第270話 片田舎のおっさん、難儀する
「ルーシー……!?」
「ルーシー・ダイアモンド……! 何故ここに――」
「おう、リサンデラもおったんか。なぁに、ちょっと……くぁぁ……眠いのぉ……」
こちらの驚愕など知ったこっちゃないと言わんばかりの態度で、再び欠伸を噛み殺すルーシー。
いや、なんで居るんだよ。ここはバルトレーンじゃないんだぞ。サリューア・ザルク帝国との国境都市、ヴェスパタである。俺も馬を乗り継いで、結構な時間をかけてここまでやってきた。
流石に瞬間移動みたいな反則技はないと思いたい。過去、ブラウン教頭が魔術師学院で事件を起こした時も、彼女は帝国への出張がパアになってとんぼ返りする羽目になったと言っていた。つまり馬か何か、現実的な手段を用いての移動を行っているはずである。
「どれ……なんじゃお主、怪我でもしとるんか。珍しい」
「いや、まあしてはいるんだけど……えっ、なんで?」
ルーシーが目ざとく俺の負傷を見つけるが、悪いんだけど今それどころじゃないんだよこっちの頭の中は。どうして彼女が今この場に居るのかが皆目分からんのだ。
「なんでって……お主が発ってから、どうにもちょいと遠出がしたくなっての。観光がてら寄ってみただけなんじゃが、邪魔だったかの?」
「…………いや、邪魔ではないかな」
「ふむ、そうかそうか」
相変わらずこいつの行動原理は謎だ。切羽詰まった事情もなしに、魔法師団長であるルーシーが観光がてら、こんなところまで足を延ばしていいわけがない。研究や仕事はどうしたんだと突っ込みたくもなる。
ただ、その辺りの事情やしがらみというやつを、ルーシーほどの人物が分かっていないはずがなかろうとも同時に思うのだ。いや分かっていて無視している可能性も彼女ならあるけれどもさ。
だが。ルーシー・ダイアモンドがこの場に居るという結果自体は邪魔でもなんでもなく。最高に頼れる相手であることは、否定しようがない。
まあ仮に俺が色々ぐちぐち言ったって、彼女はどうせ意にも介さないだろうしな。
それに万が一へそを曲げられて、それこそバルトレーンにとんぼ返りでもされたら困るのはこっちである。折角やってきた、あらゆる方面での最強ユニットを手放す理由なんぞ、俺たちにはないのだ。
「……しかし、ルーシーが観光とはね。お目当てのものはあるのかい」
「帝国に行く時に何度も立ち寄っとる場所じゃからのー。そう目新しいものはなさそうでなぁ。とはいえ風の噂によると、アフラタ山脈に面白いモノが転がっとるらしいのぅ」
「ははは。流石ルーシー、お目が高い」
彼女はほぼ間違いなく、俺と同様の経緯でヴェスパタまでやってきている。
つまり、魔法師団や魔術師の仕事、あるいは依頼として来ているのではなく、あくまで個人がたまたまヴェスパタまで足を延ばしたという、建前のもと来ているというわけだ。
俺自身が同じやり方をしているだけに、その意も含めて会話を振ってみれば、返ってきたのはおおよそ予想通りの言葉であった。
しかし俺はまだしも、ルーシーほどの立場に就いた人間でも、そんな甘っちょろい建前で諸々が通っちゃうもんなんだな、と。なんだか少し気の抜けた感覚に陥りそうにもなる。状況だけ見れば、気なんて抜いている場合じゃないんだが。
「で、お主。その腕、動くんか?」
「……残念ながら、といったところかな」
さて、茶番みたいな会話は終わりだ。それは彼女の方もはっきり分かっているらしく、その声色と視線をやや険しいものに変えて問う。つまり、戦力の確認であった。
答えとしてはこっちも変わらないけどね。気合で動かせるならとうに気合で動かしている。ただ気持ちでどうにもならん状態にまで身体がやられている以上、精神力で賄える領域のことでは既になくなっていた。
「そうだ! 魔法師団長であれば……!」
「まあ、ルーシーで無理なら俺も諦めがつくのはその通りかも」
「……ふむ」
ここで俺とルーシーのやり取りを見守っていた……というか、呆気にとられて動けなかったスレナが再起動を果たす。
俺は医者か回復魔法の扱える魔術師を探していた。それもいっとう腕の立つ者を。その条件に照らせば、ルーシー・ダイアモンドという存在はこれ以上ない人物である。
体調不良とか、熱が収まらないとか、そういう場合なら多分、魔術師よりも医者だろうと思う。けれど今回は、肉体の欠損とも言っていい事態。これを何とか出来そうな適任者は誰かと問われたら、俺にはルーシー以外の名前を出せない。
俺は回復魔法をこの目で見たことが一度しかない。ガトガがロゼの傷を治したのを見ただけだ。
あれも致命傷に近い斬撃ではあったが、ガトガはどうにかロゼの命を持たせてみせた。いやまあ、その傷を作ったのは俺ではあるんだが。
今回は微妙に事情が違う。別に命にかかわる傷ではない。しかし剣士生命においては、大いにかかわる傷でもある。
「わし直々の回復魔法となると、普通なら大金を積んでもらうもんじゃが……さて」
「金なら払う! いくらでも持って行け!」
「俺も払えと言われたら、言い値を払う気ではいるけどね」
「くっくっく! そうか、そうか」
技術をロハで寄越せと、少なくとも俺からは言えない。それはバルデルに打ってもらった剣についてもそうだし、当然ルーシーが行使する魔術についても同様だ。
極個人的な話をするならば、ルーシーは別に大金をせしめようとは考えていないように見える。そもそも彼女の実力と権力があれば、金なんて後から腐るほど付いてくるだろうしな。
ただそれでも、魔法師団長としての彼女が動く場合は建前が必要だ。例えば、これだけの金を積まれたからルーシーが出張る……といった建前が。それは魔法師団やルーシー・ダイアモンドその人の価値や権威に直結する。これは強欲でもケチでもなんでもない。
彼女が安いものに成り下がれば、彼女以下はもっと安くなってしまう。そして俺の知る限り、彼女以上の魔術師は存在しない。つまり、全員が安くなる。その結果はルーシーの望むところではないだろう。
「……まあよい。今回のわしは観光ついでに寄っただけじゃからの。代金はツケにしといてやろう」
「はは……ありがとう」
数瞬悩んだ素振りを見せた後に、彼女が提示したのは報酬の後払い。
今は正直手持ちがない。現状だけを切り取れば、タダで回復魔法を行使してくれるということになる。それ自体はありがたいが、別に彼女は俺から大金を分捕ろうと考えてはいないだろう。
要するにこれは、ルーシーに対して明確な借り一つとなる。そのことに思うところがないわけではないが、とはいえ俺の腕が再び動くようになるのなら、命以外は安いもんだ。この提案を断る理由もまた、なかった。
「どれ、診せてみろ」
「ああ」
ドアの前で会話を交わしていた彼女が、俺のもとへ歩み寄ってくる。どうせこれ以上ぶっ壊れることはないんだし、そうなったとしても現状から更に悪くなるわけでもない。
大前提として、魔術を行使するルーシーにだけは絶大な信頼を置いているので、俺も身体の力を抜く。左腕を差し出すなんて動作は今は出来ないから。
「肩から下か。……力は?」
「入らないね。指先一つ動かない」
「ふーむ……ま、なんとかなるじゃろ」
「こ、心強いねえ……」
しばらく俺の腕を触診していた彼女は一息ついた後に、割と軽めの口調で予想を述べた。
ルーシーがなんとかなると言ったなら、多分なんとかなるのだ。それくらいには信用している。
「リサンデラ、部屋の鍵をかけてくれんか。念のためじゃが、一応外部に漏らすわけにもいかんでな」
「あ、ああ……」
どうやら本格的に治療をしてくれるらしい。そしてそのことが万が一にも外部に漏れないよう、ルーシーはスレナに扉の施錠を命じた。
内情がどうであれ。外聞だけを切り取ればこれは、魔法師団長が独断で、かつ無料で魔術を行使するのと同義だ。その事実が外に漏れると、ルーシーの立場も若干怪しくなる恐れがある。まあこんなところにひょっこり現れている時点で、彼女にとっては大差ないものなのかもしれないが。
「このことを知っとる者は他に?」
「冒険者が一人、かな。助かったのはスレナ以外にも二人いるけど、一人は意識を失っていた」
「なるほどのー。リサンデラ、そっちはなんとかなるか?」
「してみせる。口は割らせんさ」
「そりゃ重畳」
このこと、というのは俺が負傷し、腕を動かせなくなった事実のこと。それを知っているのはこの場に居る者以外では、ピスケスのみが当てはまる。
ルーシー・ダイアモンドがベリル・ガーデナントの、不具に陥った負傷をあっさり治してしまった、という事実の拡散を防ぎたいわけか。そのためにピスケスには黙ってもらう必要がある、と。
いくらか金銭は出ていくかもしれないが、彼もそう悪い人間には見えなかったしな。なったとしても、法外な金額を吹っかけられることはないだろう。
「さて、では始めるか。言っておくが、力は抜いておけ。下手に力むなよ」
「努力はするよ。……なんせ初めてなものでね」
「くっくく! まあ痛むようなものではない。安心せい」
言いながら苦笑が漏れそうになった。力を抜く努力ってのも、なかなかに変な話である。
今までポーションの世話になったことや医者の世話になったことは幾度となくあるが、回復魔法をその身に受けるのは初めての経験だ。
緊張していない、といえば嘘になるのだろう。誰だって何事だって、初めての体験には心が強張るもの。痛みはないと言ってくれはしたものの、どこまで信用していいのかも分からない。
しかしこうなった以上、俺はルーシーを全面的に信じるしかない。もとより信じていないわけではないが、まあ緊張するなと言われてもそれはちょっと無理な話であった。
「……」
「……うおっ」
そこに変な気合や、祝詞みたいな言葉はない。ただただ彼女は手元に集中し、恐らく回復魔法を行使している。
その実感が、俺の身体に妙な感覚とともに齎されていた。ちょっとビクっとしちゃったわ。
うーん。どう表現すればいいんだろうな、これ。身体の内側を誰かに優しく撫で回されているような、強いて言うのならそんな感覚。多分これが攻性魔法とかになると、この感覚が悪意と害意をもって身体を侵食してくるのだろう。出来ればこれからの人生で、味わいたくはないものである。
「ふぅ。どうじゃ?」
「……凄いね、動くようになった」
どこか少しこそばゆいような、そんな感覚が左腕を襲ってから数分。ルーシーが一つ息を吐き、状況を尋ねてくる。
意識して左半身は力を入れないようにしていたんだけれど、言われて指先に意識を向ければ、確かに俺の意思が伝達される感覚があった。一つずつ指を折って確かめてみても、五指ともに問題はなさそうだ。
凄いね、回復魔法。いや、真に凄いのはここまでの錬度で回復魔法を行使出来るルーシーか。
そういえば彼女は、魔法で今の外見と若さを保っていると言っていた。ということは、肉体を操る術をかなりの高次元で習得していることになる。そんな彼女からすれば、動かなくなった手足を元通りにするくらいは、朝飯前なのかもしれない。
「っつ……。ルーシー? なんか痛むんだけど……」
「ああ、すぐに落ち着くじゃろ。まだ身体が治ったことをお主自身が正しく認識出来ておらんだけじゃ」
「……そっかあ」
少し肩を動かしてみると、治ったはずの個所からズキリと鈍い痛みが一瞬走る。
すわ失敗かと尋ねてみれば、どうやら治ってしまったことを俺の身体がまだ正しく分かっていないから、らしい。
正直、腑に落ちるかと言われたら微妙だけどね。
そう言われてはいそうですかと即座に返せるほど、俺は魔術に詳しくない。まあルーシーが言うならそうなんだろうな、くらいの感覚である。動くようになったのは事実なので、後は馴染むのを待つだけ、ということかな。
「先生……! よかった……!」
「スレナも、ありがとう。色々と心配してくれて」
「いえ、とんでもないことです……!」
ルーシーの施術をじっと見ていたスレナも、俺の腕が動いたことで緊張が解けたのだろう。今にも泣きそうな顔で俺の手を握った。
頽れる彼女の頭に逆の手を伸ばそうとして、押し留める。
俺からの捉え方としては、スレナは年の離れた妹か、なんなら娘くらいに思っている。これは以前から評している通り。
ただしそれはあくまで俺から一方的に見た感覚であり、そして個人的な見方でもある。彼女はブラックランクの冒険者として、立派な人間に成っているのだ。
加えて自身の過去と決着を付けようと足掻いている、紛うことなき強者。そんな彼女の髪に気安く触れて良いものかと。一瞬の逡巡が俺の胸中を巡った。
「……難儀じゃのー、お主も」
「そういう性分だからねえ」
その俺の戸惑いを目敏く拾ったか。ルーシーが溜め息とともに言葉を零す。
まあ仕方がないだろう、これは。俺という人間は今までの時を経てじっくりとゆっくりと、確実に醸成されてきたのだ。何が起こったとしても、それはすぐには変わらない。変えなきゃいけない部分は多分にあるとしてもね。
「……ですが。これで私も、後顧の憂いなくやつを仕留められるというものです」
「待った。腕が動くようになった以上、俺の事情も変わったからね。是非、手伝わせてほしい」
とか思っていたら、その短い間にスレナが新たな覚悟を決め直していた。
別にそれを否定するつもりはないし、彼女が前に進むためには必要だとも思うが、俺の存在はたった今、後顧の憂いではなくなった。であるならば、後方で守られてばかりというわけにはいかない。
一つの見方として、イド・インヴィシウスの攻撃を見切れなかったお前が何の役に立つのだと言われれば、答えに困る部分はある。動けるようになったといえども、俺がやつに不覚を取った事実は消えないからだ。
しかし。今回の相手はスレナにとっては勿論、俺にとってもある種因縁のある存在。ボコボコにされて逃げ帰った借りというものを、やつの命で精算してもらう必要がある。
再び出会ってしまった以上。剣士としての頂を目指す道を行く限り、避けて通れない障害だ。なんとしても押し通らねばならない。
「……分かりました。ともに立ち向かいましょう、先生」
「ありがとう。今度こそ無様は晒さないよ」
スレナが覚悟を決めたのなら、俺も決めるべき。その思いは果たして通じたか。彼女の手は俺を気遣うものではなく、力強い握手へと変わった。
「あー、盛り上がっとるとこ悪いんじゃがな。くぁあ……わしは寝るぞ。続きは明日からで頼む」
「……まあ、俺も腕を慣らす必要はあるか。スレナは?」
「構いません。一日二日でそう状況は変わらないでしょう」
そんなやり取りの真横で、一仕事終えたルーシーがまたも欠伸を一つ。表情や声色から察するに、マジで眠たそうである。
まあ最初の登場からずっと眠そうだったもんなこいつ。彼女にしては相当無茶なスケジュールで飛ばしてきたに違いない。
その行動の裏に潜むのは俺やスレナへの心配かはたまた、まだ見ぬ未知への飽くなき探求心か。多分後者だとは思うが、前者の気持ちも多少はあるのだと信じたいところだね。
「それじゃわしは寝る。くぁ……またの」
「あ、うん……おやすみ?」
そっけない挨拶を残し、ルーシーは部屋を去った。あれは本当にすぐ寝そうである。
しかしとにかく、これで俺も動けるようになった。そのことには最大級の感謝を示したい。今回は色々とバタバタしてしまったけれど、流石にこれは彼女への借り一つとはまた別に、お礼の機会は設けるべきだろうな。
「……さて、俺も身体を動かすとするかな。朝日も昇って、丁度いい時間だし」
「では、お付き合いします」
「ありがとう。スレナも、無理はしないようにね。明日が本番なんだから」
「ええ、心得ておりますとも」
明日に備えておかなきゃいけないのは俺も同じだが、ルーシーとは備え方が異なる。俺の場合は左腕の感覚をいち早く取り戻すのが何よりの備えだ。
そう思ってベッドから起き上がったんだけど、目が覚めた直後の気持ち悪さも大分消えていることに気付く。
これもルーシーがやってくれたんだろうか。本当に頭が上がらないよ、彼女には。
「……うっし」
ここまでお膳立てをされた以上、無様な結果は残せない。
特別討伐指定個体、イド・インヴィシウス。やってやろうじゃないか。まあ俺一人でどうにかなるもんじゃないから、皆の力は借りるけれど。
つまるところ、全くそれでよいのだ。ずっと独りで戦い続けるには、この世界はあまりにも広いんだから。




