第273話 片田舎のおっさん、出会う
「……剣を渡せってことかい?」
「同じことを二度言わせるでない。さっさと出さんか。やつがどんどん逃げてしまうぞ」
念のための確認を取ってみると、ルーシーからは呆れた表情とともにまたお小言を頂戴する羽目となった。
いやまあ、うーん。どうなんだろう。悩んでいる時間が惜しいというのはその通りだが、一時とは言え剣を手放すというのはちょっと心許ないところがある。いつまたイド・インヴィシウスに襲われるかが分からないからだ。流石の彼女といえど、こんな場面で剣を下手に弄繰り回すとは思えないけれども。
「分かりました」
「ああ」
そんな俺の微妙な葛藤を他所に、アリューシアとスレナは手早く鞘を外して剣を預けていた。
……なんだか、悩んでいる俺の方が馬鹿らしく感じてきたな。二人とも、ルーシーのことを頼れる魔法師団長として見ているだろうし俺もそう捉えているのは間違いないにしても、こいつとの出会い方が出会い方だっただけに少々、悪い意味で雑念がこびり付いているのかもしれない。
俺の中では友人と悪友の間を反復横跳びしている女性、みたいな位置付けなのだが、流石にこの場面で悪い面は出さないだろうし、俺も肚を決めるか。
「分かった。……で、どうするんだい」
「簡単に言えば、魔力で強化する」
「へえ……」
鞘を腰から外しながら尋ねると、返ってきたのは端的な答え。
強化かあ。まあなんとなく言っていることは分かる。イド・インヴィシウスに対して現状の武器では歯が立たないので、魔法でブーストしてやろうというのは、恐らく魔術師なら当然の考え方だ。
「強化はいいにしても、それが手に馴染むかどうか……」
問題はその強化の方法というか、方向性というか、そんなやつ。
一言で強化するといっても、多分色々とやり方はあるように思う。得物の重さや重心が変わると扱い方も変わるので、出来ればそういう形には収めてほしくないところであった。
「心配は要らんよ。どれ……」
「うーん……まあ一旦は任せるけどさ」
心配ないとは言うけれど、彼女の本質は剣士ではない。扱う武器の微妙な差というやつを勘案してくれるかは正直、俺視点だと微妙に思えた。
とはいえ、このままだとイド・インヴィシウスに打撃を与えられないというのも事実。出来ることは試していかないとだめか。
扱ってみて、やっぱり違うなとなれば解除してもらえばいいだけだしな。肉体の強化と違って武器の強化ってのは聞いたことがないが、ルーシーが出来るといえばそれは出来ることになる。同様に、付与が出来るのなら解除だって出来るだろう。
「ほう……思った通り、魔力の残留率はまあまあじゃな」
「魔力の残留率……?」
ルーシーがそれぞれの剣に触れながら、恐らく魔力を注入している。だが魔力が見えない俺にとっては何をやっているのかが一切分からないし、紡がれた言葉も一切意味が分からない。
表面通り受け取るならば、魔力が残る率ってことなんだろうけれど、それが何を意味するかはやっぱり分からないままだ。こういうのも魔術師学院の授業で習ったりするんだろうか。
「今詳しい仕組みを説明しても仕方がなかろう。ほれ、持ってみろ」
「そりゃごもっとも。ふむ……」
流石にこんな山のど真ん中でのうのうと講義を始めるわけにはいかんからな。続く彼女の言には俺も納得である。気になるといえば気になるけれど、今はその過程や詳細を気にする必要性は極めて薄く、齎される結果のみを注視すべきだ。
彼女の仕込みが終わった剣を持ってみても、少なくとも俺には違いが感じられない。懸念していた重さや重心というところは特に変わっていない様子で何よりであった。
「その、強化ってやつ? どれくらい持つものなの?」
「お主らの得物なら一時間は持つじゃろ。普通は数分で霧散するんじゃがなー、素材が良いとそうなる。ただの鉄だとこうはいかん」
「へえー……」
持ってみて違いが分からないとなれば、後は実際に振るってみるしかない。どんな効果があるのかは正直分からないからね。
一応効果時間的なやつも聞いてみるけれど、どうやら一時間は持つらしい。
となれば、イド・インヴィシウス戦においては特に問題はなさそうだな。一時間以上の長丁場は正直想定していないし、そうなったら割と敗色濃厚な気がしている。
戦争でもない少数の戦闘において、一時間にわたって決着が定まらないということは、まずない。単純な勝ち負けの他に、一時避難や撤退も視野に入るからだ。
まあ今回の場合はイド・インヴィシウスが見えないのでそこから探らなきゃいけないんだけど、ルーシーがその尻尾を捕まえている様子だから、多分大丈夫だろう。
一時間後に勝敗が定まっていない場合、大抵は負け確である。一時間あれば押し切れそう、よりも、一時間どうにか持たせたが目の前には敗北が待っている、という状況に陥ることの方が遥かに可能性が高い。
出来ればそうはなりたくないところだ。このメンバーでそうなってしまうなら、いっそ清々しく諦められるかもしれないけどね。
「さて、お次は……あっちじゃな」
「分かるんだねえ……」
「そりゃあ、あれだけ濃ゆく残っておればのぉ」
俺たち三人分の得物の強化を終えた彼女は立ち上がり、イド・インヴィシウスが去ったと思われる方角を示した。
これも多分なんだけど、魔力の残滓を追うとかそういうやつなんだろう。もう本当に魔法関連はサッパリ分からんので多分とか恐らくとか、そういう表現しか出てこない。
これでルーシーの示す方角が外れであれば盛大な文句も出かねないが、これだけ自信満々な姿を見ると、外している未来を想像しづらいというのもまた確か。どんなことであっても、ここまで自信に満ちた言動は俺にはまだまだ無理そうであった。
「足取りが掴めるのはありがたい。先生、急ぎましょう」
「あ、ああ」
言いながら、ルーシーが指し示した方角をずんずんと進むスレナ。慌ててその後ろにつく。
アリューシアもそうなんだが、二人は本当にルーシーの言動を信頼している。そりゃ俺もしていることには違いないにしろ、なんというか厚みが違う。
二人は俺と違って、魔術師と触れる機会が今まで多かった。魔法が使えないという点では俺と同じだが、魔術師という存在に対する知識や経験は圧倒的に上だろう。
俺はそもそも魔術師と組んだ経験が少なすぎるんだよな。だからありがたみの実感というやつをあまり持てていない。フィッセルと共闘したことはあれど、あれは閉所かつ真正面からぶつかり合っての戦闘だった。正面火力以外の恩恵を、俺はほとんど知らんのだ。
まあルーシーという個人がずば抜けて強いという点を差し引いたとしても、色々と対応力のある魔術師の存在はやはり大きい。レベリス王国が国を挙げて魔術師の発見、育成に力を注いでいるのも頷ける話だ。
もしかしたら将来、ミュイと肩を並べて戦う、なんて日もやってくるのかもしれない。
それはそれで非常に興味深いし楽しみではあるけれど、それを叶えるためには今日この日を生きて帰らなきゃならんからな。今はこっちに集中しよう。
「そのまま真っ直ぐ。ん……ちょい右かの」
「あの先は多分通れない。だからちょっと迂回するよ」
行軍のナビゲート役は、すっかり俺からルーシーへと移り変わった。
だが彼女は本当にイド・インヴィシウスの魔力を追っているだけで、進路の状況をあまり勘案していない。なのでちょこちょこと最短経路からはズレることになる。
マジで頑張れば通れはするのだろうが、移動中は基本的に無防備になってしまうからな。乗り越える必要がある段差とか岩壁とかは、出来れば迂回したいのが本音である。その最中に襲われでもしたら目も当てられない。
別にルーシーに戦闘経験がないとは言わない。むしろこの中で誰よりも豊富だろう。他方、俺たち剣士とは、積んでいる経験の種類そのものが違う。
全方位を長距離、かつ無手で対応出来るルーシーとそれ以外の者では、そもそも戦いにおける構え方が違うのだ。なので、一から十まで彼女の進路に従うとルーシー以外が戦闘を行えない。それはそれで困ることになる。
彼女を守れないという線も勿論あるけれど、それ以上にヤバいのが自分の身を守れない事態だ。
足場も視界も不安定では、イド・インヴィシウスの一撃に対応するなんて土台不可能。最低限、踏ん張れる地面と躱せるスペースが必要になる。
「……ん?」
「誰か居ますね」
「ほーう、誰かおるんか。こんなところで人間が他におるとはのー」
ちょこちょこと進路を変えつつ、ルーシーの道案内に従うこと数分。何も気配が感じられない空間の中、明らかに異質なモノが混じってきた。即ち、他人の気配である。
イド・インヴィシウスのテリトリー内である以上、他生物の気配は基本的にない。なので、こういう雰囲気はすぐに分かる。分かっていないのはルーシーだけ。
この辺り、剣士と魔術師の違いが如実に出ていて面白い。一口に戦闘といっても、その在り方は千差万別だ。俺たちと彼女とでは優劣はさておき、今まで培ってきた経験と、そこから導き出される解が違い過ぎた。
「……向こうも気付いた、か?」
「流石に気付くでしょう。こんなところに来ている時点で素人ではありません」
少し様子を窺っていると、どうやら向こうもこちらの気配に気付いたらしい。動き方が変わった。
アリューシアの言う通り、近接戦闘の心得がある者であれば、こんな異常な空間で他人の気配が漂えば大体分かる。逆に言えば、その気配を感じられる程度には戦闘に慣れている者ということ。
件のスレナ救出を目的とした冒険者の救助隊なら事情を説明すればいいんだが、万が一敵対的な相手だと対応に困るな。いやまあ、対話が不可能なら最悪でも蹴散らせばいいんだろうけれど。
「――止まれ! ……何者だ、身元を確認したい」
万が一も考え、俺とスレナを前衛に、機動力に優れるアリューシアをルーシーの直衛に付けて様子を窺う。
しばらく後。疎らに生える木々の向こうから、声とともに二人の人間が顔を覗かせた。
声を掛けてきた方は、青年と言ってよい風貌。ざっくりだがランドリドやヘンブリッツ君と同世代だろうか。
彼らと比べると、やや身体の線が細い。ただしそれは貧弱さを意味するものではなく、切り詰めて更に張りつめた肉体を想起させる。余分な肉が一切付いておらず、全てを戦闘行動に特化させた肉体、とでも言おうか。
衣類の上からでも容易に見て分かるそれは、そのまま彼の実力の高さを示している。第一印象は、かなりの練達。
アリューシアとは少々趣の違う、紫の色が強い銀髪。彼女とはまた違った神秘的な雰囲気を感じさせる。
装備的に騎士ではないだろう。ところどころが金属で補強されたロングコートを身に纏い、その手には抜き身の長剣が掲げられている。
ただし、普通の長剣ではない。目を凝らせば、剣身に微細な曲線が無数に波打っているのが分かる。
フランベルジュ。裂傷と出血を主目的とした、まあ殺傷能力の高い剣である。
俺は基本的に神様なんて信じちゃいないが、容姿や得物から、見ようによっては死神にすら見えるだろうな。それくらいの静かなる圧は感じる相手だ。
「スレナ・リサンデラだ。それで通じるならばよし。通じないならば、そちらこそ身元を明かしてもら……ッエーベンライン!? まさか、貴様まで動員されていたとはな……」
「……リサンデラ本人か? ……はあ、無事だったか……。ひとまず、どうにかなったようで何よりだ」
俺が彼を観察している横で、スレナがこちらの存在を告げる。しかしながら、堂々とした口上はその青年を視界に捉えた途端に途切れた。
エーベンラインと呼ばれた青年は、その端正な顔を一瞬ぱちくりさせつつも、スレナの無事を確認して胸を撫で下ろす。どうにも二人は顔見知りらしい。
ひとまずどうにかなった、ということは、彼らこそがスレナを救出する冒険者なのかな。ただ、前述された「貴様まで」という言葉はちょっと引っかかる。それほどの大物なのだろうか。
「エーベンライン……えっと、もしかして、ジョシュア・エーベンライン……?」
エーベンラインという名に、紫が強く出た銀髪。名前も風貌も特徴的だ。そして俺にはその特徴的な青年に一人、心当たりがあった。
いや、正確に言うならば青年ではない。俺の知っている彼は、もっと若かったから。
「ん? 私を知って――!?」
俺の言葉に気付いた彼が、こちらへと視線を回す。今度は一瞬どころでなく、はっきりとした驚愕の感情が、彼の顔をくしゃりと歪めていた。
「ま、まさか……ベリル先生……!?」
その再会は、思いがけぬものであった。巡り巡ってこんなところで出会うなど、誰が想像出来ようか。
一方で。この出会いが俺にとって喜ばしいものかと問われると。正直なところ、分からないというのが本音であった。
「ああ……久しぶり、と言っていいのかな。君に先生と呼ばれることは、もうないと思っていたけれど」
ジョシュア・エーベンライン。
うちの道場の元門下生の一人。ただし。うちの剣をすべて修めることなく去っていった人間の一人でもある男だ。




