第263話 片田舎のおっさん、アタックをかける
「よ……っと」
ポルタたちとともにヴェスパタに到着した翌日。俺は早速ヴェスパタから北東に見えるアフラタ山脈へアタックをかけていた。
アフラタ山脈はそもそもクソでかい上にクソ長いので、ヴェスパタから北東だろうが北西だろうが存在している。ただニダスの言葉を信じるなら、スレナが向かったのはこっちの方角のはず。
それでも想定される捜索範囲という面で述べれば、恐ろしく広い。ぶっちゃけ俺一人で探せるエリアなんて、全体の広さから考えれば極めて微小なものだ。
可能性だけで言うのなら、俺がスレナと出くわす確率自体が低いのである。
ただそんなことは最初から分かっていること。俺に限らず、俺がここに向かうことを知っている誰もが思っていることでもあるだろう。
一応、その可能性を辿る筋道自体はあると言えばある。か細いものに変わりはないがね。
アフラタ山脈には何か特別な用事がない限り、まず現地民が足を踏み入れることがない。普通に危険だし行く理由がないからだ。それこそビデン村で起こってるようなサーベルボアの間引きなど、のっぴきならない事情が発生している場合に限る。
そこにブラックランクの冒険者が突っ込んでいったのだから、人が通った何かしらの跡はあるはず。無論、現地の狩人がたまたま入山したとか、麓の段階ならその跡もそれなりにあるだろう。
しかしそこから更に踏み込むとなると、それは一般人はおろか、ちょっと戦える心得を持つ者でも危険だ。狩りをするなら麓でいいし、奥に入り込む理由も、これまたない。
つまり、推定スレナが作ったであろう跡を探しながらの入山となる。まあ言うは易く行うは難しを地で行っている内容ではあるけれどね。
とはいっても、前述の通りこの山に入ろうという人自体がそう多くない。なので、人の通った跡を探してルートを選定するというのは、それ自体が難しい話ではなかった。
それに今はまだ麓だから、攻める道は案外限られている。誰も初っ端で、獣道や断崖絶壁から山に入ろうとは思わない。そこから先をどう進んだのかを見極めるのはマジで難易度が高いが。
「ふぅ……普段以上に目を凝らさないと……」
疲労感とはまた別の、緊張感が走る。
正直あらゆる組織から暗黙の了解のもと非公認で動いているので、公の助力が得られないのはちょっとしんどい部分はある。ガイドを雇う手を捨てたのもその点が大きい。
アリューシアは、ギルドが捜索隊を編成するらしいと言っていたが、その人選や時期を待つという選択肢はなかったし、もっと言えばその捜索隊の一員として、俺が候補として挙がる可能性は限りなく低い。
冒険者一人を探すために、レベリオ騎士団の特別指南役を頼るというのは、どう考えても論理の辻褄が合わないからだ。これもアリューシアが言っていた通り、冒険者ギルドが正式に国家へ要請を通し、それが承認され、騎士団に命令が下ればその限りではない。
だがまあ、当然そんな時間をかけてはいられないからな。現状のみを切り取るに、時間とスレナの命はトレードオフの可能性が非常に濃厚なので、こうしてヴェスパタくんだりまでやってきているわけだ。
「ミュイのためにも、頑張らないとね……!」
やや段差のある足場を、小さな気合とともに乗り越える。
俺が急遽家を空けてヴェスパタまで遠征することは、当然ながら同居人であるミュイに黙ったままとれる行動じゃない。故にしっかりと情報は伝えて、了承を受けた上での遠出である。
スレナの情報を伏せておくかどうかはやや迷ったものの、流石に伝えておかないと、俺が突然家を空けることになる理由がどうしても弱い。ミュイもスレナとは何度か飯を突いた仲でもあるし、俺から見れば二人とも娘みたいなものだからね。
ミュイは結構本気でスレナのことを心配していた。そして、その心配はあくまで心配にしかならず、現時点の彼女では何の役にも立たないことも、同時に理解していた。
付いていきたいとか言われたらかなり難しかったところだが、ここでもミュイの聞き分けの良さと察する能力が活きた形だな、と思う。
気持ちでどうにかなるものなら、それは出来る範囲で頑張るべきだ。
けれど実際問題、ミュイがスレナのことをどれだけ心配していたとしても。彼女の力は俺の足手まといにしかならない。色々な面で、彼女の存在がスレナの救出に役立つ面がない。
別にこれを面と向かってミュイに言ったわけじゃなく、彼女自身がそれを察している。無論、他者を心配する気遣い自体は大切だ。その心はこれからも失わずに育んでほしい。
そういう気持ちの問題と現実的な問題に関して、彼女は俺なんかよりよっぽど分別が付いている。
俺も分別は付いている方だと思ってはいたけれど、幸か不幸か現実的な問題を気持ちでどうにかする力が少しあるらしい、ということに最近気が付いてしまったからな。
だったらその力は行使しないと勿体ないじゃないか。勿論、全部が全部俺の手のひらの上で、なんて烏滸がましいことまでは思わないけれどもね。
「今のところ人の気配はないが……」
おおよそ麓から中腹に差し掛かる辺りか。一旦息を吐きつつ、改めて状況を見渡す。
植生自体はおおよそ俺の知っているアフラタ山脈と変わりない。これはビデン村周辺でも、ヒューゲンバイト周辺でもそうだった。
ヴェスパタとヒューゲンバイトでは相当な距離があるから、地理的、気候的要因も含めて様変わりしてもなんら不思議ではない。しかし現実そうはならず、いやまあ正確に言えば生えている草木の種類とかは変わるんだろうけれど、見た目の環境としてはそう大差ないものであった。
こういうのも、なんらかの魔法的な力が働いていたりするんだろうか。
そこら辺は良くも悪くも、この地に調査の手が入ってないから分からないんだよな。ルーシーでも連れてくれば分かるのかもしれないが、流石に彼女を俺の我が儘でここまで連れて来る、というのはやや躊躇われる。まあ「やや」のレベルなんだけどさ。
そのルーシーだが、流石に今回に限って言えば俺からの連絡が初報となったらしい。
他言無用と言われている内容ではあったものの、相手がルーシーなら問題はあるまい。どちらにせよ、俺が剣魔法科の講義にしばらく出られないことは伝える必要があったしね。
で、彼女は俺がそこから取り得る行動については割と好意的だった。なんだかんだで現実的な見方をするルーシーにしては少々意外だなと思いつつ、出来ることなら一緒に行きたかったというニュアンスの言葉まで頂いた。
神出鬼没さと自由奔放さでついつい勘違いしそうになるけれど、彼女もアリューシアに並ぶ国家の立派な要人である。ほいほいと個人的な都合で動き回れるわけがなかった。
ルーシーが一緒に来てくれたら、それこそ百人力になったには違いない。違いないし誰の手でも借りたいのは事実だが、かといって動ける予定にない者を無理やり動かすのは俺の本意でもない。
すべての事情を無視して自分の都合を最優先出来るのは、そいつがまだ幼少期か絶対的な権力者であるかのどちらかだ。ルーシーを動かすには、それら大人の都合というものを山ほど切り崩す必要がある。アリューシアも同様で、流石にそれをやっている時間が惜しいというわけだな。
「キシャアアッ!」
「邪魔!」
結果独力でこの山に挑むことになった過程を考えつつ、襲い来る外敵を斬る。
まあこの辺りならまだ、大体小型から中型が中心だ。今襲ってきたのはパープルパイクと呼ばれる、ぶっとい蛇である。毒々しい色合いを持ち、その見た目通り弱いながら毒を持つ、常人からすればやや厄介な相手。
ただ流石に派手な色合いでデカい蛇が相手となると、見落とす方が難しいのでね。襲ってこなければ別にいいやと思っていたら突っ込んできたのでなます斬りにしてやった。こんな小物に構っている暇はないし、こんな小物にスレナがやられるわけがない。
本当にこの程度なら戦闘というより作業である。流石にグリフォンとかが飛んで来たら俺も構えるが、このくらいで足を止めるわけにはいかない。時間も俺の体力も有限なのだ。無駄遣いは避けなきゃね。
「ふぅ……」
襲い来る蛇を一撃で仕留め、また一息。こういう襲撃は何もこれが初めてではなく、ちょいちょい食らっている。全部しばき倒してはいるが。
やはり山というだけあり、育まれている環境はそれなり以上に豊かで多彩なものだ。なので色んな動植物が育っている。人畜無害なやつから始まり人間の狩人によく狙われるやつ、人間を狙うやつまで様々。
でもまあ、アフラタ山脈は人間が足を踏み入れること自体は可能なあたり、まだ優しい方なのかもしれない。俺は経験ないけれど、もし有害な毒を大気中にまき散らすやつとかが居たら、それだけで人間はもうそこに近寄れないからな。
それにそんなやつが居たら、そいつ以外は棲めない環境になってしまう。でもアフラタ山脈はそこまでには至っていない。奥の方は分からんけれども。
つまり今は、結構沢山の気配を感じる。森のざわめきなどとはまた趣が違えど、何か一つに集中したい時、こういう細かい気配は案外邪魔になるんだ。
「騒がしいのは嫌いじゃないけどねえ……」
今はスレナの痕跡をどうにかして見つけるという最重要かつ最難関ミッションに挑んでいる最中。余計な雑音は極力遮断したいが、それをし過ぎると今度は俺が何かに不意打ちを食らって死ぬ。
即死とまではいかずとも、ちょっと怪我を負うだけで成功率は格段に下がる。これもまた避けたい事態。なんとも難しく厳しいシチュエーションだよ、山を攻めるってのは。
「体感では結構登ったんだけどなあ……!」
小さな愚痴とともに視線を上に向けると、まだまだこの先は長いぞと言わんばかりの山肌が続く。
勿論、山頂への到達を目指しているわけではないので、そこまで行く予定はないしそもそも行かないんだけれども。というか流石にスレナもそこまでは行っていないと信じたい。
しかし小休止を挟みつつとはいえ、ずっと山にアタックをかけていると当然疲れる。野営も已む無し、くらいの心構えで装備を持ってきてはいるが、それらも地味に重い。
季節柄、夜でも寒さに震えることがないというのは不幸中の幸いであった。これが冬真っただ中であれば、流石に生存は絶望的だろう。
「……――!」
まあ愚痴っても仕方がないし、今日攻められるギリギリのところまで攻めておこう。
そう考えなおし、歩を進めた瞬間。微かな、しかし確かな違和感が全身を貫く。
これまで都会の雑踏の如く騒がしかった気配。それらが一歩、また一歩と歩みを重ねるうちにどんどんと減っていき。
遂には、俺が感知出来る範囲での生命の気配というものが、ほぼ感じられなくなっていた。
「……どうやら、当たりを引いたかな……?」
山や森という環境下において、気配がなくなるということはまず起こらない。
起こるとすれば、原因は主に二つ。
一つは、災害などによりその地域一帯の動植物がごっそり削り取られたパターン。
もう一つは、絶対的な強者のテリトリーであるが故に、他の生物の気配が感じられないパターン。
ただの直感でしかないが、今回は恐らく後者。そして後者であればこそ、スレナが依頼として追いかけていたのは、この空白を生み出している主であると考えられる。
普通なら嘆くところだ。なんてところに迷い込んでしまったんだと、悲愴に暮れてもなんらおかしくはない。あるいは常人なら、気付かない変化なのかもしれない。
だが、俺はこの状況を当たりだと捉えた。外れではなく。
つまり、この気配を断ち切っている元を断てば、スレナのことも安心して探せる可能性がある。彼女の手がかり自体が見つかったわけではないものの、一つの道筋が見えたことに手応えを感じていた。
身の危険を感じるよりも先に、だ。
「よし、それじゃあ……」
ここから採るルートは決まった。無の気配が続く方へ行く。他の気配が見え始めたら外れだ。それはこの主のテリトリーから脱することを意味する。無論、素直に脱出させてくれるかはまだ分からないが。
一歩、また一歩と。先ほどよりも気力が漲っているのを感じる。
これは果たして、スレナを助けられる可能性を見出したからか。それとも、まだ見ぬ強敵と相まみえる悦びを見出したからか。
まあ多分、両方なんだろう。どちらも俺の本音だ。ここで自分の心に嘘をついても仕方がない。
さて、やることも明確に定まった今。改めて気合を入れて探索を続けていくとしよう。




