第219話 片田舎のおっさん、策を弄す
「先生!」
俺とロゼがモーリス教皇との邂逅を終えた直後。冒険者たちを引き連れてスレナ一行が現場に到着。ほぼ同時に、馬を駆ったアリューシアが現着した。
「すみません、満足に馬を通せる道が少なく遅れました」
「いや、大丈夫」
スレナが下馬しながら謝罪を述べてくるが、それを言葉のみで返す。視線はモーリス教皇から外さない。
本当に異質だ。無論、敵を見た目で判断するなという、あまりに使い古された格言はしっかり理解しているつもりだが、それを前提に置いたとしても認識が狂う。
どこからどう見ても戦えるような人に見えない。スフェン教を信奉する善良な神父様と言われればまるっと信じてしまうくらいには、眼前の老人からは何も感じられなかった。
彼の一番近いところでハノイが膝を突いているという、ただ事実として視界に入る状況だけが、その予測をなんとか否定している、そんな状態。
「うーん、続々と集まってくるね。これは背信者の……いや、どこからか情報が漏れていたと考えるのが妥当かな」
モーリス教皇は独り言とも取れる言葉を紡ぐが、やはり戦場に立つ者としての"強さ"は見られない。のんびり農地を眺めながら今日の予定をどうしようか考えている……そんな風にすら映る。
だが、そんな楽観的な見方はすべきではない。ハノイが膝を突いているのは勿論、ロゼの緊迫した雰囲気が隣からひしひしと伝わってきているからだ。これで見た目通り武力的に御しやすい人物であったなら、こうはなっていないだろう。
「合成獣でもう少し押し込めると思ったんだけど……やはり四体は少なかったか? しかし時間は残されていなかったし……いやはや、そう上手くはいかないものだね」
「……」
モーリス教皇の語りは止まらない。現状確認のために声を出して状況を整理している、と考えれば一応納得は出来るけれども、それにしたって今この場で悠長にやるべきことではないように思えた。
「スフェン教教皇、モーリス・パシューシカ。貴方を今回の事件の重要参考人として拘束、連行します」
彼の語りにしびれを切らしたか、アリューシアが一歩前に出て通告する。
無論、順序だてて彼に対する拘束を上から命じられたわけではない。しかし状況証拠としては十分、現行犯逮捕足り得る状態だ。合成獣をけしかけたのも発言を信じるならモーリス教皇のようだし、ここで逃す選択肢はない。
「拘束か。それは困るね。逃げるつもりはないけれど、動けなくなるのは困る」
アリューシアの言葉を受けて、返ってきたのはそんな反応。
普通に考えれば、戦力として負けるはずはない。俺もそうだしアリューシア、スレナ、ロゼが居る。スレナ手勢の冒険者だって素人ではない。プラチナムランクと言えば十分に一線級の戦力だ。それが加えて四人。
唯一の懸念点としては、単独で相当な戦闘力を誇るハノイが彼を拘束出来ていないという事実だが。
「気を付けろ……! こいつ、妙な技を使う……!」
「おらあああっ!」
ハノイの忠告が耳に入るのと、逸ったプラチナムランクの冒険者が二人、モーリス教皇に襲い掛かるのはほぼ同時だった。
「参ったなあ。ここに居る全員を殺さなきゃならないなんて、人類の損失には違いないだろうに」
「ぶっ!?」
次の刹那。教皇に襲い掛かったはずの二人は、弾かれるように吹っ飛んだ。
何かをやったのは分かる。よもやプラチナムランクにまで上り詰めた冒険者が勝手に自滅するなどあり得ない。
だが、その何かが分からない。
俺はモーリス教皇から目を離していない。一時もだ。それでも、何が起きたか見えなかった。戦いの場にはそれなりに長く身を置いてきたつもりだが、こんなことは初めての経験である。
「……アリューシア、見えたかい?」
「……いえ、まったく」
俺から見ても抜群の眼を持つ騎士団長に問いかけても、答えは否。
無論、冒険者と教皇が重なったタイミングで何かを発した可能性は残る。複数の人が近くに居れば、絶対にどこかしらの死角は生まれるからだ。しかし、そうに違いないと楽観的な決め付けを行い、無防備に吶喊するのはどうにも憚られた。
「いやしかし、死者蘇生の奇跡が完成さえすれば……それもまた尊い犠牲の一つか。うん」
教皇は自ら吹っ飛ばした冒険者二人を一瞥もせぬまま呟く。派手に転がったプラチナムランクの二人は、ともに腹を押さえて蹲っていた。
血は出ていないことから、痛打を貰ったのは間違いないだろう。しかし教皇は見る限り武器の類を持っていない。暗器の可能性も捨てきれないが、それなら何かしらの怪我はあるはずだ。
打撃。恐らく答えはそれ。だが武器もなければ、戦う構えすら見せていなかったモーリス教皇にそんな力があるとは思えない。第一、棒立ちの状態から腕だけを振るったとてその威力は高が知れている。
「強化魔法か……!」
「ん? 違うよ、スフェン神から賜った奇跡と言ってほしいね」
辿り着いた答えに、モーリス教皇は俺たちからすれば随分と的外れな否定を返した。
この現象には心覚えがある。以前レビオス司教を捕えようとした時、相手として立ちはだかった教会騎士団が使ったそれだ。
確かに魔力で無理やり力を増設すれば、棒立ちの状態からでも痛打を見舞うことは可能だろう。スフェン教が奇跡と称する回復魔法と強化魔法について深い技術と知識を持っていることも、教皇という立場から見れば納得も出来る。
だがそれにしたって、威力が俺の知っている強化魔法とは桁違いに高い。戦闘態勢に入った人間が枯れ枝のような腕の力だけで派手に吹っ飛ぶような力はなかったはずだ。少なくとも、俺が見てきた限りの魔法においては。
「……スレナ、アリューシア。合わせてほしい」
「……分かりました」
赫々の剣を鞘から抜き放ちながら告げる。
手加減は出来ない。加減でもしようものならこっちがぶっ飛ばされる。殺しても已む無しの覚悟で突っ込まなければ、俺たち全員が寝っ転がる破目になるだろう。
「……」
俺の構えに合わせて、アリューシアとスレナ。そしてロゼもショートソードを中段に構える。
四対一。普通なら負けるわけがない。けれど勝利への道筋は、まるで薄氷の上を歩くかのようにか細いものに感じられた。
「はっ!」
しかし、たとえ薄氷であっても渡り切りさえすれば俺たちの勝ちだ。
決意を込めて大地を蹴る。数瞬遅れて、後ろの三人が同じく地を蹴った音を耳が捉えた。
「ふむ。私に剣術は分からないが、君たちは物凄く強いのだろうね」
踏み込んで見舞った下段斬りは、モーリス教皇が間合いを見切って半歩下がることで躱された。
だがそれでいい。俺の初撃で勝負が決まるなんて誰も思っちゃいない。
「はああああっ!」
「ひゅっ!」
俺を追い越したスレナとロゼが、それぞれの得物を振るう。スレナは左から交差斬り。ロゼは右から突きを見舞った。
人間、動いた直後にまた動くのは実は結構難しい。つまり、剣撃を躱した直後にまた躱すのも難しい。それも抜群の威力と速度を誇る練達二人の連撃だ。たとえそれが来ると分かっていても身体は案外ついていかないものである。
「おっと、老骨には厳しいね」
しかし。スレナとロゼの連撃を、教皇は眉一つ動かさずに身体を捻らせることで回避する。
あり得ない動き。人間の可動域こそ超えてはいないものの、あんな動きをすれば全身の筋肉が悲鳴を上げる。強化魔法というやつは究めればこんな常識はずれな芸当まで出来るようになるのか。
「はあっ!」
教皇の不可解な動きに戸惑いこそ感じたが、俺たちの攻撃はこれで終わっちゃいない。その瞬発力を活かして一瞬で背後まで回り込んだアリューシアが、とどめとなり得る袈裟切りを放った。
彼の体勢は崩れている。アリューシアの剣撃は、間違いなくモーリス教皇に当たる。いくら常識の埒外の動きをしようが、人間である以上は人間以上の動きは出来ない。
アリューシアのロングソードも先端が壊れているとはいえ、剣身自体は無事だ。上手く剣の腹で当てれば十分に斬れる。そしてその当て方を間違える彼女ではなかった。
「よいしょ」
「ぐっ……!?」
だが、齎された結果は無残にもモーリス教皇が地に伏せるものではなく。
捻じれた状態の身体を更に捩じり、普通の人間では到底繰り出せない姿勢と角度から放たれた蹴りによって、アリューシアの身体が宙に舞うものであった。
「がっ……はっ……!」
よしんば回避されるところまでは想定していても、あの完璧な連携から反撃を食らうところまでは予想していなかったのだろう。腹に打撃を貰った彼女は二度三度地面を転がり、衝撃によって齎された痛みと吐き気に悶絶していた。
「シトラス……! 貴様ッ!」
「君たちは私を殺す気で来た。だから私もそれに対応したのだが、そうまで怒ることだろうか」
アリューシアが吹っ飛ばされる事態は、ここに居る誰もが予想し得なかったこと。それでも一早く精神の回復を見せたスレナが、竜双剣の名に違わぬ連撃でモーリス教皇を追い詰める。否、追い詰めているように見える。
……何かがおかしい。いや、強化魔法で身体能力が底上げされているのは分かる。
教皇は老体と言っても差し支えない風貌だが、見た目以上のパワーを生み出していることは事実だし、それが魔法の恩恵ですよと言われても納得はしよう。無理な姿勢から反撃に転じることが出来るのもまた然り。
しかし、いくら身体能力が向上しようと限界はある。無論、まだ限界に達していないとの見方も可能ではある。それでも身体が良く動くようになったからといって、スレナの全力から繰り出される超速度の連撃をいなせるとは考えにくい。
そこに何かしらの種があるはずなのだ。単純なパワーだけで戦闘の優劣が決まるのなら、俺はヘンブリッツ君に勝てなかった。
……あ、そうか。分かったぞ。そういうことか。
「スレナ! 一度離れるんだ!」
「ッ!? はいっ!」
怒涛の攻めを続けていたスレナを、一旦下げさせる。このまま攻め通しも悪い手ではないにしても、やっぱり当たる気配がない。強化魔法がある以上、スタミナ勝負に持ち込むのもあまり分の良い賭けではないだろう。
それよりも、モーリス教皇が何故あそこまで攻撃を避け続けることが出来るのか。その種を共有する方が現状では重要に思えた。
「……眼だ。教皇は強化魔法で眼と……多分、脳も強化している」
「ほう。気付いたのか、凄い観察眼だね。けれど魔法ではなくて奇跡だよ。出来の悪い生徒を相手にしている気分だ」
強化魔法が筋力だけを強化する魔法だと誰が決めたのか。答え、誰も決めていない。強いて言えば、俺たちが勝手にそうだと思い込んでいた。
彼は全身に強化魔法を張り巡らせ、筋力のみならず動体視力と反射神経、そしてそれらの情報を統括する脳まで強化していると見た。ぶっちゃけ反則である。
「合点がいきました。体捌きはまるで素人なのに、何故か当たらない」
「すべてを無理やり動かしているんだ。普通そういうものは長く続かないというのが相場だけど……望みは薄いだろうね」
素早く身を引いたスレナがこちらと合流する。
アリューシアは……意識は保っているものの、すぐに戦線復帰は無理だろう。線の細さと美しさでついつい忘れがちになるが、彼女は王国一の騎士団を纏め上げる長であり、常人以上のタフネスは勿論持ち合わせている。
それが蹴り一発で戦線離脱だ。如何程の威力の蹴りだったのか、自分の身体で確かめたくはないものだね。
多分、ハノイがやられたカラクリも同じだな。
どんな破壊力を秘めようとも、攻撃が当たらなければ意味がない。そして如何に強靭な肉体を持っていても、殴られ続ければ機能も落ちる。プリムは恐らくその衝撃で気絶したか、最悪死んだか。
「だけど、チャンスはある。……純白の乙女」
「……?」
俺の思い付きを、この場で唯一実現出来る女性を呼ぶ。
今のモーリス教皇は、視野とそれに伴う動体視力がえげつないことになっている。どんな手練れであってもあの状態の敵に対し、平押しで一撃を当てるのは限りなく不可能に近い。アリューシアの一撃が躱された以上、それよりも速く剣撃を届かせられる人間が居ないからだ。
残された可能性は人海戦術と弓などの遠距離攻撃を組み合わせることだが、人員も遠距離武器もここにはない。しかし、それらを準備したとてモーリス教皇には逃げられる。こちらが構えた通りに相手がやってきてくれるのは知性のない動物とモンスターだけだ。
「――行けるね?」
思いついた作戦を、スレナとロゼに共有。あちらから仕掛けてこないのはこの場では僥倖と言えた。
自ら打って出るのが苦手なのか、余裕を持っているのかは分からないけれど。
俺の言葉に、スレナとロゼはそれぞれ肯定を返してくれた。試行している余裕はないので、ぶっつけ本番の作戦である。このまま考えなしに戦闘を続けていても埒が明かないから、ないよりはマシだと思いたい。
「行くよ!」
「はいっ!」
発破に合わせ、俺とスレナの身体が弾けるように教皇へと迫る。
まずはモーリス教皇を釘付けにしないと俺の策は発動しない。そのためにはどうしても、絶え間なく攻める必要がある。
「神は試練を与えるものだが……それは私も君たちも同様だ」
俺より僅かに早く教皇の間合いへと進んだスレナが双剣を振るう。素人どころか普通の剣士なら間違いなく被弾しているであろう連撃を、やはり彼は寸でのところで無理やり躱している。
その隙間を縫うように俺の剣を滑り込ませるものの、これもまた不可解な動きで見切られてしまった。
一般的な戦いの場においてどう動くかの予想は俺もある程度出来るけれど、その予測が今回に限っては悪い方向に傾いている。こう動くだろう、という予想をことごとく外してくるから、こちらとしても半歩対応が遅れてしまうのだ。
「見事だね。私は戦いにおいては素人だが、下手に反撃をするとよくないことくらいは分かるよ」
「くっ……!」
スレナの双剣が空を切り、俺の剣が空を切り、そしてまたスレナの双剣が空を切る。
ロノ・アンブロシアなどの実態のない相手よりも一層厄介だ。相手は確かに人間で、確かに当たる軌跡を描いているはずなのに当たらない。あの特別討伐指定個体とはまた別の意味で、脳の認識がおかしくなりそうであった。
ロゼも俺とスレナが戦っている間、じりじりと間合いを詰めている。だが仕掛けはしない。彼女にはここ一番で果たすべき重要な役目がある。
「ふっ!」
「おお、ここか。やっと見えた気がするよ」
何度目かも分からない、スレナの剣が空気だけを斬った直後。一人分空いた隙間に俺は身体を捻じ込ませ、やや大振りに斬り上げを放った。
威力こそ乗るものの、少なからず隙を晒してしまう構えだ。当然、眼と脳を強化しているモーリス教皇がその間隙を見誤ることはなく。ぎょろりと不気味に動いた双眸が、寸分違わず俺の隙に気付く。
「はっ!」
「おや?」
モーリス教皇の放った、この風貌からはとても想像出来ない鋭い拳は、しかし俺の身体に届くことはなく。代わりにその隙間に更に割って入ったロゼのカイトシールドによって真正面から受け止められた。
ゴォン、と。とても素手で盾を殴ったとは思えない鈍い音が響く。
無論、これだけで教皇の動きを封じられたとは思っていない。ただ一発の拳を防いだだけである。
しかし、ロゼのカイトシールドが防いだのは拳だけではない。一瞬と言えど、教皇の視界をも封じることに成功していた。
俺とロゼと教皇は、今この瞬間、極めて近い位置に居る。そしてロゼが割り込んだ分、俺は人一人分外にずれることで、剣を操る空間を確保出来ていた。
とはいえ、いちいち振りかぶる時間的猶予も空間もない。それに、この剣であれば大仰な振りは不要だ。ただ切っ先がモーリス教皇の身体に届けばよい。
「……なるほど。いくら視力に優れども、見えなければ意味はないと」
「……そうですね。貴方が戦いにおいては素人でよかった」
逆手に持ち替えた赫々の剣は。
ロゼのカイトシールドが生み出した僅かな死角から、彼の腹へと深々と突き刺さっていた。




