第224話 片田舎のおっさん、話し込む
「ロノ・アンブロシアの核か……まあ譲れんことはないが」
俺の提案を一旦飲み込んだルーシーは、とりあえず可もなく不可もなく、のような反応を示した。
ロノ・アンブロシア。俺とフィッセルが魔術師学院の地下で仕留めた特別討伐指定個体の一体。まだ剣魔法科の臨時講師として赴いて間もない頃、当時の学院教頭、ファウステス・ブラウンによって引き起こされた事件は記憶に新しい。
そのついで、と言ってしまえば非常に外聞が悪いが、ブラウン教頭の目論みが外れて地上に湧き出てしまった例のアレである。
核となる硬質の物質から止め処なく影の群れが現れ、俺単独では撃破が難しかった難敵だ。あの時はフィッセルの剣魔法があったからこそ俺も彼女もどうにか生き延びることが出来た。
そうして仕留めた核は、研究と封印のためルーシーに預けっぱなしとなっていたが。そいつを俺は引っ張り出そうとしているというわけだ。
「そういえば、あの核はあれからどんな様子なの?」
「一言でいえば沈黙、じゃな。極微量の魔力反応はあるが、特別討伐指定個体としては死んだとみて問題なかろう」
「ふむ」
ロノ・アンブロシアの核を叩き斬った時、その場に居たフィッセルは「いやな感じは消えた」と言っていた。恐らく魔力的ななんやかんやだとは思うが、俺にはそれがさっぱり分からない。
なので念には念をということでルーシーに預けていたのだが、何事もなかったようで何よりである。まあ彼女なら何事が起こっても一人で対処してしまいそうな気はするけれど。
「で、あんなもん何に使うんじゃ」
「いやね、アリューシアの剣の素材にしようかな……と考えてて」
「ふーむ……」
仮にも研究対象としていた特別討伐指定個体の核を「あんなもん」と呼ぶのはなかなかに凄まじい。
それはさておき、その核を求めている理由を告げると、彼女は何とも言えない呻き声のようなものを発していた。
「……もしかして、何か問題ある?」
「いや、持ち運ぶというか、お主に譲る分には問題ない。魔力反応がほぼ消えてしまった今、研究対象としての価値はないからの。しかし、武器となるとわしの領分ではないものでな」
「ああ……」
確かに彼女は武器を使わない。というか、一般的な魔術師が武器を扱う方が珍しいと言った方がより正確である。フィッセルなどの剣魔法を扱う一部が例外に当たるな。
俺は魔法にまったく詳しくないが、イメージとしてよくあるような魔法を撃つために杖を使ったり本を読んだり……ということを彼らはしない。その必要がないからだ。その意味では、ヴェルデアピス傭兵団のプリムが杖を持っていたのも例外と言っていいだろう。
とにかく大事なのは己の肉体と大気中に存在する魔力を感じ、それを正しく練り上げて発動させることらしいから、むしろ無手の方が都合がいいそうだ。余計な物を持ったままでは集中も出来ない、ということだと思う。
なので、ルーシーは武器全般に興味がない。相手が何者であってもその身一つで撃滅出来るのだから、野蛮な刃物や鈍器などを必要としないわけだな。撃滅する手法が武器よりも野蛮な可能性があるのはこの際目を瞑るとして。
「しかし、アリューシアの新たな剣か……大丈夫かの?」
「別に俺が打つわけじゃないから大丈夫だよ」
「いやそうではなくてだな」
「?」
大丈夫かと問われれば、まあ多分大丈夫なんじゃないかな、くらいの感想になるんだけれど。そこはバルデルの腕を信用するしかない。というか、俺の中で彼以上に信頼のおける鍛冶師の知り合いが居ないとも言う。
だが、ルーシーが危惧しているのはどうやらその辺りではないらしい。
「レベリオ騎士団長の新たな得物じゃぞ。一つ打つだけで大変な宣伝効果になる。お主がどうするつもりなのかは知らんが、その辺りも考えておるのか?」
「ああ、そういう……。いや、考えてなかったね特には……」
「じゃろうなあ……」
剣の出来栄えなどとは全く別問題が浮上してきたことで、俺は情けなく首を垂れるしかなかった。そのさまを見てルーシーは半ば呆れるように呟き、紅茶を啜る。
確かに考えてみれば、アリューシアと言えばこの国を代表する剣士の一人だ。そんな人物の剣を打ったとなれば、大変な名誉であることに違いない。鍛冶師個人に箔が付くことに加えて、さらにそこからの宣伝効果を望めば、とてつもない経済効力を発揮するだろう。
昔、バルトレーンに来たばかりの頃。アリューシアやスレナとともに、鍛冶屋を巡ったことが思い出される。あの時立ち寄ったところは結局あれ以降お世話になることはなかったが、アリューシアはあそこを騎士団ご用達の鍛冶屋と言ってなかったか。
「でも、アリューシアからは特に何も言われなかったしね……」
「そりゃあの。お主が用意すると言ったんじゃろ? それを反故にしてまで他所で作ろうとは思わんじゃろ」
「そういうものかな」
「そういうものじゃよ」
彼女の剣が今腰に差されていないのは恐らく、この国で武に携わる人間なら大多数が知っていることだ。当然、武器を打つことを生業としている鍛冶師の中でもその情報は出回っているに違いない。
アリューシア・シトラスの剣を誰が打つのか。業界の中ではそれなり以上の話題になっているはず。そう考えると、俺の一存がほとんどを占めてしまうこの方向性で本当によかったのか。そんな思いも僅かに過る。
「知り合いの鍛冶師に頼む予定だけど……大丈夫かな」
「あやつも無理を通す性格ではなかろう。問題があるのならそれをお主に伝えはするじゃろうから、まあええんじゃないかの。わしは関与せんが」
そんな心配を吐露してみれば、返ってきたのは「多分大丈夫、俺は知らんけど」みたいな感じのものであった。いやまあ、この件に関してルーシーになんら責任はないので、彼女の言は正しくはあるんだけどさ。
とはいえ、一連の流れに何か無理や無茶があるのなら、アリューシアの性格上それを無視はしないだろう。となれば、彼女の一言で対処出来る範囲のことか、あるいは問題そのものがないかのどちらか、と考えるのが妥当か。
そもそも武器一つで問題になるようなら、彼女はつい先日までうちの道場で渡した餞別の剣を使ってはいない。もっと良い物があるのは事実だから、得物を変えろと言われているはずだ。
にもかかわらずアリューシアは、あの剣が壊れるまで現役で使い続けた。となると逆説的に、仮にかかっていたとしてもそこまで強い圧力ではなかったということになる。
「まあ……あの子が何も言ってないなら大丈夫、かな……?」
「少しは考えろと言いたいところじゃが……そう結論付けるしかなかろうな」
俺としても、彼女の新たな剣を拵えることは師として光栄なことだと思っている。出来ることなら最高の一振りを与えたいと考えるのは先達としての道理だ。
けれども。それが俺とアリューシアを取り巻く大きな情勢を複雑にしてしまうのなら、俺としても考えどころであった。余計な不和を起こすのは俺の本意ではない。
その可能性がない、あるいはあったとしてもアリューシアの権力で封殺出来るレベルのものなら、まあ問題はないのかな。これもそれとなく彼女に聞いておいた方がいい気はする。
「武器に興味はないが、特別討伐指定個体の素材を使った得物……研究対象としてはそそるのぅ」
「渡さないよ?」
「わーっとるわ。お主、普段は流されっぱなしのくせに時折とんでもなく頑固じゃのー」
「はは、剣は剣士の命だからね」
ルーシーは以前、俺の持つゼノ・グレイブル製の剣も貸せと言ってきた前科がある。勿論、彼女が武器を壊したり蔑ろに扱うことはないにしても、何かしら余計なことをしでかさないかという危惧は常にある状態だ。
こいつは地位も権力もそれに見合った実力もあるが、ちょいちょい勝手気ままに動いている節があるからな……。
その点でいえば、俺は普段は流されっぱなしという言に反論の余地は確かに少ない。だが彼女にしたって時折、肩書と職責から大きく外れた突飛な行動をとっているのも事実としてある。
「ルーシーだって、君の身体は貴重な検体だから実験させてくれって言われたら嫌だろう」
「そ、そんなことを考えておるんか……! このわしの可憐な身体を……!?」
「ちょいちょいちょい!」
「なははは! 冗談じゃ冗談、そんなに慌てるでないわ」
「はあ……。まあ、それくらい剣士にとっての剣ってのは大事なものなのさ」
「おうおう。よーく分かったわ」
とか思っていたら、早速自由奔放な面を見せてきやがった。他に誰も聞いていない会話だからいいものの、なかなかに肝が冷える発言である。俺は幼い身体に興奮するようなタチじゃないからね。
「まあ、とりあえず用件は分かった。ロノ・アンブロシアの核は後で運んでおこう。そうじゃの、明日の夕方以降にまた来てくれ」
「うん、ありがとう。悪いね」
いくら研究対象としての価値がないとはいえ、相手は特別討伐指定個体の核だ。易々と運んだり譲ったりは出来ないだろう。
そう考えていたのだが、明日の夕方以降というのは随分と早い。まあどうせ彼女の一存で運び出すのだと思うし、彼女にはそれが出来るだけの力がある。
つくづく味方でよかったというか、敵に回らなくて助かった。直接戦うわけじゃないにしろ、問題は彼女を完全に敵に回してしまった時だ。その時にバルトレーン、ひいてはレベリス王国でまともに生活出来るかどうかは結構怪しい。それくらいの影響力は持っていると捉えておくべきだろうな。
「そういえば、スフェンドヤードバニアはあの後……どうなっているのかな」
ひとまず素材の確保も目処が付いたところで、話題を変える。ルーシーに素材の無心をしに来たのも事実だが、過日大きな戦火に巻き込まれた隣国のことも気になっていた。
勿論、アリューシアにも時々聞いてはいる。聞いてはいるが、彼女はいわば実働部隊の長であって、がっつりと国政や国交に食い込む立ち位置ではない。
肩書上はルーシーも同様だが、彼女はその肩書以上の力を持っていることは明らかだ。それに一般には出てこない情報にも深く通じている。なので、この辺りも聞ける範囲で聞いておきたい、という心情も大きく占めていた。
「特に大きくは変わっておらんよ、表向きはな。なんにせよ今は教都復興に忙しかろう」
「表向きは、ね……」
俺からの質問に、彼女は紅茶を一口含んだ後に答えた。
あえて表向きと言ったのには相応の理由があるだろう。なんせ人々の命が婚姻の儀というめでたい日に脅かされ、さらにその主犯はスフェン教教皇のモーリス・パシューシカである。前者は起きてしまった事件としてはともかく、後者は中々表沙汰に出来ることではない。
故に、少なくとも俺のところまでは子細の情報が降りてこない。そりゃ国政に携わる上層部などは事情を知っているのだろうが、そこに対する伝手もないしな。それこそルーシーくらいである。
「グレン王子殿下が筆頭となって復興には力を入れておるらしいぞ。まあ下世話な話をすれば、ここでポイントを稼いでおきたい腹積もりもあるじゃろうな」
「ポイントって……」
下世話というか非常に失礼な物言いではあるものの、彼女の言わんとしていることはまあ分からんでもなかった。
要は民心を得なければならないわけだ。ただでさえモーリス教皇の崩御で宗教の地盤が緩みかねないこの時分、ここで国として踏ん張らなければ民の不信は一気に広がっていくだろう。
それを食い留めるのは目下喫緊の課題であるのは違いないが、それが教皇自らが起こした事件が原因、というのは王室としても頭の痛いところ。極端な話、尻拭いをさせられているわけだからね。
けれど、そんな裏の事情は一般市民にとっては知ったこっちゃない。俺が当事者でもそう言うだろう。
表向きは正体不明の反乱が起き、更には正体不明の化け物がディルマハカに襲い掛かってきたわけだから、その後処理は国がやって然るべきである。グレン王子やサラキア王女にかかる心労は計り知れないものではあるだろうが、それはそれこれはこれだ。
宗教はこういう時拠り所になり得るが、いくら祈っても腹は減るし寒けりゃ凍える。人が人として生きるためには信仰以外のものも必要になるわけで。この辺りをスフェンドヤードバニアがどう乗り越えるかが重要になってくるだろう。
「レベリス王国としても支援の申し出はしとるらしい。サラキア王女が嫁いだ先という大義名分もあるし、恐らくスフェンドヤードバニアはその援助を受けると見られておる」
「なるほど」
次いで齎された情報は、市井にはまだ降りておらず、そして俺としては納得の出来る内容であった。
そもそも何故、グレン王子とサラキア王女の婚姻話が持ち上がったか。
それは互いの国の結び付きをもっと強固にするためだ。なのでスフェンドヤードバニア側としては自国として出来ることは自国でやり、それでも足りないところはレベリス王国に頼る。
他方、レベリス王国側としてはここで一気にスフェンドヤードバニアに介入し、影響力を高めたい。支援の申し出を行うということで、スフェンドヤードバニア国民からの心象も良くなるだろう。
そうすることで、この大陸における東部の治安が比較的安定する。互いが手を取ることによって、互いの仮想敵をサリューア・ザルク帝国に統一出来るからだ。
無論、戦争が起こらないに越したことはないが、そのためにも戦力の均衡状態を作るというのは大事である。サリューア・ザルク帝国はガレア大陸屈指の大国だからね。事実、帝国は侵略戦争を繰り返して今の領土を得ているわけだし。
「今のところ、国が割れるほどの心配はなさそうじゃの。スフェン教が今後どのように在っていくかはわしが関与するものでもないでな」
「そうだねえ……」
普通の国なら、国家としてどうなっていくかは国政の是非によるものが大きい。ところがスフェンドヤードバニアは違う。そこに宗教という要素が多分に絡んでくる。
それらが今後どのように作用しあい、または反発しあうのかはまさしく神のみぞ知るところである。
「そうじゃ、スフェンドヤードバニア絡みと言えばもう一つ」
「ん、まだ何かあるのかい」
「最近教会騎士団とは別に、黒衣を纏った連中がウロチョロしとるらしいぞ。誰かに雇われたのか、別個の意思があるのかは分からんがの」
「……そうか」
黒衣を纏った連中。十中八九、ヴェルデアピス傭兵団のことだろう。彼らは傭兵だから、良くも悪くも国家に依存しない。依頼と金さえあればどこにでも赴くのが傭兵という職種の特徴だ。
ハノイやクリウ、プリムといった連中がディルマハカに潜んでいる可能性があるのは吉事か凶事か判断に悩む。誰かに雇われているとしても、その雇い主が何処の誰かによって事情は大きく変わる。
とはいえそれらの真実すべてに、この場所から手を伸ばそうというのは無理な話だ。せめてこれ以上、悪い方向にことが運ばないことを祈るしかない。
「すまないね、色々と聞いちゃって」
「まあ、お主が当事者だと言ったのはわしじゃからの。これくらいなら構わん」
「そっか。ありがとう」
なんだかんだでルーシーという女性は、俺が疑問に思ったことを教えてくれている。面と向かって断られた記憶はほとんどない。はぐらかされたことはあるけれど。
バルトレーンで築かれた俺の人脈というものはそう多くもないが、その中でもルーシーとこうやって話せる間柄になれたのは大きいと思う。時折文句の一つでも言ってやろうとか考えちゃうけどね。
そんなささやかな不満を含めてもやはり、彼女と縁を紡ぐことを出来たのは僥倖と言っていいだろう。出来れば今後とも、適度な距離感で付き合いを続けたいものだ。
「じゃあそろそろお暇するよ。ミュイも待ってるだろうし」
「おうおう、帰れ帰れ。さて、わしもあの核を持ってくるとするかの」
「……本当になんでもないことみたいに言うね」
「そりゃわしにとっちゃ取るに足らんことじゃからのー」
「そっかぁ……」
特別討伐指定個体の素材を我が物顔で弄繰り回せるのは、世界は広しと言えどもルーシーくらいじゃなかろうか。つくづくとんでもない力を持つ女性だよ。
「それじゃ、お邪魔しました」
「うむ、またの」
席を立ち、ルーシーとハルウィさんに見送られて彼女の家を発つ。
午前の鍛錬から鍛冶屋へ寄り、更にはルーシーの家で話し込んだ故に、家を出てから結構な時間が経ってしまっている。
この時間ならもうミュイは帰ってきているだろう。腹を空かせたお姫様を無為に待たせるのは本意ではない。ささっと我が家に帰って、晩御飯の支度といくか。




