第142話 片田舎のおっさん、故郷に帰る
「お、見えてきたね」
俺を含めた四人が乗り込んだ馬車は早朝にバルトレーンを出発し、途中何度か休憩を取りながら進んだものの、大きな問題もなく進んでいた。
お馬さんたちと一緒に川縁で昼食を摂ったり、あまりに平和、言い方を変えれば暇な道中でクルニやミュイがうたた寝をしたり、クルニがテンション高くミュイに絡もうとしてあしらわれていたりと、そういう場面を見ながらのんびり過ごしていたらあっという間にビデン村目前であった。
時刻はどうだろう。まだぎりぎり日は沈んでいないが、たっぷり半日以上はかかっている感じはする。
四頭立ての馬車は馬力はあるものの、乗っている人と荷物が多ければ馬車自体も大きくなり、その分負荷もかかる。さらに季節が夏だということも関連し、馬の疲弊も早い。
結局馬車の速度はそこまで出せず、また馬のための休憩も多めにとったことで少々ばかり時間がかかってしまった、というところだろう。
しかしながら、道中さしたる問題もなく進めたのは良いことだ。バルトレーン周辺はまだいいが、これが田舎に向かえば向かうほど野盗だったり動物だったりに襲われる可能性が増えるからね。
「うぇ……やっと着いた?」
「もう少しだよ」
そして視線の向こう、なだらかな平原が続く先に微かに建物が見える。この辺りで目に見えて分かる集落と言えばビデン村しかない。
慣れない馬車移動で予想通り疲労したミュイから、ようやくといった感じの声とため息が聞こえた。
「どうにか日が暮れる前には到着出来そうですな」
「うん、道中何もなかったのが良かったね」
これで戦闘などトラブルの一つでも起きていれば、事情はまったく異なっていただろう。余計な時間を食ってしまえば最悪野営もあり得た。
そういう行軍に慣れているであろうレベリオの騎士はともかく、ミュイを連れて強行軍は避けたかっただけに、今回は運が良かったということだな。
パッコ、カッコと馬の蹄が刻む音が優しく響く。
バルトレーンでは真夜中でもない限り大体人の喧騒ばかりだったから、こういう長閑な雰囲気というものは随分と久しぶりに感じる気がする。
生憎日が沈む間近で景色を存分に楽しむというわけにはいかないが、それは明日以降でもいいだろう。今はとりあえず、無事に遠出が終わったことに一息つきたいところだ。
「皆様。到着致しました」
村の面影を目にしてからしばらく。
首都バルトレーンに比べるとあまりにも貧相な――そして辺境の村なりには頑張った――防御柵まで馬が辿り着いたところで、本日の旅は終了となった。
「ありがとうございます。快適な道中でした」
「痛み入ります。今後とも御贔屓のほど、よろしくお願いいたします」
ここまで快適な旅を提供してくれた御者の方にお礼を述べ、地に足をつける。
バルトレーンの石畳ではない、天然の草原だ。途中で何度か休憩は挟んだが、硬い地面よりは慣れ親しんだ感触ではある。ずっと田舎暮らしだったから、こっちの方がやはりしっくりくるものだ。
「ふぃー、久しぶりっすね!」
馬車の中でちゃっかり睡眠をとり、割と元気なクルニが伸びをしながら声を上げる。
確かにクルニはビデン村に来るのが久しぶりだ。というか、大体の弟子たちはうちを卒業した後にわざわざ訪ねてくることはない。アリューシアが訪れて来たのも実はかなりのレアである。
俺としてはそれを寂しいと感じることは多少あれど、それはそれでいいと思っていた。
言っちゃうのもなんだが、ここはドの付く田舎と言って差し支えない場所である。うちの剣術を修めてくれたのは嬉しいけれども、かと言ってこんな田舎の村に縛られる必要性まではない。
騎士になったり冒険者になったり魔術師になったりと、剣を学んだ先の結果は様々だが、要は皆が皆各々の道を歩んでいる。つまりは、まったくもってそれでいいのだ。
「まずは俺の家に行こうか。案内するよ」
全員が馬車から降りて荷物を持ったことを確認し、足の向かう先を我が道場へと定める。
ちなみに馬車を用意してくれた御者さんは村の宿場に向かうらしい。どうやらここに来たのは初めてではないようで、馬たちを移動させる手際も淀みないものだった。これなら俺が心配することもなさそうだ。
向かう先というか、この村の地理が頭に入っているのは俺とクルニの二人だけ。クルニの方はある意味で慣れ親しんでいるから気楽なものだが、ヘンブリッツ君とミュイの表情には若干の緊張が見受けられた。
特にミュイはきょろきょろと辺りを見回しており落ち着きがない。元々活発に喋る方でもないが、口数も随分と減っている。
ヘンブリッツ君は見知らぬ土地に遠征に行くくらいは慣れているだろうが、ミュイにとっては正真正銘初めての出来事だろうしな。緊張するのも分かる。まあ多分、家に着いたら着いたで別の意味で緊張はするだろうけど。きっとうちの両親が放してくれないだろうから。
まだ日は落ちていないから、流石に既に寝入っているということはないだろう。
こんな辺鄙なところでは、日が沈めば後はもう寝るだけみたいなところもあるけれど。これがバルトレーンなら酒場に繰り出すとか色々と選択肢はあるんだけどね。生憎と田舎村にそんな娯楽は存在しない。
「さ、ここがうちの家兼道場だ」
「おお……中々の広さですね」
村の入り口で馬車を降りてからしばらく。とは言っても、この程度の規模の村ならそう歩くこともなく、無事に我が家へと辿り着いた。
ヘンブリッツ君の言う通り、まあまあの広さは持っていると思う。流石に騎士団庁舎や魔術師学院とは比ぶべくもないが、田舎というのは人口の割に土地は広いからね。広さと安全性は概ね反比例するのが辛いところだが。
「多分両親はまだ起きてると思うけど……」
見慣れた我が家に、何故か少し緊張してしまう。そう思ってしまうくらいには、俺はこのビデン村から離れていたのだなと今更ながら感じ入るばかりだ。
皆を引き連れ、家の戸に手をかける。
「……ただいま」
戸を開けてからの第一声をどうしようか少しだけ悩み、結局いつもの様に振舞うことにした。ここは確かに俺の家だし、お邪魔しますはどう考えても他人行儀が過ぎる気がしたから。
「おう、誰かと思ったらベリルか」
そんな俺の微妙な感情を知ってか知らずか、玄関の奥からのそりと現れたのは俺のおやじ殿、モルデア・ガーデナント。
最後に会話を交わしてからそう時間は経っていないはずだが、随分とおやじ殿の顔を久々に見た気がする。
「お連れさん方も、長旅ご苦労。何もないところだが、まあ上がってってくれ」
「はっ、お気遣い感謝致します。お邪魔します」
おやじ殿は俺に一瞥をくれた後、すかさず後ろの皆に声を掛ける。そこに呼応したのは、こういうのに一番慣れているであろうヘンブリッツ君であった。
そう言えば俺は、この人にずっと剣を教わって生きてきた。しかしながら、いわゆる外行きのおやじ殿というのはほとんど見た記憶がない。
剣に関してはずっと厳しい父親兼師範だったし、甘やかされた記憶もあまりない。そこに関しては剣の道を志す以上は俺も納得していたから、そんなに不満があるわけでもないが。
おやじ殿は手紙を出した以上、俺が帰ってくるかもしれないことは織り込み済みだろう。
だが、ミュイ以外の客を連れてくることはあまり想定していなかったはず。それでも彼は、動揺や気後れといった感情を微塵も出さずに対応していた。
「お邪魔しまっす! こっちに入るのは初めてかもしれないっす」
「ん? お嬢ちゃん、うちの出か?」
ヘンブリッツ君に続いて元気な挨拶を飛ばしたクルニ。彼女の台詞に、おやじ殿が少し食いついた。
俺とおやじ殿。どっちが沢山の弟子を世に送り出したかと言われたら、多分後者である。多分とつくのは、俺はまだ師範生活がおやじ殿より短く、しかし弟子の数自体は俺の代になって増えたから。
とは言っても、何もいきなり門下生の数が激増したわけじゃない。こういうのは結局教えていた総期間がものを言うはずだから、恐らくおやじ殿の方が多いだろうな、という感じだ。
そしておやじ殿は、俺に道場の看板を譲ってからはそう頻繁に道場に顔を出してはいない。なので、俺の代で教えていた弟子たちをあまり覚えていない。クルニはその中でも期間が短く、そして途中でレベリオの騎士になったので、覚えておけと言う方が無理があるだろう。
「はい! クルニ・クルーシエルと言います! 先生にはお世話になってるっす!」
「おう、元気があるのは良いことだ。知ってるかもしれんが、俺はモルデア・ガーデナント。一応こいつの父親だ」
「一応はないだろ、一応は」
「うるせえな、言葉の流れだよ」
このおやじめ。一応は俺の息子ですって言われた息子の気持ちをちょっとは考えてほしい。
「お世話になります。レベリオ騎士団の副団長を務めております、ヘンブリッツ・ドラウトと申します」
「おっと、こりゃまた大物さんだな。こっちこそ、うちの倅が世話になってる」
続くヘンブリッツ君の挨拶に、おやじ殿は少し目を丸くしていた。
まあ普通、レベリオ騎士団の副団長がこんなところに来るとは思わんだろう。以前アリューシアが来たのは俺を勧誘するためだったという一応の筋は立つが、ヘンブリッツ君が来るのは俺にもマジで読めなかった。さらに彼はうちの門弟でもないから、尚更足を運ぶ理由がない。
「つーことは、そっちのお嬢ちゃんがお前が手紙で言ってた子か?」
「そうだね。ほら、ミュイ」
そして最後に、ミュイの方へと視線が集まる。
「うっ……ども、ミュイ、です……」
「はっはっは! そりゃこんな野郎どもに囲まれちゃ緊張もすらぁな! さ、自分の家だと思って上がってくれ」
カチコチに固まったミュイの挨拶を、いい意味で豪快に笑い飛ばすおやじ殿。
しかしこんなに緊張しているミュイは初めて見るかもしれないな。魔術師学院に行った時も固まってはいたが、ここまでではなかった。
彼女からすれば、学院や騎士団という場所は完全に外だ。だが今回は俺の実家ということで、完全に外とは言いづらい。むしろ、書類上の関係だけで言えば自分の家にもなり得る。どういう態度で行けばいいのか、ミュイもまったく分かっていないのだろうな。その辺りがまた可愛くもあるんだが。
「ここで話すのもなんだし、おやじも言ってるけど上がりなよ」
玄関先で長々と話をするわけにもいかないし、とっとと家に上がってしまおう。
とりあえず今日は自己紹介がてらのんびりして、飯食って寝て、明日からサーベルボアの調査とか色々始めたいところだ。それに道場の方も見ておきたい。今日はとっくに解散しているだろうが、明日になったら教え子たちもやってくるだろう。
「ところで、クルニだったか」
「はいっす!」
短くはないがそう長くもない家の廊下を歩いているところで、おやじ殿が振り返る。
「お前さんがベリルの嫁候補か?」
「うおォい!!」
このクソおやじがよォ!!
おやじ殿は「まあまあ若いの連れてきたな……」とか思ってます。




