第164話 片田舎のおっさん、久々に顔を出す
「いきます!」
「よしこーい」
威勢のいい掛け声とともに、一人の少年が俺に向かって吶喊してくる。
持っているのは標準的な木剣だ。とは言っても、俺やレベリオの騎士が普段使っているような長さではなく、もうちょっと短めに調整されたやつである。
いずれはちゃんとした物を扱うべきだろうが、剣を持ち慣れていない者にとって木剣というのはかなり重い。細長いとは言え中身の詰まった木材の削りだしだから、軽いわけがないんだけれども。まあつまり、その重さと長さを上手く扱うにはそれなりの習熟が必要ということだ。
「やっ!」
「うん、大分鋭くなってきたね」
木剣を持つ少年……ルーマイト君が繰り出した袈裟斬りを、こちらも手に持った木剣で軌道を変えて逸らす。
彼は元々剣を学んでいたということで、他の皆と比べると少しだけ下地がある。それに加えてフィッセルの結構重めな鍛錬にもしっかり付いてきているから、中々見れるものになっていた。
「この……っ!」
「ほい」
逸らされた木剣を手放すことなく、更に踏み込みと手前の入れ替えを加えて切り上げ。視界の右下から浮上してくる木剣の切っ先を眺めながら、こちらも剣先を沈めて迎え撃つ。
ギャリンと、木材どうしが激しく擦れ合う音が響いた。
真正面から打ち合ってしまうと、流石に腕力ではまだ俺の方が強い。なので俺は、ルーマイト君の剣筋を邪魔せず受け流す方に比重を置いていた。その方が振っている方も勢いが止められなくて気持ちいいからね。
ルーマイト君の剣技は先ほど言った通り、中々にまともなものだ。
とは言え、それはあくまで魔術師学院で剣魔法科を学ぶ学生の中では比較的、という話。普段レベリオの騎士たちと鍛錬している身としては、この程度の剣撃に当たってやれる道理はまだない。数年先は分からないけれど。
「……ッ!」
「ん?」
切り上げをすかされて胴が伸びてしまったルーマイト君は、無理やり身体を呼び戻して先ほどとは逆方向に剣先を沈めた。
なんだろう。仮に俺の反撃を恐れてと言うことなら、そのまま飛び退いて間合いを取ればいい。続けざま攻撃とするならわざわざ身体を捻って溜めを作る必要がない。彼の次の一手が読めず、数瞬思考の間が空く。
とりあえずこの距離で考えるのは危険だ、俺の方から一歩下がっておこう。何かアクションがあるのなら、それを見てから付き合えばいいか。
「せいっ!」
「おっ?」
俺の頭の中でその答えが弾き出されるよりも随分と早く、ルーマイト君が正解を叩きつけてきた。
明らかに剣のリーチでは届かない一振り。微妙な間合いならともかく、普通に見れば絶対に届かないと誰もがはっきりと分かる距離だ。にも拘らず、彼は剣を振り抜いた。
そして切っ先から放たれるのは、空振りした木剣が起こすような風とは明らかに違う、攻撃的な波長。
「おお、凄いな」
つまり、ルーマイト君は使ったのだ。剣魔法を。
その威力や速度は、フィッセルのものと比べることすら烏滸がましい。多少戦いの中で経験を積んだ者であれば、見てからでも余裕をもって躱せる程度のものではある。事実、俺はその起こりを見てから半身をずらすことで容易に回避出来た。
しかしながら、ただ木剣で殴り合うだけの剣術とは違う「剣を用いての魔法」を発現させたことは、素直に素晴らしいことだと思う。才能というやつは正しい方向に正しく磨けばこうも早く輝き始めるのか、という感想すら抱いてしまう程には。
「でもまあ、一発撃って終わりじゃないからね」
「あいでっ」
だがそれはそれ、これはこれ。
剣魔法の一撃を放ち、大きく隙の生まれたルーマイト君の脳天に向かって、踏み込んで木剣をポコリ。気品のある少年らしい控えめな声が、小さく響いた。
これがもし必殺の威力と射程、そして不可避の速度を持ち、確実に敵を葬れる一手となるのなら何も問題はない。将来的にはそうなるかもしれないが、少なくとも現時点では違う。なので、撃ち終わりに満足して隙を曝け出しているルーマイト君の身体に木剣が落とされるのは、もはや避けられぬ結末であった。
「あ、ありがとうございました」
「こちらこそ。でも凄いね、もう剣魔法を扱えるなんて」
頭をさすりながらお辞儀をする彼に、こちらも返礼する。次いで出てきたのはやっぱり驚きの感想である。
俺に魔法はさっぱり分からない。分からないが、習熟が容易であるとは微塵も思っていない。なのにこの短期間で、一応という枕詞こそつくものの、しっかりと剣魔法を発現させた彼の成長速度は空恐ろしいと思うのだ。
「休みの間、練習してましたから。けどやっぱり、動きながら魔力を練るのは難しいです」
「なるほどねえ」
魔術師学院は夏の間休暇に入っていたが、それは必ずしも学生たちの進捗が止まることを意味しない。現にこうやって、ルーマイト君をはじめとした真面目な者たちは学院の講義がなくとも自己の研鑽に励んでいる。
いやまあ、休める時に休んだり気分転換をするのも大切ではあるんだけれど。実際俺なんかはもう体力気力ともに長時間張り詰め続けるのは難しいから、適度に休んだりもしている。
しかし、俺だって若い時はがむしゃらに剣を振っていたからなあ。別に今の若い子たちにそれを強要するつもりは露ほどもないんだが、無理出来る時に多少無理しておく、というのもこれまた立派な選択肢ではあるのだ。
「うおっしゃぁ! 俺の勝ち!」
「くっ……! ずるいですわよ! 貴方の方が力は強いじゃないですの!」
「そりゃしょうがねえだろ……」
そんなことを考えていると、俺とルーマイト君の居る位置からほんの少し離れたところで、もう一組の打ち合いが終わった様子。
木剣を打ち合わせていたのはネイジアとフレドーラである。彼らもまた各々の速度で、しかし歩みを止めることなく修練を続けていた。
どうやら今回の打ち合いはネイジアが制した模様。それに対してフレドーラがいちゃもんに近い文句を付けているが、男女の筋力差は正直どうしようもないからな。ネイジアは体格に恵まれているから尚更である。
「まあまあ。それらを覆す可能性があるのが剣魔法だろうからね。これからだよ」
「むう……ベリルさんがそう仰るなら……」
互いに無策で真正面から叩き合うと、基本的に筋力と体格に優れた者が勝つ。それを覆すために技術があるわけだが、その観点から言えば剣魔法という技術は素晴らしい。無論、相応の習熟が前提にはなるものの、そう言った不利を容易にひっくり返せるポテンシャルがある。
まあ、そういう飛び道具なしに真正面から不利をひっくり返しまくっているのがアリューシアだったりスレナだったりするんだけど。腕相撲したら間違いなくヘンブリッツ君の方が強いのにね。技術というのは実に不思議で奥深い。
「とりゃあーっ!」
「……ッ!」
そして、俺たちの他に打ち合いを演じているのがもう一組。
ミュイとシンディであった。
シンディはその有り余った体力を存分に活かしてずっと攻め立てている。剣筋はまだまだ実戦で扱うには心許ない段階ではあるが、疲れ知らずの身体から延々と繰り出される打撃に付き合うのは中々に骨が折れそうだ。
対してミュイはそれらを上手く捌いている。元々俊敏性に長けるタイプだから、シンディの剣を躱すこと自体は彼女にとって割と簡単なことなのだろう。
ただし、それはあくまで躱せるというだけであって、その回避からどう反撃に繋げるかという点においては未熟だ。これは単純に技術と知識が現状では不足しているから。とりあえず避けることは出来るが、そこからどうすればいいのか分からない、そんな様子だった。
「……ふっ!」
「おぶっふぇっ!?」
「おっ」
これはミュイの体力が削られてシンディの粘り勝ちかな、と思っていたところ。ミュイの鋭く差し込んだ木剣がシンディの脇腹に吸い込まれる。攻撃の瞬間を即座に見切った見事な一撃であった。割と痛そう。
「シンディ、大丈夫か?」
「ぐ、ぎぎ……! だ、大丈夫ですとも……!」
慌てて声を掛けてみると、なんかあんまり大丈夫じゃなさそうだった。ミュイは力がある方じゃないし、骨がやられるほどの威力ではなかったと思うが、それでも脇腹に木剣が突き刺さったら普通は痛い。耐性がなければなおのこと痛い。体力があることとタフであることはまったく違う話だからな。
木剣でボコスカ殴られて平気な方がおかしいのである。つまり、レベリオの騎士は大抵おかしい。いや、武に生きる者としては正しいのかもしれないが。
「ミュイもよく咄嗟に手が出せたね」
「……ふん」
褒めてみると、返ってくるのはいつもの反応。
家でもそうだけど、剣魔法科の講義中は一段と塩対応に磨きがかかっている。でもいつものことだから俺も特に気にしない。これが彼女なりということだろう。それでミュイが明らかな不便を強いられているのであれば多少は口を挟むべきだが、今のところそうでもなさそうだしね。
「さて、あっちはどうかな」
一通り打ち合いが終わったところで、視線を変える。
目を向けた先では、数十人の学生たちがフィッセルの音頭で素振りを行っているところであった。
ビデン村への帰省を終えて、バルトレーンに帰ってきてからしばらく経った頃。
まだまだ暑さは変わらないが、日の長さが少しずつ短くなってきたところで魔術師学院の夏期休暇が明けた。今日は久方振りに学院の剣魔法科の講義にお邪魔しているところである。
もう間もなくすれば日中の気温も落ち着き、そして過ごしやすい季節になったなあと感じ入る暇もなく寒くなっていくだろう。四季の営みは、人間の都合なんか知ったこっちゃなく巡っていくのだ。
そして夏を迎える前にブラウン教頭が起こした事件もあり、結果として剣魔法科の受講者数はかなり伸びた。夏を超えて初秋に差し掛かった今でもその数があまり変動していないことから、どうやら脱落者はそこまで多くはないようだ。でもまあ、ゼロというわけでもないのが難しいところだけどね。
俺はと言うと、フィッセルの講義が軌道に乗ってからはあまり口を出していないし足も運んでいない。言った通り、今回は夏休みを挟んでいるのもあって久しぶりの登場である。
「先生はあの子たちを監督してほしい。私はこっちで皆の基礎をやる」
講義に顔を出した俺に対し、フィッセルは開口一番俺の今日やるべき仕事を告げた。
これは当然の話だが、初期からフィッセルの講義に付いてきた五人と、後から入ってきた数十人とでは、その習熟度に小さくない開きがある。しかも最初の五人は、フィッセルの無茶振りとも言えるシゴキに耐えてきた精鋭たちだ。
自然と練度の差は生まれてしまうもので、それをどうにかしようと彼女が考えた策が今回の話に繋がる。つまり、生徒の進捗に合わせて指導する側を変えるというもの。
これは俺とフィッセルという二人が居るから出来る荒業ではあるんだが、まあ効果的だとも思う。
素振りすら満足に出来ない者を打ち合いの場に放り込むわけにはいかないし、基礎を学び終えて更なる上を目指そうという者に延々と基本だけをやらせ続けるわけにもいかない。
結局、今フィッセルが教えているひよっこたちがある程度モノになれば打ち合いにも参加出来るようになるはずで、そうなれば本当の意味で俺はお役御免となる。
その後にやれることと言えば、先ほどルーマイト君とやり合ったように稽古の相手になることくらい。後は賑やかし要員が精々といったところだろう。剣なら教えられるが、魔法のこととなると俺にはさっぱりだからね。
ただし、俺は今後も剣魔法科の講義に付き合う際は、彼らの卒業まで打ち合いには一回も負けてやらないつもりでいる。たとえ相手が先ほどのルーマイト君のように剣魔法を使ってきてもだ。相応の手加減はするが、油断はしない。
勿論今までだって負けるつもりで挑んだ戦いや模擬戦は一つもないけれど、曲がりなりにもおやじ殿に勝ってから、その気持ちは一段と強くなった。
実感というものは、割と遅れてやってくる。
俺がおやじ殿との打ち合いに勝ち、自分の強さに自覚を持ち。これからはそのことに対して少しでも胸を張れるように生きて行こうと思うようになったのは、ビデン村を出てバルトレーンに向かう馬車の中であった。
後はまあ、調子に乗ったり驕らずに過ごそうという気持ちも同時に芽生えたりもした。
俺は自己の評価を「弱くない」から「強い」に切り替えていく必要があるのだろう。
無論、現段階で剣を極めたなんて大言は吐けないからこれからも精進はしていくつもりだが、その過程で慢心をするような事態は避けておきたい。自身の強さに胡坐をかいて驕り高ぶる態度を取るなど、無様以外の何物でもない。第一、威張り散らすために剣を修めているわけではないのだ。
なので、謙虚な気持ちは忘れずに、しかし自分を卑下せずに過ごそうと思ってはいるんだが、これがなかなか難しい。
自分の中で最強の剣士であったおやじ殿に打ち勝ったとて、見える景色は急には変わらない。つまり、気の持ちようもそんな急には変わらない。意識して変えていかなきゃいけないことではあるのだろうが。
「そう言えば、剣魔法を多少なり扱えるようになったのはまだルーマイト君だけ?」
打ち合い組の休憩がてら色々と考え込んでしまっていたが、今は臨時講師としてこの場に立っているのでずっと悩み続けるわけにもいかない。
フィッセルの号令で木剣を振り下ろす学生たちを眺めながら、ふとした疑問を投げてみる。
「いえ、僕以外の四人も出せることには出せますよ」
「そうなんだ。凄いねえ」
どうやら剣魔法を発現させられるようになったのはルーマイト君だけではないらしい。
そりゃまあ、ここは魔術師学院でこの場は剣魔法科の講義なわけだから、出せてからがスタートラインではあるのだろう。
しかし他の子たちの打ち合いを見ていたけれど、剣魔法を繰り出した様子はなかった。彼の言う通り、動きながら魔力を練るのが難しいということかな。
「あれっ、じゃあミュイも出せるようになったの?」
「……まあ、一応……」
ルーマイト君は他の四人も、と言った。つまりそこにはミュイも含まれているはずである。
ミュイの操る剣魔法。
ちょっと、いやかなり見てみたいぞ。家でこっそり見せてほしいと言っても多分断られそうな予感がするので、この機会は逃せない。
「そうか。皆の剣魔法が今どんな感じなのか、一度は見ておきたいね」
「……」
ここでミュイの剣魔法だけを見たいと言ってしまえば、それは贔屓に映ってしまう。教え導く立場としてそれは良くない。ここは全員の剣魔法に興味があるという形で提言をすべきである。実際に興味があるのは本当だしね。
後進の成長は何時だって喜ばしい。これはヘンブリッツ君の言葉だが、俺もその通りだと思う。
ここはひとつ、彼らの成長の軌跡というものを見させてもらうとしよう。
第六章開幕となります。
またお付き合い頂けますと幸甚です。




