第237話 片田舎のおっさん、並び立つ
「ベリル殿。おはようございます」
「おはようヘンブリッツ君」
レベリオ騎士団の実技試験を見学してから、幾日かが経った。今日も今日とて変わらず騎士たちの指導を、と行きたいところではあったが、本日はちょいとばかし風向きが異なる日でもある。
「すみません、気候も穏やかになってきたところで……」
「いや、仕方がないよ。俺は騎士の鎧を持ってないんだから」
顔を合わせるなり、謝罪から入ってきたヘンブリッツ君。その内容は、こんな季節にこんな恰好させてすみません、みたいなやつだった。
まあ今は春真っただ中。ちょっと前までは朝晩に少し冷え込むこともあったものの、今の季節は実に過ごしやすいもの。毛布一枚で快眠出来るし、昼間も心地よい気温が都市を包む。そして身体の節々も痛みが出にくい。実に素晴らしい季節である。
で、そんな季節に俺は今、レベリオ騎士団の外套を羽織っているわけだ。彼が謝罪したのはそこだな。
これも「もし可能であれば」くらいの温度感で伝えられたものだけれど、俺としても情けない恰好で皆の前に出るわけにもいかないから、この提案は積極的に了承した。
つまり何が起きるのか。今日は叙任式を終えた騎士たちが初めて、レベリオの騎士としてこの庁舎にやってくる日である。
実技試験を上から眺めた後、具体的にどういう日程で、そしてどういう選考で騎士が選ばれたのかを俺は知らない。そこは俺の領分ではないためだ。
更には、レベリス王宮の方で新米騎士たちの叙任式があったという事実は知っているものの、それを見に行ったわけでもない。俺の肩書は指南役であって騎士ではないからだ。
考えると何とも不思議な立場である。外部顧問と言えなくもないが、俺は別に戦略的なことや政治的なことをやっているわけでもないからね。ただひたすらに騎士たちに剣の腕を磨かせるためだけの存在。
アリューシア自身も最初に"特別"指南役と言っていた通り、まあ特別というかイレギュラーな肩書ではある。少なくとも先任者は居なかったらしいしね。
ということはこの肩書を新たに作り、更にそこに俺を捻じ込んだのはひとえにアリューシアの政治力の賜物だ。こんなところで発揮するんじゃないよと言いたいところではあるが、なんだかんだと俺も今の立場に充実感と満足感を得ているから、結果としてよかったんだろう。
そういった、ちょっと説明しづらい俺の立ち位置と役職。
アリューシアが俺を連れてきた当時に居た騎士たちはもう、そういうものだと受け入れるしかなかったにせよ、これから新しく入ってくる騎士に対しても説明をしないといけない、というのは少々手間がかかる。
アリューシアは俺の存在を喧伝したかったようにも見えるが、世間一般にレベリオ騎士団の特別指南役という役職が浸透しているかどうかは微妙だ。
なればこそ、新たに目を通す相手には最低限恰好だけはちゃんとしよう、ということだな。
平服でアリューシアやヘンブリッツ君と並んでいては、何だこいつと思われても致し方なし。なので少しでも身なりを整えるという意味で俺は今日、騎士団の外套を着ているわけだ。
実はちょっと暑かったりする。でもまあここは我慢のしどころですので。これが真夏とかだったらかなり危なかったかもしれん。
「皆、揃っていますね」
いつもの修練場ではなく庁舎の中庭に集まった俺たち。そのすぐ後に、騎士団長であるアリューシアが姿を現した。
今回、緊急で来れない者を除いて、このバルトレーンを守るほぼ全員の騎士が集っているらしい。
顔合わせは最初にまるっとやっておいた方が楽だしな。それに新顔との初顔合わせだから、こちら側が欠けているというのもいまいち恰好がつかないだろう。
「先生、ヘンブリッツ。おはようございます」
「うん、おはよう」
「おはようございます団長」
アリューシアを交えて三人で挨拶を交わす。
騎士団長兼剣術指南役、副団長、そして特別剣術指南役という、まあ肩書だけ見れば大層なメンバーである。この三人は新人を迎える際に他とはちょっと違う立ち位置らしいから、自然とこうして固まった。
中庭といえば、最初にアリューシアに連れてこられた際、騎士たちを相手に彼女からの無茶振りで挨拶させられた思い出が蘇る。
あの時はかなり困惑したものだが、今となってはあれも思い出の一つとして数えられるくらいにはなった。良い思い出、と言い切れないところがちょっと苦しいけれど。
ただ、あの頃に比べると緊張感はない。無論いい意味でね。俺も大分レベリオ騎士団の空気に慣れてきたというか、郷に入っては郷に従うというか。もうそろそろここで剣を教え始めて一年が経つんだなあと、割と呑気に考えられるくらいにはリラックスしていた。
「新しく入る子は何人くらい居るの?」
俺たちがこの場で集まっているのは新人騎士との顔合わせなので、彼らがやってくるまでは少々手持ち無沙汰である。その間、ちょっとした雑談のつもりで話題を振ってみた。
「今年は十一名です。例年よりは僅かに多い程度ですね」
「へえ。例年だと?」
「おおよそ五名から十名程度に収まります」
「ふむ……」
俺の問いに、アリューシアが答えてくれる。
毎年五名から十名。単純に考えると、十年で五十人から百人が新しくレベリオの騎士としてやってくる計算になる。
今バルトレーンに居る騎士が総勢何名なのかは分からないが、体感でいくと最低で百以上、最大で二百未満といった感じがする。
となると、約十年で騎士の半分以上の顔触れが変わることになるのだが、それはちょっと数字にしてみると違和感が残るな。負傷や不慮の事故等で欠員が出ることはあるにしても、肌感覚の辻褄がやや合わないというか。
「バルトレーンの庁舎に居るのは百人超くらいだろう? 毎年そんなに採っていると計算が合わないような気もするけど……」
「ベリル殿はここしか知りませんからな。騎士の駐屯所は他にもあります故」
「あ、そうか」
素直に疑問を吐露してみれば、答えてくれたのは今度はヘンブリッツ君。
そうか、別にレベリオの騎士が駐屯する場所はバルトレーンだけじゃないのか。ちょっと考えてみれば当たり前の話ではあるんだが、そこに至らなかった己の浅慮を嘆くばかりである。
となると、騎士として務めを果たす際にバルトレーン以外……つまり、王のお膝元ではない場所で働く可能性もあるんだな。
その場所が何処になるのかは知らない。というかそもそも、俺はバルトレーン以外の騎士駐屯所を知らないのだ。
フルームヴェルク領にも騎士の詰め所はなかったように思うから、それ以外の都市になるとは思うのだが、俺はビデン村とバルトレーンとフルームヴェルク領以外分からないからな。なんとも世間知らずなおじさんではあるが、今までこれで特に不便をしてきていないのだから仕方がない。
「フルームヴェルク領には屯所はなかったはずだけど、それ以外の場所ってことかな」
「スフェンドヤードバニアとは特に戦争があったわけでもありませんからな。有事でもなければ、あちらの私兵軍で事足りますから」
「そうか、そういう事情もあるんだね……」
フルームヴェルク領は確かにスフェンドヤードバニアとの国境ではある。あるが、国家同士で争っているわけではないのだから、余計な戦力を遊ばせておく必要はない。そういわれると納得出来る。
そもそも俺があの国に対して個人的な感情から良くない印象を持っているだけであって、歴史的に見れば割と仲良くやっているということであれば、まあ過剰な戦力は不要ではある。
あの一連の事件はモーリス教皇が暴走してしまっただけとも取れるしな。事実、王室側はサラキア王女を娶ったわけだから、国家として協調路線を取りたいのは嘘ではなかろう。
「となると、他は……」
「西方の国境都市ヴェスパタ。また北方の海港都市ヒューゲンバイトが主な駐屯先となります」
「ふむ……」
続く問いにはアリューシアが答えてくれたけれど、ヴェスパタにヒューゲンバイト。ともに知らん名である。
西方と言えばサリューア・ザルク帝国との国境沿いか。あっちは確か過去に戦争をしていたはずだから、騎士を置いておくのは妥当ではある。
しかし北方にも置いているというのは少し意外だ。この国はガレア大陸の北端にあるわけなので、北には海しかないはずなんだが。
まあガレア大陸の外に他の大陸があるかもしれないし、もしかしたら侵略してくるかもしれない。その辺は上の判断というやつだろう。俺程度が疑問に思っても仕方がないことかな。
「じゃあ新人たちも、そっちに行く可能性はあるってことか」
「そうなります。……決める立場の人間がそう言うのも、おかしな話ですが」
「おっと、それもそうだ」
そういえばここに居るのは騎士団長と副団長だったわ。レベリオ騎士団を司るツートップである。
当然そういう人事権というか、配置についてはこの二人の考えが多分に影響される。無論、国のトップである王室側の意見も無視は出来ないだろうが、今までの体感で語るならば結構現場重視な感じっぽいしね。
「さて、そろそろ時間ですな」
「分かった」
ちょっとした雑談をしながら時間を潰していると、どうやら新人たちがやってくる時間になったらしい。
ちなみに新人のお出迎えは別の騎士が担当しているとか。まあ騎士団長や副団長自らお出迎えというのは、権威的なところを考えると少々難しいだろう。別に威張り散らす必要はないけれど、上に立つ者としての威厳は最低限必要だ。
ちなみに俺は、最終的に誰が受かったのかを知らない。多分それくらいは聞けば教えてくれたかもしれないが、あえて聞いていない。
なので、今日この場にアデルとエデルがやってくるかは分からないままだ。二人とも居るかもしれないし、片方だけかもしれないし、もしかしたら二人とも居ないかもしれない。
仮に聞いたところで、俺からは何も出来ないしね。俺はあくまで外部から招聘された剣術指南役であって、騎士団の運営には少しも噛んでいないから。そこで俺の我が儘を発揮するのは違うし、きっとあの二人も良い顔はしないだろう。
それに、誰がやってこようとやることは変わらない。俺のやるべきことといえば、ただひたすらに騎士の腕前を鍛え上げることのみ。
そこに遠慮や贔屓は不要だ。遠慮や贔屓で人が強くなるのならやるが、現実はそう甘くないわけで。
だからたとえ、訓練が厳しくて騎士を辞めたいと相談されたとしても。相談には真摯に向き合うが、そのことに配慮して訓練を緩めるなんてこともしない。優しさと甘さは違うからな。
「……時間ですね。整列!」
時間が差し迫ったところで、アリューシアの号令が響く。その声を受け、既に何度も身に染みているであろう機敏かつ正確な動きで、この場に集まったすべての騎士が一瞬にして隊列を整えた。
いつ見ても素晴らしい動きだ。田舎の村道場では絶対にお目にかかれない動きでもある。これだけを見ても、レベリオの騎士はただ戦う個人ではなく立派な軍隊であると思い知らされるね。
「全体、進め!」
「……来ましたな」
全員の整列を終えて間もなく、中庭の入口から別の人の声が続いて響いた。隣に並んだヘンブリッツ君が、俺にしか聞こえない程度の小声で若駒たちの到着を知らせてくれる。
中庭に向かってくる人の数は十三。十一名の新人の前と後ろを教導役の騎士が挟む形で、その行進は行われた。
全員が全員、ぴかぴかの鎧を纏っている様はやはり絵になるな。顔付きはまだ少年少女の趣が多分に残っているけれど、これもいくつか年を重ねれば立派な騎士の顔付きになっていくのだろう。
先輩の騎士たちに囲まれる新人は、見るからにガチガチである。そりゃまあ無理もないか。こんなお出迎えをされて固まるなという方が無理がある。
固まっていないのは、俺が窺い知れる限りだと一人だけ。
まさしく自信満々といった様相で、身には今までの練習着ではない、銀色に光るプレートアーマーを誇らしく着飾った、アデルだけであった。




