第99話 片田舎のおっさん、にらみ合う
「先生、やっぱりお強いですね~」
まるで散歩にでも出かけるかのような気楽さで、彼女は言葉を紡いだ。
周りの景色はとても長閑と言えるものではなくなってるけどね。折角新調した服も、返り血でヤバいことになっている。高かったのになあ。洗って落ちるかなこれ。
「……まあ、この程度が相手ならね」
俺なんぞでもさしたる苦戦もなくあの数を御せたのだ。その腕前は察せられて然るべきである。本当に数だけ揃えましたって感じだった。
言うと同時、剣を振るって血を落とす。
見知った顔を斬るには、些か切れ味の良すぎる剣だ。いや、まだ彼女と戦うことが確定したわけじゃないが、嫌な予感というものはどうしても脳裏を過る。
「……どうして、刺客たちを通したんだい」
結局口を突いて出たのは、こんな言葉であった。
俺はこれを聞いてどうしたいのだろう。ロゼの口から、はっきりと否定して欲しかったのだろうか。状況証拠だけで見れば、彼女の疑惑ははっきりしているのに。
「うふふ、何のことでしょう? 私はちゃんと戦っていましたよ~」
ロゼの姿勢は崩れない。ずっと微笑みを湛えたままだ。
しかし、本当にその言い分が通ると思っているのだろうか。
いや、その可能性は多分ないだろう。彼女もふわふわした性格ではあるが、頭の回転が悪いわけじゃない。
ロゼの鎧は見るからに重厚で、綺麗だ。教会騎士団副団長の座に相応しい、立派な鎧である。
その鎧に未だ、返り血や汚れ、傷といったものは一つもなく。それは彼女がまともに戦っていないことの、何よりの証左であった。
「鎧に汚れや傷一つないのに、かい?」
その点を改めて指摘してみれば、彼女はさも今気付きました、と言わんばかりに瞳をぱちくりとさせ、すっと視線を下に下げる。
「……盾で吹っ飛ばしちゃいましたので~」
「……そうか」
次いで出てきたのは、この場にあまりにも似つかわしくない、幼稚とも取れそうな言い訳。
少し、考える。
言った通り、彼女は掴みどころのない性格こそしているものの、頭が悪いわけではない。人並み以上に考える力と人を見る力を持っているはずだし、そもそもその点に不足があれば、副団長なんて地位に就くことは出来ないはずだ。
なのに、こんな状況になってまで下手な言い訳を重ね続けている。その本心がまったく護衛に向いていなかったことくらい、誰が見たって分かるというのに。
誰にも言えない理由があるのか、相手が俺だから言いたくないのか。
その真意を知りたいと思うのは、果たして俺の我が儘か。
「それにしては随分と、不届き者を通していた様子だけど」
「……たまたま調子が優れないことくらい、先生でもあると思いますよ~」
ロゼは、エストックを抜いてはいる。
しかし、その剣身は綺麗なものだ。血一つ浴びていない。それはつまり、まともに暗殺者どもを相手取っていなかったことを意味する。
「それほど、グレン王子が王位を継ぐと都合が悪いのかな」
「……」
これでは埒が明かんと、ルーシーから聞いた情報を口に出してみる。
この段になって初めて、ロゼの表情から微笑みが消えた。
「……先生は強いだけでなく、物知りなんですね~」
「なに、ただ伝え聞いた話さ」
スフェンドヤードバニアの中で今、具体的に何が起こっているのかは知らない。教皇派と王権派、どちらが正しいのかも分からないし、双方の言い分も俺は知らない。
もしかしたら、教皇派には俺なんかでは与り知らない大義があるのかもしれない。ただ、それを加味してもなお、王族の暗殺などという血生臭い企みを看過することは出来なかった。
「……やっぱり、あの程度で先生は抜けませんか」
「……誉め言葉として受け取っておくよ、一応ね」
これ以上しらばっくれるのは無理と見たか、ロゼの表情が変わる。
まあ、確かに相手の数は多かったがそれだけだ。それに懸念であった王子と王女の護衛も、アリューシアとヘンブリッツが務めてくれた。
であれば、あの程度の手合いに負けるほど俺も耄碌はしちゃいない。最初に襲ってきた腕利きが纏まっていたら、分からなかったけれど。
「……先生は」
「うん?」
その口調を少し変え、ロゼが口を開く。
「先生なら、自分の祖国が窮地に立たされていたら、どうしますか?」
片田舎出身のおっさんには、些か答えづらい質問だ。
俺に政治は分からない。仮に俺が国王や、それに準ずる立場の人間になったとして、上手く運営出来る自信はこれっぽっちもなかった。
「俺は田舎のおじさんだからね……。政治のことは分からないけれど」
多分、この質問に関係するところで、ロゼは思い悩んでいるのだろう。
であれば、たとえそれが突飛なものであったとしても、俺は彼女の師匠として己の考えを述べる必要があると思う。
「まずは……国民の皆に訊くんじゃないかな。何に困っているのかを」
「……そうですね~。それが、善良な為政者の姿なのかもしれません」
まあ、聞いて回る他ないかな、という感想がまろび出る。国民が一体何に困っているのか意見を聞き、それを考え、一つひとつクリアしていく。
凡庸な俺の頭では、その程度しか思いつかなかった。
「ですが」
再び、ロゼの表情から笑顔が消えた。
「国の為政者たちが、国民そっちのけで争っていたら。くだらない権力争いで年々国が疲弊し、国力が落ち続けていたら。一刻も早く、国の中枢を浄化する必要に迫られたら。誰もが頂点に座することだけを考え、醜く争っていたら」
彼女は、一気に捲し立てる。
「先生は、どうしますか?」
そう疑問を投げかけた彼女の貌は、苦悶に満ちていた。
「……どうだろう。俺は知っての通り、偉くも賢くもないから」
きっと今の状態では、俺なんかの言葉だけでは彼女の心は開けないのだろう。
笑顔の裏に壮絶な覚悟を秘め、今回の事に及んでいる。ルーシーの予測通り、王子を亡き者として教皇派の有利を決定付けたいのだろう。
それで国が纏まる保証はない。ないが、現状のままずるずる疲弊していくよりはマシだと、誰かが唱えたのかもしれない。
そしてロゼは、その腹案に乗った。
その過程に如何程の苦悩と葛藤があったのかは知る由もないが、軽々に決められたことでもないはずだ。それは彼女の表情が物語っている。
「……だけど」
しかし、彼女がいくら悩んで、悩んで、悩み抜いて出した結論とはいえ。
「曲がりなりにも俺の元弟子が、正道を踏み外している様を見て、目を逸らすことは出来ないね」
そんなクーデター紛いのことが、許される道理はなかった。
「……そうですか。やっぱり先生は、良い人ですね~」
ロゼの表情に、笑顔が戻る。
けれど、気のせいでなければ。
彼女の顔は、泣き出したいのを必死に堪えている子供のようにも見えた。
「君もその"良い人"だったように思うけど」
「……ふふ、どうでしょうか~」
ロゼは道場でもよく小さい子の相手をしていたり気にかけていたりで、アリューシアとはまた違った面倒見の良さを見せていた。
子供が多かった俺の道場では本当にお姉さんといった感じで、門下生からも慕われていたように思う。
「俺は、人を守るための剣を教えていたはずだけどね」
これは剣筋とか流派とかそういう話ではなく、心意気の話である。
剣は、武器だ。人を殺めてしまうこともあるだろう。俺だって先ほど大量の人を斬ったばかりだ。不殺の剣を謳うつもりはまったくない。
しかし、その剣を振るう目的を見誤ってはならない。それなり以上の力には、それなり以上の責任が伴う。
そういう風に、俺は剣を教えてきた。
「これも、大勢の人を守るための剣です」
だが、彼女が俺の道場で得た答えは、どうにも俺が想定するものとは些かかけ離れてしまっていたらしい。
「血は流れるでしょう。多くの人が亡くなるでしょう。ですが、これは救世です」
「それは間違っているよ、ロゼ」
さっきも言ったが、俺に政治は分からない。
もっと言えば、興味がない。俺は俺の振るう剣と、俺の弟子が振るう剣、そしてそれに伴うごく狭い範囲の周囲が、幸せであればいいと思っている。
だが、無学な俺にも分かることはある。
「血の上に、革命は成らない」
凶刃を振るえば、必ず遺恨が残る。
そうならないよう、俺だって剣を振る時と場合は相当に選んでいるつもりだ。そうじゃなければ、剣の達人なんてただの殺人者である。
「……それに、もう一つ気になることがある」
「……なんでしょう~」
彼女が非道に手を染めてでも成し遂げたい救世。
その具体的な内容、そう決断するに至った国の内情なんかも気にはなるが、それ以上に引っかかるものがあった。
「君は、どうしたいんだ」
「ですから、国の現状を憂いて――」
「違う。そこから先の話だよ」
ロゼが国を憂いているのは分かる。そして、それを解決する手段として王位継承者の暗殺を企んだことも、まあいいだろう。良くはないけど。
「いったい何が、君をそこまで動かすんだ?」
だが、そこから先がどうにも分からない。
仮にグレン王子の暗殺が成功したとして、教皇派が実権を握って国が纏まったとしよう。
じゃあそこから先はどうなる? ロゼは救世の騎士として祭り上げられるかもしれない。今以上の権力と地位を手に入れられるかもしれない。
一方で、大量の血を流した逆賊として、裁かれるかもしれない。
「君は救世の騎士として、権力を欲しているのかい? それとも、殺戮さえ為せればいいのかい? とてもそうは思えないが」
「……」
しかし、だ。
彼女の行動からは、そこから先の未来絵図が見えない。
大義を持つことは立派だ。俺にそういう類の目的はあまりないからね。自分なりに騎士としての務めを果たそうとしているのは、その手段を問わない前提であれば素晴らしいと言える。
「ロゼ。救世という大義は立派だと思うよ。だけど、それはあくまで手段でしかない。それ自体が目的じゃあない。国を救って、君は何を幸せにしたいんだ」
大義を成したその先。未来において、有体に言ってしまえばロゼの幸せが見えないのである。
忠義に死す、というのも一つの務めではあるのだろう。だが、ロゼはそういう性格ではない。それは先日話した時も改めて感じたことだ。教会騎士団に入ったこと自体、ガトガに言われて仕方なく、といった様子だった。
「……先生。聞いて頂けますか~?」
「勿論」
俺の言葉に少しばかりの逡巡を見せたロゼは、まだ迷いが晴れないまま言の葉を落とす。
「私ね、子供が好きなんです」
「ああ、知っているよ」
ロゼの子供好きは、道場に居た頃から知っていた。
何かと世話焼きで、何かと面倒見が良い。ロゼの献身とも言える面倒見の良さで救われた子供は、少なくはないだろう。
「その子供たちが毎日、飢えで、寒さで、亡くなっているんです」
「……そうか」
すべての国民を救う。それは国家としての理想だ。
しかし一方で、あくまで理想である。それが体現されることはないだろうってことくらい、俺にだって分かる。
何をどうしても、国の庇護から外れる人間は出てくる。ミュイもそうだった。程度の問題はあれど、貧富の差、もっと言えば生命の価値は平等ではないのだ。
「教皇様は仰いました。国が纏まれば、民は苦しみから解放されると。私の目の前で、子供が亡くなっていくことは、なくなるのだと」
「……君は、それを信じたのかい」
方便。
そう結論付けるのは簡単である。
しかしそれを今ここで突きつけたとて、ロゼは止まらないだろう。第一、彼女はそれを分かった上で動いているようにすら思える。
「他に、何を信じればいいんですか? 私はスフェン教徒ですよ~」
「……あえて血を流さずとも、手はあったはずだ。それこそ、君が権力を握ってもいい」
彼女が成そうとしていることは、些か性急が過ぎる。
国を変革させていくのは、そう簡単じゃないはずである。長い時間が必要だ。内乱状態を一時的に力によって抑え込めたとしても、治世が行き渡るのはもっと後の話になる。
加えて、内乱を終わらせてトップに立った人間が、善良な為政者である前提付きだ。とてもじゃないが、こんなことを考える連中がまともな善政を敷けるとは思えない。
「……間に合わないんです」
俺の言葉に、彼女は笑いながら答えた。
「ゆっくり時間をかけて、なんて言ってられないんですよ~。こうしている間にも、スフェンドヤードバニアでは貧富の差が広がって、死者が出ていますから」
「だから王権派を打倒し、一強体制を強引に組み上げると?」
「はい~」
彼女の理論には、穴が多い。俺程度でもそう思うのだ、ロゼがそれに気付いていないはずがない。
悩んだのだろう。
苦悩したのだろう。
その上で苦渋の決断を下したのだろう。
「……俺程度ですら、今の話が夢物語だってことは分かる。君の血濡れた手で、どうやって子供たちに接するんだい。やはり君は、間違っているよ」
しかし、それでも。
やはり彼女の決断は、間違っていると言わざるを得ない。
「……それでも――いえ、もはやこれ以上は」
何かを発しようとしたロゼの口は、それ以上を紡ぐことなく止まった。
「……話の続きは、君を止めてから聞かせてもらうよ」
一歩。
ロゼとの距離を詰める。
対する彼女は、俺との距離を取ろうという動きは見せず。ただエストックとカイトシールドを、少しばかり気だるげに構えるだけだった。
「うふふ。嫌です、と言ったら?」
なくなっていた表情も、次の瞬間には元通り。
先程までと同じ微笑を顔に張り付けたロゼが、歌うような口調で問う。
「……悪いけど、手段は択べない」
剣を、構える。
ここまで話しておいて止まらないということは、恐らくこれはもう、このまま喋りあっていても時間の無駄だ。
ロゼが自発的に止まることはない。
なら、誰かが彼女の凶行を止めなきゃならない。
血糊に濡れてなお輝きを失わないゼノ・グレイブルの剣が、日の光を浴びて仄かに赤く煌めいていた。




