第272話 片田舎のおっさん、接敵する
「よいしょ、と」
「はあ。山道なんぞ歩くものではないのう」
スレナ、ルーシー、アリューシアとともに再びアフラタ山脈へ攻め入っている道中。やっぱり山道なので整備されているなんてことはなく。
時折急激な坂だとか、足場の悪い場所だとかを踏破せざるを得ないのだが、そういうことを何度か繰り返していると、ルーシーから小言が飛んだ。
「付いてきといて文句言わないでよ……」
「くっくく。愚痴の一つでも零しながら歩く方がなんぼかマシじゃろ」
飛び出した文句に苦言を呈していると、彼女からの反撃がすかさず放たれた。
言わんとしていることは分からんでもない。アリューシアやスレナといった面々は無駄口を叩くタイプでもないし、その性格を抜きにしても二人の性格的な相性は良くないものだ。
なので自然と黙々とした行軍になる。騎士団の遠征とかに引っ付いていると、それが当たり前な感覚にもなるもんだが、どうやら彼女はそうではないらしかった。
魔法師団でも集団行軍とかしないんだろうか。とはいえ俺は騎士団はともかくとして、魔法師団の内情はほとんど知らない。精々ルーシーやフィッセルといった個人と知り合っているくらい。キネラさんなどは学院の先生をやっているから、魔法師団の本職として前線に出ることはなさそうだし。
でも国家管轄の戦闘集団という一面がある以上、そういうことは多少なりやっているはずなんだけどな。組織の中に居ない分、実態としてどうなっているのかが分からん。
まあなんにせよ、俺が魔法師団の内部に関わることはないからいいんだけれど。俺に魔法の才能はないからね。こればっかりは羨んでもどうしようもない、努力では覆らない領域である。だから諦めも付くというものだ。
「そろそろだ。皆、注意して」
「ええ、分かりました」
そんなやり取りも加えつつ歩くことしばし。俺たちはアフラタ山脈の麓から中腹に差し掛かる辺りまで歩を進めていた。
一応この四人で進み始めてから、魔物との遭遇は何回か起きた。腐ってもここは山脈だ、生態は幅広く、また奥深い。
しかしながら、普通の魔物程度でこの面子が止まるわけがない。全部瞬殺して終わりである。群れに襲われるということもなかったので、ほとんどが俺かスレナかアリューシアがぶっ倒して終いだ。
ルーシーに至っては出る幕すらない。まあ彼女の場合は魔力を温存してもらった方が都合がいいから、俺たちだけで露払い出来ているのは良きことではあるんだが。
「お……っと」
「……入りましたね」
「……なるほど、これが縄張りですか。……なかなか奇妙な感覚ですね」
さしたる苦戦もなく順調に山中行軍を重ねていたところ。俺と同時にスレナとアリューシアが異変に気付く。
即ち、周辺から感じられる気配がなくなったということ。つまるところ、イド・インヴィシウスのテリトリーに足を踏み入れたことになり、同時にイド・インヴィシウスは縄張りをこの数日で特に変えなかったということになる。
ビビりのくせに逃げないというのは一見不可解にも思える。しかし逆に縄張りを頻繁に変える方が、野生に生きるモノにとっては不都合が多いのだろう。
「はー、お主ら凄いのう。そんなもんわしにはさっぱり分からんわ」
俺たち三人が気配の変化を鋭敏に感じ取ったその直後。ルーシーが感嘆したような、呆れたような声を漏らす。
彼女は戦える人間ではあるものの、戦いが本職ではない。故に、殺気だとか気配だとかに対して、どちらかと言えば鈍い方だ。恐らく後ろから不意打ちでもすれば、彼女は気付かないと思う。
しかしそれでルーシーを仕留められるかと問われれば、はっきりと否である。アフラタ山脈に入る前、流石に危険じゃないかと伝えてはみたが、どうやらこいつ基本的に常時防性魔法を全身に張り巡らせているらしい。
キネラさんとオシャレなランチを味わった際に、その奥深さもついでに味わった防性魔法。キネラさんがあれほどの防御力を発揮したのだから、ルーシーならそれよりももっと強固であろうことは想像に難くない。
加えてルーシーには奇襲による即死さえ凌げれば、反則とも言える回復魔法がある。一撃で確実に首を刎ねるか、心臓を一突きでもしないと彼女は倒せないわけだ。
だから気配なんて知ったこっちゃねえと言われれば、剣の道に生きている俺からするととんでもないパワープレイにも映る。だが実際にそれを実行出来るだけのパワーがあるのだから仕方がない。世界はどこまでも不公平で不条理であった。
「剣士として生きるなら必須の力ではあるけどね……まあ君にはあまり関係なさそうだけど」
「わしは剣士ではないからのう。ちなみにフィスでもそういうのは分かるんか?」
「分かるよ。彼女も結構鋭い方じゃないかな」
「はー、わしには理解出来ん世界じゃのー……」
こっちから言わせれば、ルーシーたちが生きる魔法の世界こそ理解が及ばない。隣の芝はなんとやら、というやつだ。
まあ気配とか殺気とかって、別に明文化出来たり数値化出来たりするもんじゃないからな。乱暴に言い捨てるならただの感覚である。
とはいえ俺たちは、その感覚を頼りに勝利を拾い得ているわけだから、無下にも出来ない。むしろそれが鈍いやつから死んでいく世界だ。確かに外野から見れば魔法も剣術も、理解出来ない世界なのかもしれないね。
「布陣は変わらず、ルーシーを守る形で行くよ」
「ええ、分かりました」
さて、これでイド・インヴィシウスの射程距離に入ったことになった。
魔法的要素を加味すれば、俺たちの中で一番堅いのはルーシーだろう。しかしそれで彼女を矢面に立たせるのは、剣士としての矜持が許さないところもある。
なので先頭を俺、後ろにルーシー、両サイドをスレナとアリューシアが守るという陣形でここまで進んできた。そしてこれは、やつの縄張りに入っても基本は変えずに行く。
無論、魔術師であるルーシーを守るという点は重要だが、そもそもイド・インヴィシウスと絡め手ナシ、がっぷり四つの態勢で挑むのはあまりにも前衛の相性が悪い。
とりあえずやつが現れたら初撃をなんとかして躱し、ルーシーにそのカラクリを見破ってもらわないと話が進まないのだ。武力のゴリ押しで倒せる相手なら俺とスレナでとうに倒せている。
そしてルーシーには、相手の観察に最注力してほしいのだ。
とにかく彼女の観察眼が俺たちの生命線なので、その目を潰させるわけにはいかんのである。それに最悪、俺たちの誰かが怪我をしてもルーシーなら治せるだろうしね。復帰に数分かかると見込んでも、その数分はルーシーと怪我人を除いた二人なら稼げる計算だ。
「しかし慣れませんね、この空気は」
「ああ、あまり慣れたくもないけどね」
「確かに」
やはり生態系が豊かに育まれているはずの山々の中において、他の気配を感じられないというのは結構な異常だ。俺とスレナは二回目だからまだ耐性があるが、今回初めての経験となるアリューシアは割と面喰っていた。
いやまあ気持ちは分かるよ。なんというか、絶妙な居心地の悪さがある。
これが独りで部屋で籠っている、とかならまだ分かるんだが、自然の中に居てこの感覚を浴びるのは、端的に言ってちょっと気持ち悪い。言った通り、出来れば慣れたくはない環境であった。
「ベリル、止まれ」
「ん?」
気配がなくなったからといって油断していいわけではない。目を凝らしてもあまり意味がない相手ではあるのだが、それでも注意せざるを得ず。
慎重に足を運んでいると、後方のルーシーから待ったの声が入った。
「く……くっくっく! なるほど、なるほどのう……イド・インヴィシウスとやらは随分と甘ちゃんなようじゃな」
「な、なになに?」
世界最高峰の魔術師に止まれと言われたらそりゃ止まるんだけど、続く彼女の言葉はなんとも意図を掴みかねるような内容だった。
イド・インヴィシウスが甘ちゃんとは。言われて周りを見回してみるも、やはりやつの姿はおろか、大型種特有の気配すらも感じられない。
しかしルーシーは何かを感じ取り、だからこそ俺に止まれと言った。その真相はいったい何なのか、大変に気になるところだ。
「近づいておるのう。左方、リサンデラ側じゃな」
「分かるのか……!?」
ルーシーの言葉に、三者が一斉にそちらを注視する。勿論見えるわけがない。ただ荒涼とした山肌が続いているだけであった。
「魔力が溢れておる。いや、漏れておると言った方が正しいか……? まあ何にせよ、魔法的防護が働いているのは確定じゃな。くくっ! これだけ濃ゆいと、魔力に敏感なやつならすぐに気付くじゃろうて」
「いやあ……凄いね。まさか姿を現す前に判明するとは……」
答えながら、視線はルーシーが言った方角から外さない。正直俺たちからは何も見えていないが、それでもやってくる方角が絞られるだけでも大分ありがたい。
後は一当てしてどうか、というところだが、あっちから仕掛けてくれないとそこら辺はちょっと困るんだよな。闇雲に剣を振り回すわけにもいかないし。
「――来るぞ!」
「ガアッ!」
何秒か、そうして構えていただろうか。突如ルーシーが叫んだのと同時、眼前にあの巨躯が突如として浮かび上がった。
立ち位置的に狙われたのはスレナだが、報告から襲撃までコンマ数秒でもあれば、気持ちも身体も準備が出来る。よもやスレナほどの実力者が、その時間を有効活用しないわけがない。
「ふっ!」
つまり、上手くいなした。双剣を交差させて衝撃を受け止めると同時、左に流して身体への負担を軽減している。右には俺が居るし、後ろはルーシーとアリューシアが居るからな。左に流すのはいい判断だ。
「ふんっ!」
「はあっ!」
スレナが初撃を凌いだと同時、左右から俺とアリューシアが挟み打つ。距離的には俺の方が大分近かったはずなんだけど、反撃の剣が振るわれたのはほぼ同時。相変わらずとんでもない瞬発力だな。
「……ッやっぱり硬いね……!」
「むっ……」
前回振るった破れかぶれの剣ではなく、はっきりと両の手で力を込めた一撃。アリューシアの方も同様だろう。
それら二つが襲い掛かったというのに、俺の手に残る感触は悪い。肉に斬り込めた感覚がなく、やはりイド・インヴィシウスの強靭な外殻に阻まれた形となった。
これもまた、アリューシアも同様だったらしい。攻撃が成ったとは思えない、くぐもった声が僅かに漏れる。
「……消えたか」
俺とアリューシア。二人の剣が届くかどうかという瀬戸際で、またも眼前からイド・インヴィシウスが忽然と姿を消す。確かな感触は手に残っているから、攻撃が当たったことには違いない。
やはり、見えない相手に剣を振るというのは違和感が残るな。脳の感覚と手の感覚がまったく一致しないのはちょっと感情の遣りどころに困る。こんなやつがそうそう居るとは思いたくないが、出来れば長引かせたくはない戦いであった。
「ふむ。ふむふむ。なるほどのう……。魔力の使い道としては非常に面白いが……――児戯じゃな」
姿と気配を消し、恐らく一撃離脱を図ったであろうイド・インヴィシウス。恐らく去ったと思われる方角に向けてルーシーは意味深に頷くと、にわかに口角を上げた。
言葉や表情から察するに、何かしらの打開策を見出したということか。しかし、俺たち剣士が大苦戦しているあの隠蔽術を児戯とは、結構な言い捨てようである。こと魔法に関して言えば、やはり彼女はずば抜けた天才だ。世界に何故か産み落とされた異端児と言っても、過言ではないのかもしれない。
「……何か分かったようだね」
「まあのー。なんせわし天才じゃし」
「あ、そう……」
感触を尋ねると、なんともな答えが返ってきた。いやそりゃついさっき彼女は天才だと思ったばっかりだけれどもさ。
だが一回の接触でルーシーが手応えを感じられたのは僥倖だ。どういうカラクリかという説明は俺が聞いても多分、意味が分からないから置いておくとして。
「あの透明化に関しては次の接敵でどうにかしよう。とはいえ、攻撃は通っとるのか」
「残念ながらね。あの硬さにもなんらかの仕掛けはあると思っているんだけど……アリューシアは?」
「この剣の初陣と考えますと、あまり受け入れたくはない結果ですが……恐ろしく硬質です。恐らく物理的に、斬れる斬れないの範疇にはなさそうな手応えでした」
「君でもそうなるか……」
そう。仮にやつの透明化がどうにかなったとしても、次の問題が残る。あまりに硬すぎて攻撃が通らんのだ。
アリューシアも感じた感触は概ね俺と同じらしく、どうにもあれを斬れるイメージが湧かない。硬いっちゃ硬いんだけど、正直常軌を逸した耐久度であるように思う。
俺の剣と技量、そして彼女の剣と技量でも斬れないとなると、じゃああいつを傷付けられる手練れは何処に居るんだという話になってしまう。姿が見えないと口腔内や目といった弱点らしきところも突けないし、中々の困りどころであった。
「ふむ……そういえばアリューシア、剣を新調したのか」
「え、ええ。今まで使っていたものも長らく愛用していましたが……流石に限界が来まして」
「なるほどのー。……ベリルの剣も大丈夫じゃろうし、リサンデラの得物も業物じゃったな?」
「ああ。仕留めた竜牙で拵えた逸品だ。そうそう後れは取らん……はずだったんだがな」
問題は武器。それはここに居る全員が共通で抱えている問題である。ルーシーの魔法なら通るかもしれないが、それも試さないと分からない。
俺の剣は勿論のこと、アリューシアの得物も最近新調した大業物。スレナの装備だって、竜の牙を素材とした逸品。"竜双剣"の二つ名は伊達じゃない。これらでダメージが通らないとなると、流石に手詰まり感が強いが、どうなることやら。
「ま、お主らの得物ならどうにかなるじゃろ。ほれ、貸せ」
「へ?」
俺たち剣士が頭を悩ませているところで。
ルーシーはその答えは容易であると言わんばかりの態度で、俺たちに剣士の命を差し出せと言い放った。




