第228話 片田舎のおっさん、慄く
刃渡りは普通のロングソードと変わらない。恐らく百センチあるかどうかといったところだろう。鞘の太さから察するに、幅も極一般的な長剣の範囲である。
まあ変に奇を衒ってもぶっちゃけ扱いにくい武器になるだけだしな。特に今回は部屋に飾るわけでもない、レベリオ騎士団長が実際に振るう剣なのだから、余計な装飾はまったく必要がない。とはいえ彼女の場合は地位の問題もあるから、多少は見た目にも気を付けた方がいいとは思うけれど。
「是非手に取ってみてくれ」
「はい。そうさせていただきます」
数瞬、黒塗りの鞘を眺めていたところにバルデルから声がかかる。
先述した通りこれは美術品でなく実用品だ。使ってなんぼのモノなのだから、その使い心地や振り心地こそが肝要。彼の言葉からそう間を置かず、アリューシアは慎重に鞘を持ち上げ、柄に手をかけた。
「これは……」
「……へぇ、これはまた」
彼女の手で鞘から引き抜かれた剣身は、日の光を反射して煌めく銀色の輝き……ではなく。僅かな反射光こそあれども、どこまでも引き込まれ、まるで吸い込まれるような――仄暗い薄墨色を宿した刃であった。
ふーむ。形こそ普通のロングソードと変わらないが、この色合いは少々特殊だな。職業柄色々な武器を見てきたつもりだけれども、切れ味を有する武器でこの色合いというのはもしかしたら初めてお目にかかったかもしれん。
武器は通常、鉄で作られる。鍛冶師の腕にもよるが、そうなると当然相応の輝きは持つはずで、ここまで沈んだ色というのは結構珍しい。
光すら呑み込んでしまいそうな薄い灰色は見た目の威圧感こそないものの、得体のしれない不気味さを微かに感じさせる。アリューシアが振るう剣としてはやや華美さに欠けるともいえるが、まあその辺りは気にしても仕方がないか。
「この色は……?」
「ああ、素材を混ぜたらそうなっちまったんだ。別に俺が何かしたわけじゃねえよ」
とはいえやはり、普通の武器とあからさまに見た目が違えば気になるのが道理。その点をアリューシアが尋ねると、バルデルはそれを聞かれることはまるで想定内といった様相で答えた。
素材というとあれか、ロノ・アンブロシアの核か。あれがなんやかんや作用してこんな色になった、と。
その結果良い武器が生まれたのなら別に悪いこっちゃないんだろうけれど、俺の持ち込んだ素材のせいで見た目が悪くなってしまったとも言える。ちょっと申し訳ない気持ちだ。
「それでも使ったということは、素材としての質はよかったんだよね?」
「おうともよ。配合比率には苦労したがな、ありゃ逸品だぜ」
一応念には念を入れて確認を取っておく。
バルデルがそんなことをするとは思えないが、俺が折角用意した素材だから要らぬ義理を立ててしまった、という線は一応残るからね。
まあ結果として要らん心配だったわけだけれども、配合比率ってのは少々気になるな。
「配合比率っていうのは?」
なので、ついでに聞いてしまう。別にそれを聞いたからといって俺が鍛冶に目覚めるとか剣を打ち始めるとかそういうことはない。純粋な好奇心である。領域が完全に重なることはないにしろ、鍛冶と剣士は切っても切れない関係だ。興味を持つなという方が難しい。
「先生に貰った核をちょっとずつ削ってな、エルヴン鋼とのベストな割合を探してたんだ。骨の折れる作業だったが、見つかりさえすれば比率だけ守ってれば済むからよ」
「なるほど。繊細な作業だね」
「まあな。腕っぷしだけでいい武器が打てるなら苦労はしねえ」
「はは、違いない」
どうやらあのこぶし大の核をちまちま削り出して、そもそもエルヴン鋼と反応するのか、するのならどの程度混ぜ合わせるのが適切か、ひたすら比べっこしていた様子。
鍛冶師は槌を振るうのが仕事だし、実際に力仕事でもある。バルデルも見た目のゴツさは物凄いからな。
けれども、腕力膂力だけで務まるものではないのだ、鍛冶師というものは。扱う素材に対する知識は勿論のこと、見た目とは裏腹に繊細な作業も要求される。求道者という意味で述べれば、鍛冶師だって剣士や魔術師となんら変わらない。一つの道を極めるというのは本当に至難である。
彼が俺の道場に来る前、そして一年と少しで卒業した後、具体的にどういう生活を営んでいたのか詳しくは知らない。けれども、共にした時間は僅かであれど彼の鍛冶に向ける眼差しと意気込みは本物だった。少なくとも俺はそう思っている。
だからこそこうやってバルトレーンで自分の店を持つことが出来ているのだし、ゼノ・グレイブル製の剣も見事に作り上げてくれた。
そして今、アリューシアの腰に差すべき新たな得物も見事に作り上げている。もはや彼の技術は疑う余地が残されていない。そんな人物と縁を結べたのは、これもまた幸運といえよう。
「――素晴らしい。忌憚なく、そう感じます」
「そうか。ありがたい限りだ」
俺とバルデルがちょこっと話をしている間、アリューシアはしばし薄墨色の刃を見つめ、それから二、三度軽く腕を振っている様子だった。そして出てきた言葉がこれだ。
アリューシアは元来優しい性格をしているが、職務上のことに限って言えば決して忖度をしない。特に今回は自身を守る武器の選定、その評価に余計な気遣いは不要。そんなのはバルデルだって望んじゃいないだろう。
その状況で放たれた「素晴らしい」の一言。これは最上級に近い褒め言葉ではなかろうか。
厳密にいえばまだ実際に剣を試したわけではないので、切れ味や耐久力といった面は分からない。分からないが、ひとかどの剣士となれば、見た目と手に持った感覚などからおおよそは察せられる。俺だって初めてゼノ・グレイブル製の剣を手に取った時の感動は未だに覚えているしね。
俺の勝手な感覚で恐縮ではあるが、恐らく俺の持つ赫々の剣と同等か、それ以上。それほどの大業物が新たに誕生したと見るべきだろう。しかもそれを、レベリス王国きっての剣の名手が持つことになった。
恐ろしいことこの上ない。絶対に喧嘩を売ってはならない筆頭候補だ。いやそれは元からだが。
「是非とも切れ味を確認したいところですが……」
「おう、それなんだがな。一本だけ巻き藁も用意してきたぜ。流石に室内は無理だから外で振ってもらうが」
「本当ですか。ありがとうございます」
そして、業物を手にした剣士が次に考えることは誰だって同じ。その剣の実力を測りたいというものである。
そこもバルデルはお見通しだったのか、しっかり試し斬り用の巻き藁を準備していた。俺の時は何もなかったのにね。別にそれをどうこうは言わないけどさ。
「俺も見ていいかな」
「勿論です」
まあそんな大人気ない感情は隅に置いておくとして、新しい剣の切れ味というものは大いに気になっているところ。彼女の剣技にどこまで剣が応えられるのか、その結果はぜひとも目に焼き付けておきたい。
無論、巻き藁を一本斬ったからとてすべてが分かるはずもない。しかしながら、実際に物を斬ってから初めて分かることがあるのも事実。
今彼女がこの剣に持っている印象、感覚を確かなものにする作業も必要だ。それにはやはり、いきなり実戦で振るうよりは試し斬りをしておくのが一番都合がいい。
「よし、じゃあ巻き藁を持って出るからよ、外で待っててくれ」
「分かりました、お願いします」
そうして話は外で試し斬りすることに決まり、バルデルはまたいそいそとカウンターの奥へ引っ込んでいった。その間に俺とアリューシアは一足先に鍛冶屋から外へ出る。
相変わらず外は厳しい寒さだ。おじさんの身には堪える。外套を羽織っているとはいえアリューシアも厚着をしているとは言い難いけれど、その辺りは年の差だろうか。
「待たせたな」
外に出てからそう時間も経たないうちに、バルデルが巻き藁を抱えて出てきた。
サイズとしては以前、バルトレーンの別の鍛冶屋で俺が斬ったものとほぼ同じに見える。多分こういうのもある程度規格化されているのだろう。
「……さて」
据え置かれた巻き藁に対し、アリューシアが息を整える。
バルデルの鍛冶屋はバルトレーンの中央区内にあるが、場所としてはやや端寄り。冬の昼下がりということもあり、人の目はそれほど多くはない。勿論ゼロではないけれど、鍛冶屋の前で巻き藁を斬ること自体はそう珍しくは映らないだろう。
改めて鞘から抜き放たれた刃はやはり、日の光を返さない。沈んだ薄墨色はそのままに、彼女の手に握られている。
「――ふっ」
剣を構えたと思ったとほぼ同時。惚れ惚れするほどの力の入り抜きでもって、彼女はその刃を振るった。
何度見ても美しい一筋だ。腰の落とし方、踏み込み方、膝の抜き方、腕の振るい方、すべてが完璧。うちの道場で教えていた技術は勿論、卒業後も絶え間なく研鑽を続けてきたからこその一振り。
今の俺が彼女と同じことを出来るかと問われれば、かなり怪しい。俺と同じ技術も使ってはいるが、先ほどのはそれの更に上を行く。彼女自身の強みと経験が十二分に活きた、アリューシアだからこそ出せる一撃だ。
「凄いね。流石だ」
そしてその一撃を受けた巻き藁は、まるで己が斬られたことを遅れて自覚したかの如く。剣筋が通った数瞬後に、その半身が地に墜とされた。
普通は巻き藁を斬れば弾け飛ぶ。下に固定されている台と違い、外圧によって斬り放たれた一部はその衝撃に耐える術がないからだ。
だが今回、巻き藁は斬られた後に飛び跳ねはせず、齎された結果は支えを失ったが故の重力による落下だった。それはつまり、正しく斬る以外の余計な圧力が一切かかっていないことの証左。それほどまでの完璧な一撃を放ったアリューシアは勿論、腕前に見合う鋭さを見せた剣もまた素晴らしい。
これが仮に、俺が過去に渡した餞別の剣だとしたらそう上手くはいかない。完璧に水平に斬ればなんとかなるかもしれないが、そこまでの切れ味はないからだ。多少研いだとしてもそう大きくは変わらないだろう。
つまり、剣士の腕も一流なればその手に持つ得物も一流。思わず漏れた凄いねという言葉は、その双方に係るものであった。
「いえ、真に素晴らしいのはこの剣です。やはり最初の感覚は間違いではありませんでした」
「そう言ってもらえると鍛冶師冥利に尽きるぜ」
「俺も肩の荷が下りた気持ちだよ」
斬り終えたアリューシアは満足そうに頷くと、素直な賞賛を告げた。
試し斬りだけですべてを語ることは出来ない。けれど、試すからこそ新たに分かることもある。その点では、今回の手応えは上々といったところか。
俺自身、師匠としての務めを一つ果たすことが出来たと思う。言った通り肩の荷が下りたという感じだね。
この大業物を手にしたことにより、彼女の力は一層強まっていくだろう。剣士としての実力的な面は勿論のこと、騎士団長としての権力的な面でもそう。今までが数打ちの剣だったもんだから、逆にそうなってもらわないと困る。
「改めて、ありがとうございました、バルデルさん」
「いいってことよ。いい剣士のためにいい剣を打つ。それは鍛冶屋の本望だからな」
薄墨色の剣を鞘に納めた後、アリューシアは改めて礼を述べる。
良い鍛冶師が良い剣を作り、それが良い剣士に渡る。実に素晴らしきことだ。特に今回に限って言えば、極上のリレーが紡がれたと言っても恐らく過言ではないだろう。その一翼を担う重責はあったものの、無事に果たせた達成感の方が大きい。
「ありがたく、頂戴します」
「おう。しっかりと使い込んでやってくれ。その方が剣も喜ぶ」
「ええ、そうします」
こうして晴れてアリューシアの新たな武器が決まったわけだが、バルデルもこれから忙しくなるだろうなという予感もあった。
彼の腕は十分に優れているものの、バルトレーン内での知名度という点でいえばそこまで高くない。だがレベリオ騎士団長の剣を拵えたとなれば、一躍時の人となってもなんらおかしくはない状況だ。
アリューシアも性格上、喧伝まではしないにしても、どこで手に入れた剣なのかを問われる機会はあるだろうし、その答えを濁す必要もまたない。結果、バルデルの名声は多少なりあがるはず。
そうなると彼に新しく武器を打ってもらおうと考える客も増える。それ自体は喜ばしいこととはいえ、この鍛冶屋にはバルデル一人しかいないために、どこまで捌けるのかはちょっと心配だな。
まあでも、その効果を彼がまったく考えていないということもないだろう。なんだかんだで上手いことやってくれると祈るしかないか。
「おっとそうだ、忘れるところだった。先生よ」
「うん」
無事に武器が出来上がり、その出来栄えに使用者も満足した。となれば後に残された用件は一つしかない。つまり、支払である。
今回、キーとなった素材は俺が持ち込んだもの。とはいえそれ以外の素材や手間、そして何よりバルデルの技術が詰め込まれている一品だ。俺と君の関係なんだしロハで頼むよ、なんてふざけた言葉は何があっても吐けない。
勿論、安くはないだろう。仮にバルデルがお友達価格を提示してくる可能性を加味しても、これほどの業物が安価で手に入るわけがない。
なのでその辺りは俺もきっちり覚悟してきた。さあどんとこいという感じである。
「あの核は正直助かった。それも加味して……これでどうよ」
「………………分かった。払おう」
危ねえ。速攻で前言撤回してしまうところだった。
勿論払える額ではあるし、それで即座に俺の懐が破滅するわけでもない。けど予想より四割くらい多かったわ。
改めて武具の高さを認識すると同時、ゼノ・グレイブル製の剣の代金をポンと出してしまったスレナの経済力に慄く。
これからも大事に使わせていただきます。いやマジで。




