第245話 片田舎のおっさん、飲み明かす
「抱ッ、えっ、はあっ!?」
「なんだ、違うのか」
彼の言葉を慌てて否定すると、返ってきたのは意外そうな感情であった。
違うのかじゃないんだよ。違わないわけがないだろ。相手は元弟子で騎士団長だぞ。それを何故抱いたという結論に持っていったのか、皆目見当がつかない。
折角いい気分で飯と酒を楽しんでいたのに台無しだよ。エールも零してしまって勿体ない。多少金が多く手に入るようになったとはいえ、口にするものを粗末に扱いたくない気持ちは変わらないな。
「……なんでいきなりそんな話に飛ぶんだ」
改めて残ったエールに口を付けながら、やや眼光を鋭くして問う。
先ほどのは、一歩間違えれば騎士団の醜聞問題にも発展しかねない発言である。周りが騒がしい酒場だからこそ周囲には漏れていない様子だったが、変な噂でも立ってしまうと騎士団としては非常に困るわけで。
「なんでもなにも、騎士団長殿は明らかにお前に対してお熱だろう」
「……」
対するケニーは、いかにもあっけらかんとした態度でその理由を説明した。
いや、まあ、うん。分かってはいる。分かってはいるんだ。彼女が俺に対してそういう感情を持っていることくらいは流石に。
俺は視線を向けられている立場だから外野としては分からないけれど、ケニーが一目見てそう言うくらいだから、多分周囲でも気付く人は気付いているのだろう。
「さっきの打ち合わせでも凄かったぜ。いや普通に仕事はしたんだが、何かとお前の凄さを遠回しに主張してきたくらいだからな」
「そんなにかあ……」
「多分俺がお前の同郷だったってのもあるんだろうが」
あの子は結構俺についてみだりに言いふらす節があるからな。みだりに、というのが妥当な表現かどうかは検討の余地があるにしても、俺からしたら十分みだりである。
アリューシアからすると今回の話相手は俺の同郷かつ部下という、まあ有体に言えば話しやすい相手であったことだろう。される側は反応に困るし、話題に出された俺も反応に困りはするんだが。
「美人で腕も立って地位もあってお前を慕ってくれてる。言い方はどうかと思うが、あれ以上の優良物件は中々ないぞ」
「物件って……」
大変失礼な言い方だが、言いたいことは分かる。俺なんかには勿体ない優秀な女性であることは間違いない。そんな女性が俺を慕ってくれている事実はありがたくも面映いのも確か。
しかし彼女は魅力的な女性である前に、前提として俺の元弟子なのだ。小さい頃とまでは言わずとも、うちで剣を学んでいた初々しい時期を知っている身からすれば、どうしても心理的な枷が付いてしまうし、その枷は付いて然るべきだとも俺は思っている。
「それとも、お前もう結婚してたりすんのか?」
「いや、してないよ。おやじには早く嫁を見つけろなんて言われてるけどさ」
次いで投げられた質問に、また否やを返す。こちとら残念ながらずっと独り身であった。
「じゃあいいじゃねえか」
「元弟子にその類の感情を向けるのは流石にちょっとね……」
流石に既に身持ちを固めているところで、更に新たな女性に手を出すのはよくない。その程度の分別はケニーにもついているようだ。いやこれは失礼な言い方か。
でも理屈ではそうなんだよな。俺には今特定の相手がおらず誰かに不義理をかますわけでもないから、理屈的な障害は特にない。あるのは心理的な障害と外聞的な障害である。
「流石にお前からがっついてたら俺もどうかとは思うぜ。でもそうじゃないだろあれは」
「……まあ、ね」
師匠と弟子という間柄を悪用して身を迫るなど言語道断である。クソと言われても何の反論も出来ないだろう。俺はそこまで成り下がりたくはない。早く嫁を見つけろとうるさいおやじ殿ではあるが、流石にそこまでして嫁を掻っ攫ってこいとまでは言わないはずだ。
いやしかし、弟子に良い娘の一人でもいないのか、って聞かれたことはあるな……。
もしかしておやじ殿はそれでもいいと考えているんだろうか。あの人の思考は時々よく分からない。俺は彼の息子ではあるけれど、生まれ持ち、そして育まれた精神性は大いに異なるように感じるよ。
「でも親子ほどの年の差があって、師匠と弟子だぞ。中々そうは見れないよ」
「それを相手は気にしていないだろ」
「……俺が気にするんだよ」
「難儀だねえ……」
はっきり断言出来るが、仮にアリューシアがレベリオ騎士団の団長ではなく、更に俺の弟子でもなく。ただ偶然知り合った年下の女性で、俺に好意を寄せてくれている状況であれば。
俺はその気持ちに応えていた可能性が大いにある。それくらい彼女は素晴らしい女性だ。断じてアリューシア・シトラスという女性に魅力がないわけではない。
正直なところ、その枷を意識しなければ流されそうなくらいの相手ではある。まあ俺の場合はそれを意識し過ぎて、逆に無意識的に一線を引こうとしているのかもしれないが。
世間一般の常識として、師弟関係にあった年の離れた男女がそういう関係になるのが普通なのかどうか、俺には分からない。ただ俺の持つ価値観から考えるとなし寄りだという話だ。
「別に俺は団長殿とお前を引っ付けたいわけじゃないんだが、相手の気持ちに応えないお前はお前でどうかと思うぞ」
「ぐっ……そういうケニーはどうなのさ」
「俺にはもう美人の嫁さんが居るからなあ」
「えっ」
苦し紛れに出した反論は、思わぬ形で封じられた。思わずエールを飲もうとした動きが止まる。
マジで? こいつ結婚してたのかよ。確かにレベリオの騎士として腕は立つだろうし、肩書としては申し分ない。性格もまあ、悪いやつではないからな。アリューシアが気風の良い方と評した通り、気前のいいやつであることは間違いない。
「……いつ?」
「三年前。ヒューゲンバイトに来てから知り合った」
「ほぉー……」
こいつが北方都市に異動となったのは五年前らしいから、そこから知り合って結婚まで進んだことになる。このスピードが速いのか遅いのかは分からない。でもまあ、知り合ってから付き合って結婚するまで二年と考えれば言うほど短くはないのか。
「お前に伴侶が出来ていることに俺はびっくりだよ……」
「俺もそう思う。ただあいつには俺のことを全部話してるぜ。故郷の村を飛び出して、騎士になるまで何をやってたかまで全部な」
「それは……いい子を捕まえたね」
「だろ?」
確かに現状だけを切り取れば、ケニーはレベリオ騎士団の北方大隊長だ。それは素晴らしい。
けれどこいつが過去にやってきたことは己の信念に逆らわず故郷の村を飛び出し、傭兵まがいのことをしながら糊口を凌ぐことだ。結果として更なる力を求めて騎士になったはいいが、それまでの人生はお世辞にも褒められたものではない。騎士になった目的だって、国家に忠誠を誓ったり国を守ることに生きがいを感じたり、話を聞く限りではそういった高尚なものではなかったはずだ。
それでもケニーのお相手は、彼を選んだ。すべてを受け入れて彼を選んだ。
それくらいケーニヒス・フォルセという男に惚れ込んでいるとも言えるし、こいつはこいつで、この人にならすべてを話してもいいと考えたとも言える。きっと、互いにとって良い出会いだったのだろう。
「俺の妻だって今年で二十五だぞ。それくらいの年の差がなんだってんだ」
「にじゅうごぉ!?」
再びの驚愕が俺を襲う。今回はエールに口を付けていなかったから助かった。飲んでいる途中だったら多分、もう一回噴き出していたと思う。
待て待て。こいつは俺と同い年だったはず。となると軽く二十は年の差がある計算になる。三年前に結婚したということだから当時は二十二だ。知り合った時期を考えればもっと若かっただろう。俺からしたらとんでもない。
おやじ殿とお袋だってそこまで年は離れていないし、身近な既婚者といえばランドリドが思い浮かぶが、彼とファナリーさんもそう年は離れているようには見えなかった。
「おま……よくお相手の親御さんが了承したね、それは」
「別になんてこったねえよ。普通にご挨拶してそれだけさ」
「そっかあ……」
うーん。まあ親御さんも含めて互いが了承しているのなら、そこに否やはない。恋愛は基本的に当人同士の自由だ。俺の場合ならと言えるほどの経験もないし、二人が良いと言えば良いのだろう。
俺でいえばなんだろうな……ミュイが二十歳年上の男性と結婚する、などを言い出した場合が強いて言えば想像出来る範囲だろうか。
「……」
その未来について考えてみる。
恐らく俺は本当にその人が信頼に値する人間か、相当頑張って見極めようとするだろう。下手したらミュイの事情を知る周囲にも相談するかもしれない。その場合はルーシーが相談相手になりそうだが。
ただ、多分。本当に二人が互いを大切に思っていて、本人がその気であれば。結局俺は二人を祝福すると思う。無論、相手がちゃんとした人間だと分かっていることが前提であるとしても。
「お前だって、特別指南役の肩書を使って何か悪さしようってわけじゃないだろ」
「そんなわけあるか」
「じゃあいいじゃねえかよ。俺は逆に何に対して遠慮してるのかが分からん」
好き勝手言いやがるなこいつは。
しかし、特にバルトレーンに出てきてからはそうだったが、俺に対してここまで真っ向から言ってくれる人間は居なかった。強いて挙げるとすればルーシーだが、彼女とこういう方面の話題で話をしたことはないように思う。
常に肯定されるとまでは言わずとも、否定されない世界で生きていくのは楽だ。俺はこれでいいんだという強烈な自己肯定感が、無意識のうちに芽生えてしまう。
俺なんかには無縁の精神だな、なんて思っていたけれど。ケニーから遠慮のない言葉を受けてちょっとムッとしている辺り、俺もその毒に知らず知らず侵されていた可能性がある。特にそれが正しいと思っていたなら尚更のこと。
彼だって俺とアリューシアを引っ付けようと思っているわけじゃないと言った通り、強引に俺をその気にさせようという気概ではないだろう。ただ彼の持つ価値観から、俺の立ち居振る舞いを問うているだけ。
「……俺には勿体ない女性だからこそ、愛想を尽かしてくれるのを待ってるんだよ」
「……お前よ、それを世間一般になんて言うか知ってるか?」
「なんだよ」
「クズって言うんだ」
「……」
クズ。その一言を放った彼の眼光は、今まで見た中で一番鋭かった。
間違っても自分が良い男じゃないことは分かっている。自覚はしているつもりだったが、幼馴染にここまでストレートな物言いをされると、やっぱりちょっと凹む。身から出た錆と言われればそれまでの話ではあるが。
これが特に関係性のない他人から言われていたとしたら、流石に俺も怒っていたと思う。だけどケニーは長年離れていたとはいえ、幼少期を共に過ごした幼馴染だ。
大人になって変わったことは沢山ある。しかし物心ついてからこいつが村を飛び出すまで、常に木剣片手にじゃれ合っていた相手の言葉は、そこらの他人のものより何倍も重い。
「はぁ……お前が頑固なのは分かったがよ。せめてちゃんと女性として見てやれ」
「……」
「年下だの弟子だの上司だのといった見方は一旦捨てろ。その上でやっぱりないなと思うんだったら俺もそれ以上は何も言わねえよ。でも今のお前はそれ以前の問題だろ」
「……知ったふうな口を利くね」
「逆にそれ以外の結論を出すのが無理じゃねえか、話を聞く限りでは」
「……そうか」
アリューシアを一人の女性として見る。今まであえて意識してやってこなかったことだ。そういう目で見ることが禁忌であるとすら考えていた。
しかしケニー曰く、別にそうではないらしい。彼一人の言葉で俺の常識がまるっと覆るわけじゃないけれど、きっと一理はあるのだろう。それを汲むかどうか、あとは俺個人の問題になる。
「仮にそうなったとして。行くところまで行ったら君は祝福出来るのかい」
「勿論だ。お前が無理やり迫ったんじゃない限りはな。というか騎士団長殿があれだけ出来た人で、今まで浮ついた話が何一つ出てこなかった理由が今日やっと分かったぜ……」
「そ、そっか……」
別に今からアリューシアを性的な目で見始めるとかそういう話ではない。それはそれでただのクズである。
だが彼女に限らず、元弟子を見る時は弟子だからという強烈な自制心が働いていたのは事実だ。そして俺はそれを良いものだと思っていた。この気持ちをいきなりなくすことは出来ないしなくしたくもない。
ただまあ。ケニーが割とご立腹な感じになっているのは。
俺がなんだかんだとそういう理由にかこつけて、結局のところ彼ら彼女らを一人の独立した人間として見てこなかったから、なんだろうな。そこは俺も大いに反省すべき点かもしれん。
「しかしなあ……ミュイのことも気にかかるし……」
「あん? ミュイ? 誰だそれ」
「あれ、言ってなかったか。いや、ちょっと事情があって一人の少女の後見人になってて……」
「……なん、で! 嫁が居ねえのに! 娘が居やがるんだ!? アホかお前!?」
「アホはないだろアホは!?」
「事情ってやつを詳しく話せ! 俺ぁお前のことがどんどん信用出来なくなってきたぜ……!」
「ひ、酷い言い草だな……!」
「おーい! エールおかわり二つくれ! クソ、今夜は長くなりそうだ……」
「……奥さんに怒られない?」
「そこまで狭量じゃねえようちの嫁は」
「そ、そう……」
ミュイのことを説明していなかった俺にも落ち度はあるにせよ、ケニーは追加のエールを頼んで徹底抗戦の構えであった。
言われた通り今夜は長くなりそうだ。というか本来は久々の旧友との再会として和やかな空気で進むはずだったのに、どうしてこうなった。いや俺のせいか……。
俺はこの一晩だけでいったいどれだけこいつに叱られるんだろうか。
けれど、そういう忠告をもらえる間柄であったことは、どことなく喜ばしい。無関心な相手にここまで心を燃やすことは、少なくとも俺には出来ないだろうから。




