第230話 片田舎のおっさん、誘い誘われる
この家に他人が訪ねてきたのはこれで三人目。ルーシー、フィッセルに次いでスレナである。我が家の詳細な場所を知っているのもこの三人なので、まあ訪ねてくること自体に不思議はない。
とはいえルーシーとフィッセルの時にも思ったが、想定していないタイミングで突如来訪があるとやっぱり多少はビビる。俺は家に帰ったらミュイだけが居るものだと思い込んでいるからな。
「もしかして待たせちゃったかな」
「いえ、お気になさらず」
スレナがうちに来るということは、ほぼ間違いなく俺に用があるとみていいだろう。流石にミュイに用事があるとは考えにくい。
朝方に訪ねるのはやや早すぎる。そして夜が更けてからでは失礼。多分そんな思いでこの時間帯に来たのだろうが、今日はバルデル鍛冶屋に寄っていたもので俺の帰りが遅くなってしまった。
故に先に帰宅していたミュイと鉢合わせ、俺が帰ってくるまで待っていた、と考えるのが妥当か。
ミュイは以前スレナに対して「苦手」と言っていた通り、初対面でとんでもない圧を食らった過去があるもんで、結構気まずい空気だったかもしれない。それでも来客として、失礼がない程度に出迎えが出来ているのは良いことだ。
個としての生活に余裕が生まれたことで、気を外に配る猶予が出来始めている。
やはり置かれた環境というのは良くも悪くもその人の性格に非常に大きな影響を与えるもんだなと、スレナを前にして変な感慨が生まれてしまった。
「待っていてもらったようだし、先に用件を聞こうか」
本来の予定なら、すぐにでも飯の準備に取り掛かりたいところ。しかしスレナが訪ねてきている以上、それを無視して飯を作り始めるわけにもいかない。
外気からこの身を守ってくれた外套を畳みながらそう問いかける。室内はミュイが先に火を熾していたのか、心地よい温度に保たれていた。
「あ、はい。別段大したことではないのですが……以前、先生よりお誘い頂いていた件で、時間の都合が付きそうなのでお知らせにと」
「ん? ……ああ、あのことね」
一瞬思い出すのに時間がかかってしまった。こういう細かいところで残酷な時の流れというものを感じてしまうよ。
以前お誘い頂いていた件……つまり、魚が食える手頃なところはないかなと服屋でスレナに聞いた時のやつだな。確かにあの時は一緒に行こうぜみたいな感じでお誘いをしていた記憶がある。
俺としても魚は引き続き食べたいところだし、ミュイとしても魚は結構好みの様子だったので、余裕があればまた買いたいとは思っていた。ただ俺もミュイも調理が下手くそだから、店で食べた方がより美味しく感じられるだろう。
「ミュイ、スレナは魚が美味しく食べられる店を知っているらしいよ」
「……本当?」
「おいおい、流石にこんなしょうもない嘘は吐かんぞ」
ミュイを除け者にしないよう、彼女に話題を振ってみる。すると随分と分かりやすい反応を示したので、うちで食べた焼き魚が随分とお気に召したらしい。
そしてやはり、スレナに対してはかなり遠慮がちな態度である。
うーん、別にスレナは悪い子じゃないし話せば分かるとは思うのだが、如何せん彼女の放つ意味不明な圧が強すぎるからな。ちょっとこれは長い目で見て慣れてもらうしかなさそうであった。というか小さい子を威圧すんなって話ではあるんだけどさ。
「スレナ、そこはここから近いのかな」
「……そうですね。乗合馬車を使わずともいけなくはない距離です」
「ふむ」
ただ店との距離を聞いただけなのに、彼女は数瞬押し黙った。恐らく、俺やスレナの足ならまったく問題ないが、ミュイを歩かせるに妥当な距離かどうかを測っていたと見える。
こういうところ、本来彼女はちゃんと気を遣える側の人間なのだ。その辺りの気質は、幼少期となんら変わっていない。
シャルキュトリでの出会い方が最悪に近かっただけであって、俺としてはスレナもミュイも仲良くしてほしい。そしてその素養はお互いに持っている。表層に出てくる性格は二人ともやや荒っぽいが。
「……ちなみにスレナ、今日の予定は?」
「いえ、この後は特には……ちょうど依頼を片付けた後ですので」
「そうか」
一つの思い付きを実行すべく、スレナの今日の予定を聞いておく。
というか依頼を片付けたその足でここに来たのかよ。相変わらずすげえ活力である。俺なら仕事が終わったらもうあとは家でゆっくりしたいのに。
まあそれは置いておくとして。晩飯の時間にはやや早いといったところだが、ここから移動や待機の時間を考えればちょうどいいとも言える。
「よし、じゃあこのまま三人で食べに行っちゃおうか。勿論、スレナとミュイがよければだけど」
「えっ」
「は、はい。私は構いませんが」
その思いから繰り出された俺の提案に、ミュイは分かりやすい驚愕を、スレナはやや面喰いながらも了承を返してくれた。
「ミュイは嫌かな?」
「えっと……そうじゃない、けど」
言いながら、この聞き方はずるいと思ってしまった。ここで面と向かって嫌ですというのは聞かれた立場からするとかなり言いにくい。けれども他にいい尋ね方も分からんもんで、どうにか勘弁していただきたい。
「じゃあ今日は外に美味い魚を食べに行くとしよう」
「……ん、分かった」
「スレナも、付き合ってくれるかな」
「はい! 勿論です」
最終的にミュイが折れた……というより、スレナと同じ空間に居ることと魚を食えることを天秤にかけて後者が勝ったという感じ。食に対する欲求はかくも大きい。俺も人の事を言えたものじゃないけれど。
俺もミュイも、魚介類に対する期待値が膨らみ過ぎているんだよな。素人の手でぱっと焼いただけの魚があれだけ美味いなら、店でちゃんとしたものを食べればどれだけ美味いんだという期待。
更に世界を回っているスレナの推薦となれば、そう不味いものは出てこないだろうという信頼もある。別に今日の晩飯を作るのが面倒だとか、そういう話では断じてなくてね。
「ミュイ、何か羽織っておいで」
「うん」
お出かけすることが決まったので、ミュイに服を取らせると同時、俺も外套を羽織り直す。
そういえば、結局ミュイと冬物のお買い物は出来ていない。あの後すぐにスフェンドヤードバニアへの遠征が決まってしまったからだ。
まとまった時間がとれなかったという事情に加え、学院から支給される冬用のコートで間に合ってしまっているというのも大きい。俺もミュイもファッションに気を遣うタイプではないから余計に。支給のやつはちゃんとした生地だしね。
「しかし……良いのですか、私も一緒で」
「ん? 構わないというか、俺はむしろ歓迎だけどね。折角の機会なんだし」
服を着込む間、若干の手持ち無沙汰となったスレナが問うてくる。
ミュイの後見人になり、ともに暮らしていることは当然彼女も承知している。折角なのだから二人でゆっくりしてきては、という意図もある問いかけだとは思うが、俺からすればスレナもミュイも変わらないんだよな。
血が繋がっていないとはいえ、二人とも俺の中では家族みたいなものだ。俺目線の勝手な言い分だけれど、その家族同士には出来れば仲良くしてほしい。今回のイベントが二人の仲を少しでも縮めてくれることを祈るばかりであった。
「準備出来た」
「よし、行こうか」
ぱぱっと上着を羽織り、家の外へ。一度室内に入ってからだと余計に寒く感じるね。しかしここで出不精根性を発揮するわけにもいかないので頑張ろう。歩いていれば多少は身体も温まるだろ。
「そういえば、俺が帰ってくるまでは何か話とかしてたの?」
「……別に……」
「近況はどうかとか、他愛もない話ですよ。ミュイも頑張っているようですね」
「ほほう」
歩きながら、雑談に花を咲かせる。最初は威圧的な部分も多かったスレナだが、今はミュイのことをなんだかんだで結構認めている感じもする。
ミュイが頑張っているのは俺から見ても事実だと思う。家事も一生懸命上達しようとしているし、学院での授業もまじめに受けている様子。このまま健やかに成長してほしいものだ。
「フフ、ようやく先生の直系になることの自覚が出てきたようだな」
「や、それは別に……」
「そこは別に自覚しなくてもいいんじゃないかな……」
スレナがまたとんでもないことを言い出したので、それは要らないよと否定しておく。いいんだよ直系とかそういうことは考えなくても。彼女は彼女なりに考えて成長している。それだけで十分だ。
とはいえ、スレナと話す時は割と引っ込みがちなミュイが即座に否定したのはちょっと悲しい。複雑な親心というやつである。
「……でも」
「ん?」
「今は、目標あるから。頑張ってる」
「ほう。それは良いことだ。漫然と日々を過ごしていても成長はしないからな」
遠慮がちに放たれたミュイの言葉に、スレナが感嘆を返す。
目標。確かにないよりはあった方がいい。それがどれだけ非現実的や俗物的なものであっても。ゴールを定めないと人間は頑張れないから。
その意味では、俺は長年おやじ殿を目標としてきた。歩んできた道のりは間違っていなかったと思うし、そのおかげで今の技術と経験を手に入れられたのは恐らく事実。
そして曲がりなりにもおやじ殿を超えたと自覚出来てからは、本格的に剣を振れなくなって引退するまで誰にも負けてやらん、という荒唐無稽にも映る目標を持っている。
現実的かと問われれば難しい。恐らく生涯無敗で現役生活を終えた剣士など、片手で数えても指が余るだろう。
そもそも俺は、おやじ殿に長年ボコされてきたから既に無敗ではない。モンスターと相対して敗走した過去もあるし。
ただやはり目標に向かって努力するというのは剣術に限らず、何かをなし得るためには必須の要素だ。スレナの言う通り、目標もなく漫然と日々を過ごすだけでは色々と成長しない。
ミュイはわざわざ目標が何かを具体的に言いふらすタイプでもないし、俺も深掘りはしないでおく。俺の持っている目標だって誰かに伝えたわけじゃないからな。時と場合にもよるけれど、そういうのは心の奥底で火をくべるくらいでちょうどいいんだ。
「スレナは今の目標って何かあるの?」
「私ですか。ありますよ」
「そうか、なら特に言うことはないかな。俺が言うまでもないけれど、頑張って」
「はい、無論そのつもりです」
今の実力と立場になっても目標を失わずにいる。それもまた立派な才能である。
ほとんどの人は、自身の歩む道で頂点に立とうとは考えない。正確に言えば考えはするけれど、すぐに現実という残酷な事実に打ちのめされる。
その点、スレナは既に頂点に立っていると言っても過言ではない。なんといっても冒険者最高ランクのブラックだ。それ以上をどこに望むんだという話にもなる。
ブラックランクに上り詰めることは、一つの目標ではあっただろう。しかしそこで満足せず、次を見据えている。
目標に達した満足感だけで終わらせない、というのは実は結構大変だ。もうここまで頑張ったしいいじゃないか、みたいな邪念が頭を擡げてくる。その目的地が高いところであったのならば尚更のこと。
そのブラックランク到達という高い壁を乗り越えた今、次の目標が何なのかは気になるところ。しかし、それを不用意に聞き出すつもりもまた、ない。
俺だって今の目標は何ですかって聞かれても答えるのちょっと恥ずかしいしな。人に言えない、あるいは言いにくい内容もあるだろうから、話してくれる分には勿論聞くけれど、こっちから問い質すのは少々野暮というものである。
「……んっと、スレナ、さんは」
「ん、どうした?」
ここで不意に、ミュイがスレナに対して言葉を投げかける。
苦手と言っていた割にこの行動は、少しばかり意外だった。まあ仲良くなってくれるならそれに越したことはない。おじさんは早くも二人の会話を静観する構え。
「強くなるのに、どんくらいかかった……んですか」
「ふむ……なかなか難しい質問だな」
次いで出てきた言葉は、彼女の強さに関するもの。
どんくらい、というのは期間のことだろう。ミュイは今、魔術師学院で戦う術を学んでいる。
けれどまあ、その進捗が極めて順調かと問われればちょっと答え方に困るところ。成長しているのは事実だし、魔法の適性があるというだけで素質は十分にある。
しかし現時点では、彼女に才はあれど学がない。それは単純な知識や教養といった面でもそうだし、戦闘面での賢さという点でもそう。圧倒的に技術と経験が足りていないのだ。歩む先の景色が気になるのは当然のことでもある。
他方、どんな才能を秘めた天才であっても、最初は誰だって初心者だ。俺もそうだしアリューシアやスレナ、フィッセルもそう。最初から経験と技術を持って生まれてくるやつなんてこの世に存在しない。
焦れてもしょうがないという言葉は、過ぎ去った年月を振り返ることが出来る者の意見だ。ある種特権と言い換えてもいい。それを今の年のミュイに分かれというのは、少しばかり酷な話であった。
「一つの参考記録ではあるが……私はブラックランクへ上り詰めるまでに十五年かかった」
「十五年……」
スレナの言葉に、ミュイが静かに驚く。
十五年。長い年月だ。ミュイからすれば、今まで生きてきた年月と同等以上の時間を必要とする。
「つまり、十五年前の私は弱かった。どこの馬の骨かも分からんやつよりもな」
「……」
十五年前と言えば、スレナもまだまだ小さいお年頃。今のミュイと同じか、それよりも僅かに幼いくらいか。その年から頭角を現せる者は滅多に居ない。ある意味では、アリューシアの方がスレナよりも才能の多寡は大きかったのやも。
だが話の核はそんなことではなく、スレナでさえ剣の習い始めの頃は弱かったのだ。言外に焦るなというメッセージを込めた言葉であると、俺は感じた。
「月並みな言葉だが、焦ることはないぞ。私だって昔は弱かったんだ、誰だって悩み挫ける時はある。……恐らく、先生もそういう時期はあったと思う」
「ああ、スレナの言う通りだね」
話題がちょっと俺の方に触れたので、言葉を返しておくか。見守りおじさんは終わりだ。
その通り、俺だって最初から強かったわけじゃない。挫けそうになったことも何度もある。なんならちょっとだけ伸びた鼻っ柱を、幾度となくおやじ殿にへし折られてきたくらいである。
けれどまあ、最終的に投げ出さずに鍛錬を続けていたら、ここまで来たという話。
無論、そこに至るまでに才能の有無が少なからず関係していたことは否定しない。生来の目の良さがなかったら、俺もここまで辿り着けていないと思う。
幼少期から挫折なく順調に伸び続け、あまつさえ頂点にまで到達してしまうやつってのはマジモンの天才だ。異端児とすら言っていい。アリューシアですらそれは叶っていないんだから。
「今出来ることを怠けず弛まずやることだな。結果はついてくる。……それが自身の望んだ質と量であるかはまた別の話だが」
「……ん、分かった」
で。言えることとしては結局、今出来ることをちゃんとやりましょうねというところに落ち着く。それ以外の正道がないとも言い換えられる。
人生の近道なんて存在しないのだ。なんなら魔力というインチキに近い才能を持っているだけで、随分とショートカット出来るくらいである。
その意味では、ミュイは間違いなく恵まれている。出自とかではなく今の環境がね。ルーシーとフィッセルという良き師……いやフィッセルは異論あるかもしれんが、まあ良い先輩に恵まれているのも大きいだろう。
その背中を見て、時に教えを乞い、健やかに成長してほしい。そのための助力なら惜しまない所存だ。これは嘘偽りなく、俺の本心であった。
「さて、話の続きは飯を突きながらにしようか。そろそろ到着だぞ」
「……うん」
そういう類の話をしていたら、あっという間に目指す先。つまりは魚を食えるリーズナブルな食事処である。
俺も結構楽しみなんだよな。二人の話を肴にしながら食う魚、飲む酒ってのも大変に美味しいことだろう。
太陽が沈みかけた時分でも活発さを失わないバルトレーンの中央区。その一角にある食事処へと、俺たち三人は歩を進めた。
意味が正しく伝わりにくい文言がありましたので修正しました。




