第198話 片田舎のおっさん、再度遠征に出る
「それじゃ、行ってきます」
「ん。気を付けて」
いつもとそんなには変わらない、しかし慌ただしい毎日を過ごしていると、時間なんてものはあっという間に過ぎ去っていく。
今日はサラキア王女殿下の輿入れが始まる日。つまり遠征の初日だ。今日からしばらくの間、この家には帰れないしミュイにも会えない。すべてが順調に進んだとしても、バルトレーンに帰ってくるのは年が明けた後だろう。
季節が冬に移り変わり、早朝と言ってもまだまだ空が暗い時間帯。地平線から薄っすらとせりあがる灼熱の根源を今か今かと待ち侘びながら、ミュイの言葉を背に受けて我が家を発つ。
結局ミュイは俺が遠征で家を空けている間、家に留まる判断をした。ちゃんと計算した上で十分な金額は家に置いてあるし、何か困ったことがあればルーシーや学院を遠慮なく頼るようにも言い含めてある。分別も大分ついてきているし、そう無茶はしないだろう。この辺りは彼女に対する信頼もそうだけど、俺自身も子離れをしないといけない部分なのかもしれないね。
「やっぱり暖かいな、これ」
家から一歩外に出ると、如何に都会とは言え大自然の厳しさに敵うわけもなく。早朝という時間帯も相まって、肌を突き刺すような寒風が容赦なく身体を凍らせにくる。
しかしながら、以前アリューシアから……と言うか、レベリオ騎士団から頂戴した外套の防寒力が素晴らしい。顔はもうどうにもならないにしても、身体はかなり外気温から守られている感覚がある。
ばっちりとレベリオ騎士団のエンブレムが描かれている以上、日常使いにはやや躊躇ってしまう一品だが、これはついつい使い続けたくなってしまうな。特に騎士はこういう公の行事だと鎧を着込むから、相当に寒いはず。その辺りのフォローを支給品で行うあたり、上層部もしっかり考えているのだなとちょっと感心するとともに安心するよ。
「ふぅ……」
歩きながら吐く息が、白に染まる。
胴体は外套、手足は手袋とブーツで守ってはいるものの、寒いものは寒い。これから遠征という名の行軍が始まるから、身体は否が応でも温まるだろうけれど。
今日の本番を迎えるまでに何度かアリューシアやヘンブリッツ君らと打ち合わせは重ねたが、いつぞやの遊覧護衛時と違い、俺をどう配置するかは割とすぐに決まった。と言うより、隊を持たせようとサラキア王女殿下が言わなければとっくに決まっていたことらしかった。
一兵卒として扱うのは違う。かと言って、叙任を受けた騎士というわけでもない。特別指南役なんて大層な肩書を貰っちゃいるものの、それは所詮内部にしか通用しないものだ。
ではあるのだが、アリューシアはグレン王子たちのご遊覧の際、俺を特別指南役として紹介する場も設けたいと言っていた。俺と、俺の肩書を国外にも喧伝していく方向で大筋は随分前から固まっていたらしい。
なので、指揮命令系統としてはアリューシアの直下。隊を持たず、王族らの近辺を守る近衛の一人としての運用となった。
自身の腕を過度に謙遜することは出来る限り止めようと意識こそ変わったが、それは別に俺が注目を浴びたいと考えるようになったわけでは決してない。なので正直な話、アリューシアのその思惑はちょっぴり有難迷惑な側面もある。
剣を振るうついでに名声が上がっていく、というのならまだ分からんでもない。しかしながらアリューシアには時々、その辺りを極力すっ飛ばして俺を一気に持ち上げてしまおうという気概を感じる。
彼女にそう思わせてしまうくらいには俺の剣技が評価されている、という嬉しい見方も出来なくはないのだが、それはそれとして俺の性に合う合わないがどうしても出てしまうわけで。ずっと片田舎に籠ってたまま、長い期間を経て丁寧に熟成された精神性がそう簡単に覆るわけもなく。
まあでも止めろと言っても止まらないのは重々承知しているから、俺が変わっていくしかないんだろうな。そもそも俺の言葉で止まるようなら、俺を特別指南役にねじ込んだりはしていない。
「大変だよな、今更だけど……」
いざ自分がそういう目線に晒される立場になると、おやじ殿が優れた腕を持ちながらビデン村に居ついた理由も何となく察することが出来る。
多分、面倒くさかったんだろう。色々と。おやじ殿は剣の腕こそ抜群に立つものの、政治的な立場や名声に拘っている様子は微塵も感じられなかった。
その点には俺も同意せざるを得ない。フルームヴェルク領での夜会を経て改めて思い知ったが、あんな世界に日常的に足を踏み入れようなどとはどうしても思えないからね。
とは言え、これまで曲がりなりにもいくつかの事件を解決してしまった以上、それに付随する評価は正当に受け止めなければならないのだろう。受け止めたくない気持ちは依然としてあるものの、事実ではあるので俺が駄々をこねても仕方がないことである。
別にこれ以上の評価や名声が欲しくないからと、任務をサボったり手を抜いたりはしない。それはそもそもとして俺の信義に悖る。
となると、与えられた職務については出来る限りこなしていくしかないわけだ。いつの日か、俺の手にはとても負えない重大な責務を課せられやしないかと、そんな心配事が今度は湧いて出てきてしまう。
「頼むから適当なところで落ち着いてほしいね……」
俺は今まで、自身の腕前をやや過小評価していたかもしれない。その可能性については認めよう。しかしながら、今度は逆に行き過ぎて周囲から過大評価をされても困るのだ。
あいつなら大丈夫。あいつならやってくれるはず。あいつなら……。そうやってどんどんと分不相応な職責が与えられてしまう。そこまで行きそうなら流石に俺も一言挟もうとは思うが、アリューシアをはじめ騎士団の者や近しい人たちはどうにも聞き入れてくれそうにない、というのが少々困ったところ。
まあその辺りは俺が驕らなければ大丈夫だろうとは思うけれども。と言うか、周りが多分あんまり止めないから自制をするほかない。あのルーシーでさえ、力を持つ者は相応に生きるべき、なんて言葉を俺に向けて言ってるからな。
なのでこれからはただの謙遜ではなく、真に自身に見合った評価と課せられる職務を見定めなければならんわけだ。それも恐らく俺一人で。
腕が立つということと、職責や重責に耐えられることは違う。その点で言えば俺は剣を振るうことには自信があれど、政治的に高度なやり取りをしたいわけじゃないし、出来るとも思っていない。その辺りを混同されてもちょっと困るのである。
それなりに血気盛んだった十代二十代の頃ならともかくとして、こんな年になって今更そんな心配をするようになるとは夢にも思わなかった。特別指南役になったところから始まり、ミュイの後見人になるところまで、本当に世の中何が起こるか分からないもんだね、マジで。
「ま、なるようにしかならないか……」
冬の早朝ということもあって、如何なバルトレーンと言えども人の往来は極僅か。しんと静まり返った都会を歩くというのもなかなか新鮮な経験である。普段はもっと耳に色々な音が飛び込んでくるんだけど、今日はそんなこともない。そのせいか、様々なことを考えながらついつい独り言も増えてしまう。
俺はビデン村に居る時からずっと早寝早起きだったから特に不満も違和感もないけれど、いくら騎士とは言え、この時間から招集が掛かるのは人によっては厳しいかもしれないな。まあそういうのも込みでレベリオの騎士になったのだとは思うが。
そんな益体もないことをつらつらと考えながら歩を進めることしばし。未だ薄暗いバルトレーンの中央区の中で爛々と明かりが灯る大きな建造物に近づいていく。
何度見ても騎士団庁舎はデカい。通うようになってから随分と時は経ち、俺も大分慣れたけれど。未だに時々、こんな立派なところにお勤めしている自分がいまいち信じられない感覚もある。
「よし……」
普段なら何も気負わずに通り過ぎる正門。
しかし今回は少しばかり緊張してしまうな。別にこの庁舎で何かをやるわけではなく、あくまで集合場所に過ぎないのだが。
「おはようございますベリルさん。頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
正門前で守衛さんといつもの挨拶。彼らは王国守備隊に所属する人たちだが、今回の遠征には同行しない。一口に守備隊と言っても、その所属や職務は多岐に渡る。
しかし流石にこれからのスケジュールは皆知らされていたらしく、掛けられる言葉もいつもとはやや趣の違うものだ。頑張ってください、という言葉は鍛錬を頑張れという意味ではないことくらい、俺にもすぐに分かった。
守衛さんとの挨拶を終え、いつもの修練場ではなく集合場所として指定された中庭へ。
夜明け間際の中庭と言っても、光源は十分に確保されており視野には困らない。この辺りの予算の掛け方も凄いな、なんて変な方向性の感想もまろび出てしまうほどであった。
「先生、おはようございます」
「ああ、おはようアリューシア」
そして中庭では、既に準備を整えていたアリューシアとヘンブリッツ君。その他既に集合していた幾人かの騎士が待機していた。どうやら俺はそこそこ早いタイミングに来たらしい。
当然ながら皆、レベリオ騎士団の外套を羽織っている。鎧姿で整列しているところも恰好いいが、外套で統一されている姿も中々に圧力があっていいな。その一員として俺が居るのは、少々見た目に違和感をもたらすかもしれないけれど。だって皆若いからね、基本的に。
ちなみに、流石に王族、しかも他国の王族まで絡む国家行事で平服は失礼が過ぎるので、外套の下に着ているのは最初からきちっとしたやつである。これも一着しか持ってなかったんだけど、遠征が始まるまでにちょこちょこ買い足してはいた。
と言うか、フルームヴェルク領での一幕があってからその辺りも気を遣った方がいいと思い始めた。いや、俺としてはまったく歓迎出来ないことではあるんだが、こういうのはもう俺個人の裁量で断れないものがほとんどだからね。ならばせめて、表に出るのなら相応の恰好はしておいた方がいいということで、同じようなジャケットっぽいやつを買い足していたわけだ。
普段着と違い、こういうのはそれなりに出費も嵩むものだが、今の収入であればそれらも比較的容易に整えられるというのは大きい。ミュイに関する出費は勿論、自分の立ち位置や見られ方が変わったことによる出費にも耐え得る収入はやはり非常に助かる。
いつぞやのルーシーが言っていた通り、なんだかんだと金はかかるということだな。その点は素直に感謝しておきたい。
アリューシアと挨拶は交わしたものの、賑やかに雑談という空気でもないため、静かに騎士が集まるのを待つ。アリューシアやヘンブリッツ君、そして俺が少々早めに来ていただけであり、しばらくするとぞろぞろと今回の遠征に同行する騎士たちが中庭に集まってきていた。
その数、凡そ五十人。首都バルトレーンに常駐する騎士の数が確か百と少々だったはずなので、ほぼ半数が今回の遠征に帯同する形となる。しかもそこにアリューシアとヘンブリッツ君も加わるとなれば、実質的に首都の半分以上の戦力が今回の護衛。
相当な力の入れようである。そして護衛には騎士だけでなく王国守備隊も加わるから、総勢は数百名という規模にまで膨れ上がるだろう。
騎士は個としての戦力もあるが、兵を率いる立場でもあるからな。恐らく騎士を小隊長としてそこに守備隊の面々が付く形なのかな。その辺りの組み方と言うか、軍のまとめ方までは俺は知らないけれど。
「――総員、傾聴!」
騎士たちが集合を終えた後、タイミングを見計らってアリューシアの声が響く。
それまでは静かに談笑をしたり、打ち合わせをしていた騎士たちが彼女の声に合わせてピタリと動きと口を止め、姿勢を正した。一糸乱れぬ統率に、この瞬間だけでも舌を巻くほどだ。
「これより、サラキア第三王女殿下の護衛任務に就く。目的地はスフェンドヤードバニア教都ディルマハカ。長距離の行軍となるが、各位の弛まぬ努力と研鑽が大いに発揮されることを期待している。まずは王宮へ向かい、王女殿下および守備隊と合流する。行動開始!」
「はっ!」
アリューシアの号令で、この場に集った精鋭たちが動く。
さて、長い長いお仕事の始まりである。今から気を張っても仕方がない部分もあるけれど、久々に王室の方々と触れる機会だし、腑抜けた顔で向かうわけにもいかない。それなりに気合入れて行くとしよう。




