10.ハレさんとのデート、幼馴染からの呼び出し
双葉が先輩の純粋な気持ちを無残にも踏みにじった、地獄のようなランチから数日。
俺は自分なりに着飾った格好で、中央区で一番大きい駅前に立っていた。
あの日、先輩が双葉とのランチで抱いたであろう幸福感を想像すると、それが儚い幻であるという残酷な現実に同情を禁じ得ないが、幸か不幸か先輩は恋人の悪魔的純粋さなど知る由もないので、おそらく今日も夢心地で双葉との逢瀬を楽しみにしていることだろう。
ここまで来ると、いっそ先輩に知らせて差し上げた方がいいような気もするのだが、逆にここまで来ると反動で真実を知った先輩がどういう行動に出るか想像が付かないので、とりあえず俺からは今まで通りノータッチという姿勢を貫かせていただこうと思う。
先輩と双葉のデートが催される今日、俺がこうして駅前でスタンバイしているのは、もちろん二人のデートを陰から見守るため……ではなく、嬉しいことに俺もハレさんからデートのお誘いを受けたからだ。
双葉から先輩とのデート決定を知らされた後、二人きりになった時に「双葉ちゃんがデート行くなら、私たちもしちゃおっか?」と言われたので、一も二もなく合意した。
俺は幼馴染が自分以外の男とデートをするからと気になって覗き見をするような、女々しい男ではないのだ。
そもそも今日、双葉が先輩とどこに行くのかも一切聞いていない。そんなに興味なかったし。
向こうは向こうで、楽しんでくればいいだろう。
楽しんでこれるといいな……。
「おはよう、京太郎くん。ごめんね、待った?」
俺が先輩の無事を心の中で祈っていると、もはや天使ではないかと思わせる温かみのある声が横から掛けられ、幸福感で先輩のことが割とどうでもよくなった。
「おはよう、ハレさん。俺もさっき来たところだよ」
声だけでこれだけ可愛らしいのだから容姿も揃えばなお素晴らしかろうと、挨拶を返しながら目を向けてみれば、そこにいたのは紛うことなき天使だった。
今日のハレさんは、白のブラウスとベージュのフレアミニスカートの、シンプルながら春らしい清潔感のある装いだ。
ハレさんの髪は普段あまり手を加えていない印象があったが、今日はサイドで結んだ髪を大きめのヘアピンで留めており、このデートのために飾り立ててきてくれたことが良く分かる。
薄めの化粧も彼女の素朴な感じを損なっておらず、より天使感を増していた。
総じて平均的な女子の体型である双葉と比べるとハレさんはやや小柄なので、いかにも「女の子」という感じが強い。
「ハレさんはいつも可愛いけど、今日は格別だね。結んだ髪とヘアピンが特にいいと思う」
「あ、ありがとう。ちょっと、気合入れたから……」
見惚れつつも忘れないように装いを褒めると、ハレさんは恥ずかしそうに俯きながら答えてくれた。
恥じらいと喜びがひしひと伝わってくるその様子に、俺も自然と高揚感を覚えずにはいられない。
やはり天使だったか。
こういう時にちゃんと褒めないと双葉は拗ねるので、俺はいつもどこを褒めてほしいのか当てるのに苦心していたのだが、今日この日のための特訓だったと思えば、まあ双葉に感謝してやってもいいのかもしれない。
「あ、そうだ。今日はいい天気になって良かったね」
「あ……うんっ。そうだねー。今日は晴れの日、デート日和♪」
気を失うかと思った。
気を取り直すためにも、服装を褒めていて飛ばしてしまっていた朝のお約束ネタを振ってみたところ、いつもとは少し違う返しがきたので、あまりの可愛さに目が眩みそうだった。
デートバージョンなんてあったのか……。もっと早く、ハレさんとデートするべきだった。他の可愛いバージョンも見たいから、一覧とか作ってくれないかな。
「ふふっ。京太郎くん、行こう?」
「あ、ああ……。そうだね、ハレさん」
俺が世界平和への切っ掛けにたどり着きそうになっていると、柔らかい感触が右手に伝わってくる。何とハレさんの方から手を繋いできたのだ。
今日のハレさんは、どうやら魔性の天使らしい。
出会って挨拶しただけで、ハレさんの普段は見せない一面に魅せられてしまうのだった。
今日のハレさんとのデートは、中央区での街歩きとなっている。
駅前のビル内で地元の画家の作品を集めた展示会をするらしく、密かに絵画に興味があるらしいハレさんのリクエストにより、そこに向かうこととなった。
ちなみにハレさんも俺や双葉と同じく帰宅部なので、美術部には入らないのかと尋ねてみたのだが、どうも人前で絵を描くのは苦手で、完全に個人の趣味として楽しんでいるとのことだ。一度、ハレさんの描いた絵を見てみたいものだが、今はまだ頼んでみても断られそうだな。
「京太郎くんは、美術館とか行ったことある?」
「学校の遠足とかならあったと思うけど、プライベートではなかったかな。どっか行くとなると大体双葉が一緒になるし、そうなると行き先はほとんど双葉の気分で決まるから、そういうところには行かないな」
双葉は綺麗な絵を見たりするのは嫌いではないだろうが、高い確率でテンションが上がって騒ぎ出すので、そういう「静かにしなければいけない場所」はなかなか選ばないだろう。
同じ理由で映画館にも行きたがらない。俺にやたらと声を掛けてきて、他の客に注意されかねないのを自分でも分かっているからだ。なので俺たちが映画を観る時は、基本的にどちらかの家でDVDの鑑賞会となる。
「あー、そうだね。双葉ちゃんは、そういうの好きじゃなさそうかも」
「好きじゃないというか、思ったことが大体口に出るから、ああいう雰囲気は苦手なんだと思う」
そんな風に話しながら歩いていると、目的の展示会場までたどり着く。
俺も双葉のように雰囲気が苦手とは言わないが、そもそもこういう場所を楽しむ経験に乏しいので、ここはアマチュアとはいえ興味と知識のあるハレさんにコースをお任せるとしよう。
「思ったより小さい子供も多いんだな。割とざわついてるし」
「有名な人の個展とかじゃなくて、市で主催してる展示会だからね。あっちの方に子供向けの絵とかも展示されてるみたいだし」
「なるほど。入場料がお安いのも魅力的だな」
流石に市主催というだけあり、入場料は大人(高校生以上)が三百円と懐に優しい設定となっている。
バイトもしていない高校生には五百円でも少し迷うレベルなので、千円近く掛かるようなお高い美術館などは夢のまた夢だろう。
俺がバイトをしていない理由は言うまでもないかもしれないが、まあ双葉が遊ぶ時間がなくなると嫌がるからである。
その割に自分は彼氏を作って俺との時間を削っているのだから、まったく勝手なものだ。かといって破局されて、こちらに飛び火しても困るのだが。
「あ、私のおすすめはこの辺かな」
そうして展示会場を歩いていると、ハレさんのお目当てらしいコーナーについた。
当然俺は詳しくないので、ハレさんの説明を聞きながら見て回るのだが、説明の力の入り方を見ていると好きな絵の方向性が窺える。
「ハレさんは、あれかな。油絵の風景画みたいなのが好きなのかな」
「良く分かったね、京太郎くん」
明言していないのに、はっきり当てられたのが意外だったらしく、ハレさんは俺に顔を向けて目を丸くした。
「まあ、何となく話し方から。特に明るい光の表現とか語る時に、熱が入ってた気がする」
「ふふっ。京太郎くん、探偵になれるんじゃない?」
どうやら光の方も読みは外れていなかったらしく、どことなく嬉しそうな顔で言ってくるハレさん。
「探偵は難しいんじゃないかな。何でもかんでも興味あるわけじゃないし」
展示品に目を向けながら、俺は深く考えずにそう口にした。
俺はどちらかと言えば、どうでもいいことは本当にどうでもいいタイプだと自認している。
自分から気になったならともかく、人から言われて首を突っ込んだりはしないだろう。
「じゃあ、私のことは興味があるから、好きな絵も分かったのかな」
「……ハレさん?」
急に落ち着いた声色で問いかけられたので、驚きつつハレさんの方に目をやる。
俺の目に映ったハレさんは、その声色に違わず落ち着いた、見様によっては思い詰めたようにも感じる表情で俺を見つめていた。
しばしの間、二人で黙って立ち止まり、見つめ合う。
展示会は混雑していないものの周囲には少なくない人がいて、騒がしくはないがそれなりの声が周囲を飛び交っているはずなのに、ハレさん以外は目に入らず、二人の吐息と俺の鼓動以外は何も聞こえない。
まるで俺とハレさんだけが、別の世界に隔離されたような錯覚を覚えていた。
多分、ここがひとつの分岐点なのだと思う。
俺とハレさんのこれからの関係を決めるための。そして俺たちと双葉の関係をも決めるための、最初の分岐点。
きっとこれが最初で最後の機会ではないだろう。ここで分岐を決めなくても、俺がハレさんと一緒の時間を過ごす限り、また機会はやってくるはずだ。
それでも、俺は今この機会を間違えたくなかった。
たとえやり直せるとしても、今間違うことでハレさんを傷付けてしまう可能性があるのなら、俺は何よりも真剣に応えなければいけないと思う。
「……そうだね、あるよ。俺はハレさんに興味がある。だから分かったんだ」
そうして考えた末に、俺は俺なりの思いを込めたつもりで、言葉を口にした。
この答えが正解なのか。それともさっきまでの俺の考えが、二人きりという空気に酔った滑稽な思い上がりだったのか。
「そっか……嬉しい」
それはこの笑顔を見れば、言うまでもないだろう。
今日は夕方から雨が降るとのことだったので、十五時を回った辺りでデートを切り上げ、ハレさんを家まで送って行った。
俺とハレさんの関係は、まだ仲のいい友人のままだった。
別にさっきの場面で何かを間違えたわけでもないし、少なくとも何も変わっていないということはないのだが、多分二人とも友人から新しい関係に変わるにはまだ時間が要ると考えたのだろう。
今のこの中途半端な関係も、もっと先の俺たちにとって懐かしい過去になるに違いない。
「なんて、浮かれてるなあ……ん?」
今まさに青春を謳歌していると実感しつつ、もうすぐ自宅に着くというところで、ズボンのポケットに入れたスマホが長々と振動していることに気付いた。
何となく嫌な予感を覚えつつスマホを取り出し液晶を見ると、表示されているのは予想通り、彼氏とデートに行っているはずの幼馴染の名前だ。
よもや彼氏と一緒の時にかけているのではないかと不安になりつつも、まあ放っておくわけにもいかないので応答するしかない。
「もしもし?」
『あ、キョータロー! ごめん、もし暇だったら、駅まで傘持って来てくれない?』
結論から言えば、俺が駅まで行った時、双葉は彼氏と一緒ではなかった。
どうやら電車で帰る先輩を駅で見送った直後に雨が降り出したので、ビニール傘を買うくらいならと俺を迎えに呼び出したらしい。
俺と双葉の家がある東区よりも、中央区の方が雨の降りだしが早いというのはよくある話で、実際にさっきも双葉と電話で話している最中に、俺の方でも小雨が降り始めてきた。
そのせいで双葉の頼みを無下にできず、こうして傘を持って迎えに来ることになったのだ。
「ごめんね、キョータロー。来てくれて、ありがと」
「ああ、いいよ」
俺は本当に別にいいのだが、どうにもデートの後に彼女が他の男に送り迎えされている先輩が、不憫で仕方がない。
文句を言うのなら、双葉を家まで送るとかなり遠回りになってしまう先輩宅の立地に対してか、もしくはデート後だろうと躊躇いなく幼馴染を呼び出す彼女にしてほしい。
「そういえば、デートはどうだったんだ?」
「あ、映画行ったよ。映画館で見るの、ちょー久しぶりだった」
マジか。映画館に行ったのか。
双葉と出掛けるのに映画館はないと思っていたが、デートだと違うんだな。意外に双葉も、彼氏と一緒だとお淑やかだったりするんだろうか。
俺としては、溌剌とした双葉を見慣れているので、隣で大人しくされるとかえって落ち着かなくなりそうだが。
「何か先輩、恋愛映画が好きみたいで」
……それは多分、彼女と一緒に観て雰囲気を良くしたかったのではなかろうか。もしくは女の子なので恋愛ものがいいだろうと気を遣われたか。
まあ先輩は純情らしいので、普通に恋愛ものが好きなのかもしれないが。
突っ込んで聞こうとは思わないが、あまり雰囲気を良くするのには役立たなかったのだろうと思う。
「あと先輩の友達にも会った。バスケ部のマネージャーやってる人で、すっごい美人で格好よかったよ」
「へえ」
先輩とは話したこともないのに奥手なイメージを持っていたが、流石イケメンだけあって女友達もしっかりいるらしい。
聞けば偶然、街中で会って軽く話したとのことだ。
「あ、そうだキョータロー。晩御飯、食べて帰らない?」
「今からか? まあ、いいけど。何にするんだ?」
「ラーメン!」
唐突に食べたくなったらしく、やや食い気味に言われた。
後で聞いたが、どうも昼に寄ったお洒落なカフェでは、今日の気分は満たせなかったらしい。
「あ、おかえり……んー? 兄ちゃん、なんか匂う」
「え? 嘘……菜乃香が反抗期?」
双葉とラーメンを食べて家に帰ると、菜乃香から衝撃の一言を言われた。
ヤバいな、これって「明日から兄ちゃんとあたしの服、一緒に洗わないで」とか言われちゃうんだろうか。
……本当に言われたら、俺は泣くかもしれない。
「違うって。何か食べてきたの?」
「あ、ああ、そういう。良かった……あ、食べたのはラーメンな」
どうやら反抗期特有の暴言ではなかったらしい。
心の底からホッとしつつ、ブレスケアはもっと念入りにしようと決意した。
たとえ菜乃香に悪意はなくとも、妹に言われるとつらいセリフというものは、いくらでもあるのだ。
俺の言葉に納得した菜乃香は、すぐに苦笑し始めた。
「今更だけど、彼氏持ちの姉ちゃんとデートって、ただの間男だよね」
そして、よりにもよって間男呼ばわりである。
「どこでそんな言葉覚えたんだよ。デートはデートだけど、双葉じゃないぞ」
「……え?」
俺の反論に、双葉は目を丸くして驚く。
まあ、今まで俺に双葉以外の女友達なんていなかったからな。
双葉込みで一緒に遊んだ子はいたけど、デートとなると話は別だろう。
「兄ちゃんが姉ちゃん以外の人とデートしたのもびっくりなんだけど、姉ちゃん以外とのデートでラーメン食べたの? 大丈夫なの、それ」
「いや、ラーメンは双葉とだな。昼間は他の人とデートしてた」
「……ごめん、兄ちゃん。意味分かんない」
うん、俺も意味分かんない。
正確には意味は分かるが、どうしてこうなるのかが理解できない。
とはいえ事実を隠す意味もないので、菜乃香にはそのまま説明してやった。
話を聞き終えた菜乃香は、あからさまに呆れた目で兄を見てくる。
「兄ちゃんはあれなの? スケコマシ?」
「マジで菜乃香、どこでそんな言葉覚えてるの?」
反抗期とか関係なしに、妹からの好感度が下がっている気がする。
ハレさんとの進展、相変わらずの双葉、呆れる菜乃香――。
慌ただしいデートの一日は、こうして幕を閉じたのだった。
双葉は京太郎が横にいないと、少しだけ大人しいです。




