第213話 片田舎のおっさん、二の手を知る
足早に、大聖堂の裏を駆け抜ける一行。
比較的道の幅がある大通りに出た時には大聖堂のみならず、その周辺から様々な声が飛び交っていた。
まああれだけの数の死体を動員したんだ。大聖堂の構内だけで事が片付くとは思えない。紛れ込んでいた暗殺者は襲われていなかったことから、ある程度行動の指向性を持たせることは可能だとしても、人間一人ひとりを識別して襲っているわけでもないだろう。そうなれば当然、聖堂の外にも被害が広まっていく。
「……あれらは、いったい何だったのでしょうか」
じわじわとディルマハカに混乱の輪が広がっていく中、王女殿下がふと疑問の声を漏らす。
そりゃいきなりあんなのに襲われたら、その真相が気になるのは当然と言える。俺なんかはその正体に当たりが付いているからよかったものの、この場に居るほとんどの人間が感じていることだろう。
「多分ねー、魔術の一種だよ。死体に魔力を纏わせて動かすの」
「そんな、ことを……」
王女殿下の疑問に答えたのは、この場で唯一の魔術師。ヴェルデアピス傭兵団に所属する桃色髪の女性、プリムであった。
しかしどいつもこいつも王族に対する敬意というやつが見当たらない。いや、俺もそこまで敬っているかと問われれば難しいが、それでも最低限外面は整える。その素振りすら見せないというのは相当だ。傭兵ってやつは皆こうなのだろうか。ビデン村に居た頃も冒険者が立ち寄ることは時折あったが、傭兵が来ることはほとんどなかったから、こいつらの世界での一般常識がいまいち分からない。
グレン王子もサラキア王女も、今この場面は緊急事態と言っていいはずだから大目に見ている点は大いにあるだろう。それにしたって無遠慮過ぎるとは思うけれど。
「そんな冒涜、許せるものではありません」
走りながら、サラキア王女が苦虫を嚙み潰したような表情と声色で呟く。
善良なる為政者からすれば、この事態は許容出来る範囲を大幅に逸脱しているのだろう。その犯人に当てはあるというか、多分こうなんじゃないかな、みたいな予測はあるものの、それを今、スフェンドヤードバニアの王族が居る前で口にするのはちょっと憚られる気がした。
「死者への冒涜ってだけで終わりゃいいんだがな、残念ながらそうもいかねえらしいぜ」
「……というと?」
しかしそんなサラキア王女の言葉に反応したのは、ハノイのやや予想外とも言える言葉であった。
きっと今彼らの頭の中では、この事件の首謀者をどう捕まえ、どう罰するかを考えていたはず。動く死体からそういった証拠が出てくるのかは分からないが、まあどこかしらに何らかの調査は入るだろう。
だがハノイは、この事態は動く死体どもの襲撃のみでは終わらないという。この先いったい何が起こるのか、立場上聞かなければいけないとしてもあまり聞きたくない内容である。
「合成獣っつーのか? なんかそいつがこの都市にばら撒かれるんだとよ。俺はそう聞いたが」
「なっ……合成獣だと!?」
続くハノイの言葉に一層強い反応を示したのは、この国の第一王子殿下。
合成獣ねえ。俺はそんな存在は知らないけれども、魔術師学院の地下で見たあいつのような感じだろうか。あれは封印研究されていたとは言え、特別討伐指定個体の一体だったか。確かにあんなのが、それも複数出てきたらえらいことになる。結婚パレードなんてやっている場合ではない。
「グレン王子、ご存じで?」
「え、ええ……過去の文献で見たというか、犯罪録を見たというか……。蒐集した獣やモンスターを繋ぎ合わせて魔力で動かす、禁忌です」
「禁忌……」
サラキア王女の質問に、やや言葉を詰まらせながらも答えていくグレン王子。
禁忌と合成獣の内容は恐ろしく、また悍ましいものであることに違いはない。人の死体を弄繰り回すだけでも心底気味が悪いのに、加えて獣の死体も継ぎ接ぎして操っているだなんてまさに外法である。
いやまあ、理由は色々あるんだと思うよ。もしそれらを完全に操ることが出来たのなら、戦力として数え得る。死体を再利用すればいいんだから、理屈の上で言えば魔力以外のコストはかからない。
けれど、それがもし実現と量産が可能な段階にあったとしたら。最高の魔術師であるルーシーがそれを試さないわけがない。
恐らくだが、試したことはあるのだと思う。死者蘇生に関してはともかくとして、彼女はあまり禁忌だとか制限だとか、そういうものに囚われない性格をしている。興味の一端で触れていてもなんら不思議ではないはず。
まあ俺もルーシーのすべてを知っているわけじゃないから、どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、その線引きは分からないままだ。けれど、俺の知る限りの性格であっても彼女なら、一度は手を出していてもおかしくはない。
推測に推測を重ねた話ではあるものの、魔法というただ一点において、ルーシーが現存するであろう技術を網羅しない理由がないからな。
禁忌として扱われるには、禁忌足り得る理由が要る。まあつまりはそういうことなんだろう。色々と社会的な理由もあるかもしれないが、単純に採算が合わなかった部分も大きいのだと思う。
労力が見合わない上に、倫理に反する。そうなれば封じてしまった方が楽だ。俺は魔法について決して詳しいわけじゃないけれど、なんかそういう流れがあったんだろうなとか考えちゃうね。
「何故、そこまでの情報を」
「俺が直接知ってたわけじゃねえ。出所はそこの仮面の女だ」
「えっ?」
ハノイは、言ってしまえばただの傭兵だ。少なくとも今知り得る情報からすればそうなる。そんな彼が何故そこまでの詳細を知っているかサラキア王女が問えば、返ってきたのは意外な答え。
彼の言葉にあわせて、皆の視線が一斉に仮面の女性へと向く。その焦点となった彼女は何ら動じることもなく、そしてただの一言も口に出すこともなく。静かに首肯するにとどまった。
「<純白の乙女>だったか? 流れの傭兵らしいが、大層なお名前だこって」
「ふむ……聞いたことはないが……」
純白の乙女。恐らく通り名か。
冒険者や傭兵といった連中はその名声を高めるため、あるいは箔をつけるために、二つ名や通り名を名乗ることがある。スレナの"竜双剣"やアリューシアの"神速"などがそう。ヘンブリッツ君も巷ではあの怪力を指して"轟剣"なんて呼ばれ方をしているそうだし、ハノイだって"翠蜂"という二つ名がある。
それを自ら名乗り始めたのか、他者が呼び始めて定着したのかの違いはあれど、基本的には実力実績がともにあり、有名な人間に付けられるもの。
……ちなみに俺も一部では"片田舎の剣聖”なんて呼ばれ方をしているらしい。いやこれ二つ名でいいのか? 神速や轟剣などに比べるとどうしても格落ち感が凄いというか。アリューシアたち以外の者から聞いたことは終ぞないんだけど、まあこれも一応二つ名に分類はされるんだろう。名乗ろうとは思わないが。
その点で言えば、仮面の女性のホワイト・メイデンという呼び名。これを俺たちが知らないのはともかく、ハノイらヴェルデアピス傭兵団やグレン王子が知らないというのはやや解せない。
知名度がないのに勝手に二つ名を名乗っている……そういう連中が全くいないわけじゃないが、彼女はどこからどう見ても練達。現時点では、実力と知名度があまりにもかけ離れ過ぎている。
まあ、事の真相は最近名乗り始めたから、というところだろう。そして最近にならないとその二つ名を名乗れなかった、また別の名を名乗らざるを得ない彼女の事情も分かる。だって彼女は元々この国に仕える騎士団の人間で、その騎士団を表向きは引退したのだから。
「詳しくは話せませんが、彼女は間違いなく味方です。それだけは確信を持って言えます」
「そうか……其方がそこまで言うのならそうなのだろう」
とりあえず、この流れで彼女に余計な嫌疑が向く可能性は潰しておきたい。そう考えての申し入れは、思いの外すんなりとグレン王子に受け入れられた。先般の王族暗殺未遂事件で頑張った部分が効いているなあ。世の中どこの何が巡り巡って役に立つか分からんものである。
「しかし、合成獣……そんなものをどこで……」
殿下二人が首をひねる。ただこっそりと魔法の研究をするだけならそこまで場所は取らないのだろうが、合成獣となると相応の広さが必要なはず。いやまあ、その合成獣とやらの最終的な大きさが分からないから、確度の高い予測とは呼べない考えだが。
「……スフェン教教皇、モーリス・パシューシカ」
「!」
純白の乙女が、ここにきて初めて声を発する。それはただ人名を挙げただけの簡素なものだったが、その名は聞いた者に衝撃を与えるには十分過ぎる言葉であった。
……恐らく今まで喋らなかったのは、声で身元が割れることを危惧していたのだろう。特にグレン王子などはすぐに気付きそうだ。しかし、いよいよ背に腹は代えられないとその名を口にする判断を下した。今この場所で言葉を口にした、ただそれだけであっても彼女の覚悟は窺い知れる。
「まさか……この凶行はモーリス教皇が主犯だと……?」
グレン王子の驚愕に濡れた反応に、今度はただ首肯のみを返す。それだけで十分に真意は伝わる。彼女はこの場面でふざけた嘘を言うような子ではない。
まあ教皇が主犯だと仮定すれば、諸々に説明がついてしまうんだよな。今日の婚姻の儀に教皇が出てこなかったのも納得だし、以前ルーシーに聞いた話から素直に考えれば、グレン王子ら王権派を排斥しようとしている背景にも理解が及ぶ。その手法は間違っても推奨されるものではないけれど。
スフェン教のトップともなれば、王室相手に秘密裏に禁忌を犯すことくらいは出来るだろう。ルーシーも魔術師学院の地下でロノ・アンブロシアを封印し、研究対象としていたことを秘匿していた前例がある。強大な権力さえ持っていれば、それを実行に移すこと自体は比較的容易い。
「……確かに、両殿下の身柄を狙うにはあれだけでは不足……」
齎された情報をもとに、アリューシアが思考を重ねていく。
言っていることはその通りで、確かにあの動く死体どものインパクトは絶大だ。絶大ではあるがしかし、火力が足りているかと問われれば明確に否である。
これがまだ、両殿下のみがいらっしゃる場所とタイミングで襲うのなら話は分かる。ところがあの場には教会騎士の他、戦える人間が複数居た。全員が無傷で乗り切ることこそ難しいにしろ、最低限王子らを護衛することは可能ではあったはず。
そしてその可能性に、モーリス教皇が気付いていないはずはない。俺は教皇の為人なんて全く存じ上げないが、一宗教のトップに立ち、禁忌の研究までしている人間がそんな片手落ちなことをするだろうか。しかも王族の命を狙うという、しくじれば自分の立場が危うい作戦に万全を期さないわけがない。
つまり、あの動く死体と暗殺者でグレン王子の首を獲れれば最良。そうでなければ次善の手を打つ。そしてあれだけで王子の首を獲るには些か不足なので、当然次の手が用意されているとみて然るべき。
その次の一手が、合成獣ということか。なんとも物騒な話である。そもそも王族の系譜に連なる方々を亡き者にしようという試み自体が究極に物騒ではあるが。
「合成獣の数やおおよその出現場所などは分かりますか」
「……」
続くアリューシアの問いかけに、純白の乙女は静かに首を振った。流石にそこまで分かっていたらもっと上手く対応出来ていただろう。彼女はあくまで断片的な情報を拾い、それを元手に出来る限りのことをしただけである。
ただ、そう考えるとそれはそれで別の疑問が出てくる。何故彼女がここまでの情報を仕入れられたかという問題だ。
純白の乙女に、かつての職位と権限はない。如何に足を使おうが、流れの傭兵が一人で得られる情報なんて高が知れている。合成獣の件とその裏側に教皇様が潜んでいる秘密まで辿り着こうともすれば、相当なところに食い込まなければならない。
恐らく、彼女には協力者が居る。それもかなり強力な。となると、イブロイと既に知り合いっぽい雰囲気であったことも気になるところだな。しかしそうであれば今度は、バルトレーンの司教様がスフェンドヤードバニアの裏の事情にまで精通している理由がちょっと通らなくなる。
彼女一人で情報の入手はほぼ不可能。仮にイブロイが協力していたとしても、彼の権限が及ぶ範囲では恐らく難しい。いや、あの胡散臭いおっさんは俺の予想以上に色々と知ってそうではあるけれど、それでも個人の力では限界があるはずだ。
であれば、どこか組織的な集団から援助を受けている? でも、じゃあその集団がどこのどいつだよという疑念は消えない。ハノイたちも知らなかったように、傭兵団程度では味方になったとて実情はそこまで変わらないだろう。腕前はともかく、情報を得るための地位があまりに不足している。
ハノイが先ほど漏らしていた、依頼元は明かせないという言葉。多分ポイントはそこなんだろうが……ダメだ、これ以上は考えても分からんね。
ルーシーなら何か知ってたりするかな。なんだか俺の中で、困った時はとりあえず彼女を頼っておけばいいみたいな風潮になりつつある。無事バルトレーンに帰ることが出来たら、今回のことも聞いてみるとするか。
「まあわざわざ日を置く理由はねえだろ。警戒するに越したこたぁねえ」
「……そうですね」
彼の言葉の真意は、すぐにでも合成獣がやってくるだろうから気を引き締めろ、ということである。
普通に考えれば、わざわざ動く死体を多数動員してディルマハカを混乱に陥れたのに、それが収まるのを待ってから合成獣を投入する理由がない。それではただの無駄だ。
なので逆説的に、この騒動は連鎖するはず。流石に街中に突如として合成獣が湧くことは考えられないとしても、恐らく研究拠点だかなんだかは既に出発していると見ておかしくはない。
問題はその相手の数と質なんだが、まあそれが分かれば苦労はしない。少なくとも弱くはないと考えておくべきだろう。
もしロノ・アンブロシアみたいなのが複数やってきたらもう逃げの一手だ。王子と王女を連れて頑張ってフルームヴェルク領辺りまで、出来ればバルトレーンまで舞い戻り、ルーシーたち魔法師団の応援を待つしかない。
こういう時、国際情勢というやつはすこぶる足を引っ張る。そもそも自国の王女の結婚式に、魔法師団が出られないってのはかなりの無理筋だと思うんだよな。ルーシーこそ王国の発展に最も寄与した一人だろうに、祝辞の一つどころか参列も許されないってのは、よくよく考えれば異常だ。
その辺りもグレン王子が王位を継げばマシになっていくのだろうか。まあ今は王位云々よりも、彼の身の安全を確保しなけりゃならないシーンではあるが。
「団長!」
「おう、どうした?」
両殿下を護送しながら宮殿への道を急ぐ途中。脇道から飛び出してきた黒衣の傭兵に、ハノイが反応する。
「偵察に出していた部隊から言伝だ。都の外縁部に正体不明の化け物が複数現れた」
「……分かった。とりあえず一当たりして、ヤバそうならすぐに退け。時間を稼げそうなら稼いでもらいてえが、無理はすんな。クリウ、お前もあっちに行ってくれ」
「はいよ、了解。相変わらず人遣いが荒いねえ」
素早く指示を出すハノイと、それに従い即座に動き出す部下たち。
やり取り一つ見ても、組織としてはかなり真っ当かつ高練度な集団だ。上意下達がはっきりしており、その速度も十二分。集団の性格や考え方はひとまず置いておくとして、純粋な戦闘集団として捉えた時の彼らの価値は極めて高い。
まあとは言え、肩を並べて共に戦いたい相手かと問われれば、断じて否ではあるが。
「……お前たちは、どこまでの依頼を受けているんだ?」
さて。推定合成獣の登場で、いよいよこの騒動も本格化してきたところ。改めて気になったのは彼らが受けた依頼の内容である。
「王子サマと王女サマを今回の騒動から守り切ること。宮殿まで護送するだけならぼろい仕事だったが、まあそうは問屋が卸さねえってこったな」
「……なるほどね」
グレン王子とサラキア王女を宮殿に護送する。それだけで彼らを守り切ったと言えるのか。答えは言えない。なぜなら、合成獣という特大の脅威がまだ排除されていないから。
つまりこいつらは今回の騒動に於いて、最後まで戦力として換算出来るということだ。スフェンドヤードバニアとしてはありがたいことだろう。
途中で逃げ出す可能性もなくはないが、傭兵というものは地位や名誉などより信用と、何より金を重視する。依頼元が誰かは分からんままではあるものの、支払いが滞らない限りは勝手に抜け出すような真似はしないと思いたいね。
「さて、つーわけで急ぐぜ。アンタらははっきり言って戦闘の邪魔だ」
「……承知している」
仕切り直しといった風に、ハノイはばっさりと言い捨てる。
まあ、血みどろの戦場に王子様と王女様は不要ではあるからな。後顧の憂いなく守り切るためにも、前線からは離れて引きこもってもらった方が都合がいい。
快晴なれど寒風やや強し。
寒空の下で吹き荒ぶ乾いた風はしかし、不安と不穏という粘り気のある湿度を、微かに孕み始めていた。




