第212話 片田舎のおっさん、怒りを覚える
「……ハノイ……!」
膠着状態を良くも悪くも派手にぶち壊したのは、フルームヴェルク領からの帰り道で散々な目に遭わせてくれたヴェルデアピス傭兵団の頭領、ハノイ・クレッサであった。幾人かの手勢を連れて突然の乱入劇である。
あの時と同じように巨大な大剣を携えて、丁度死体どもと交戦している地点からやや後ろ、大聖堂の翼廊から勢いよく飛び出してきていた。
「何者ですか!?」
その登場に一番驚いたのはサラキア王女殿下であった。身を屈めながらも周囲を見渡していた彼女は、突如として現れた闖入者に目を見張る。
そりゃいきなりあんな物騒な連中が出てきたらびっくりもするだろう。特に王女様からしたら敵か味方かも分からないからな。いきなり呼びかけられてこっちだと言われても、素直には従えない理由がある。
というか、あいつらの狙いは一体なんだ。王子と王女を呼んでいたということは、まあ少なく見積もっても隠密からの誘拐という線はなさそうではあるが。それならこの霧を使ってもっと上手くやっているだろうし。
「ハノイ・クレッサだ。あんたがたを守れってんでな、オハナシを受けてる」
「……なんだって?」
続くハノイの言葉を聞いて、真っ先に浮上したのは疑惑の感情。
そりゃそうだ。あいつらはついこの間、俺とアリューシアの遠征団を襲ったばかり。フルームヴェルク領からの帰り道を囮の馬車まで使って塞ぎ、強襲してきた連中である。
何故俺たちを襲ったのか、その理由の背景にはスフェンドヤードバニアの教皇派の思惑が潜んでいる。そんな証拠はどこにもないが、ほぼ確信に近い予測まで立っていた。
そんな連中が、今度は王権派の筆頭であるグレン王子とサラキア王女を助ける? 中々に荒唐無稽で虫のいい話だ。信用しろという方が無理がある。罠である可能性の方が遥かに高い。
「ベリル君、彼らは大丈夫だ! 彼らとともに王子殿下らを守ってくれ!」
「!?」
さりとて、この状況でハノイたちヴェルデアピス傭兵団の相手をするのは大分荷が重い。どうしたものかと判断に悩む俺の背中を押したのは意外や意外、イブロイの叫びであった。
うーん。うーん? いやどうなんだこれは。以前俺たちを襲った集団を、何故かイブロイが信用している。情報のラインがどうやっても繋がらない。そもそもイブロイとハノイが知己だった? その可能性はゼロではないにしても、なんかおかしい気がする。少なくとも今この場の状況に結び付くものではない。
「……くそ!」
ええい、分からん。なんも分からん。今俺たちがやるべきことは王子と王女の護衛と脱出なのに、酷く余計な情報を無理やりぶち込まれた気分だ。
しかしながら、仮にハノイらの戦力がまるっと味方になるのであれば、たとえこの場限りであってもありがたいこともまた事実。気を許すつもりは毛頭ないにしろ、現状やや手詰まり感はあった。
となると、ここはイブロイの言もあるしハノイの言葉に乗るのが上策か?
「――さあ、君も行きなさい」
「……」
数瞬の迷い。それを断ち切ったのは、続くイブロイの言葉とそれに呼応する仮面の女性だった。
最前線で戦っていた彼女はイブロイの呼びかけを受けて一気に退き、側廊を通って王子たちの待つ後方へと走っていく。
……やっぱり理屈は分からない。何処の誰がどう関係しあって今こうなっているのか皆目見当も付かん。しかし、彼女が応じたのならそれは即ち信頼に値する。俺も腹を括ろう。
「アリューシア! 俺たちも動く!」
「はい! ヘンブリッツ!」
「私はここを抑えます! 団長は王女殿下を!」
「……分かりました、頼みますよ」
「承知!」
アリューシアに移動のため声を掛ける。それに合わせてヘンブリッツ君も動かそうとした彼女だが、彼はどうやらここに留まって動く死体どもを相手取ることを決めたらしい。
まあ、妥当な判断ではあると思う。今この場から俺、アリューシア、ヘンブリッツ君、仮面の女性が抜けると、正面の戦闘力は一気に落ちる。残るのは教会騎士と何割かの戦える参列者になってしまうからな。
護衛対象の優先順位はぶっちぎりで王子と王女がトップだが、決してそれ以下を切り捨てて良いわけではない。拾える命なら出来る限り拾っておくに限る。その意味でもヘンブリッツ君がここに残るのは良策と言えよう。彼ならこの程度の相手に不覚は取るまい。
「……貴方は」
「あ? あぁ、あん時の銀髪の女とオッサンか」
王子らと合流し、間近で顔を合わせる。やはりあの時の"翠蜂"ハノイ・クレッサで間違いない。それはアリューシアもすぐに気付いたようで、警戒の色をにわかに強めていた。
ハノイはハノイで俺たちのことを認識こそしている様子ではあったが、何か思うところがあるような反応ではなかった。彼らからすれば俺たちはただ当時の襲撃対象であっただけで、そこに何の感慨もないのだろうか。俺には理解しにくい感覚である。
だが、ここで言い争う時間はない。まずは一刻も早くグレン王子とサラキア王女をこの場から逃がすこと。それが最優先。
「とりあえず付いてきな。俺たちが通ってきたところは基本安全なはずだ」
「……グレン王子殿下、サラキア王女殿下、この場を離脱します」
「ええ、分かりました」
言いながら、ハノイが先ほど乱入してきた翼廊側へと駆け出していく。アリューシアがすかさず王子と王女に移動を進言し、それは間もなく許可された。
ハノイ・クレッサ。彼自身を信用したわけでは断じてない。イブロイと仮面の女性、この二人が動いたからこそ俺もギリギリ賛同しているといった具合である。何か不審な動きを見せたら、背後から一瞬で刈り取ってやるぐらいの意識は常に持っておいた方がいいだろうな。
今大聖堂を離脱しようとしているのは俺、アリューシア、両殿下と仮面の女性。そしてハノイの配下と思われる数人。この陣容なら二人をお守りするのはそう難しくはない。ハノイらが突然牙を剥かなければ、という前提は付いて回るが。
翼廊の奥、恐らく扉があったであろう場所はハノイが破壊したのか、めちゃくちゃになっている。相変わらずすげえ馬鹿力だ。あんな力で殴られたらマジで一発で戦闘不能になるどころか、天に召されかねない。
「ああそうだ。プリム、もういいぞ。霧は消しとけ」
「はいはーい」
そしてそこに到達したタイミングで、プリムと呼ばれた桃色髪の魔術師が手を翳す。その動きに呼応して、聖堂内に突如として充満した濃霧が見る見るうちに薄くなっていった。
やはりこの子もあの時一緒に居た魔術師に違いない。これらの戦力と一時とは言え共闘出来るのはありがたいとは言えど、油断は出来んね。
「グレン王子殿下、サラキア王女殿下。お足もとにお気を付けください」
「分かっています」
突如巻き起こった戦闘のせいで、本来なら歩きやすいはずの聖堂内の足場はすこぶる悪くなってしまっている。ここで転んだりしたらそれはそれで大きなロスなんだが、王子も王女も今のところはなんとか大丈夫な様子で何よりだ。
翼廊から抜けてしばらく通路を走り、外と繋がっていたはずの扉もまたバキバキに破壊されている様を見てちょっと引き。阿鼻叫喚の大聖堂内から寒空の下に舞い戻った先では、ハノイらと同じく黒のロングコートを身に纏った数人が周囲を警戒しながら待機していた。
彼らの足元には、数えられはするものの中々に数の多い人間も同時に転がっている。恐らく、動く死体がこちらにも回っていたのだろう。
そう考えると、動く死体を操っている側……恐らく教皇派だとは思うが、彼らから見れば今のヴェルデアピス傭兵団も敵ということだろうか。逆説的にこの連中の現状に置ける信頼度が少し上がる気がしないでもない。
「おう、お帰りさん」
「クリウ、変わりねえか」
「なんも」
「上出来」
その場の人員を纏めていたであろう、青髪の青年。確か名前はクリウ、だったか。こちらはこちらで特に何も思うことはなさそうな様相で、至極短いやり取りをハノイと終えたのみであった。
「……げっ、あん時の女」
「……」
と思っていたら別にそういうわけでもなかったらしい。アリューシアを見た途端に端正な顔をくしゃりと歪めていた。それに対するアリューシアの反応は見事な無視。苦言を呈されたとしてもこいつらに付き合う必要はないからな。
「とりあえず宮殿まで護送する。それでいいか王子サマ」
「あ、ああ。頼むぞ」
戦場となった大聖堂からは抜けられたものの、じゃあここからどうするかという話に今度は切り替わる。まあハノイの言う通り、とりあえず宮殿に向かうのがいいだろう。戦略的にも防衛的にもそれ以外の候補が出にくいとも言えるが。
「助けてくれたことには感謝する。しかし君たちはいったい何者だ?」
大聖堂を抜け、パッと見た限りでは敵対者も見当たらない状況でようやくグレン王子も落ち着いたか。その声色と表情を整えて、至極当然の疑問を呈していた。
「ヴェルデアピス傭兵団、つってもそっちが知ってるかは知らんがな。悪ィが依頼元は明かせねえ。そういう契約だ」
「そ、そうか。分かった」
ハノイの反応に、以降グレン王子は押し黙った。
しかしこの男、相手が王族だろうが何者であろうが関係なしの口調である。田舎者の俺ですら王族の方々と対面する時は畏まってしまうというのに。普通こんな口調で上位者に接していたら死罪も免れないと思うんだが、その辺りはどう考えているんだろうか。まあこいつを捕えるのは一筋縄ではいかなそうだけれども。
「……お前たちは何故俺たちを助けたんだ」
移動する間も、考え事は止まらない。何故こいつらが今更王権派に手を貸すようになったか、である。
別に流れの傭兵が依頼主を変えること自体はそう不思議ではない。しかし、こいつらはヴェスパーとフラーウ、そしてレベリス王国貴族の私兵を何人も手にかけている。素直にじゃあ今回は味方だね、なんて楽観的な見方はどうしても出来なかった。
戦闘の真っただ中から抜けだして、戦いから良くも悪くも気が逸れたところ。考える余裕が生まれてしまったことで、こいつらが今ここに居ることにどうしてもムカついている自分が居る。
「あァ? 依頼を受けたっつってんだろ。オッサン話聞いてねえのか」
「……ッ!」
そんな俺の呟きに対し、ハノイは心底呆れたような声を出した。その反応を見て、反射的にハノイの襟首を掴んでしまう。
やっぱり、納得が出来ん。こいつらに助けられたのは事実。それは事実ではあるものの、それはそれこれはこれだ。何食わぬ顔で依頼だからと言って昨日の敵と握手するようなやつとは、どうしても仲良くしようとは思えない。
突然とは言え、俺なんかが襟を掴もうとしても、こいつなら容易く躱すか跳ね除けるかは出来るはず。そもそもの肉体能力に絶対的な差があるからだ。しかし彼はあえてそれを甘んじて受け入れた、そういう風にも見えた。無論、それで俺のわだかまりが消えるわけではないけれど。
「お前のせいで、ヴェスパーとフラーウは……!」
「誰だよそいつらは。死んだか?」
「お前……ッ!」
ギリ、と。ハノイの襟首を締める手に力が入る。
フラーウは職務に復帰した。まだ本調子ではないが、彼女の覚悟は俺も感じたつもりだ。更なる研鑽を積み、レベリオの騎士として頑張ってもらいたいと思う。
片やヴェスパーは未だ職務に復帰どころか、まともに動くことすら出来やしない。元の生活に戻れるかどうかも不明瞭だ。
こんなことをやっている場合ではない。それは頭では理解している。今なすべきことはグレン王子とサラキア王女の安全確保であって、醜い言い争いじゃない。
分かっている。俺が今こいつの襟首を掴んでいるのは、ただの俺の勝手な思いに過ぎない。しかし、どうしても納得が行かない。そう、命の価値は、人の価値は誰しもが等価ではないのだから。
「俺たちもお前らに二人殺られた。ジュールとワンディスっつってな、可愛い弟分だったぜ。だが死んだ。腕も運も足りてなかったからだ」
「それはお前らが襲ってきたから……!」
「そうだ、その結果だ。あァ、別にお前らを恨んじゃいねえよ、仕事だったからな。それはそれ、これはこれだ。あえて言うならお前らを低く見積もって、その二人を戦場に出した俺の判断が間違っていた」
「……ッ!」
こいつの目は、確かに俺たちを恨んでいるような曇り方はしていない。すべての事象は運否天賦が如くといった様相だ。
俺には、俺とハノイ、どちらの考え方が正解かなんて分からない。きっとどちらも正しくて、どちらも間違っちゃいないんだろう。致命的なまでに、それらを両方正解だと言えないほどに状況がかけ離れてしまっているだけで。
理解は出来る。こいつらは傭兵として依頼を受け、俺たちを襲撃した。その結果ヴェスパーとフラーウは重傷を負い、ヴェルデアピス傭兵団の二人は死んだ。
ヴェスパーたちも傭兵団の二人も、形は違えど戦うことを選んだ人間だ。こいつの言う通り、戦場で散る結果となったのは運と腕がなかった。理屈ではそうなる。けれど、それをはいそうですかと簡単に呑み込んでしまうのは、俺の中の何かが致命的に壊れてしまう、そんな気がしていた。
「……先生、今はこれ以上は」
ハノイの襟首を掴んでいる腕に、アリューシアの手が添えられる。その手は、震えてはいない。別に俺の言っていることやこいつらの登場に動揺を受けたわけでもなさそうであった。
……俺はやはり、子供なのだろうか。遥か年下であるアリューシアでさえこの覚悟の決まりようである。どうにも俺は、世の中の出来事を綺麗に割り切れるような、そんな出来た人間にはなれそうにない。
「……すまない。殿下、突然の暴挙、申し訳ありません」
「――構いません。事情があるのでしょう」
「……痛み入ります」
努めて冷静に、両殿下へ短く謝罪の言葉を切る。今こんなことをしている場合じゃないってのは俺が一番良く分かっている。それでも動いてしまったということは、感情を理性で抑えられなかった証拠。意見や考え方の是非はともかくとして、その行為自体は省みなければ。
「話は終わったか? じゃあ急ぐぜ」
襟首を解放されたハノイは軽く手で払うのみで、俺に対してはそれ以上何も言わなかった。
思えば、俺がこいつの胸倉を掴んだ時。周りのヴェルデアピス傭兵団の連中は誰一人として動かなかったな。クリウと呼ばれた剣士も、プリムと呼ばれた魔術師も、他の皆も。
その思惑は分からない。きっと俺には理解出来ない領域なんだろう。仮にアリューシアが誰かにいきなり胸倉を掴まれたとしたら、俺はそいつに食って掛かる自信がある。
重ねて思うが、どちらが正しいとかではない。
とにかく、各々が持ち得る精神性の違いが大き過ぎた。世の中そんな人間もいるよね、という軽口などではとても済まされないほどに。
「オッサン。アンタは強えが戦士には向いてねえな」
「……俺は剣士だからね」
「そうかい」
移動を再開する間際、零された囁きが耳に入る。
戦士、か。確かに俺はいくさびとではないし、多分向いてないんだろう。後ろを顧みず前だけを見て進むのは、ひどく難しい。こんな年老いたおじさんには些か荷が重い役割である。
年齢を重ねれば重ねるほどに立ち止まり、後ろを振り返る機会が増える。戦いだけに身を置く人間には、きっと要らない精神だ。そして俺は多分、その精神を一生捨てることが出来ない。
それは剣士の頂を目指すにあたって、果たして不要なものなのか否か。
新たに湧いて出た難題が微かに、しかしはっきりと。俺の脳裏に焼き付いていた。




