説教1
特に問題ないですよ、というような空気を出していた母が笑顔でイオを縁談相手として却下と告げたので驚き。
「縁は……無かったって、なぜですか⁈ この話って最初にお父さんとお母さんにそこそこ話していますよね⁈」
わりとヘラヘラ笑っていたイオの顔色が一気に悪くなって、彼は腰を浮かせて机に両手を置いて母に向かって前のめり気味になった。
両親はそこそこ知っていた話なんだ。
「教わった話と少々異なりますし、話は聞いても承知したり納得した訳ではありません。そう申し上げていたかと。これからは何もしませんなんて信用ゼロです。ただでさえ不安があるのにさらになんて。女性関係は時間、お金を食いますし、娘が苦悩する可能性が高いのにあっさりどうぞなんて言えません」
「金は使っていません! 家計簿や貯金で証明出来ます。本気の女がいなかったからです。少々ふらふらしていましたが、これからは違います。お願いです。信用を積み上げる時間を下さい。門前払いは勘弁して下さい!」
イオは深々と頭を下げた。
母は私を見て肩を揺らしてニコリと笑顔。
怒って破談にする、という感じではないみたい。
「女関係は信用ゼロから積み上げます! 他、他の問題はなんですか⁈ 全部どうにかするので、機会と時間が欲しいです!」
顔を上げたイオはまたしても母の方へ前のめり。すると母は神妙な面持ちに様変わり。
「親戚付き合いといいますか、私達とはその辺りが異なるようなので、娘がやっていけるのか不安です。それなのにさらに女性関係で苦悩するなんて心配でならないです。人は、口ではなんとでも言えます」
「若干、想定済みなんで改善策や提案書類を作っているのでそれを使ってお父上も含めて話し合いして欲しいです。お願いします! 検討する損はありますか? 他の男の条件上げにも使えますからお願いします!」
母は小さなため息を吐いた。
「それではそれが終わって縁談継続に決まるまでは娘と会わないで下さい。よって、破談なら娘とあなたが会うのは今日で最後です」
思わず、それはちょっとと言いかけて慌てて唇を強く結ぶ。
欠点を提示されてもなお会いたいって思った自分に戸惑う。
「は、はい……。はい……。く、首の皮一枚繋がった……」
「二度と会わないかもしれないので、親ではなくて本人の意見も聞きたいでしょう。結婚するのは娘です」
「はい。はい!」
「亭主元気で留守がええ、多少ふらふらしていても他が良ければ目をつむるみたいな考えかもしれません。娘にも欠点があるように全てを持っている方なんていません」
「ミ、ミ、ミユちゃ……ミユさんは門前払いですか?」
今日のこの話は母と兄が話して終わりだと思っていたから話を振られて動揺。
母に机の下で伸ばしている足を軽く撫でられた。
「そのような行いの何が悪い、に反論はまだ思いつかないので考える時間が欲しいです。ただ態度が悪いので良くなりつつあった印象が悪化しました」
「……よし。よし! その返事は門前払いじゃない。直すから。気をつけて直す努力をして過程も結果も見せるから、お願いだから二度と会わないはやめて下さい」
「お兄さんもですが、乙女の憧れを返して下さい。私は恋人がいたことはありませんが、そのような行いはしたことがないし、しようと思った事はありません」
「それはほら、男と女で色欲ボケ具合や体の仕組みが違うから。個人差もあるけど平均すると男女差は明らかだから。俺は女が不特定多数にふしだらだとヤベェ奴だと思っている」
「そのヤベェ奴と遊ぶあなたも仲間ですね。そうなると普通とか、平均ではないかと」
「……いやそれはそうなんだけど、ついとか、我慢しきれないとか、男の性で……。でも直すから。君のためなら努力する。君がいるから励める。これまでは具体的な理由が無かった……よぉ、ネビー。どうした?」
イオの視線が移動したので私もその方向に顔を向けたら、昼前に別れたネビーがこちらに向かっていた。
「どうせ通り道だから居るかもしれないと思って確認に来た。皆さん、こんにちは」
「お母さん、兄妹でお見舞いに来て下さったルーベルさんです。お兄さんには特に話していなかった気がします。イオさんの幼馴染の地区兵官さんです」
私がそう告げると母と兄が挨拶をして、ネビーをイオの隣へ招いたので、彼は会釈をして着席。
「慰問と思って今日までに知り合った子ども達とトランプをして、今はお母さんにお前は信用ならないから破談って言われて、ミユちゃんにも怒られて、頭を下げて縋っていたところ」
イオはネビーに今のことを素直に語った。
「奥さん、彼の女性関係についてですか?」
「はい。恋人が三人いるという噂を仕入れまして。誤情報でしたが別の女性問題を説明されて、それはちょっととお話ししていたところです。信用ならないという話題ですぐにそう結論づけるのですね」
「家柄、資産、稼ぎ、ツテコネ権力、社会的地位などは平家写師の娘さん相手ならイオは格上です。それで格上、格下、同等どれだろうと娘想いの親御さんが最低限確認するのは金銭感覚、酒癖、暴力、博打、女、薬、病気あたりです。そちらは色々知らないでしょうが、この中で彼が引っかかることは女関係です」
幼馴染のネビーから見てもイオの欠点は女性関係ってこと。
彼はここから友人を庇うのだろうか。
「まだ短期間でなんとも言えませんが、表面的な条件はほぼ問題ないどころか我が家からしたら平均以上です。格上からありがたい話だと思っています。それでその残りの懸念、女性関係を質問していました」
「説明した結果、お母さんに断られた」
ネビーは母とイオを見比べてから私を見据えた。
「何をどう説明されたのか知りませんが、皆さん何か質問はありますか? かなり親しいので彼のしょうもないところは大体知っています」
「かなり親しいなら、彼の仲間ということですよね? 一緒になって何をしているか分からない方に尋ねても信用出来ません」
兄がネビーに喧嘩を売った。卿家という情報はないから気後れしないのかもしれない。
彼は火消しではなくて地区兵官だからこの喧嘩は買わないかなと思っていたら、ネビーは無言で軽く頭を下げた。
「自分なりに諭していましたし、そこそこ成果はありましたが、至らなくて、足りなくてすみません」
「げっ。ちょっ、やめろ。悪いのは聞く耳を持たなかった俺だからそれはやめてくれ」
「お前こそ全力で頭を下げろ。それともそういう気持ちはないのか? ないなら別に破談でええな」
「違うから! 首の皮一枚繋がって改善策や提案は聞いてくれるって。書類を作っているからそれを使って話し合い。ミユちゃんに会うのは禁止だけど、話し合いはしてくれるって。でもミユちゃん自体が怒って……怒っているなら嫉妬だから脈あり?」
そう言われると私は「やめて、嫌!」って気持ちが湧いていないので脈なしになる。
しかし、実際は嫌な予感がするので想像したくないから、どういう風に女性と接していたのか考えたくないと思考停止中。
聞かなかったふり、見て見ぬふりをしようとしている時点で彼を即破談にしたくないという意味になるから、彼はある意味正しい。
「なんでそう自分に都合良く解釈して前向きになろうとするんだ。顔や地位、金優先の女性なら問題なかったのに残念だな。縁談の優先事項が貞節ならお前は圧倒的に不利だ」
「……反省した。後悔している。ミユちゃんと出会うと分かっていたら色々我慢した。だって、二十五才前に花組からそれなりっていうか、まぁ家を任せるには悪くない相手を選ぶ予定だったんだ。モテる火消しが二十五才過ぎて独身は結構ヤバい男だ」
そうなんだ。
「お前は今の半分か今くらい遊んでも許してくれそうな、そのくらいなら仕方ないと思ってるくれる都合のええ女を雑に選ぶ気だったからな」
「そうだ。それで俺を尻に敷いてガツンと怒る女。遊ばないのが一番だから首に縄をつけてくれるしっかり者。候補はそこそこいるからその中で親や兄貴と気が合う女」
ネビーは神妙な顔をして体をイオの方へ向けた。
「俺の周りの女はこのくらいなら許してくれるから問題ない。親も本人も理解のある花組以外狙いなんて考えは微塵もないから大丈夫。大丈夫じゃなかったな。俺は言うてきたぞ。何があるか分からないからもしもに備えろって」
「……やめろ、ここで言うな。直すから今ここで説教するな」
イオは嫌そうな顔で軽く頭を下げている。
「耳が痛い時に聞いた言葉は心に残る。突き刺さって中々抜けない。よって今、言う必要があるから聞きなさい。正座」
「……はい」
イオは正座してネビーと向かい合った。
「復唱しなさい」
「はい」
「後悔先に立たず」
「後悔先に立たず」
「意味は分かりますか?」
「えー、あー。先に立たない? 先に立つってなんだ?」
「後の祭りは分かるか? 同じ意味だ」
「後悔しても無駄ってことか。その通りだ。逆立ちしたって過去は変えられない。でもこんなこと誰が予想……やめろ。俺は予想して律しているぞって目をするな」
「周りに手本がなかったのならともかくお前にはいた。予想できないって教えてきた。そうだよな?」
「聞いてきたし見てきたから分かってる。屁理屈こねて自分を甘やかしたのは俺だ」
ネビーにキッと睨まれたイオは嫌そうな顔で俯き続けている。
兄にはあーだこーだ言い返したのに、ネビーには反論しないのは反論出来ない理由があるからのようだ。
「我が師匠からのありがたいお言葉だ。これも復唱しなさい。人を知る者はち。自ら知る者は明なり」
ちは知だろうか。
「人を知るものはち? 知力?」
「後で書かせる。他人を理解する事は普通の知恵で自分自身を理解する事はさらに優れた明らかな知恵が必要というような意味です」
「やめろ。もう既に大反省だからあの怖い師匠の言葉を使うな」
「人に勝つ者は力有り自ら勝つ者は強し。復唱しなさい」
「はい。人に勝つ者は力有り自ら勝つ者は強し」
「他人に勝つには力が必要だけど自分自身に打ち勝つには本当の強さが必要だ、というような意味です」
「そ、そうだ。その通りで人には何とでも言えるけど、自分の事は難しいだろう?」
あっ、反論した。
「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり。復唱しなさい」
「為せば成る。為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
「強い意志を持って行動すれば必ず実現出来る。出来ないと諦めてしまうのが人の弱さである」
「そうだ。人はあれこれ弱い。だから努力は必ずしも実るものではない。元々の能力もある」
「強めて行なう者は志有り。努力を続ける人間はそれだけで既に目的を果たしているのです。励むということは既に何かを為しています。しかし努力をやめた瞬間、励むことを放棄したその時に、道は閉ざされる」
「いや、ほら、俺は俺なりに多少は……」
「そうだな。俺はその多少を知っている。出来なかったとしなかったでは結果は同じでも地と天ほどの差がある」
「そうだよな! 俺は努力放棄しなかった!」
「未熟なりにでも励んだと胸を張って言えるのならそれを相手に誠心誠意説明しなさい。間違ってもいつものように開き直るな。どうせお前は開き直っただろう。そういうのを性悪という」
少し持ち上げてすぐに落とした。
イオは小さな声で「その通りで発言を間違えました。すみません」と口にした。
「では、まずその事を謝罪しなさい。続きはその後だ」
イオがこちらを向いて「皆さん、開き直って申し訳ありませんでした」と謝罪。
「まぁ、お母上や兄上はこのような男性と大切な人を縁結びさせないと心の中でほくそ笑むだけだ。世の中には皮を上手く被れるロクデナシもいるので分かりやすいと楽で良いです」
「そうだよな! 俺にはわりと正直者という長所がある」
「続きがあるのでこちらを向きなさい」
「今、ここで? 俺はまだ醜態を晒すのか?」
「その気持ちが戒めになるので今、ここでです」
「ちなみにこちらのお兄さんと口喧嘩になって、売られた喧嘩を買ったんだけど……それも怒られるべきだよな?」
イオは自分から怒られにいった。
「どのような喧嘩を買ったのですか?」
「俺の行いは一般的ではないと言われたので、頭空っぽでロクに考えずに花街ホイホイ男よりマシ、みたいに言いました」
ネビーは兄を冷めた目で数秒見つめてからイオへ視線を戻した。
「どちらがマシ、は相手女性の価値観によるものでお前が決めることではない」
「はい。なのについ、カッとなって口喧嘩しました」
「惚れた女の兄を貶めて楽しかったか? 口で丸め込んで嬉しかったか? 妹を心配する優しい兄を足蹴にするとは性悪だな」
「そういう視点を忘れていました。ミユちゃんにも態度が悪い、印象だだ下りと怒られて反省しています」
「なぜ忘れたのですか?」
「自己保身です。とにかく自分はそこまで悪くないと主張したかったからです」
「保身に走った結果、身を滅ぼしたということです。悪い、悪くないというものは余程でなければ主張しなくても証明されます。日頃の行いで信じてもらえるものです」
「はい。その通りです。口先だけの誤魔化しは通用しません」
「通用することもあるけど、それをしたら詐欺行為だ」
「はい。詐欺師にはなりたくないです」
兄はイオと同じ土俵に立たないでこのように彼を責めたら今のように態度を変えただろう。
トントン、と母に肩を叩かれて軽く耳打ちされた。
「このままにしましょう。人柄がより分かるから」
私は小さく頷いた。
「シノさんにもええ薬です」
その兄は目を閉じて腕を組んでジッとしていて何を考えているのか分からない。
「喧嘩の時にどういう手に出たら良いのか分かりますね」と母にまた耳打ちされた。
喧嘩をした時って私とイオの関係はまだ続くような口振り。
でも私も心の中で似たようなことを考えていたので、娘想いの母ってなんでもお見通しなのだろうか。
ネビーのお説教はまだ続くようでイオは再度彼と向かい合わされた。




