第161話 片田舎のおっさん、凱旋する
「あ、ベリル先生!」
サーベルボアの群れを一掃してからしばらく経った後。俺たちは無事にアフラタ山脈を抜け、麓付近まで辿り着いていた。
その最中にまた何頭かのサーベルボアと出くわしたのはちょっと辟易したけどね。まあでも、一連の流れでこの付近のサーベルボアはかなり駆除出来たはずである。来年にまたやつらが繁殖期を迎えれば分からないが、少なくともしばらくは大丈夫だろう。
「アデル。そっちは大事なかったかい?」
「ええ! あたしが居るもの!」
「そうか、それはよかった」
麓の方に配置していた弟子たちと合流する。
別にいいんだけど、彼女は遠目に姿を確認してからずっと仁王立ちしていた。もしかして作戦中もあのポーズでふんぞり返っていたんだろうか。サーベルボアのボスに勝るとも劣らないくらいの態度である。
「あ、あの……お、お疲れ様です……」
「うん、エデルもありがとう」
こちらへの気遣いを見せるエデル。アデルとは双子のはずなのに、ここまで性格が違うのはやっぱりちょっと珍しい気がするな。それはそれで彼らの個性として見ることも出来るから、悪いことじゃないんだけどさ。
「ふむ……サーベルボアはこっちには来なかったのかな」
ざっと見回してみるが、戦闘の跡は特に見られなかった。血も見えないし、弟子たちも無傷だ。
俺としては麓の方にまで危害が及ばなくてほっと一安心といったところだが、特にアデルからすれば少し物足りない一日になったかもしれない。
「一頭来たわよ! すぐ逃げちゃったけど……」
「あれ、そうなんだ」
しかし実情としては、まるっきり平和だったというわけでもないらしい。互いに目視出来る距離まで近付いていたということか。
でも、もしそうならサーベルボアが人間を一目見て退いていく、というのも中々考えづらい光景である。何らかの事情があったと見るのが妥当だろうか。
「私たちが割合派手に動いていたので、それで学んだ個体なのでは?」
「あー……その線もあり得なくはないか」
そこでランドリドが彼なりの予測を述べてくる。
確かに俺たちがバッタバッタとサーベルボアを薙ぎ倒していたから、たまたまそれを見ていたはぐれの個体が恐れをなして逃走し、そのまた先で同じような人間を見かけたから更に逃げ回った……というのは考えられなくはない。
モンスターには知性こそないが、本能に基づく学習能力はある。特に戦闘経験の少ない若い個体だと、人間の姿自体を脅威と認識して逃げた線は、まあなくはないといった感じかな。
「つまり! あたしの威光にあいつらがビビったのね!」
「ははは」
彼女の言葉にも事実の側面はある。人間の姿を見てビビって山に引き返した、というのは誤解ではないだろう。それにしたって凄い自信ではあるが。
自分の腕を、あるいは自分の未来を微塵も疑っていないような、強い意思。確かに剣士として生きていくと決めたのであれば、この我が儘っぷりは大事である。俺は随分と昔にそれを諦めて自分の心にケリをつけたはずなんだけど、やっぱり一度それを夢見た以上そう簡単には途絶えないものなのだ。
俺やランドリドは、こういった若い芽がその夢を追うための道筋を作ってあげねばならない。
前から引っ張っていくのでは駄目だ。それは本人の成長に繋がらない。あくまで道を示し、そこを歩くかどうかの判断を本人に委ねる。そうしてこそ、剣士としても人間としても立派になっていくものだと、少なくとも俺自身はそう思っている。
「そ、その牙……もしかして、ベリル先生が仕留めたんですか……?」
「ああ、これ?」
一丁前に剣を志す者たちの未来を考えていたら、エデルから質問が飛んできた。
そりゃまあ目立つよな、これは。普通に手で持てるサイズじゃないから、結局肩に担いで持って帰ってきたボスの牙である。
「まあ……そうだね」
「やっぱりベリル先生は凄いわね!」
報告すると、何故かアデルがはしゃぎだす。うーん、嬉しいのと恥ずかしいのとで半々みたいな気持ち。
こいつは片方だけだから、現場に戻ればもう一本の牙もあるはず。誰かが勝手に剥ぎ取らなければという前提だが、あんなところに潜り込む人間なんて居ないだろうから多分大丈夫だろう。
これが狩人などであれば、自分が仕留めた証として一本は自宅に飾ってそうな大きさである。生憎俺にそこまでの執着はないので、立派な牙だし傷も少ないしいい値段が付けばいいなーくらい。
このデカさであれば貴族筋にも受けが良さそうなので、商人の手腕次第では中々の高値が付きそうな予感はなんとなくあった。
「そうだ。サーベルボアは大体仕留めたから戦利品として死体を回収したいんだけど、俺たちだけじゃ人手が足りなくてね」
「やるやる! やるわ!」
そして忘れてはいけない戦後処理。アフラタ山脈ほどの大きい山であれば、あれらもいずれ自然に還っていくのだろうが、折角の収入源と飯の種でもあるので出来れば回収しておきたい。
そのためにはどうしても人手が要るんだけど、アデルはなんだかめちゃくちゃ乗り気だった。拒否られるよりは大分楽ではあるものの、たかだか獲物の回収にそこまでテンションが上がる理由はちょっと分からない。まあ本人が楽しいのならそれでいいけどね。
アフラタ山脈の危険が消え去ったわけではまったくないが、それでもこの周辺のサーベルボアを一通り駆除し終えた今なら比較的とはいえ安全なはずである。基本的には俺たちが通って制圧したルートを最短で進むから、かかる労力も時間も大分削減されるだろう。
無論、山に入るメンバーはそれでも厳選せねばならない。ピクニック感覚で入るには些か危険すぎる場所であることに変わりはないからな。
後はロブさんとか村の狩人や、運よく冒険者などが立ち寄ってくれればそういう人たちにもお願いしたい。報酬は回収したサーベルボアから出せるし、討伐ではないから多分引き受けてくれる人も居るはずだ。
まあこの辺りは運が絡むからなあ。流石に倒したやつ全部を回収するのはちょっと難しいかもしれない。
ちなみに冒険者に対して、冒険者ギルドを介さず依頼を出すことは別に禁止されてはいない。ただし、その責任も一切負いませんよというスタンスをギルド側は貫いている。
要するに犯罪の片棒を担がされたり、詐欺にあってもそれは自己責任ですよということだ。とは言っても、たまたま立ち寄った依頼先でついでにちょっとした頼み事を受けるくらいは大体の冒険者がやっている。
過去にはビデン村でもそういう依頼を出したこともあるしね。わざわざギルドを通して呼び付けるほどでもないから、タイミングよく立ち寄る冒険者が居たら頼んでみようかなという感じだ。
「皆の無事も確認出来たし、村に戻ろうか」
「そうですね、ひとまず身を綺麗にして落ち着きたいところです」
目立った怪我こそ負わなかったものの、全員身体中が獣臭いし汗もかいている。あと返り血も結構浴びている。ヘンブリッツ君の言う通り、手早く戻ってさっさと水浴びと洒落込みたいところだ。
「先生! その牙、持ってみてもいい?」
「ああ、いいよ。結構重たいから気を付けて」
アデルがサーベルボアの牙に興味を示したので、彼女に渡してみる。
俺の肩から重みが消えると同時、受け取ったアデルの両腕が瞬間的に沈み込む。しかし彼女はぐぐっと堪えると、両腕をいっぱいに使って雄大な牙を胸元で抱え込んだ。
「うわあー……フフフ、あたしもいつかこれくらいの獲物を……!」
「ははは、きっと出来るようになるさ。俺にも出来たんだから」
どうやらいずれ自分の手でこれくらいの戦果を挙げられるようにと夢想しているようだ。
それをただの夢想で終わらせないためにも、俺やランドリドは頑張って彼女たちを教え導いていかないといけない。俺には特別指南役のお仕事があるから、当面はランドリドの仕事だけどね。
「後進の成長は何時だって喜ばしい。改めてそう感じますな」
「ああ。でも簡単に追い越される気もないんだろう?」
「それは当然。我々も成長せねばなりませんから」
俺の合いの手に、ヘンブリッツ君が鷹揚に答えた。
彼は一人の剣士としての矜持と、人の上に立つ者としての矜持が高い次元で纏まっている。俺が彼くらいの年の頃は剣を教える者としての役目を果たす、ただそれだけに精いっぱいだったから、やっぱり彼の実力のみならず、精神面での凄さというものを感じるね。
「あん? なんだ、もう帰ってきたのか」
「あれ? おやじじゃないか」
弟子たちと合流していざビデン村へ帰ろうと歩みを進めたしばらく先。まだ村の防御柵まではやや距離があるなという位置で、おやじ殿と出くわした。
腰にはしっかりと真剣を差している。なにも物見遊山で出張ってきたわけではなさそうだった。
「天気がいいからよ、ちょいとお散歩だ」
「へえ、剣を差したままで?」
「こりゃ持病みてえなもんだからな」
恐らく、弟子たちを心配して少し前進したのかなと思う。彼は父親としては厳しく、剣術師範としては非常に厳しい人だが、その態度には不器用ながら確かな愛情が感じられる人でもある。すーぐ調子に乗るから口には出さないけどね。
「ほぉ、中々でけえ牙だな。まさかそこのちみっこが仕留めたわけじゃあるめえ」
「まあね。ちょっと見たことない大きさだったよ」
おやじ殿の視線は全員の無事を確認した後、アデルの抱える牙へと向く。
意外なことに、おやじ殿の言葉にアデルは反応しなかった。多分、今の実力ではこの牙を持つ大物には勝てないと自分自身が分かっているのだろう。彼女は勝気で腕白だけど、愚かではないからな。
「やっぱり俺の出番なんてなかったじゃねえか」
「そう言うなよ。おやじが控えてるからこそ俺たちは突っ込めるんだから」
ふんと鼻を鳴らし、おやじ殿がぼやく。
ただ俺が言った言葉も事実で、彼が後ろを守ってくれているからこそ主要な戦闘要員を全部前線に突っ込めたのだ。おやじ殿が居なければ、恐らくランドリドを残していくことになっただろう。そうなれば戦況は、また少し違ったものになっていたかもしれない。
「で、肉は持ち帰ってねえのか」
「あのサイズの獲物を簡単に運べるわけないだろ……」
「おーおー情けない情けない。俺が若い頃なんてのはな――」
「今は年寄りじゃないか」
「うるせえよ」
どうにも上機嫌らしいおやじ殿を交えて。
ビデン村への帰路は、それなりに賑やかなものになった。
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