「これはミユちゃんの優しさの証。君は自慢しないだろうけど俺は知ってる」
トオラには傷物にならないなら安堵と言われたので、彼からしたらこの傷跡は傷物の証。
でもイオから見たら優しさの証。やはり比較は大事だ。
誰かと見合いするたびに、イオの良いところを発見するという予感がする。
「ふふっ」
「ん? かわゆいからいつでも今くらいニコニコ笑ってて欲しいけど、どうしたの? そんなに流行り小物が嬉しかった? それなら予算内なら貢ぎまくるよ」
「予算があるのは、お寿司屋さんでヒモ男のように貢がせていたように生きてきたからですよね?」
「なんでその話を知って……あの寿司屋に行ったからか。俺は頼んで払って貰ったことはない。どこどこへ行きたい、なになにを食べたいって言われた時に、手持ちがないから無理って言うたら、ご馳走するって言う女に快く払ってもらっていただけ」
「……なんか私、その支払った方達に嫌がられそうで怖いです」
イオの新たな欠点を発見。
花組の子が病院に乗り込んできた時に少し感じたことだけど、そこそこ親切だったからそこまで気にしなかった。
「嫌がられるならまだしも嫌がらせされそう。すぐ俺に言うて。しっかり対処するから。お嫁さんにしたいですってことはしっかり守りますってことだから。家宝候補はもう宝物」
両手を取られて握りしめられてドキドキしていたら、顔が近づいてきたので手を離して後退り。
「体目当てなのですか⁈」
「違うから! 同じことでも気持ちが違うし、そもそも先がないキスは別に好きじゃなかった。つい、引き寄せられて。かわゆいのに無防備だから悪いんだ。警戒心を持て警戒心を。俺は君にお触り禁止!」
そう叫ぶとイオは頭を抱えてしゃがんで「なんなんだこれ。モテ男の中身はこれって俺、全然格好良くない」とボヤいた。
「格好悪い方が旦那さんとして安心です」
「旦那さん? 今、旦那さんって言うた⁈」
「今のところ、今日この瞬間は候補ですからね」
「……毒舌というか嫌味っぽい。素直な女の方がええ気がするのになんか癖になりそう」
私は空を見上げてイオが知ったら中々口に出来なそうなので月を眺めて「月が綺麗ですね」と告げた。
新しい人生が始まったからなのか、心からそう思った。




